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1章

それは、俺も知りたい

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「まな!」

 廊下の手洗い場で口を濯いでいたら、てっちゃんがやって来て「何してんだ」なんて言う。
 見ての通りだ!と返したいけど、葛西に放り込まれたミントのせいで、舌がピリピリ痺れて上手く喋れないから諦めた。

「そんなの放っときゃその内治る。それより早く教室に戻れ」
「あかってう」

「あっちこっちで絡まれるなよ」
「ほんなの、おえのへいやないお!」

 陽キャに絡まれるのは、俺のせいじゃない。あっちが勝手に絡んでくるんだ!と言い返したいけど、それも面倒で諦めた。
 プリプリしながら教室に戻ると、去り際にてっちゃんは「大人しくしとけよ」何て言う。くっそぅ…。このツンツン頭めっ!何だいっ、失礼な。子供扱いするな!
 プイッと無視して自分の教室に入る。席に着いこうとしてハッとなる。
 葛西が頬杖ついてこっちを見てた。ちょっとブスッとした顔だ。……何で?

「まぁた山本とイチャイチャしてたな」
「い…?」

 は……?  イチャイチャ!?
 
「し…っ、してないよ!」
「…………ふぅん」

 え? 何? 何でそんな事言われるの? そして何でそんなにブスッとしてる? ええぇ…??
 ブスッと葛西は「ふぅん」の後、なんにも言って来ない。その内先生がやって来て授業が始まってしまった。
 一体全体どういう事だ? 

「……………………………」

 何故だろう…。
 どういう訳か隣から視線を感じる。俺の席は窓際の端っこだから、お隣さんは一人だけ。……葛西だ。
 右前方の黒板を見上げる度に、視界の端にこっちを向いてる葛西の気配をヒシヒシと感じる。授業が始まってそろそろ30分。一向にそれが消えてくれない。こんな事は初めてだ。何時もなら15分…いや、10分もしない内におやすみモードに突入するのに、今日に限って葛西が寝てくれない。俺の密かなお楽しみが奪われただけならまだしも、これじゃ形勢逆転という状況じゃないか。凄く居た堪れない上に、物凄く緊張を強いられる。これも葛西が言っていた「構い倒す」の内の一つなんだろうか。
 葛西に構われるのは、本音を言えば嬉しい。誂われてるだけなのは分かってるしドキドキして困るけど、近付く事も出来ずに見てるだけだった去年に比べれたら、嬉しさの基準は段違いに上がってる。1メートルも離れていない隣の席で、毎朝「おはよう」の挨拶もしてくれる。あったら軌跡だと思っていた事が現実に起こっていて、俺は毎日学校へ来るのが楽しみで仕方がない。
 でも今のこれは、あんまりいい気分じゃない。何も言わずにただジッと見られるだけなんて、一体何の罰ゲームなんだ。
 あれ? でもこれってもしかしたら、俺が何時も葛西にしている事と同じなんじゃないか?
 
────『ちゃんと見てなさいって言ったでしょ』

 葛西はさっきそう言って、知らんぷりしようとした俺の口に、ミントの粒を放り込んできた。悪い子とも言われたなぁ。
 んんん?と考え始めると、小さい俺達が集まりだす。脳内会議が始まった。
 カーディガンを貸してくれた日も、授業中の目覚まし係に任命された時も、葛西は「堂々と見ていい」って言ってた。
 カッコいいから見てるってポロリと溢した俺に、嫌な顔をするどころか楽しそうに笑って、ありがとうって言ってくれた。
 それなのに俺は、相変わらずのチラ見ばっかり。バレないようにしてるつもりだけど、大体何時も見付かってしまう。その度に誂われて困らせられるけど、あれはもしかしたらもしかして、遠回しに抗議されていたのかな。見ていいよは言葉通りじゃなかった? その割には楽しそうに見えたけど、あれは俺の希望的願望が見せた気の所為とか……。
 いやいや、待て待て。それはちょっと捻くれ過ぎじゃないか?だって体育の時は「ちゃんと見てろ」って怒られたよ?あの時はカッコいい葛西が近過ぎて、逆に見られないでいたんだ。その後の鼻血騒動で有耶無耶になったから失念していたけど、あれは見てたから怒られたんじゃなくて、見てなかったから怒ったんでしょ?………ん? そもそも何で、葛西は怒ってたんだっけ? んんん…??

