俺の上司は完璧な恋人

豆ちよこ

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満更でもない

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 目が覚めたらもう夕方だった。
 貴重な休日を寝て過ごしてしまった。お陰で身体は楽になったが、気分の方はそうでもない。
 昨夜の記憶が鮮明に残っている。頭がクリアになった分、余計な事まで思い出す。
 昨夜接待で酔い潰れた上司に、好きだと押し倒されキスをされた。

「考えてみたら、キスなんて何年ぶりだ?」

 最後に彼女がいたのは高3の秋までだ。
 大学時代に何人かワンナイトの関係を持ったが、決まった彼女は出来なかった。社会人になってからは時折先輩に連れられて行く風俗のプロのお姉さん相手ばかりだ。
 当然キスなんてしない。…いや、頼めばしてくれるんだろうが、こっちもそんな気にならなかった。単に抜いて貰うのが目的なのだから、極力甘ったるい行為は避けていた。お情け感に悲しくなるからな。
 経験値でいっても中の下ってとこだろう。そのお粗末な経験からでもわかる。

「野崎さん、慣れてなかったな…」

 あんな大胆に押し倒して来たくせに、キスはまったく慣れていなかった。母親の乳を必死で吸う赤ん坊みたいな拙いものだった。
 それもあって、無碍に突き飛ばす事も出来なかったのだ。

 野崎和巳、俺の上司だ。
 入社以来3年、ずっとお世話になってきた。
 真面目で無口で眼つきが鋭く厳しい人。怒ると怖いが、無闇に人を貶したり揶揄したりはしない。間違いやミスには頗る厳しいが、きちんと出来た時にはちゃんと褒めてもくれる。

 飴と鞭の使い分けが上手いんだよなぁ…。

 上司として心底尊敬出来る人だ。
 それにルックスもいい。眼つきさえソフトなら、間違いなく甘いマスクだ。身長は然程高くはないが、それでも170cm以上はあるだろう。無駄な贅肉など無さそうな体躯に長い脚。スリムスーツがよく似合っている。さぞかし女にモテるだろうと、ちょっと妬ましさも含めて憧れてもいた。

 そんな自分にはないものを兼ね備えている人が、まさか男の部下が好きだなんて誰が想像出来る?

 しかもその相手は俺だぞ?
 こんなガチムチ野郎のどこに、そんな魅力があるっていうんだ?

 そもそもモテるタイプじゃなかったし、初めて付き合った彼女もみっともないくらい必死に口説いて、渋々付き合って貰ったようなもんだ。
 自虐だが、生まれてこの方誰かに告白なんてされた事もない。

 『好きなんだ、浅沼』

 吃驚し過ぎてうろ覚えだが、決して嫌では無かった。その後のキスだって、嫌悪感は感じなかった。
 ただ状況に思考が追い付かず、有り得ない出来事に怯えたのは確かだ。
 冷静になった今だから言えるが、もしかしたら俺は、男もイケるタイプの人間なのかもしれない。
 今朝見た野崎さんの生足が頭に浮かぶ。あの脚にシャブリつきたいと思ったのも事実。想像してムラムラしたのも否定できない。
 それに……。

 『ば、馬鹿言うなっ』

 普段はピシッとセットしてある髪が乱れて、前髪の下りた姿がどこかあどけなく、ついかわいいと口に出してしまった。
 そんな戯言に、困った様な照れた顔をした野崎さんは、本当に可愛かった。
 男だとか上司だとか、そんなの忘れてドキッとした。
 普段からは想像も付かない以外な一面。ギャップ萌ってこういう事か。

「もう一度、あの顔が見たいなぁ」

 あんな顔で好きだなんて言われたら、うっかり俺もと言ってしまいそうだ。

 グウゥ、と腹の虫が鳴いた。

 腹減ったな、そろそろ何か食うか。
 冷蔵庫、何かあったっけ?










「…で? 結局そのまま帰したの?」

 冷蔵庫に腹を満たせそうな物が無く、コンビニでも行くかと思ってたら、タイミングよく同期の松田から連絡が来た。

「ああ」

 同じく腹を空かせた松田から飯に誘われ、今こうして居酒屋で向かい合っている。

「ちゃんと帰れたのかなぁ、主任」

「当たり前だろ。子供じゃないんだし」

 昨夜、酔い潰れた上司をマンションに連れ帰った話をしていた。
 告られた事や襲われた事は端折ったが、吐いて大変だったという話はしてしまった。それを聞いた松田は俺を労いもせず、酔っ払いをすぐ横にする奴が悪いと責めた。
 やたら野崎さんの肩ばかり持つから面白くない。同期なら、少しは俺の事も心配しろと言いたいが、肝心のアレやコレは言えないから渋々言葉を飲み込んだ。
 なのに今また、起きてすぐにマンションを出た上司の心配をしている。

「そりゃそーだけど。浅沼知らないの?…野崎さんて、あれで相当な方向音痴らしいぜ」

「…は? そんな訳あるか。どこ情報だよ、それ」

 いつだって迷いなく歩くあの上司に限って、方向音痴などあり得ない。外回りに同行する機会の多い俺が言うのだ。間違いない。…と思う。

「どこ情報って、本人から直接聞いてるけど」

「嘘だろ。もし本当ならお前、野崎さんに誂われたんだよ」

「いや、本当だし。野崎さんに限って、そんな冗談言う訳無いだろう」

 確かに。あのクソが付くほど真面目な上司が、部下を誂うなどするはずがない。

「でもうちのマンション、会社の借上げだぞ。野崎さんだって場所くらい知ってるだろうし、まさか迷うとかないだろ?」

「そりゃまぁ。方向さえ間違えなきゃ、駅まで10分も掛らないけどさ」

 方向さえ間違わなければ…?
 間違ったらどうなる?

