烏と春の誓い

文字の大きさ
上 下
2 / 43
第零章:始まり

梵:始まりの出会い

しおりを挟む
 三月某日。
 五月女梵(そうとめそよぎ)は、流れゆく景色を眺めていた。ビル群が立ち並ぶまるで要塞のような人工色の世界へ段々と緑が差し込み始め、数分もすればこれが逆転する。緑豊かな山林に囲まれ、先ほどとは打って変わって自然が支配する景色へと変わる。

 新幹線の窓縁へとひじを乗せてそれにも垂れかかるようにして顔を乗せ、外の景色をただ眺めていた。地元である東京から出るのは初めてではないが、これから向かう場所へは過去に一度しか行ったことがない。その一回も、小さい頃過ぎて全く記憶になかった。

 と言うか梵にはある時期からの記憶が一切なかった。思い出そうとしても何故か靄が掛かって思い出せない。中学生のときの記憶は思い出せることから多分小学生の時に何かあったのだと思って母に尋ねたことはある。しかし、「気のせいよ」と言われてはぐらかされてしまった。

 自分でも感じていることだが、梵は他人よりも表情が乏しい。考え、喜怒哀楽はきちんと感じているのにそれが上手く表情筋へと伝達されないようだった。実家にある小さい頃のアルバムの写真には表情豊かな梵が写っているというのに。

 一体何がどうしてどうやってポーカーフェイス人間に育ったのか。

 む……、っとそんなことを考えていると微かに眉間に皺が寄る。明るい表情はできないのに渋い表情のほうが出来るとはいったい何故なのか。うん、わからない。兎にも角にも梵には昔の記憶がないが、ないものは仕方がないと今は割り切れる年齢になった。

 梵は母子家庭で育った。父親は不明。明るく、たまに天然なボケっぷりを見せる母に愛情を注がれて高校までは東京の端の方で過ごしていた。

 そしていざ大学受験を、と言うときに、梵は自分の将来について考えた。東京であれば大学も多く選択肢も多い、だがその時の梵はなによりも一人暮らしというものに憧れていた。母のことは心配ではあるが、一人立ちするにはいい機会だと思ったのだ。

 意を決して母に相談してみると、「寂しいけれど仕方がないわねえ」と思いのほか簡単に許可をくれた。

 と、言うわけで梵の大学探しが始まったのだ。特段ここがいい!という大学がなかった梵にアドバイスをくれたのは、意外にも母で、「愛知県なんてどうかしら」と。

 話を聞けば名古屋にいとこが住んでいるらしく、もし愛知の大学でいいところがありそうならそこでお世話になればいいと言われたのだ。一人暮らしにかかる費用を考えると魅力的な提案だった。

 言葉のままにまずは愛知の大学に絞って色々探してみたところ、自分の偏差値と合う良さそうなところがあったことから二つほど受験し、何とかその一つに受かることができた。
 
 例のいとこの人には母が連絡してくれたようで、二つ返事で承諾してくれた、と笑いながら言われたのを覚えている。

 ぼーっと新幹線の揺れに揺られながら目的地に着くのを待っていると、

「お若い方、お隣よろしいですか?」

 四十代くらいのハット帽をかぶった男性が声を掛けてきた。

 見た目は紳士風でもなくダンディでもなく、どちらかと言えばちょっとよれよれの服を着たその辺にいるおじさんと言う感じだ。

「え、他にも席が空いて……」

東京駅から乗ったとき、平日の午前中という事もあって自由席車両だが確か十人ほどしか乗ってなかった。だから座席はガラガラのはずだ。しかし梵が自身の持っている情報を確かめようと腰を上げかけている間に男性は梵の隣に座ってしまった。