「また困ってる」
「っ!」

 脳内会議に割り込んで来た葛西の声にビクッとした。この、ビックリ箱みたいな唐突さが苦手だ。

「そんなに俺より、山本の方がいいんだ?」
「え?」

 葛西よりてっちゃんの方がいい…ってどういう事? 何が? ……分からない。
 そしてまた葛西はブスッとして黙ってしまった。これは何か、返事を返さなきゃいけない気がする。

「えぇ…、と。……てっちゃんは、友達だよ? だからその…」

 良いも悪いもないんだけど。そもそも比べようがない。

「俺は?」
「え?」

「俺だって、友達だろ」
「ええ!?」

 驚き過ぎてつい大きな声を上げた俺に、先生が「どうした?」と聞いて来る。それに慌てて何でもないと応えると、そっかとまた授業は再開した。そして俺の脳内会議も再開する。
 俺はいつの間に、葛西と友達になったんだ? あれ、おかしいなぁ…。友達って、勝手には増えないんじゃなかったの? しかも葛西が? 

「何考えてるの?」
「え? あの、だって…」

 これ…、もしかしてアレか? ドッキリ大成功!ってプラカード持った人が出て来るヤツ……、とか?
 
「えぇ…、と、……い、いつ?」
  
 困り果てた俺が思い切って訊ねると、葛西は一瞬「は?」という顔になって、それから「はあ!?」と大きな声を上げた。俺はまたビックリ箱に脅かされた。
 葛西の大きな「はあ?」に、先生が注意をする。

「何だ葛西。質問は手を挙げて言え」

 そのまま黙ると思った葛西は、「はーい」と言って本当に手を挙げた。

「はい、先生質問! 仲良くなりたい人と、どうすれば友達になれますか?」

 ええぇ!?

 本当に葛西は、ビックリ箱なんじゃないだろうか。そんなビックリ箱葛西の質問に、先生は呆れ顔で至極まともな返答をした。

「ああ? そんなの、授業に関係ないだろう」
「でもそれも、大事な人生の授業でしょ? 先生なんだから、生徒の質問には答えて欲しいと思いまーす」

 ざわつく教室の空気も何のその。葛西は堂々と先生に「人生の授業」の質問を投げ掛けた。投げられた先生の方が、今度ははあ?という顔をする。そりゃそうだ。だって今は化学の時間だ。掠りもしない専門外の人生の質問に、先生は「うぅ~ん」と言いながら首を傾げてしまった。

 だけど俺は、先生の回答に期待した。だって俺も、それを知りたいと思っている。
 てっちゃんに友達を作れと言われてからずっと、どうしたら友達は出来るのかを考えていた。兄ちゃんは「友達は勝手に増えない」って言ってた。そんな事は充分承知してる。それに俺は、自分が相当面倒臭い類の人間だというのも分かっていた。だから周りに迷惑を掛けないように、出来るだけ空気に徹するのを心掛けてきた。お陰で未だに友達と呼べるのはてっちゃんしかいない。そのてっちゃんでさえ、俺のことを面倒臭い奴だと思っている。何しろバスの時刻表すらお任せ状態だ。さっきだって陽キャに絡まれても一人じゃ対処出来なくて、結果的にあのデカいツンツン頭の幼馴染みが助けにやって来た。
 俺はてっちゃんがいなかったら、多分今でもずっと家に閉じ籠もって、心の声達の怖い怖いをずっと聞いて過ごしていたはずだ。
 そんな俺と友達になってくれそうな人は、今のところ何処を探しても心当たりがない。もしもそんな奇特な人がいたら、それは是非とも友達になりたいと思う。そんな人と出会った時に、どうしたら友達になれるのかを知っておいたら心強い。
 葛西の「友達だろ」発言は、正直よく理解出来ない。俺は葛西のお隣さんなだけだと思っていたし、仲良くなれた気がしていない。正しい会話も出来ないし、軽口を言ったり何かを許し合える仲には程遠いと感じている。それでも葛西は俺に「友達だろ」って言った。何時もドキドキしてばかりでテンパるから、何かを見逃してしまっているのかも。
 俺は先生に注目した。それはそれは期待を込めての注目だ。正解じゃなくてもいいんだ。ちょっとしたヒントになればそれでいい。俺が何を見逃したのか、是非とも先生の回答から探したい。



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