上 下
16 / 24

緋色の螢 4

しおりを挟む
※ 

 戸惑いと驚きが入り混じった悲鳴は無理やり乾いた喉の奥に呑み込んだ。
 ゆっくりと振り返ったのは黒の着物に銀鼠の袴の――多分、男。
 緩く結わえた羽織帯まで黒い。今では滅多に見ない羽織の喪服。
 なにより異様なのはその顔――夜闇に浮かぶような白い狐面。赤い隈取が目を引く。
 菜月は表情を強張らせたまま、距離を置くように退いた。

 困ったことにそれで終わりではなかった。
 男の後ろでひときわ濃い闇が揺れ、落ち葉を踏む音を響かせたのは狐面をつけた和装の男女。そのどれもが黒い着物を着ている――合計三人。
 なにかの呪文をつぶやいているようだが、くぐもった声は聞き取れない。
(……気味が悪い)

 得体の知れない相手に鼓動が跳ね上がり、身体が強張った。
 逃げたいと思ってもどの方角へ逃げていいのかが分からない。間違えてこれ以上深い場所に行って戻れる自信はない。

「……た? ……せ」

 なにかを問われているらしい。意味が分からず眉根を寄せて顔を上げる。

何処いずこから、来た? を寄越せ」

 鼓動が跳ね上がって耳が痛い。握った手のひらがしっとりと汗ばんだ。
 喘いだ口から肺の奥深くまで入り込むような香の匂い。
 ぐにゃりと世界が歪むような感覚は。足元の感覚さえ虚ろになる。
 甘みや苦みが複雑に絡み合うような香りは――しきみだ。
 それは焼香の時に焚かれ、魔を寄せ付けないように場を清めるためのもの。

をかえよ」

 口々に、同じ言葉を繰り返す。わけが分からない。
 狐面に会ったら、ついて行ったり話しかけてはいけないそう教えられた。
 だとしたら、問いに答えるのもアウトだろうか。
 こういう時になにかを唱えろと呪文を教えられたはすだ。だが、その呪文を思い出せない。思い出そうとするが近づいてくる男に混乱して思考が纏まらない。躊躇う菜月の腕を、誰かが強く引いた。

「――なにっ?」

 捕まったと身を固くした菜月の手を引くのは――銀鼠色の着物の女性。
 顔を確認する間もなく背中を返し、驚く菜月の腕を強く引いた。
 狐面の男は当然のように歩き出した二人を追いかける。その足取りは氷の上を滑るようになめらかで一定の距離でついてくる。
 なぜか女性は青竹の間を縫うように進む。
 菜月は振り回されるままついて行くが、わけが分からない。
(どうせ逃げるなら真っすぐの方が早いのに……?)

 ようやく気付いたのはしばらくしてから。
 菜月を追う男たちと距離が当初よりずいぶんと開いていた。
 どうやら三人そろって同じ方向にしか歩けないルールがあるのか、竹をどちらに避けるかで揉めて立ち止まっている。
(だから、ジグザクに歩いてたのか)

 温かい手と百合に似た香りになぜか胸の奥が痛んだ。
 手を引かれて進むとほどなく視界が開けた。飛び込んできた光の洪水に顔をしかめて、手で顔を覆う。

「――――もう大丈夫。行きなさい」

 耳元で響いた女性の声は柔らかい。それは聞き覚えがある声だ。

「菜月、どこに行ってたんだよ!」

 相手を確かめようとする前に腕を掴まれ、前後に揺さぶられた。
 足元もおぼつかず、体の中でなにかが渦巻くような感覚は車酔いのよう。
 幾度か瞬きをして、間近にあるそれに不覚にも鼓動が跳ね上がった。

「ちょ……っ! どええぇぇえっ?」

 口を突いて出た驚きと疑問が入り混じった悲鳴。
 なぜならくっつきそうなほどの距離にあるものが悪い。
 中身は化け物だが外側は真顔のイケメン。不覚にもお年頃の乙女の鼓動が跳ね上がり、反射的に手を振り払ってその場にしゃがみ込んだ。
(ない! 絶対にない! わけが分かんないんですが!!)
 すかさずアカリが駆け寄って河野との間に割って入って吼えた。

「菜月をいじめちゃダメっ!」

 甲高い声が耳に突き刺さる。

「いじめてねぇよ。心配してただけだって……大丈夫か?」

 アカリを一撫でして黙らせて膝に手をついて菜月の様子を伺う。
 声にうなずくが、緊張を解いたとたん体の力が抜けた。立てない。
 頭の上で二人が言い合う声を聞きながら安堵の息を吐いた。
(戻って、これた。女の人に手を引かれて……? どうしてここに?)
 周囲にあるのは人のざわめきと薪の爆ぜる音。そして線香の匂い。
 砂利を敷き詰めた地面は――境内。闇に沈んだお堂は黄泉寺だろう。
 篝火をたいた境内で籠を持った子供が蛍を追いかけている。

「なんで、ここに?」
「ここで待ち合わせだって言って別れただろ?」

 そんなことを言っていたような気がする。迷い込んだ竹林からどうやってここにたどり着いたのか分からない。
 女の人に手を引かれて歩いた記憶はあるのだが、どこを歩いてきたのか、夢を見ていたように曖昧だ。

「キツネの面、見た」

 これははっきりと覚えている。喪服に赤い隈取を描いた狐の面。
 思い出すと香の匂いまで蘇ってくるようで気分が悪い。立ち上がろうとしたが膝に力が入らずふにゃりと再び座り込んだ。

「――っ」

 血が足りていない時のように世界が回る。慌てた河野になにか言われたが、答えられない。
 体を強張らせた菜月の膝の裏と背中に手を差し入れて、引き上げられた。驚いて身を捩った菜月に諫めるような声が落ちて来る。

