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 ホエル号の中かと思った。


 しかし、よくあたりを見わたしてみると、ホエル号とはまた違う船だとわかった。


 たとえば天井を通っているパイプの配置だとか、2階の居住部屋に上がるための階段の配置とかが、微妙に違う。
 そしてもちろん、ロロムクの余命を刻む砂時計もない。
 しかし逆に言うと、その程度の違いしかない。


『パパっ』
 と、少女が船のなかを走っていた。


 ブロンドの髪。碧眼。肌の白い少女。ロロナロかと思った。
 違う。
 ロロナロではなく、これはロロムクなのだろう。


 たしか事故があったのは、4年前だと聞いている。だとすると、今見えているのは、4年前のロロムクということだ。
 当然と言うべきか、ロロナロによく似ている。


 ロロムクの元気な姿は、俺をすこし感動させた。俺の知ってるロロムクはもう、ベッドから起き上がれない。


『見ろ。ほかの文字拾いの船だ』
 と、男が言った。


 熊のような男だ。
 この人が、ロロムクの父親ということになるのだろう。


『ほかの文字拾いたちも、本を探しているのね』


『しかし妙だ。まっすぐこっちに向かってくる。故障でもしているのかもしれん』


 事故の詳細。
 たしか、ほかの文字拾いの船と接触して、船外に放り出されたと聞いている。正面から近づいてくるあの船と衝突したのかもしれない。


 この2人を助け出すためには、どうすれば良いんだろうか。
 今の俺に出来ること――。


『おーい。前方から船が近づいてきてる。回避してくれ』
 承知しました、と船が答える。


 この船も、ホエル号と同じく、自然言語で操縦できるようだ。なら、このまま避けることが出来るんじゃないかと思った。
 いや。
 事故は実際に起こっているのだ。
 避けることが出来ると思っていたから、2人は事故にあったのだろう。


 2人は船外に放り出されたと聞いている。なら、放り出されても大丈夫なようにしていれば良い。


 2人に宇宙スーツを着せれば良いのだ。
 しかしどうやって着せる?
 とにかく気づいてもらわなくてはならない。


 出入口近くにハンガーがあり、宇宙スーツはそれに引っかかっていた。
 俺は2着の宇宙スーツを揺らして見せた。
 しかし、それだけでは気づいてもらえなかった。


 俺は思い切って、目の前にいたロロムクの肩を叩いた。


『パパ。今、誰かが私の肩を触ったみたい』


『そんなはずないよ。船には2人しかいないんだから』


『うん。そうなんだけど……』


 ロロムクが俺がいる方向に振り向いた。俺はすかさず、宇宙スーツを揺らして見せた。


『パパ。見て。宇宙スーツが勝手に揺れてるわ』


『本当だな。事故の危険性があるから、いちおう着ておくか』


『わかった』
 と、2人は宇宙スーツを着込んでいた。


 瞬間。
 正面から向かってくる船と、ロロムクたちの船が衝突した。避けたつもりが、側面をわずかに擦ったらしい。
 その拍子に、船の正面窓が割れていた。


『しまった! 環境操作システムが破損したのか!』
 と、ロロムクの父親がそう言って、ロロムクのことを抱き寄せていた。


 船のなかの空気が、外に流れ出して行く。それを見ていた俺もまた、身体を持って行かれた。


 ロロムクと父親。それから俺の3人は、船の外に放り出されることになった。身体が放り出されて、何度か地面に転がった。それと同時に地面の砂粒が舞い上がる。


 宇宙スーツを着ている2人は、地面に着陸できていた。しかし俺は宇宙スーツを着ていなかったため、身体が軽かった。周囲の砂粒といっしょに身体が浮き上がる。


「あ……」


 前からロロムクに口酸っぱく言われていたことを思い出した。
 宇宙スーツを着ずに外に出たら、寒すぎて、血が沸騰したあげく、遺伝子レベルで粉々になる、と。


 俺の肉体が朽ちて行くのがわかる。
 まあ、構わないか、と思った。


 ロロムクが助かるということは、俺が生まれて来ないということだ。ロロムクは前にそう言っていた。いずれにせよ、俺の命は続かない。覚悟していたことだ。だから、ここで死んでもべつに悔いはない。


 思い残すことだって、俺にはたいして何もないのだ。
 文字拾いとして、ロロムクといっしょに、もう少しだけ旅をしたかった。そんな気持ちもなくはない。
 でも、復元体がそんなことを望むのおこがましい。
 ロロムクは、助かりたいと思って、俺を生み出したのだ。なら、俺はロロムクを助けて潔く散るべきなのだ。


 いや。そうじゃないな。
 俺がロロムクを助けたいと思った。それで充分だ。


 衝突した相手の船からも、宇宙スーツを着た人たちが降りてきて、ロロムクと父親に近づいていた。


 これで2人は助かるのだろう。
 2人は保護され、連れられて行く。
 俺を遺して。


 最後にロロムクが振り返ってくれないかなと思った。俺のことを覚えていて欲しい。そんな欲望が不意に生まれた。
 でも、ロロムクは俺のことを気づかずに立ち去って行った。


