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1章
◇幼馴染み、山本哲朗の気苦労な日々
しおりを挟む授業の合間の休み時間、開け放たれた教室のドアの先に何となく目を向けると、廊下の壁際で同じクラスの賑やかし二人組が、もう一人の小さい誰かを誂っている。
あ…、アレは学斗だな。何やってんだ、あのおバカさんは。
中3の高校選択で学斗が選んだのが男子校だと知った時、やっぱりそうかと納得した。そして俺も同じ学校を選択して、今こうして通っている。掲げた目標を達成させる為だ。
初めて出会った時にはもう、学斗は立派なひきこもりの不登校児だった。ど近所だからって理由で無理矢理仲良くなったけど、中学までは一緒に学校に通えたのは数回程度。これが俺の心残りになった。
正直に白状すれば、学斗は俺の初恋だ。詐欺紛いの美少女面した、純真無垢な同級生。勉強以外は全てにおいてポンコツで、世間知らずの箱入り。
そんなの、放っておけないだろ。
構って構って、構い倒して漸く心を開いてくれた時から、俺は学斗の猫型ロボットになると決めた。
……まぁそれも、今となっては黒い歴史の1ページだけど。
とにかくアイツは頭の回路が常人とは違う。見えている景色も多分違うんだろう。初めはそこが凄く可愛いと思っていた。自分とは違う物の見方、思考回路、全部目新しくて新鮮で、頼りないクセに時々物凄く潔い。努力家で粘り強さがあるところは格好よかった。
そんな学斗が唯一目を背けていたのが“学校”だ。酷いイジメがあって以来、アイツにとって学校は悪意しかない恐ろしい場所になっていた。
俺はそれが悔しくて、何年も掛けて学斗を家から引っ張り出し学校に戻した。だけどまだ完璧じゃない。小学校は最後まで保健室登校だったし、中学校は人が溢れる登下校時を避けて、親か兄弟に付き添われながらの登校下校だった。
何時か絶対、学斗と並んで登校する。それが、俺が掲げた目標だ。
その目標は呆気なく達成した。高校に来てからは、1日も欠かさず成し得ている。頗る満足だ。もういいかな、なんて思う時もあるが、どうせなら3年間続けてみようと決めている。だけどその先は分からない。俺にだって俺の人生がある。何時までも一緒にはいられない。出来ればこの高校在学中に、アイツのトラウマが少しでも軽くなればいいと思う。少なくとも、俺以外の友人を自力で作って欲しい。多少の手伝いは否めないが、せめて昼飯を一緒に食べる仲間くらいは探せないもんか。普通の学校生活ってものを体験出来れば御の字だ。
俺の初恋はとっくに終わってる。果たされなかったとか破れたとか、そんな次元の話じゃない。俺は気付いてしまったからな。学斗となんか恋愛は出来ない、って。
同性というだけならまだしも、アイツはまだオムツを履いた赤ん坊と一緒。無垢で無知で純粋だ。邪な気持ちで見ていた自分が恐ろしく汚いものに見えた。
俺の恋は昇華して、愛に変わった。もちろん恋愛じゃない。友愛とか親愛とかだ。強いて言うなら家族愛に似ている。多分、娘を持った父親と同じ気持ち。だから心配は尽きないし保護欲は育つ一方で、完全放置なんて考えられない。
俺はとんでもないお荷物を背負ってしまったもんだ。
今もまた、陽キャに挟まれ俯いているのを放置出来ないでいる。あと数秒待っても逃げ出せないなら、助けに行ってやるか。
そもそもアイツは、物凄い勘違いをしているんだ。自分がゴミか空気だとでも思っているようだ。残念ながらそれはない。世の中は学斗を放ってはおかない。しかもここは男子校。男臭さを微塵も感じさせない学斗を、影で皆が『お姫ちゃん』とか呼んで崇めてるのを俺は知ってる。
その『お姫ちゃん』である学斗が、のこのこと一人でいる所を見逃さない連中が、いわゆる陽キャと呼ばれてる賑やかし野郎共だ。
人付き合いが苦手なくせに、ああしてよく絡まれるから、余計に苦手意識が大きくなる。全くもって悪循環。