 なんて強引なおじさんだ。少し気分が下がりながらも既に席についてしまっているので今更他に沢山席があるのでそっちに行って下さいなどとは言いづらい。

 こういう時、意思表示をはっきりする人ならばスパッと「あっち行け」的な感じで追い払えるかもしれないが生憎と梵はそれが出来ない。

「ご旅行か何かですか?」

「え?」

 おじさんが座ってから暫くは一切会話がなかった所で突然話を振られて少し驚く。

「だってほら、上の荷物棚にキャリーケースを乗せているし、どうみても社会人と言う感じのお歳ではないですよね」

「何か、探偵の方みたいな言い方しますね」

 まるで何かの誘導のような会話に、少しドキドキしながらも先ほどのおじさんの質問に対しては相手の素性が知れないので一瞬躊躇してしまう。

「ただ事件物のドラマが好きな枯れた親父ですよ。因みに私の名前は井樽(いたる)と言います」

「それって苗字ですか?」

「そうですよ」

「初めて聞きました。ずいぶん変わったご苗字ですね」

「少なくとも私以外でこの苗字を使っている人には会った事がないですね。一度調べてみたら関東圏が起源の地と言う感じで出てきましたが」

「あ、じゃあもしかして東京の方とかですか?」

「正解です。私はこれから仕事でちょっと名古屋の方に行くんですよ」

「奇遇ですね、僕もなんです。あ、名前は五月女と言います」

「それはまた……君も随分と仰々しい珍しい苗字じゃないですか」

「よく言われます。学校で自己紹介する度に、先生に読み方聞かれたり」

「珍苗字あるあるですね。名古屋へは観光をしに?」

「いえ、今年の春から名古屋にある大学へ進学することになりまして、それで引っ越しを」

「それはいいですねえ。実家を離れるという事は、大変なことも沢山ありますが、楽しいこともまた沢山ありますよ」

「そう言って頂けると不安だった気持ちが少しましになります」

「それはよかった。私は仕事で何度か名古屋へ行ったことがありますけどやはり一番は『食べ物』ですねえ。最初の一回目は新鮮なのでぺろりと平らげれるほど美味しい名物ばかりですよ」

「一応大学に入学が決まった時点で、色々調べてはみたんですけど、一番気になったのは『ひつまぶし』?ってやつです。最初ひまつぶしって読みようになりましたけど」

「ああ、少し紛らわしい文字の並びをしてますしね。私も最初は間違えそうになりましたよ」

「そうですよね。ところで井樽さんはずっと東京に?」

「はい。就職先が東京でしたので、そのまま。そう言えば五月女さんは来るときに名古屋の治安について調べたりしましたか?」

「治安……ですか?」

「これは知人から聞いたことですが、近頃チンピラ……と言うか、ギャングたちがまた表の世界へ出張ってきているようで。気を付けたほうがいいと言われました」

「ギャングですか」

 その言葉に、梵はいまいちピンとこなかった。

 東京に居たとき、街中を歩いていれば柄の悪そうな人が何人かで集まって騒いだりしているのは見たことはあるし、テレビでは警察二四時のように、事件を起こしては反抗ばかりしている暴走族やギャングのような人たちもいた。だが、どこか他人事のような、違う世界に生きる人たちのように思っていた。

「実は名古屋って、以前はギャングたちによって少々治安が荒れていたんですよ。でも十年前、ある事件によって一度は姿を消しました。まあ表では、ですけどね」


                   ◆


 十年前、ある事件によって一人の少女が命を落とした。原因はギャングたちの争いに巻き込まれたことによる死亡。少女は当時十六歳。まだ高校生だった。そしてこの事件に大きく関与したとされているのが≪KK≫と≪烏(カラス)≫呼ばれる二つのギャングチーム。

 事件は暫くニュースとして報道され、新聞にも僅かなスペースに記載された。

 関係者以外が気にも留めないような小さな小さな記事。

 当時は名古屋のギャングたちの活動が活発だった。どのようにしてグループが生まれ始めたかは定かではないが、幾つかのチームが出来上がり、大なり小なり有象無象によって形成されていた。

 ギャングチームの中でも、一番大きいとされていたのが、キリングキング、通称≪KK≫であった。メンバーは五十を超え、その人数は着々と増え続けていた。彼等の素行はあまり良くなく、一般人が利用する人通りの多いところでもいばる連中がいるほどだった。

 他にも数多のギャングチームがあり、あまりの人数の多さや少年法が用いられる未成年が多かったことから、警察はなかなか手が出せずにいた。しかし、手をこまねいていた警察が介入するべき事件が起こったのだ。

 ギャング同士の抗争に巻き込まれた一般人の死。

 たかがガキどものやることだからと積極的に動こうとしなかった上層部が一人の命を犠牲にしてようやく重い腰を上げてギャングたちの取り締まりを始めたのだ。

 事件に関わった者たちは全員逮捕され、それ以外にも一般人に対するかつあげや暴行、何かしらの危害を加えた者等も逮捕または補導されることとなり、その数は数百人にも及んだ。

 そうしてこの日を境にギャングチームは一つ残らず解散となり、一人の一般人の命が失われてしまうまで怠慢な対応しかとってこなかった警察全体の存在意義が問われることとなり、上層部の一部幹部たちが責任をとって辞職した。

事件後すぐは、諦めの悪いチンピラたちが再びチームを組もうと警察や世間の目を盗んで動いていたが、それを阻止するべく動いたのが≪烏≫だった。≪烏≫は事件のあとすぐには解散せず、暫くの間チームとして残っていた。何をしたかは不明だが、警察は彼等の行動を一時的に黙認し、≪烏≫はチームで名古屋で悪事を働こうとするチンピラたちを防いでた。その後一年程の間は不安定な状態が続いたが、悪さをしようとすればどこにでも現れ、常に目を光らせている≪烏≫たちに、気勢を殺がれたチンピラたちは徐々に姿を消していった。

