烏と春の誓い

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第二章:名古屋の烏

氷見と夏島

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 昼時、名古屋の中でも特に人の多い栄。仕事、学生、買い物、デート、ただぶらついているだけの人、そんな人々が往々と歩くその中を、氷見降矢(ひみふるや)は爆走していた。

「いつまで追いかけて来るのあいつ等っ、しつこ」

 大声を出しながら走る氷見に驚きつつ、近くの通行人たちは野次馬の目になって此方横目でチラ見するも足を止めずに歩いている。

 今日は仕事があったため、いつも通りに家を出て仕事先に向かった。そして同じくいつも通りに店番をしていた。最中、ゴミ出しの日なので店の裏口を出て少し歩いた所にあるゴミ捨て場にゴミを出しにいったのだ。

 それがいけなかった。

 ゴミ捨て場には奴等がいたんだ。氷見が投げ入れた場所から丁度死角にいた彼等に運悪く袋が直撃。そしてこうなったと言う訳だ。

 ――― カラフルチンピラーズ。これは氷見が勝手に名付けたあだ名で、名古屋の路地裏とかコンビニの駐車場とかよく屯っているだろう、ヤンキーボーイ共だ。


「はあっはあっ」

 必死に足を動かしながら、背後を振り返ったがすぐに後悔した。

 目に入ったのは走る反動でふわふわと上下するカラフルな髪の毛たち。そして如何にも不良です、と顔で表さんばかりの厳つい顔。此方を睨みながら同じように走っている。

「待てゴラァァァァぁ!」とか「止まれボケがあああああ!」とか叫びながら追ってくるけどそんな事を言われて止まる馬鹿はいないだろう。再び前を向いて走ることに専念する。

 逃げ足には自信がある。少しずつだが距離が開いてきただろうか。

 幼い頃からやっている格闘技や高校時に入っていた陸上部で鍛えられた足のお陰かチンピラに追われることは幾度かあっても今のところ追いつかれたことは一度もない。しかし氷見ももう三十路へと片足を突っ込んでいた。

「やっぱりもう若くないなあ」

 ぶつぶつと悲しい呟きをこぼしながら走っていると、ズボンの後ろポケットに入れていたスマホが振動と共に着信を知らせてきた。今はそれどころではないと、出ずにいるが着信音は鳴りやまない。この鳴り方は電話だな、と走るスピードは保ったまま仕方なく電話に出た。

『氷見、何してるの?』

「走ってる!!」

 掛けてきた相手は長年の友人だった。

『それは知ってる、見てた』

「は!どこから!?てか見てたなら助けなよ!」

『声掛けようとしたけど走るの早くて掛け損ねた』

「何で電話してきたの!?」

『何となく?』

「頭皮でも爆発すればいいよ……」

 最後の言葉を聞いた瞬間に氷見はブチリと通話を切った。今の電話はなかったことにしよう、そうしよう。

「追いかけられるなら可愛い女の子がいいのになあ」

 キャッキャウフフの追いかけっこなら喜んでやるのに。何でむさ苦しい男共に追いかけらなくてはならないのか。

 背後から聞こえてくる足音は未だ鳴り続けている。追いかけっこを始めてから何分経っただろうか、流石にそろそろ戻らないとマジでやばい、と言うかお客に迷惑が掛かる。それに足も限界だ。

「どうしようかなあ」

 と頭の中で回避方法を三つ程出してグルグルと回転させて思案していると背後から蛙の潰れたような声がした。

「グエッ」

 グエ……?

 更に別の声が聞こえて来た。

「え、おいっ、ツヨシッ……!」
「ちょ!俺のズボン掴むな!あっ俺のパンツウウウ!」
「お前が前に居るとその前が見えねえ!誰だツヨシ連れて来たの!」

 後方のチンピラーズたちが言い合いを始め、何事かと背後を振り返ると、追いかけて来ていたチンピラーズがその更に背後から迫る何者かにポイポイとまるでゴミを捨てるかのように軽々と投げ捨てられている。そして脇にあるゴミ置き場に突き刺さるチンピラーズの尻や、余程ズボンを強く掴まれたのか、上半身にはちゃんと服を着ているのに下はパンツのみの奴とかが屍のごとく散っているのが見えてしまう。

 その惨状を見て氷見は思わず呟いた。

「……何アレ――― 」

 背後からは闘牛のような巨体な黒い戦車のようなものが土煙をあげながら此方に向かって来ていた。その姿は一見すると下半身よりも上半身の方がだいぶ大きく、ふくよかな体系だが、ぴっちりとした上下の服からは少しわかりにくいもののしっかりと筋肉もついているのがわかった。

 チンピラーズの次は闘牛かと、ため息をつきそうなる。以後、闘牛くんと呼ぶことにしよう。

 だがそんなことより今はこの状況を回避することが先決だ。

 喧嘩の相手をする気は全くないので、対処法としては逃げるの一択だ。闘牛くんもギャングの端くれ、裏道の複雑さには慣れているだろう。

 撒く方法を考えながらも、その前に、と氷見は一旦思考を止め、何かを企んだような笑みを浮かべながら一本の電話をかけ始めた。

 
 ※


「……切られた」

 つい先ほどまで話していた相手に、突然電話をぶちられてそのままスマホ画面を見る夏島(かしま)。暫く見ていたそれを服のポケットへと仕舞い、立ち止まっていた場所から再び歩き始めた。

