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1章

◇幼馴染み、山本哲朗の憂鬱な朝

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「なぁ、てっちゃん。今日朝イチで葛西に会ったら、何て挨拶したらいいと思う?」

 この質問に何て答えればいいのか、俺は考えた。……1秒くらい。

「そんなの「おはよう」以外にあるのか?」

 朝の挨拶に「おはよう」以外、何があるって言うんだ。逆に教えて欲しい。

「分かってないなぁ、てっちゃんは。それじゃインパクトに欠けるだろ。そうじゃなくてさ、こう…、グッと来るやつ、グッと! ねぇ、何かない?」
「そんなの、俺に分かるかよ」

 朝の挨拶でインパクトを求めるその心は? 相変わらずこの幼馴染みは頭がおかしい。しかもその後の台詞が「使えないなー」だと? ふざけんなっ、このトンチンカンめ!前の席に座ってるお姉さんの肩が見えないのか!? 笑いを堪えて振るえてるだろがっ、恥ずかしい。
 まともに相手をするのも馬鹿馬鹿しくて、その後の会話は右から左に聞き流す。長年培った『学斗マニュアル』に則って、華麗にスルーしながら残りの通学時間をやり過ごす事にした。
 
 今の家に越して来たのは俺が小学5年の時だ。親父が組んだン十年ローンで手に入れた戸建住宅。俺も念願の個室を貰えてウッキウキだったのを覚えてる。
 そんな夢のマイホームを手に入れた山本家から徒歩30秒、そこにあったのがこの学斗の住む棚橋家。同じ回覧板に名前が載っているご近所さんだ。
 棚橋家は色んな意味で有名だった。
 先ずお爺さんが公民館の館長さんで自治会長。親父さんは警察庁に勤める刑事さん。お袋さんは元モデルの美人料理研究家。長男は地元で一番頭のいい進学校に通う出来杉君。家族皆が二つ名を持っている、そんなエリート一家棚橋家の次男がこの学斗だ。
 引っ越しの日、先ず初めに自治会長のお宅訪問から始めた訳だが、挨拶に出掛けていった父が帰るなり俺を呼び付けこう言った。
『哲朗、よく聞け。斜向かいの棚橋さんちのお嬢さんはとんでもない美少女だった。お前、絶対に仲良くなってくれ!父さん、あんな可愛い子が娘になってくれたら、ボケて迷惑なんて、絶対にかけたりしないから!!』
 ………何言ってんだ、このロリコンおやじ。──…と、我が親ながらドン引きしたのを覚えてる。まぁ、この変態親父の夢は、中学の入学早々に儚く散るんだがな。
 そういやあの頃、学ラン姿の学斗を見た通りすがりの大半は、二度見どころか三度見したり、ポカンと間抜け面を曝す残念な人を何人も見たな。蹲って頭を抱えてた人もいたっけ。そんな人達を見掛ける度に、俺は心の中で優越感を抱いていたもんだ。
───『学斗の隣を歩く俺、かっけぇ!』……ってな。
 今思えば、何が格好良いんだがさっぱり分からない。寧ろとんだ見世物だった。思い返すとゾッとする。

 160センチに満たない身長は、背伸びをすれば旋毛が見えた。なんのシャンプーを使ってるのか知らないが、今日も艶々の黒い髪から甘い匂いがふわふわ漂ってくる。本人はコンプレックスなんだろうが、伸ばした前髪を払い除けたその顔は、そこらの女子が可哀想になるくらいの美形だ。長い睫毛、大きな瞳、プクッと柔らかそうな小さめの唇。大き過ぎず小さ過ぎない形のいい鼻。それらが神の采配かという程の絶妙なバランスで配置されている。
 小学校に上がる前は女児服を着せられていたらしく、何時だったか学斗のお母さんから自慢気にそのアルバムを見せられた。確かに可愛かった。ロリコンじゃない俺でも、思わず「可愛い」と絶賛した程だ。当の本人にはポカスカ殴られたがな。全く痛くはなかったけど。
『うちのまなちゃんをヨロシクね』
 学斗の両親からそう言われて、鼻高々になったのは中学に上がる前くらいか。今では俺の黒歴史だ。
 