 そして事の収束を感じ取った≪烏≫たちも、いつの間にか姿を消した。

 その後十年間、表向き平和な年月が続くこととなる。


                   ◇


「と言うわけさ」

 事の始まりから終わりまで聞いた梵は、これから自分の住処となる名古屋が安全なのか危険地帯なのか一瞬わからなくなった。

「つまり今は平和ってことですか?でも表向きという事は、裏ではまたギャングたちが?」

「いやいや、そうとも限らない。警察だってあれからきちんと取り締まるようになったし、なにもギャング皆が皆【悪】と言うわけではないですよ。事実、≪烏≫も元はギャングですし」

「なるほど……、それにしても井樽さん東京の方なのに凄く詳しいですけど……」

 全国津々浦々、色々な事件や暴動などを追いかけている記者や同様に売れるネタを常に探し続けるカメラマン、または報道関係者とかなら詳しいのはまだわかる。

 しかし井樽は普通の会社員にしか見えなかった。

「まあ ―――、今までの情報は全部、さっきいった知人からの受け売りです」

 梵の素直な質問に気を害すこともなく、パチリとウインクをしてネタ晴らしをする井樽。その瞬間に梵は井樽の目元が異様に若々しいことに気づいた。顔全体には皺があるのに、井樽の目尻は綺麗なものである。

( 一体いくつなんだろう……この人 )


アナウンス『 まもなく、名古屋です。東海道線、中央線、関西線と、名鉄線 ……―― 』


「ああ、そろそろ名古屋に着きますね」

 井樽が床に置いていた荷物を整え、新幹線を降りるための準備を始めた。

「なんだか話に夢中になっていたらあっという間でした、色々お話、ありがとうございます」

「時間を忘れるくらい楽しんで頂けたならよかった」

「……それにしても、いるんですね、悪をのさばらせないヒーローみたいな人たちが」

「誰にでも、その人にとってのヒーローはいるものですよ。いくつになってもね」

  ヒーローか……そういえば、小さい頃に会ったような気がする。

『よく頑張ったね』

 そう言いながら、梵の頭を優しく撫でてくれた優しい手。頭をポンポンとされて、ひどく安心したのだけは鮮明に思い出せる。しかしそれ以外は何も思い出せない。

 あたりは真っ白で、まるで記憶そのもののように無であるが、暖かさだけは覚えている。

 梵が物思いの耽っている間に、どうやら到着したようで、

「では私はお先に失礼しますね。名古屋には暫く滞在する予定なので、もし君と私の運命が交差することがあればまたお会いしましょう」

 この広い場所で、しかも二三十万人もの人口を有する名古屋の中で知り合いでもない限り、井樽と再び出会う確率は限りなくゼロに近いだろうに、意外とロマンチストな人だと梵は思いながらもそんな奇跡にも近いようなことが起これば面白いだろうなとも思った。

「はい。また」

 井樽が背中を向けて歩き始める。

「あ、そうそう、実は私、生粋の東京人ではなく、生まれは名古屋なんですよ」

 一瞬だけ顔を振り向かせて、謎の告白をし、今度こそ出口の方へと消えて行った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

虚弱なヤクザの駆け込み寺

菅井群青
恋愛
突然ドアが開いたとおもったらヤクザが抱えられてやってきた。 「今すぐ立てるようにしろ、さもなければ──」 「脅してる場合ですか?」 ギックリ腰ばかりを繰り返すヤクザの組長と、治療の相性が良かったために気に入られ、ヤクザ御用達の鍼灸院と化してしまった院に軟禁されてしまった女の話。 ※なろう、カクヨムでも投稿

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

狂愛的ロマンス〜孤高の若頭の狂気めいた執着愛〜

羽村美海
恋愛
 古式ゆかしき華道の家元のお嬢様である美桜は、ある事情から、家をもりたてる駒となれるよう厳しく育てられてきた。  とうとうその日を迎え、見合いのため格式高い高級料亭の一室に赴いていた美桜は貞操の危機に見舞われる。  そこに現れた男により救われた美桜だったが、それがきっかけで思いがけない展開にーー  住む世界が違い、交わることのなかったはずの尊の不器用な優しさに触れ惹かれていく美桜の行き着く先は……? ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ ✧天澤美桜•20歳✧ 古式ゆかしき華道の家元の世間知らずな鳥籠のお嬢様 ✧九條 尊•30歳✧ 誰もが知るIT企業の経営者だが、実は裏社会の皇帝として畏れられている日本最大の極道組織泣く子も黙る極心会の若頭 ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ *西雲ササメ様より素敵な表紙をご提供頂きました✨ ※TL小説です。設定上強引な展開もあるので閲覧にはご注意ください。 ※設定や登場する人物、団体、グループの名称等全てフィクションです。 ※随時概要含め本文の改稿や修正等をしています。 ✧ ✧連載期間22.4.29〜22.7.7 ✧ ✧22.3.14 エブリスタ様にて先行公開✧ 【第15回らぶドロップス恋愛小説コンテスト一次選考通過作品です。コンテストの結果が出たので再公開しました。※エブリスタ様限定でヤス視点のSS公開中】

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...