 細い道を抜け、閑静なビルが立ち並ぶそこには、二十四時間営業だの飲み放題だのをアピールするカラオケやネットカフェのカラフルな電飾看板があちこちに見受けられる。昼時は目立たないが夜になれば派手な程目に留まるようになるだろう。

  
 近頃睡眠不足気味の夏島が怠そうに歩いていると、向こう側から歩いて来た女性が見ていたスマホからふと顔を上げた時に夏島を見て、頬を染めた。

 夏島の顔はどうやら異性に好かれやすいらしく、学生時代にもよく下駄箱に手紙が入っていたり呼び出されたりした。色恋沙汰にあまり興味のなかった夏島は女子の行動がよくわからずに、自らが唯一親友とも呼べる友人にこんなことがあった、と話題がてらに話していた。

 すると、「イケメンは爆発すればいいと思うよ、――― 」とにこやかな笑みを浮かべながら呪いの言葉を吐いてきた。

 此方を見て歩くスピードが落ちていた女性の視線を振り切って横を通り抜ける。

 はあ。と自然に零れたため息は、肉体的な疲労もあるが今のはその現れではない。現在昼の一四時半。この時間まで何か仕事をしていたかと言えば、していない。そう、≪何もしていない≫のだ。状況としてはかなりまずかった。

 仕事用のスマホの電源は切ってある。決して付けてはならない、もといパンドラの箱とも言えよう。
 付けたら最後……考えただけでもぞっとする。だが≪彼女たち≫との連絡を一方的に絶ってから三日。そろそろ動き始めるはずだ。しかし浮かばないのだ。

 
 ネタが……―――。


 はあ、どうしよ。と二度目のため息をついた夏島が、伏せながら歩いていた顔を上げた時、その目にある人物の姿が映った。


「せーんーせーいー……ようやく……ようやく見つけましたよおぉおおお!」

 夏島の前方、数メートル先に、女はいた。漆黒のスーツスタイルにサングラス。もはや危ない筋の人間にしか見えない恰好をした女が目の前で夏島を待ち構えている。

「やば」

 夏島を捕まえにくるときは、たいてい数人の部下を連れてくる。女の周りに姿が見えないということは、辺りで網を張っているに違いない。最初のうちは後ろめたさもあって大人しく捕まっていたが、慣れてくると人間、開き直り始めるものである。寧ろこの逃亡時間ですら有意義な事に使わなければ損なのでは?と思うようになり、近頃の夏島は如何にして逃げ延びるかを論理的に考えるようになった。

 幸い夏島は過去の経験から名古屋周辺の裏道には詳しい。

 数秒脳内を回転させただけでも、彼女たちを撒くルートはいくつかあった。

 だがまずは既に姿を晒し、捕まえてくれと言わんばかりのこの現状を打開することを出来なければ……終わりだ。

 と言うわけで、すぐさま夏島は回れ右をして走り始めた。後方からは再び女の呼び止める声が聞こえてくるが当然聞かなかったことにする。

 いくつかの通りを曲がりながら通り抜け、古めかしい理髪店の前に着いた。そのすぐ横の建造ビルとの間には薄暗い道があった。幅二メートルほどで業務用大型ゴミ箱が壁に沿って二つ並べられており、奥に入れば表からは絶対に見つけられないであろう場所。

 夏島はすぐにそこへと入り込んだ。

 息を潜めていると、「せんせええええええ!どこですかああああ!」女の声が段々と近づいてきて、夏島の隠れている場所の前を通り過ぎて行く。だがその瞬間。

「はっ、先生!!……貴方たち、あの着ぐるみを追いかけて!絶対にあれが先生よ!」

(え……?)

 女の放った言葉に、夏島は一瞬思考を停止した。

「先生!待ってくださいって!もう期限から三日も経ってるんです!いい加減にして下さい!」

 女は一体誰に向かって話しているんだ……夏島は今ここいる、と思っているが実は霊体で身体は別にあるとでも?いやそんなはずは―――。

 女の声と三人程の靴音が遠くなってきたのを見計らって、表の通りへと建物の角から顔をひょこりと覗かせ、一体どうなっているのかと注視する。

 するとそこにいたのは ――― 黄色のウサギの着ぐるみだった……。

(俺……あんなの着るようなやつだと思われてたの……)

 確かに今までも、逃げるためにその辺にある着ぐるみとかを勝手に拝借して勝手にティッシュ配りみたいな事をしていたこともあったけど。その後着ぐるみの数が合わないとか言ってアルバイト管理をしている人に怒られたけれど。あれはあれで貴重な経験だった。

 追われている着ぐるみの中に入っているのが誰かは知らないが、尊い犠牲者のことは絶対に忘れない。

 グッドラック、と心の中で呟きながら、夏島はその場を後にした。

「疲れた……、でも何でこんなに早く見つかったんだろ」


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