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1章
ごめんな
しおりを挟む保健室のドアが閉まって二人分の足音が遠退くと、放課後の保健室は静寂に包まれた。
何時かの保健室でも二人っきりにされて恐ろしいくらいに緊張したけど、今日のこれはその比じゃない。あの時はただ恥ずかしさと居た堪れなさばかりだった。でも今は、どちらかといえば申し訳ない気持ちが大きい。
カーテン越しの独白とはいえ、あれじゃほぼ「葛西が好きだから友達にはなれません」と言ったようなものだ。俺の恋を知っていた先生はともかく、聞かされた野島くんはいい迷惑だっただろうし、葛西本人には気持ちのいい話じゃなかったはずだ。
先生達が消えてから、そろそろ5分は経ったと思う。葛西は何も言ってくれない。
痛いくらいの沈黙に耐え切れなくなったのは俺だった。
「あ…、あの、」
チラリと視線を向けられて、空気を読めない心臓が跳ねる。
思わず身体に掛けられていたタオルケットで口元を覆い、前髪を引っ張って極力顔を晒さないように隠す。
「えぇ…、と、………す、座ったら、どうだろう?」
キョトンとする葛西の姿が、前髪の隙間から見える。
な……、何言ってんの俺!?幾ら会話に困ってるとはいえ、座れば?なんて言うか!?
「……………ん。じゃあ、まぁ…、うん」
ほらみろっ、ほらみろっ!!
今度は葛西が困っちゃっただろ!!
こういう所だぞ、俺!どうしてこう、下手くそなんだよ!
「…………………」
「…………………」
さっきまで先生が座ってた椅子に葛西が座ると、俺は自分の発言を後悔した。
近い……。葛西が凄く近くに来ちゃった。
保冷剤のせいで左側を向けないから、椅子に腰掛けた低い位置の葛西の顔はよく見えた。視線を逸らしてくれてるから、少し無遠慮なくらいじっくり見てしまう。
明るい髪、キラリと耳に光るピアス、キリッとした眉にシュッとした頬の線。どれも凄くカッコいい。ちょっと茶色い瞳、ニヤッと口角を上げて笑う癖、左の頬にだけ出来る笑窪。全部好き、全部カッコいい。俺の大好きな人。
そういえば、今日はあんまり葛西を見てなかった気がする。葛西は時々遅刻をするけど、今日は体育の前になってやっと登校して来た。体育の授業中、俺は結構真剣に取り組まないと皆に付いていけないから、今日も前半は大分ボールと格闘してた。交代しながら参加する試合中も、邪魔にならないようにするのが精一杯で、葛西の観察は疎かになっていた。
転んだ俺に、差し出された手を掴む事で盛大に緊張してたから、あの時も顔を逸らしていたかもしれない。
休憩用のテントでは、下山くんやてっちゃんとのお喋りに気を取られていたし、その後向かって来た葛西の姿は、恥ずかしさで隠したタオルで遮断した。
あれ?
俺、本当に今日は、まともに葛西を見てなかったぞ。
堂々と見ていいよって言われたのに、俺だけ見てろと怒られたのに。
忘れた訳じゃないけど、うっかりくらいはしてたかも……。
葛西が怒っていたのはそのせいだった? 言われた事も守れないから、うんざりさせちゃったのかな。
それならやっぱり謝らないといけない。それで葛西の機嫌が治るなら、土下座くらい簡単だ。
だけど……、その後は? また同じ事を繰り返すだけじゃないのか?
俺はもう理解した。恋する気持ちが消えない以上、葛西と友達として仲良くするのは無理がある。きっとまた、今日みたいに怒らせてしまう。他の人なら平気な事も、葛西の前だと同じ様には出来ない。挨拶も会話も、緊張ばかりして言葉に詰まる。すぐに赤くなるから顔を合わせるのも難しい。そんなだから、何時まで経っても仲良くなれない。
友達になろうとしてくれる葛西。
友達よりも特別になりたい俺。
何処まで行っても平行線は交わらないままだ。隣に居るのに凄く遠い。
押し黙ったまま時間だけが過ぎて、なけなしの勇気は挫けてしまった。もうそろそろ先生は戻って来る。そしたら俺はもう、葛西と一生話も出来なくなっちゃうかも知れない。それでいいのか? それは悔恨を残す事になるんじゃないのか?
