俺の上司は完璧な恋人

豆ちよこ

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拗れた糸の解き方②

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 俺の実家は小さな洋食屋を営んでいる。従業員は雇わず、両親が二人三脚で切り盛りしている小さい店だ。学生街にあるお陰か中々に繁盛しているようで、父も母も家に居るより店に出ている時間の方が長かった。
 その為家の中の事は必然的に長男である俺に任された。歳の離れた幼い弟妹に手を焼きながら、家事スキルはみるみる上達し、高校生の頃には母よりも家の事は把握していた。
 昔から頭を使う事は苦手だったが、身体を動かすのは好きだったし、掃除や片付け仕事はやったらやった分だけ、成果が目に見えて分かる。こういう作業は大好きだ。しかもそれが誰かの為。それも好きな人の為なのだ。
 こんな理想的な環境を喜ばない訳がない。

 洗濯機の中身を取り出し、集められるだけ集めてきた洗濯物を放り込む。後はスイッチを押すだけで完了だ。ついでだからと洗面台も軽く磨き、リビングへと戻って来た。ソファの巣の中で、これ以上小さくなれないってくらい縮こまる野崎さんがいる。まるで叱られていじけている子供の様だ。
 ああいう時は、無理に構わない方がいい。どうせそう長い事、あんな格好ではいられない。ちびの弟もよくああやっていじけては、本人の気が済むまで放置してやった。その内モソモソと動き出す筈だ。その隙きにと、暫くは片付けと掃除に専念する。

 リビングの床から、すっかりゴミやら物やらがなくなった頃、洗濯機の終了のメロディが聞こえてきた。掃除機をかけてワイパーで床を綺麗に拭き掃除してから、洗い終わった洗濯物を取り出した。ほかほかと温かいタオルや衣類を、湿気が籠もらないよう一度床に広げる。正座をし、熱気の引いた物から順番に畳んでいった。相変わらず野崎さんはいじけたままだ。何だかお母さんにでもなった気分で、ほのぼのしている自分がいた。こんな状況なのに楽しい。久々に誰かの世話を思いっきり焼かせて貰えて嬉しくて仕方がない。鼻歌でも奏でてしまいそうだ。…いや、そこは我慢するけど。

 だがそろそろ、ご主人様に尋ねなければならないぞ。

「野崎さん。クローゼットに洗濯物を仕舞いたいんですけど、隣の部屋、入ってもいいですか?」

「……………」

 まだいじけてるのか…。中々粘りますね。

「勝手に入ったら失礼かと思って聞いたんですけど、何も言わないなら勝手にしますよ」

「……………」

 どうやら好きにしろって事らしい。まぁ、どうせ駄目だと言われても、侵入する気満々だった。
 リビングから続く寝室らしいドアに手をかける。
 
「ーーーーー…ぅぞ」

「……? 何か言いました?」

 背後の蓑虫がボソッと何事かを呟いた。聞き取れなくて振り返り尋ねると、ピクリとも動かなかった野崎さんが、ガバっと顔を上げ上目遣いで睨んできた。

「そこに入ったら襲うぞ。 ゲイの男の部屋で寝室に入るって事が、どんなに危険な事か分かってるのか!」

 またそんな事を言うのか。あんな蓑虫みたいな格好で、そんな言い訳を考えていたんですか。仕様が無い人だな。

「いいですよ。 やれるものならやってみてください」
「っ!、お、お前っ、馬鹿にしてんだろ!」
 
 馬鹿にはしてませんけど、ちょっと呆れてはいます。野崎さんの方こそ、状況を理解出来てない。

「俺も言いましたよね。 貴方が好きだって。そんな事を言ってる男に、襲うぞ、だなんて。そんなの、ただのご褒美でしかありません」
「な、…なんっ、」
 
 ほら。急に慌て出す。
 
「分かったら、そこに居てくださいね。じゃないと…、 俺が貴方を襲いますよ」
「ーーーーっっ!!」

 言い捨てて、勢いよく寝室に入る。
 心臓が有り得ないくらい鋼を打つ。

 ヤバかった…。なんだあの顔っ! 急に真っ赤にならないで欲しい。本当に襲っちまうぞ。

 どうしてあんなに初心なんだ。
 野崎さんだっていい歳だ。数は少なくても、そういう経験くらいあるだろうに。言う事だけは場慣れしてる癖に、いちいち反応が生娘みたいで困る。

