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1章

兄ちゃんは使い途が難しい

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 電話口で「すぐ行く」と言った兄ちゃんは本当にすぐに来た。……もう、本当の本当にすぐだ。きっとこの近くで待ち伏せしていたに違いない。暇なの?

「お待たせ、まなちゃん。さあ、乗って。早くお家に帰ろうねぇ」
「………ありがと」

 気持ち悪いくらいご機嫌だ。
 兄ちゃんは俺が高校進学を決めてから急に車の免許を取ると言い出した。2ヶ月で免許を取得すると、次は車を買うと言い出す。そして3ヶ月後、本当にこの車を買ってしまった。兄ちゃんは有言実行型の人間だ。

「いいんだ、いいんだ。兄ちゃんはまなちゃんの送迎をする為に、免許も取ったし車も買ったんだから、どんどん使って欲しい!毎日でもいいんだからね!」
「いや、毎日はいい」

 院に行きたいなんて我儘を言って、大学を休んでまで学費を捻出する為のバイト三昧なクセに、何言ってるんだろう。
 高校入学当初から続く、この送迎サービスの押し売りにはうんざりする。何度も断ってるのに、事ある毎に繰り返される押問答はいい加減終わりにしたい。だけど兄ちゃんから便利さが消えたら、ただの迷惑な人でしかない。他人なら関わらなきゃいいけど家族だからな。一生ついて回るものだ。だから上手く使わなきゃいけない。そして俺は兄ちゃんの動かし方は心得ている。何しろ生まれた時からずっと、俺は兄ちゃんの弟をやっているからな。扱いにはコツがいるけど、それさえ抑えておけばこんなに便利な者はいない。

「兄ちゃんだって忙しいだろ。バイトは大丈夫なの? 今日は頼んじゃったけど、無理な時は断っていいからね」

 ……と、ちょっとだけ思いやりを見せてやる。そしたら後は勝手に解釈して、勝手に完結してくれる。兄ちゃんは分かり易い上に単純だ。

「ま、まなちゃん………っ! 俺の弟はなんて優しい、いい子なんだろ!! おい哲朗、聞いたか? 学斗は兄にこんなに気を遣えるいい子なんだぞ!どーだ、羨ましいだろ」
「……うす」

「そーだろそーだろ。そんな心優しい兄想いの可愛い学斗と友達だなんて、お前はなんて幸せ者なんだ。自分の幸運に感謝しろよ。そしてもっと学斗を崇めろ」
「…………うす」

 この世で一番心の籠もらない「うす」を吐き出すてっちゃんは、顔を合わせる度に毎回、兄ちゃんに俺自慢をされて気の毒だ。聞いてる俺が恥ずかしい。大体兄ちゃんも、よく他所様の子をそこまで扱き下ろせるよ。てっちゃんのお父さんお母さんが聞いたらゲンコツものだぞ。
 
「こうして俺の車に乗せてもらえるのも、全部優しい学斗のお陰なんだぞ、分かってるのか? 分かったらもっと有難がれ」
「…………うす。………あざす」

 放って置くと延々とこの話が繰り返される。だから兄ちゃんなんか呼びたくなかったのに。今度から俺も、ちゃんとバスの時刻表を覚えておこう。そもそもてっちゃんにばっかり頼ってた俺もいけないんだ。高校も2年目なんだし、俺もちゃんとしなきゃな。そう言えばさっき、もっと友達を作れって言ってたっけ。恋が苦しかったり辛かったりするなんて、今の俺には想像つかないけど、もしも本当にそんな時が来たらと考えるとちょっと怖い。確かに心強い味方は多い方がいい。でも友達って、どうやって作るもんなの? うぅ~ん…、困ったぞ。

「まなちゃん? どうしたの?」
「…………友達って、どうやったら増えるんだろう」

 てっちゃんとは、何時の間にか友達だった。斜向かいの新しい家に同じ歳の男の子がいるって、お母さん達が会わせてくれたのが初めましてだったけど、俺はあの頃学校が怖くてずっと家に閉じ籠もってた。てっちゃんの事も最初はやっぱり怖くて、お母さんの影に隠れて様子を伺うばっかりだったけど、てっちゃんは毎日家に遊びに来てくれたし、一緒にゲームをしたりアニメを観たりしてる内に、ちょっとづつ話もするようになったんだよな。

「まなちゃん……、友達は勝手には増えないよ?」
「…………先ずは、観察からか?」

 そうそう、やっぱりどんなものでも良く知らなきゃ怖いもんな。てっちゃんの事も、結構長い間観察した。足が大きいなとか、声が低いなとか。あんまり笑わないからたまに笑うとちょっと嬉しかったり、何でもはっきり言葉にするところも新鮮だった。後はあれだ、てっちゃんは嘘が下手だ。嘘を吐くとすぐ分かる。そこが一番、一緒にいて安心出来た。