大体、学斗と友達になりたがってる奴は多い。あの二人だってそうだ。学斗がちゃんと返事をしたり、俺にするみたいに生意気な事を言ってみりゃいいのに。そしたらそこから会話ってのは広がるし、話してみればその為人くらいは理解も出来る。勉強だけは誰よりも熱心で、苦手な事を克服しようと頑張れる気概もあるのに、人付き合いだけはどうにも消極的だ。昔のトラウマが未だに尾を引き摺っていて、自分が嫌われ者だと思い込んでいるんだから始末が悪い。どうせまた、卑屈な事を悶々と考えているんだろう。逃げ出すどころか、増々小さく縮こまってしまった。
まったく…、世話の焼ける奴だ。仕方ない、そろそろ助けてやるか。
「おい、まな。何してる、もうすぐ授業が始まるぞ。早く教室に戻れ。お前らもあんま誂ってやるな。へそ曲げて、その内泣き出すぞ」
お姫ちゃんに泣かれちゃ困るとでも思ったのか、二人組はそそくさと教室に戻って行った。ほら、お前も早く自分の教室に帰れ。
「俺、…泣かないし」
あー、はいはい。そーですね。
「そんな、弱っちくないし」
わかってるよ。お前は案外根性はあるんだ。それはよく知ってる。
「謝れ、てっちゃん。俺に謝れ」
「ソーリーソーリー、髭ソーリー」
プッと吹き出して顔を上げるとは本当にチョロい。こんなクソくだらない親父ギャグで、機嫌が治るなんてチョロ過ぎだろ。まぁ、そこがコイツの良いところだけど。
ご機嫌で教室に戻って行く学斗を見送って、俺も自分の教室へと戻った。やれやれ、一安心だ。
………なんて思ったのも束の間。ひと呼吸おいて、今度は廊下から大きな叫び声が響いてきた。
一体何だ? と再び廊下を覗いてみれば、つい今し方ご機嫌になった学斗が、金切声えを上げながら教室とは反対方向に走っていく姿が見えた。それを葛西の笑い声が追いかけている。
あ~あ…、またかよ。
どうしてこうも、次から次へと引っ掛かるんだ。ここまで来ると、アイツの陽キャホイホイは一種の特技だろ。
溜め息を吐きながら、座ったばかりの椅子から立ち上がり再び教室を出た。学斗が走って行った先を確認し、ふと思い立って振り返る。ちょっとそこの茶髪のチャラ男。うちの娘にちょっかい出すなよ。
「おい葛西。悪ふざけも大概にしろ」
「えぇ、ふざけてないよ? 俺は俺なりに、お姫ちゃんを可愛がってるだけだしぃ」
それが悪ふざけだっつーの、この一軍チャラ助が。お前は面白半分で誂ってるだけのつもりだろうが、学斗は何時だって生死の境をさまよってるぞ!
「つーかさぁ、山本こそ何なの? いっつもベッタリ引っ付いてるけど、友達のキョリ感、バグり過ぎじゃね?」
「………そうだな。アレは友達じゃないからな」
「───…え?」
「とにかく、学斗を誂うのはやめろ。俺が迷惑だ」
大事な娘に悪い虫は必要ないの!
いったい学斗は何だって、こんなガキ大将が気に入ったんだ。お父さんの苦労も知りなさい、と言ってやりたい。
やれやれ…と学斗を探しに歩き出そうとした俺を、「おい」と呼び止めるガキ大将。何だよ、今忙しいんだけど。
「あのさぁ山本、一つ言っておくけど」
「何だよ」
「残念だけど、お前じゃないからな。姫の王子は俺なんで。そこんとこ間違えるなよ」
………………ん?
言い捨ててプイッと踵を返した葛西は、そのまま教室に消えて行く。その後ろ姿を見送りながら、言われた台詞に頭が混乱をし始めた。
あ…、あれ?
あれあれあれ??
何か今、聞き捨てならない言葉を聞いた気がするぞ。
───『姫の王子は俺なんで』?
う~………わぁ………。
マジかぁ……。
「さ…、流石は学斗だ。あんな…」
あんな…、女にモテ捲ってそうな男まで、コロリと落としおった……。
これはもしかして、また面倒事が増えたという事なのか?
「………勘弁してくれ」
気付いているのかいないのか、あれじゃまるで小学男子の好きな子イジメじゃないか。
葛西の本音は、確かに「ふざけてない」ようだ。
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