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1章
見栄なんか張るもんじゃない
しおりを挟むシトシトと雨の降る、6月の梅雨入り前。夏服に衣替えをしたばかりで、今朝は半袖シャツだと少し肌寒さを感じた。
バスを降りて傘を開き、歩き始めてからまだ数メートル。
長袖シャツにすればよかった。それかカーディガンを着て来ればよかったな。
そんな後悔をしながら、鳥肌の立つ二の腕辺りに視線を向けると、すぐ隣に白いカーディガンの腕が見えた。
学校指定の白いカーディガン。それを鳥肌立ててる俺の横で、しれっと着こなすのは幼馴染みの山本哲朗。
暖かそうでいいな、と思いつつも、実はこのカーディガン、俺はあんまり着たくない。
何故なら、見栄を張ってLサイズを買ったから。
M……、いや、本当はSサイズでピッタリなのに、これから大きくなる予定だった一年前の俺は、少し……、ほんの少~しだけ見栄を張って、この幼馴染みの忠告をまるっと無視した。
『おい、まな。そんなでかいサイズじゃ、服に着られるだけだ。元々撫で肩なのに、更に貧相に見えるぞ』
『う、うるさい!俺はこの3年間で、絶対大きくなるんだから、今から大き目を買っておいた方がいいに決まってるんだ!』
『ならせめて、Mにしとけ。大きくなるにしても、たかだか159が160になるくらいだ』
『もっと大きくなるの!!もぉ!てっちゃんは黙ってろよ!』
───確か、そんなやり取りをした。
ちなみに、予定はまだ予定のままだ。くそぅ……。
「てっちゃんもさぁ、もう少し上手いこと言って、俺をその気にさせてくれたらよかったのに」
そうしたらLじゃなくて、Mを手に入れていたかもしれないじゃないか。そしたらこんな寒い思いをしなくて済んだかもしれないし、一年前の意地っ張りを思い出さずにも済んだんだ。
「はぁ? 何の話だ?」
「別にぃ。何でもないよ」
まぁ、しょうがない。てっちゃんは恐ろしく空気を読む力が欠けてるからな。俺は優しいから、そんな可哀想な幼馴染みを寛大な心で許してやるのだ。
バス停から学校までの道程を、図体の大きな幼馴染みと並んで、そんな話をしながら歩いた。
「じゃ、また放課後な」
「うん。じゃあね」
教室の前でてっちゃんと別れ、席について周りをこっそり伺うと、今日の半袖率の低さにちょっと寒気を覚える。
半袖率……、というか、寧ろ俺だけしかいないじゃん。どうしよう。悪目立ちってヤツにならないかな。
そう考え出したら陰キャの猜疑心がムクムクと育ち始めた。
目立つのは嫌だ。俺はひっそりと物陰に隠れていたいんだ。誰かに見られたり注目を浴びたりが異様に苦手なんだ。
人目は怖い。昔、見た目のせいで恐ろしい目に合った。
───『何、その顔。気持ち悪い』
キンキンと甲高い声が耳の奥に蘇る。
嫌だ。
もう、あんな風に言われたくない。
思い出すのも恐ろしい過去の光景に、ぶるりと背中が震えた。ギュッと目を瞑って長めに伸ばした前髪を引っ張る。
後でジャージの上着を着よう。いや、それもある意味目立っちゃうのか? エンジ色の学年色は、白いカーディガン集団の中じゃ断トツに目立ちそうだ。
えぇ…、どうしよう、どうしよう。
「おはよ、棚橋。半袖、寒くないの?」
「ひゃ!!?」
ぐるぐる考え事をしてる内に、いつの間にか登校した葛西が席に座ってる。今日も最高にカッコいい。思わず見惚れそうになって、慌てて顔を俯けた。
ぅわ、ぅわぅわぅわ!
葛西から「おはよ」、いただきました!どどど、どうしよう!恥ずかしい!嬉しい!でも恥ずかしい!!
「? ねぇ、おはよってば」
「ぁ、ひゃい! お、おは、おはよぅ、ございます……」
うああぁぁ!「おはよ」のリプレイ、ご馳走さまです!
身体中の細胞が弾け飛んだんじゃないかな!?あちこちピリピリするんだけど!
「ねぇ、寒くないの? 元気だね、半袖」
「ら、らいじょうぶ、れしゅ!」
寒さなんかどっかいった。だって顔が熱いもん!耳も首も熱いもん!!またどっかの血管切れたかも!?
「いやいや、見てる方も寒いって。……うん。これ、貸したげる」
「ふぁ!?」
そう言って、葛西は羽織ってたカーディガンをスルッと脱いで、あろうことかその白い上着を俺の肩に着せかけた。
な、な、ななな何てことするんだ、このイケメン様は!!
その優しさは俺を殺すぞ!!!
「俺、長袖だし、中にTシャツ着てるから、帰りまで着てていい……、って。おい、大丈夫か? 顔、真っ赤だけど、熱でもあるんじゃね?」
「だだ、だ、だい、だいじょぶ、れしゅっ」
全然大丈夫じゃない気がする。葛西の温もりが残るカーディガンが、俺の体温を一気に押し上げたせいで、ヒートショックを起こしそうだ。
このままぽっくりとあの世に逝っちゃうんじゃないかな!?
「ふふ…、なぁ、棚橋。おまえホント、俺のこと好きな。バレバレなんだよ、その顔」
「にゃにゅっ!!?」
ち、違うんだ!俺はただ、葛西がカッコいいと思ってるだけで、そんな好きとか、好きとか好きとか……っ、いや好きなんだけども! それを口に出しちゃイケナイ事くらい、俺知ってる!
「もう認めちゃえば? 好きなんでしょ、俺のこと」
「そ! そんなんじゃ、ない! 俺はただ葛西が、か、カッコいいなって、思ってるだけだよ!」
ハッ!!!
「ほぉ~~~ん。そりゃ、どうもありがとう」
ニヤニヤ顔の葛西が、ズズズイッと顔を近付けてくる。
ヒイィィィ!!
やめろ!それ以上は死ぬっ!!カッコ良すぎて死んじゃう!!!
鼻先に鼻先がくっ付くくらい近付いて、視界がカッコいい葛西の顔で埋め尽くされた。
「そんなに俺の顔が好きなら、もっと堂々と見ていーよ」
「〰〰っ!〰〰〰っ!!」
これでもかってくらいのキメ顔で、イケメン様はニヤリと笑う。ちょっと茶色い葛西の瞳に、アワアワしてる俺の顔が映っているのを発見した瞬間、プシューッと頭から湯気を吹き、今日も俺は無事終了した。
「うーわ、真っ赤っかだねぇ」
イケメン様はケラケラ笑って自席へ戻る。
か、神様……、どうぞこの罪深きイケメン様をお赦しください。そしてどうか、俺のこの邪な気持ちを包み隠して欲しいです!
グツグツと茹だる頭を抱え込みながら俺は決めた。
カーディガンは、適正サイズを買い直そう!
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