 ふと、くしゃくしゃのベッドが目に入った。ベッドメイクなんてしている訳もなく、寝乱れたままのシーツが何だか物凄くエロく見えた。
 煩悩に支配される前に、ズカズカ部屋の奥に進み、閉じたままだったカーテンを開ける。薄暗い部屋に日が差し込み、ほっと息を吐き出した。

 物の少ない部屋だ。脱ぎ散らかした服もない。本当に寝るだけなのだろう。クローゼットを開けてもガランとしている。数箱のダンボールと数着のスーツが、クリーニングカバーをつけたまま掛けてあるだけ。
 そりゃそうか。何しろあの洗濯機が、野崎さんのクローゼット代わりだったのだから。
 乱れたままのベッドからシーツを剥がし、布団カバーを外して部屋から持ち出す。
 リビングへ戻ると、野崎さんはやはりソファの上にいた。目が合うと、あからさまにビクついてそっぽを向く。少しは意識してくれたのかもしれない。

 その後は諦めたのか、文句も言わずただじっとソファの上で大人しくしていてくれた。お陰でこちらも掃除に専念し、正午を回る頃にはすっかり部屋は見違えた。
 ただし野崎さん本人は朝のまま、寝癖のついた髪とヨレヨレダボダボから変わらない。

「野崎さん、そろそろ着替えたらどうですか? せっかくですから、服を仕舞うクリアケースくらい買いに行きましょうよ」

「…………、行かない」

 あ、よかった。返事が返ってくるだけでもいい。ご機嫌はまだだいぶ悪そうだが。

「じゃあ、後で通販サイトで頼みましょう。それと、昼飯買ってきます。腹減りませんか」
 
「いらない」
 
「野崎さんがいらなくても、俺がいります。近くにコンビニありましたよね。ちょっと行ってくるんで、ついでにーーー」

「ーーー…もう嫌だ」

 さっぱりと片付いた“元 巣”のソファの上で、相変わらず膝を抱えて小さくなってる野崎さんが、落ち込んだ声でポロッと弱音を吐いた。
 
「何なんだよ、お前。 一体どういうつもりなんだよ」
「どういうも何も…、」
 
「この前といい、今日といい…。 先月の事なら謝っただろ…。 嫌がらせも大概にしてくれ……」
「嫌がらせだなんて! ……酷いですよ」
 
「酷いのはお前だろっ! す、好きだとか、襲うとかっ!そんな気も無い癖に、揶揄うのもいい加減にしろよっ!」
「揶揄ったつもりもありませんし、好きだと言ったのは本気です。それにーーー」

 ずかずかと近付くと、野崎さんはギョッとした顔で逃げ腰になる。ソファの背凭れに両手をついて、逃げられない様に閉じ込めた。顔をぐっと寄せると、「ひっ」と情けない声をあげ、その視線から逃れるように顔の前で両腕をクロスした。

「その気も無いなんて言わないでください。 あれから俺が、何回貴方で抜いたか教えてあげましょうか?」

 あんまりにも本気にしてくれないから腹が立った。ちょっと脅かすつもりでそう言うと、どうやら意味が通じたらしく、ビクリと肩を跳ね上げ、みるみる内に肌が赤く染まっていく。こういうところが雄の本能を刺激するんだ。
 どんな顔をしているのか見てみたい。ドキドキと鼓動が速る。砦になってる両腕を、手首を掴んで開かせた。

 ーーーーあ、これはまずい。

「そんな顔……、しないでくださいよ」
「やっ、はな、せっ ……っ、んぅ!」

 眉尻を下げ、目許を赤く染めて視線を泳がせる仕草に、考えるより先に身体が動いた。寝癖でくしゃくしゃの後頭部を掌で押さえ付け、戦慄く唇を塞いだ。半開きだった口腔に舌を差し込むと、嫌々をするように首を振る。そんな事をされたら余計に追いかけたくなる。逃げようと縮こまる小さい舌を、絡め取るように舐め啜った。角度を変え息継ぎをさせながら、思う存分口の中を犯す。
 時折思い出したかのように小さな抵抗をするが、本気で撥ね退けようとしていない。本当に嫌なら舌を噛めばいい。そうしないのは何処かで野崎さんも、この状況を受け入れているからだろう。
 ごつごつとした硬い身体と真っ平らな胸。喉奥から漏れ出す低い声。今、自分が押し倒している相手が女性ではなく、男であると分かっているのにちっとも抵抗はない。