「万が一反対方面に進んでたら、住宅街抜けるまで幹線道路も無いからな。1時間くらいは歩く羽目になるんじゃないか?」

 ふと思い出した。
 そういえば以前取引先に向かう道程で、野崎さんがワザと遠回りする方向に進んだ事があった。
 こっちの方が近道ですと言ったら、少し考えて足を鍛える為に遠回りするんだと言っていたっけ。
 あれって、もしかして……。

「…ちょっと、野崎さんに連絡してみる」

「やめとけ、休みなのに。部下から電話なんてするもんじゃないだろ」

「でも…」

 もしも松田の話が本当なら、俺は朝早く上司を部屋から追い出し、路頭に迷わせた最低な部下じゃないか。

「それに土曜のこんな時間だ。彼女が来てたらどーする?邪魔するだけだ」

「彼女?…野崎さん、彼女いるのか?」

 そんな筈はない。
 だって昨夜、俺を好きだと言っていた。

「いるだろう? あんなイケメン、女が放って置かないよ」

「そりゃ…、そうだけど」

 いいなぁ、俺も彼女欲しい…と嘆く松田の戯言を右から左に流しながら、俺は考えていた。
 彼女はいなくても、彼氏はいたかもしれない…と。

 もしそうならどっちだ?
 野崎さんが挿れる方?それとも突っ込まれる側か?
 いったいどんな顔で抱くんだ?…それともどんな顔で喘ぐんだ?

 今朝見た顔が浮かんだ。頬を染め俯き加減の困ったような顔。

 あんな顔して男に抱かれているのかも。
 昨夜は馬乗りにされたが、もしもあれが逆だったら…

「おい、浅沼って!」

「あ?…あぁ、何?」

「何、じゃねぇ。…久々に行くか、って聞いたの」

 松田が人差し指と中指の間から親指を出し入れする。…抜きに行くかと聞かれている。どうでもいいが、その下品な指はやめろ。

「…いや。今日はいいや」

 とても風俗に行く気分じゃない。

「何だよ、付き合い悪いなー」

 その後は仕事の話や他の同期の話をしつつ腹を満たし店を出た。
 やっぱり行ってくると、繁華街へ向かうスケベ顔の松田を見送り部屋へ戻った。
 風呂を済ませTVを流しながら缶ビールを煽る。その間ずっと、野崎さんの事を考えていた。

「ちゃんと駅まで送ればよかったなぁ」

 住宅街に迷い込んでいたらと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「でも何で、言ってくれなかったんだろう」

 松田には話したのに、俺には隠しておくなんて水臭い。それとも俺だから?…言えなかったとか?
 そう考えたらムズムズとしてくる。

 案外そうかもしれない。
 あー見えて本当は、物凄い照れ屋なのかも。

 いつも眉間に皺を寄せている厳しい上司が、好きな人の前では格好つけているのかも…と思ったら、なんだか可愛く見えてくる。
 俺の脳は単純だ。“好き”だと言われ、その相手が“可愛い”と思えただけで、勝手に喜んでいる。  
 まったくお安い非モテの思考回路だ。
 もうこの際、男だからとか上司だからとか抜きにして、いっそ絆されてみてもいいんじゃないか。

 いや待て待て。
 いくら好きだと言われたからって、あれは酔った上での事だろう。野崎さんがどこまで本気だったのかまではわからないしなぁ…。

 単純に好みのタイプなだけの可能性だってある。
 去年先輩に連れていかれたニューハーフバーでの記憶が蘇る。

 そ、そうだ…。散々オネエさん方に身体中ベタベタ触られまくったじゃないかっ。

 どうやらその筋の界隈じゃ、俺のようなガタイのいい男はモテるらしい。野崎主任がその筋の方なら、あの“好き”の意味もだいぶ陳腐なものになるのではなかろうか。

「…それならそれでもいいなぁ」

 ビールの空き缶が3本並んだ頃には、あの垂涎モノの生足が脳裏にチラついて、別に一回くらいヤッちゃってもいいかな…とか、アナルセックスってヤバいくらい気持ちいいってホントかなぁ…とか悶々とし始め、気付いたら右手がムスコを扱いていた。
 今朝見た野崎さんの、ちょっと照れたあの赤い顔がずっとリフレインして、やがてそれはいやらしい妄想に変わる。
 あの綺麗な足を舐め回したら、どんな顔をするのだろう…。

 『あ、…あっ、イヤだ浅沼っ、 あ、足、舐めないで』

 あのキリッとした昼間の顔が快感に歪むのを想像したら、手中の肉塊がグンと硬度を増した。自ずと扱くピッチも速くなる。
 普段寸分の隙もない真面目な男の乱れた姿を脳裏に描いたらもう止まらなかった。

 『あっ…あんっ 浅沼 そこっ、いい… もっとして』

 自分に跨がってガンガン腰を降る上司を想像しながら右手を動かす。

 『あ、いいっ、好きだ浅沼っ、いい、イクッ、イクッ』

「う…っ、 んっ」

 勢いよく吐き出されたモノをティッシュで受け止めた。ハァハァと上がった息を整えながら、どこかで醒めた自分が、やっぱり松田と一緒に抜きに行けばよかったと思っていた。
 まったく。スケベはどっちだ、とセルフツッコミも入れたくなる。
 汚れたティッシュをゴミ箱に捨てながら、こんな事をして、月曜からどんな顔して会社に行けばいいんだ…と、少しばかり後悔していた。
 




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