『人生に一片の悔いも残しちゃならん』
爺ちゃんは俺にそう言って、この世を去った。今際の際にした約束。男と男の約束だぞ、そう言い遺して穏やかに眠りに就いた。
仏様になった爺ちゃんが今の俺を見ていたら、多分こう言う。
『しっかりしろ学斗、お前は男だろ。振り絞る勇気はまだ残ってるぞ。潔く散るのも、また男には必要な道だ』
「俺は………、」
葛西が居たから学校に通えた。
「俺はね……、」
葛西から話し掛けてくれなきゃ、友達を作ろうとは思わなかった。
「葛西に出会えて良かったと、……思うんだ」
葛西を好きになったから、また人と関わる楽しさを思い出せた。学校がもっと楽しい場所になった。
あの日びっくり箱を開けられて、恋なんて未知なる世界を見せてくれた葛西には、ごめんなさいよりもっと相応しい言葉がある。
「だから、……ありがとう」
それが一番、俺が葛西に伝えなきゃいけない事だから、好きな気持ちも仲良くなりたい想いも、全部ありがとうから始まったんだ。
合格発表の掲示板の前。
補欠のお仕事を与えてくれた体育。
自販機で選んでくれた苺味のお菓子。
縄跳びみたいな会話に「せーの」の掛け声を出してくれた。
転んだ俺に差し伸べてくれた手。
全部、ありがとうでいっぱいだ。
高校生になった俺の毎日は、ほぼ葛西で埋め尽くされている。葛西が楽しそうに笑っているだけで、その日は1日中幸せだ。俺の好きな人はカッコ良くて優しくて、誰とでも仲良くなれちゃう神様みたいな人なんだ。だから誰かと喧嘩なんてしないで欲しい。歪み合って嫌な気持ちにならないで欲しい。
本当はそんな葛西の側に居たい。そこはきっと、天国みたいに幸せな場所だから。でも、俺が居るせいで、葛西が笑えなくなるのは嫌だ。皆と仲良く出来なくなるのは嫌だ。さっきみたいに誰かに怒ったり、怒られたりするのを見るのは悲しい。それが俺のせいなら尚更だ。
「葛西にはずっと、楽しい気持ちでいて欲しい。だからもう、喧嘩なんてしないで欲しい。俺は一人でも楽しめる達人だから………、だからもう、無理に友達になろうとしてくれなくても、いいよ」
タオルケットをぎゅっとして、前髪をぐいっと引っ張る。大丈夫。俺は泣いたりしないから。ただちょっと、心がちくんとするだけだ。
俺はちゃんと、伝えられたかな。伝わってるといいな。
それからまた、保健室は静かになった。もうそろそろ、先生は戻って来るはずだ。お迎えには兄ちゃんが来るはずだから、保冷剤は外して貰えるといいんだけど。兄ちゃんはきっと大騒ぎするだろうから、なるべく元気な姿で帰りたい。
「───前髪、……そんなに引っ張ってると、ハゲちゃうぞ」
「っ!?」
ハ……、ハゲる?
それは、……大変だ。陰キャの僻みボッチの上、ハゲまで加わったら目も当てなられない。
ぐいっとは止めて、くいっくらいに力を緩めた。……間に合っただろうか。
「ねぇ、もう一回聞くけどさ」
「……………」
ハゲたらもう『お姫』なんて呼ばれなくて済むかも…なんて、巫山戯た事をぼんやりと考えていた俺は、多分相当油断していた。
それから告白には、返事が付き物だという事も失念してたんだ。
「俺の事、………好きなの?」
やり直せるならやり直したい───。そう思っていた。
「……………う、」
あの日貰った質問に、返す答えが浮かんでからずっと。
「うん、………好き。葛西が、好きだ」
てっちゃんは言っていた。恋は楽しい時ばっかりじゃない、て。
「そっか」
「うん、そうだよ」
お父さんの「そうか」とは違う、葛西の「そっか」は、心臓がぎゅうぅ…と軋んだ。
「…………ごめんな」
パキン…と、心の何処かで、そんな音が鳴った気がした。
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