 ほらな。勘違いなんかじゃない。揶揄ってもいないでしょ。どうして分かってくれないんですか。こんなに好きだと言ってるのに。

 散々に味わった唇をゆっくりと離す。飲み切れなかった唾液が口許から伝い落ちた。涙の滲んだ目許は更に赤く染まり、緩く瞼を綴じて荒い息を吐き出している。思わず喉が鳴った。このまま抱き潰してしまいたい。けれどその前に、どうしても言っておきたい事がある。

「野崎さん。俺が本気だって、分かってくれましたか?」

 もう、揶揄ってるなんて言わないで欲しい。その気が無いなんて思わないでください。
 くしゃくしゃの髪を優しく撫でながら返事を待つ。思いの外柔らかい髪は、ずっと撫でていたいと思うくらい気持ちがいい。出来れば俺の頭も撫でてくれたら、もっと嬉しいんだけどな。

「……ぉれは、 …女じゃないぞ」

 顔を背けて視線を俯かせながら、弱々しく小さな声で悪足掻きをする。
 
「そんなの、最初から分かってます」
「………お前が好きな、ち、乳だってないし」
 
 ぶっ! 俺が巨乳好きって、知ってたのかっ。ちょっと恥ずかしい。

「それも分かってますよ」
「女にはない、…モノも、付いてる」

 そりゃそうでしょうね。

「付いてなかったら、逆にびっくりですよ」
「そ、それにっ! 見ての通り、だらしない人間だ。掃除は出来ないし、飯も作れない」

 そこは全く問題ないです。寧ろそこが一番、俺的にはお気に入りポイントなんですけどね。

「大丈夫です。そっちは俺の得意分野です。貴方の苦手な事は、俺が全部やります。野崎さん知ってるでしょ? 俺が世話好きな奴だって」
「み、見栄っ張りだし、根暗だし、頭は硬いし、面白味も無い」

 おっと。自虐が入ってきた。確かに硬真面目だけど、面白味なら充分ありますよ。

「自分をよく分かってるって事じゃないですか。でも俺、そんな所も好きですよ」
「…っ! み、道にだってすぐ迷うぞっ!」

「あははっ、 何の自慢ですか、それ」
「こ、こんなっ、 ヨレヨレのボサボサしたおっさんのっ、 ど…、どこがっ、」

「そんな所も可愛いって、思っちゃったんですよ。 もうそれだけですか?」
「かっ! か、可愛くないっ! どこ見てそんな事言ってるっ!」

 どこって言われてもなぁ。どこもかしこもなんだけど。

「俺の知ってる野崎和巳という人は、真面目で仕事が出来て、厳しいけど人を馬鹿にしたり貶したりしない、尊敬出来る人です。おまけに部下思いで、きちんと指導もしてくれるし正当に評価もしてくれる、理想の上司です。 そのくせ私生活じゃこんなにダメダメで、たまに靴下は左右ちぐはぐだし、ハンカチはくしゃくしゃ。意外とおっちょこちょいで絆創膏貼るのも下手クソだし、クリーニングのタグ取り忘れたままだったり、シャツにうどんの汁飛ばしたのをずっと気にしてたり、慌てると右も左も分からなくなるし、それに、ーー」
「ちょっ、と待て! 何で、そんな事、」
 
「言ったじゃないですか。俺、野崎さんの事観察してるって」
「観察…って。丸っきり、ダメ人間じゃないか……」

「俺、そんなダメダメな野崎さんが気になって、放っておけなくて…。気づいたら、貴方の事ばっかり考えてます。 見てください。これくらいの仕事なら、朝飯前ですよ」

 身体をお越しソファに座らせ、整然と片付いた部屋を見せる。
 散らかり放題だった床の上は、畳んだ洗濯物と雑誌や新聞の束を並べた場所以外、チリ一つ落ちてない。フローリングの床はワイパーで磨いたお陰で、光を反射してピカピカに輝いている。我ながらいい仕事したな。