 ロロムクが無事な世界線。そこでは俺は生まれて来ない。誰も俺のことを覚えていない。生まれても来ないのだから当然だ。じゃあ俺がロロムクと旅をした時間はなんだったんだろうな、と思う。


 夢、みたいなものか。
 はじめから、ありもしない旅。


 宇宙の果てにて、人間ですらない生物の見た夢だ。


『エピローグ』


 ホエル号。
 船のなか。ロロムクは目を覚ました。


 ベッドのとなりには、丸窓がついている。外。灰色の大地が見える。星89M-410番。惑星フォガルである。
 となりのベッドを見つめる。ロロムクの父親のベッドがあった。


「おう。起きたか」
 と、父親が言う。
 父はすでに目を覚ましていたようだ。


「おはよう。パパ。なんだか不思議な夢を見ていた気がするわ」


「どんな夢だ?」


「うまく思い出せないわ」


 とても重要な意味がある夢だったような気がした。でも、夢が重要であるはずがない。そう思って、ロロムクは思い出すことをやめた。


「ロロムクが寝てるあいだに、1冊。本の反応があったんだ。それを取ってきた」


「反応があったら、私も起こしてって言ったのに」


「いや。悪い悪い。あんまりにもぐっすり眠っていたものだからな」


「それで、今回はどんな本だったの?」


「まだ読んでないよ。装丁はほかの本と同じようなものだった。ただちょっと厚みがある」


 これがそうだ、と父はロロムクに本を渡してきた。
 たしかに厚い。
 片手では受け取れそうになかった。ロロムクはそれを両手で受け取った。


 自分の両手が、自分自身の両手であることに違和感があった。本を受けとり、それをエンドテーブルの上に置いた。


 自分の身体の輪郭をたしかめるように撫でまわしてみる。


「どうかしたか?」
 と、父が怪訝な表情で尋ねてきた。


「ううん。何でもない。ただ、なんだかちょっと変な感じがあっただけ。自分の身体が何も異常がないなんて変な感じで」


「なに言ってるんだ? ロロムクはたいして病気になったこともないし、アレルギーだってないぞ」


「うん。そのはずなんだけど」


「それより、そろそろ都市のほうに戻らなくちゃな。母さんに渡す本が貯まって来てる」
 と、父は居住部屋に積み上げられた本のほうを見て肩をすくめた。


 ロロムクの父親は文字拾いとして、魔術師たちの遺した本を集めている。
 そして母親は宇宙図書館の館長として、その本の管理を担当していた。


「そうね。でも、今回見つけた本はまだ渡せないわ。紙のまま読みたいから」


「わかってるよ。とりあえず船を都市に戻すよ」


「うん」


 ホエル号に指示を出す。ホエル号は進行方向を変更した。そのあいだに、ロロムクは父が取って来てくれた本の表紙を開けた。今回の本は、何か特別な物語である気がした。


 表紙。
 裏には髪の毛がはさまっていた。
 黒い髪の毛だ。


「ねえ。パパ。髪の毛がはさまってるわ」


「髪の毛? 俺かロロムクのじゃないか?」


「ううん。私はブロンドだし、パパは赤毛でしょ。でも、はさまってるのは、もっと黒いものよ」


 ロロムクは表紙の裏にはさまっていた髪の毛をつまみあげた。


「どれどれ?」
 と、父は目を凝らして、その髪の毛を見つめた。


「ね? 私たちのものじゃないでしょ」


「ふぅむ。本は魔法と呼ばれる不思議なチカラで保存されてるんだが、その本にはさまっていたとなると、もしかするとかつてこの地に存在していた魔術師の髪の毛かもしれんなぁ」
 と、父は神妙な表情で言った。


「もし、そうなら、この髪の毛から、細胞を培養すれば、魔術師が復元できるんじゃない?」


「魔術師は地球発祥の生物ではないからな。絶対にとは限らんが、まあ、その可能性はあるかもしらん。でも、そんなこと考えるものじゃないよ」


「でも、夢があるわ。魔術師を復元できるなんて」


「ダメだ。ダメだ。もしもそれで知的な生命体が生まれてきたら、どうするんだ。いろいろと困ったことになるだろう」


「困ったこと?」
 ロロムクの質問に、父は思案気に首をひねって見せた。


「ほら、たとえば、生物を滅ぼしてやるとか、そんなことを考え出したら怖いだろ。魔術師の復元体なんか何を考えるか、わかったもんじゃないからな」


「そうね」


 たしかに、凄いことにはなりそうだ、とロロムクにもわかった。
 そもそも、人間を培養するのは禁止されている。


「でも、もし本当に魔術師の髪の毛だったなら、しかるべき機関に渡したほうが良いかもしらん」


「しかるべき機関?」


「研究に役立つだろう。きっと」


「ダメよ。これは私が持っておくことにするわ」


 ロロムクは、本にはさまっていた髪の毛を、人差し指と親指でつまんだ。
 そしてジッと見つめた。
 何億年も前に絶滅したと言われている魔術師の髪。


 会ったこともないはずの生物の髪の毛。
 なのに、その髪に対して、ロロムクはとても大きな愛情を感じた。
 風もないのに、その髪がすこし揺れたように見えた。
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