 その黒い汚点の元である学斗が、葛西宏樹というチャラっとした同級生を意識し始めたのは、多分高校へ入学してすぐだった。
 用もないのに俺の教室へとやって来ては、人の影に隠れて誰かをコソコソと盗み見してる。そしてポゥっと頬を染めたりする。実に分かりやすい。小学女児並みの分かりやすさだ。
 誰だ誰だと観察すれば、相手はすぐに判明した。窓際に陣取る一段と派手な集団。その中でもひと際目に付く明るい茶髪ののっぽの男。着崩した制服、両耳にはシルバーのピアス。いつも人を小馬鹿にしたようなニヤけ面の葛西宏樹。
 おい……、おいおいおい!幾ら何でも趣味悪すぎだろ。確かに顔はいいかもしれないがアレはないぞ。放課後毎日、駅前のカラオケボックスやゲーセンで他校の女子とわいわいキャーキャーやってるタイプだ。とても学斗の手には負えない。
 これは不味いと思った俺は「用もないのに出歩くな」と何度も学斗を追い払ったけど、俺の親心など気付きもしない学斗は葛西参りを止めなかった。
 2年になって同じクラスになった時なんて、興奮し過ぎて熱まで出した。どんだけ好きなんだと呆れたもんだ。
 それなのにあのトンチンカンは、やっぱり頭の回路がちょっとおかしい。昨日の放課後何を思ったか突然、またおかしな『学斗語録』を生み出した。
 
『俺は、葛西が好きなんだって』

 何だそれは。そんなのこっちはとっくに知ってるんだよ。何なら学年の殆どが周知の事実だ。知らないのは葛西本人とその取巻き位だろう。あの連中は他人に興味が無さそうだし、校外に出れば幾らでも女が寄って来そうな一軍だ。わざわざ男相手に浮かれたりしない。
 何時も以上に様子のおかしい学斗を引き摺って連れ帰ってみれば、案の定発熱してた。過保護な棚橋家は大騒ぎだ。夜の9時を回ってから俺の所にやって来て、何があったか正直に教えて欲しいなんて言われた。
 でも言えるか? どうやら初恋らしいです、相手は百戦錬磨のチャラ男です、…なんて。
 仕方なく『授業でかなり難しい問題が出たらしくて、めちゃくちゃ考え過ぎたみたいです』と誤魔化した。俺に感謝しろよ、この唐変木め。お前は何時になったら、俺を助けるヒーローになるんだよ。
 猫型ロボットが弱虫を助けるアニメ。学斗はあのアニメが大好きだ。何で好きなのかと聞いたら「だって、困ってる人を助けるんだよ。カッコいいでしょ!何時かてっちゃんが困ってたら、俺が助けてやるからな」と言った。
 学斗は自分を助けてくれるロボットが欲しかったんじゃない。困ってる人を助けるロボットになりたかったんだ。
 何方かと言えば弱虫に近い学斗が、便利な道具に頼るんじゃなくて、手を差し伸べるヒーローに憧れていると知った時、俺は素直に学斗を尊敬した。そして俺も、そんな人になりたいと思った。
 ………まぁ、小6くらいの話だ。今じゃ俺の方が、学斗の猫型ロボットになっているんじゃないだろうか。

 そして今朝もまた、このヒーロー詐欺師は一人でオロオロと困っている。どうやら自分が道ならぬ恋をしてると、漸く自覚出来たらしい。はぁ…、もうそんなのどうでもいいよ。

「まぁ、俺はお前が何であれ、嫌悪も差別もしないから安心しろ」

 そうだよ、そんなの今更だ。
 不登校児だったお前を背負って登校したあの日から、俺はずっと正義の味方気分を味わわせて貰ってる。

「てっちゃん、これからもよろしくな」
「ああ」

 だからお前は弱虫のままでいい。
 どうせ何時かは熨斗を付けて、他の猫型ロボットに引き渡すんだ。それまでせいぜい、俺をいい気分にさせてくれ。

 


 
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