「疲れたんだろ、少し休んで帰るか。子供を襲うつもりはないが暴れると落としちまうぞ。アカリ、遠くに行くなよ」
「えー、もっと蛍を捕まえる~」

 遊び足りないと不満を口にするアカリの声を聞きながら眉根を寄せる。
 鼻の奥にあの香の匂いが沁み込んでいるようで気分が悪い。格好悪いが抵抗する気力は萎えた。歩き出した河野に体を預けて大人しくすることにする。

「急に姿が見えなくなったから探したぞ。寺で待ち合わせにしてたからアカリと待ってたんだよ。そしたら竹林から走って出てくるし……」
「赤い蛍を見つけて迷い込んだの……香の匂いがすごくて、女の人が助けてくれたの。女の人っ、どこに行ったの?」
「オレが見たときはいなかったぞ。……そっか、菜月の親は正太郎の」

 事情は知っているようで語尾を濁した。
 女性の甘い匂いに覚えがあるはずだが、思い出せない。

「女の人。……見覚えがある気がするの」
「そりゃ藪入りで戻ってるはずだしな。狐に連れて行かれなくて良かった」

(藪入りで戻るって、どういう意味?)

「菜月、平気?」

 寺の縁側に降ろされた菜月をうかがうアカリの声。空気を読まない屈託のない笑顔に苦笑して、うなずいた。
 頭の上にオレンジ色に瞬く籠を掲げて上機嫌だ。震えるように瞬く光をぼんやりと眺めた。

「蛍狩りはもう終わり?」
「菜月を探してて捕まえ損ねた。アカリと菜月の方が多く捕まえたよ」

 いうことを聞く約束だ、望みを言えと促された。あるのは望みというか。

「だったら、狐面の男を見た事は黙っててくれる?」
「あん? 別にいいけど、いいのか?」
「正太郎やタキさんが知ったら、どうなると思う?」
「――確かに、マズいな」

 正太郎やタキさんに知られたらタダでは済まない気がする。
(砂を投げつけられる程度で済まない気がする……)

「そろそろ撤収するぞ。蛍を捕まえて届けに来るから宿は賑やかになる。無理に蛍を追いかけなくても誰かが捕まえるさ」


※※※
 前章でやらかしたエピソード。
 「水たまりでお風呂~」が正解です。( ̄▽ ̄;)
 真っ白な猫のヌイグルミを真っ黒にしちゃいました。
 綺麗になると思ったんですかねぇ。子供の頃の自分に聞いてみたいわ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

【完結】ルイーズの献身~世話焼き令嬢は婚約者に見切りをつけて完璧侍女を目指します!~

青依香伽
恋愛
ルイーズは婚約者を幼少の頃から家族のように大切に思っていた そこに男女の情はなかったが、将来的には伴侶になるのだからとルイーズなりに尽くしてきた しかし彼にとってルイーズの献身は余計なお世話でしかなかったのだろう 婚約者の裏切りにより人生の転換期を迎えるルイーズ 婚約者との別れを選択したルイーズは完璧な侍女になることができるのか この物語は様々な人たちとの出会いによって、成長していく女の子のお話 *更新は不定期です

後宮の偽物~冷遇妃は皇宮の秘密を暴く~

山咲黒
キャラ文芸
偽物妃×偽物皇帝 大切な人のため、最強の二人が後宮で華麗に暗躍する! 「娘娘(でんか)! どうかお許しください!」 今日もまた、苑祺宮(えんきぐう)で女官の懇願の声が響いた。 苑祺宮の主人の名は、貴妃・高良嫣。皇帝の寵愛を失いながらも皇宮から畏れられる彼女には、何に代えても守りたい存在と一つの秘密があった。 守りたい存在は、息子である第二皇子啓轅だ。 そして秘密とは、本物の貴妃は既に亡くなっている、ということ。 ある時彼女は、忘れ去られた宮で一人の男に遭遇する。目を見張るほど美しい顔立ちを持ったその男は、傲慢なまでの強引さで、後宮に渦巻く陰謀の中に貴妃を引き摺り込もうとする——。 「この二年間、私は啓轅を守る盾でした」 「お前という剣を、俺が、折れて砕けて鉄屑になるまで使い倒してやろう」 3月4日まで随時に3章まで更新、それ以降は毎日8時と18時に更新します。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

土御門十二神〜赤の章〜

猫又
キャラ文芸
 土御門桜子は皇城学園中等部に通う三年生 十五歳。桜子は二百年前に存在した再生の見鬼、桜姫様の生まれ変わりである。現在では土御門本家では戦力外とされており悪霊の類いとは無縁な生活を送っていた。ある日、学園にやってきた超美形の転校生、赤狼。その本性は妖体の狼で土御門家に仕える式神十二神の中でも強力な筆頭式神だった。担任教師の魂が抜かれるという謎の事件を目撃した桜子は赤狼とともにその事件の謎を追う。

貧乏冒険者で底辺配信者の生きる希望もないおっさんバズる~庭のFランク(実際はSSSランク)ダンジョンで活動すること15年、最強になりました~

喰寝丸太
ファンタジー
おっさんは経済的に、そして冒険者としても底辺だった。 庭にダンジョンができたが最初のザコがスライムということでFランクダンジョン認定された。 そして18年。 おっさんの実力が白日の下に。 FランクダンジョンはSSSランクだった。 最初のザコ敵はアイアンスライム。 特徴は大量の経験値を持っていて硬い、そして逃げる。 追い詰められると不壊と言われるダンジョンの壁すら溶かす酸を出す。 そんなダンジョンでの15年の月日はおっさんを最強にさせた。 世間から隠されていた最強の化け物がいま世に出る。

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

処理中です...