「いや、観察…って? 朝顔じゃないんだから……、おい哲朗!お前、まなちゃんに何か言ったのか?」
「いや、…その、友達はたくさんいた方がいい、とは言ったけど、観察とかはちょっと、…分からないっす」

「そうだな……、やっぱり分り易さが大事だ」

 俺は分からないものが何より怖い。女の子達が何であんなに意地悪をしてきたのか、理由が分からなくて怖かった。男の子達も、どうして助けてくれないのか分からなかった。知らない間に体操服が汚れるのも、朝行くと上履きが失くなってるのも怖かった。「おはよう」に返事がないのも、誰も話をしてくれないのも全然分からなくて、最後は学校が怖い場所になった。
 でも、何時の間にか友達になってたてっちゃんが、一緒に学校に行こうと誘ってくれて、たくさんたくさん頑張って失敗して、何度も何度も諦めて…。それでもてっちゃんは側にいてくれたから、俺は段々学校に行けるようになったんだ。

「結局お前のせいじゃないか!学斗に余計な事言うなよっ、すぐ考え込んでこうなるんだからさぁ!」
「……はぁ、……さーせん」

「うん。てっちゃんありがとう。俺、学校に行けるようになってよかった。恋が辛いとかはまだよく分からないけど、友達は頑張って増やしてみるよ!」

「は? ……こ、………恋ぃ!!??」

「あー!ゆ、幸雄くんっ!!前っ、前見て運転して!!」
「うわ!兄ちゃんっ、危ないだろ!」

 急に大声で恋を叫んだ兄ちゃんは、助手席に座る俺に向かって「今、恋って言ったよね!?」とか聞いてくる。だから何だと言うんだ。それより運転手なんだから、ちゃんと前を見てくれ。 

「おい哲朗!どういう事だ、説明しろ!何でまなちゃんの口から、こ、ここっ、恋、なんて言葉が出てくるんだよ!?」

 はぁ!? なんて失礼な兄ちゃんだっ! 俺だってもう16歳だぞ。高校2年生なんだぞ!巷でいう青春真っ盛りってヤツだろ!!

「恋くらぃ……」
「うわーうわー!!説明しますからっ!だから、前を見て運転してください!」

 うわーって何だよ。しかも2回も言った。まぁ、てっちゃんが説明したいなら譲ってやるか。その代わり兄ちゃんにはしっかり分からせてやってくれ。
 
「こ、古典のテスト範囲が源氏物語で!」

 ………ん?

「あ? 古典? 源氏?」
「光源氏の恋について、さっき図書室で学斗と勉強したんです!な、なぁ学斗、そうだよな!」

 え? まぁ、したけど……。

「な、なぁんだそういう事かぁ。やだなぁ、まなちゃん。兄ちゃんビックリしたよー」

「いや、でも…」
「幸雄くんはっ!?どう思いますか、……源氏物語」

「源氏? まぁ…、アレは紫式部の妄想が生み出したハーレクィンだろ。正直高校の教科書に載せるようなものじゃない。まだ蜻蛉日記の方がいい。アレは平安の女性の恨み辛みが生々しく画かれている」

 あ……、これは…………。

「それから栄花物語や陸奥和記とかも中々面白くて……」
「に、兄ちゃん?」

 兄ちゃんの面倒臭い蘊蓄が始まってしまった。これが始まるととんでもなく長い。兄ちゃんは普段はポンコツだけど、勉強に関しては鬼だ。分からない事を分からないままにさせてくれない。こっちが理解するまで終わらないから、俺は兄ちゃんに勉強の事を聞くのが嫌で必死に独学を学んだ。

「そっちは、テスト範囲じゃないから、今はいいよ?」
「え、そう? じゃあ何の勉強する? 何でも聞いてくれていいよ。あ、そうだ哲朗。ついでにお前の勉強も見てやる。どうせまた、平均点で満足してるんだろ。そんなんじゃロクな大学行けないぞ」

「い…、いや俺、まだ進路決めてないんで…」
「何言ってるんだ、高2だろ? そろそろ受験準備に入らないと間に合わないんだからな。ったく、しょうがねぇな。晩飯食ったらすぐ来いよ」

 すまんな、てっちゃん。兄ちゃんは有言実行型だ。これはもう諦めて勉強に励んでくれ。
 矛先がてっちゃんに移った事でホッとした俺は、くぅぅ…と鳴ったお腹の音で空腹だった事を思い出した。今日のご飯は何だろう。その前におやつがあるといいなぁ。
 
 
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