「そりゃ、…有り難いが。 …言ったろう、見栄っ張りだって。 こんな、みっともない所見られて…、俺がどんな気持ちか、分かってるのか……」

 片手で掴むように目許を覆い、情けない声で落ち込む様子に流石に少し気の毒になる。

「野崎さんの矜持を傷付けたのは謝ります。でも、俺だって傷付きました。 好きだと何度も言ったのに、ちっとも本気にしてくれないし…」
「前にっ、駅前で話をしていた彼女は、……とても、似合いだと思う。 お前は、ちゃんと女性と付き合う事が出来るんだ。 わざわざ男と、俺なんかと間違い起こす事なんか、ない」

 まだそんな事…。

「言っておきますけど、野崎さんが見たという女性ですが、それ、大学時代の同期生です。柔道部のマネージャーをしてた子で、俺の友人の婚約者ですよ」
「ーーー…え?」

 昨日散々考えて、ふと思い出した。そういえば以前駅前でばったり、柔道部のマネージャーだった小泉麻里絵に出会った。暫く立ち話もしていたし、もしかしたらあの時何処かでその姿を見ていたのかもしれない。誤解をさせてしまったなら申し訳無いけど、でもそれって……

「もしかして、ヤキモチですか? 俺が女の子と一緒にいたのを見て、誤解しちゃったんですよね?」
「なっ、 そっ、…っ!」

 ーーーあ。 図星だ。
 ヤバい…。顔がニヤけてしまう。

「は、話をすり替えるなっ!」
「野崎さん!貴方はやっぱり可愛いです!大好きですっ!」
「ぅわっ、ーーっぶ、」

 図星を指され顔を真っ赤にした野崎さんを、思わず腕の中に囲ってぎゅうぎゅうと抱き締めた。離せだの、苦しいだの言って暫くジタバタ暴れたが、この体格差だ。おいそれと抜け出せる筈もなく、やがて諦めた様に力を抜いてくれた。


「……浅沼。 本当に、俺なんかでいいのか」

 くぐもった声でそう呟かれた。この人は自信てものが全く無いんだな。

「俺なんか、なんて言わないでください。 俺は貴方がいいんです。仕事は完璧なのに、掃除が出来ない野崎さんが好きです。方向音痴で道に迷ってても、真っ直ぐ前を向いて歩く貴方が好きです。 それから、俺を好きだと言ってくれた、可愛い男の人が大好きです」
 
 ついでにあのエロい足も好きだし、すぐに照れて赤くなるところも、困った顔でオロオロするところも、何だかもの慣れない初心そうなところも大好きだ。

 大人しく腕の中にいた可愛い人が、おずおずと背中に腕を回してくる。
 ああ…、やっとだ。やっと気持ちが通じてくれた。
 ほっとして、鼻先にあたるくしゃくしゃの髪の毛に頬擦りする。背中に回された掌が遠慮がちにYシャツを握りしめる仕草に、愛しさがぐんぐん湧き上がる。物凄く幸せな気分だ。

「もう一度、俺を好きだと、言ってくれませんか」

 生まれて初めて受けた告白。あの時は突然の事に気が動転して、何も考えることが出来なかった。
 拗れ捲くった糸が漸く解けた今、どうしても聞かせて欲しい。
 祈るように、お願いしますと囁くと、シャツを握る手から遠慮が消えた。

「俺、も。 浅沼が、…す、 好きだ」

 胸がきゅんきゅんする。心臓を鷲掴みにされた。あー、もう。どうしようもなく愛しい。
 こんなガキみたいにときめくなんて、二度と無いかと思ってたのに。
 震えながら好きだと言ってくれた、この臆病で不器用で、最高に可愛い人を、俺は一生大事にしよう。

「ありがとうございます。……嬉しいです」

 もう一度、腕の中の硬い身体をぎゅっと抱きしめる。
 掴んだ幸せチャンスは絶対に離さない。
 俺の尊敬する上司の言葉。
 やっぱり貴方は凄い人だ。俺をこんなにも幸せにしてくれる。

「俺を信じてくれて、ありがとうございます」


 それから腹の虫が大騒ぎして、互いに顔を合わせ笑い合うまで、暫く抱き合ったまま幸せを噛み締めた。

 

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