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秩序と無秩序
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「悪の親玉に、みずから会いに行くことになるとはね」
と、クロが言った。
ロジクからDMが来た翌日のことである。ノウノは、ロジクに会いに行くことにした。クロが同行してくれた。
「悪の親玉?」
「ロジカルンの総裁であるロジクは、君やエダからしてみれば、悪の親玉のようなものだろう。エルシノア嬢のことを垢BANした、張本人だ」
「まあ、そういう意味では、悪の親玉かも」
バイナリー・スクエアは、ビル群となっている。まるで立ち並んでいるサーバーみたいだ。ビルとビルのあいだには、高架道路がめぐらされている。
土方たちが、プログラミングコードをいじって道路を建造している途中らしかった。
「何か仕掛けてくるかもしれないぜ」
「うん。そうかも」
「なら、わざわざ会いに行くことはないだろ? せっかく俺とデートする約束だったのに」
と、クロは肩を落としていた。
「デートする約束なんか、してないでしょーが。気分転換に遊べば良いって話でしょ」
「ロジクに会いに行くんじゃ、気分転換にならないだろ」
と、クロは駄々をこねるように言った。
しかし本気で駄々をこねているわけではない。あえてそういう態度を装っている――ように見える。
クロの性格なのだろう。
どことなく、この状況を面白がっているようにすら見える。
「学園を出るだけでも、息抜きになるけどね」
と、ノウノはつぶやいた。
ほかのVDOOLたちの視線が、窮屈だった。学園に来たときは、楽しかったのに、今は妙に息が詰まる。300万人の重圧がかかっている。
「俺も、いちおう違法アップロードしてる身だから、あまり会いたくないんだがなぁ」
ああ、そこ右だ、とクロが道を教えてくれる。
ロジクから教えられた場所まで、クロがナビゲートしてくれている。
「私、セキュリティ会社にしょっ引かれたときに、ロジクさんに会ったのよ。でも、そんなに悪い人には見えなかったし、それに、なんだか気になる文面だったし」
君に損はさせない、と書かれていた。
付け加えられていたその一言が、気になったのだ。
「悪い人に見えないって、人は見かけによらないだろ」
「それはそうなんだけど」
ロジクという男からは、王たる威厳を感じた。変な小細工など仕掛けて来ないように見えた。しかし、それは思い違いなのだろう。実際、エルシノア嬢のことを垢BANするという悪辣なことをしているのだ。
「罠かもしれないぜ」
「うん。そのときは、むしろ好都合よ。何か違法なことを仕掛けてきたら、証拠を撮影してSNSにアップする。それがエダの望みでもあるし」
「虎穴に入らずんばってヤツか」
「なにそれ?」
「古代人のつくった言葉だよ。虎の巣に入ったら、良いことあるよ――みたいな」
「古代人の言葉って、意味不明なの多いわよね」
「論理は破綻しているほうが面白いけどな」
「そう?」
「ああ。辻褄が合ってると予測できる。予測できる物は面白くない。俺はもうこの世界にヘキエキしていてね」
と、クロは高架道路の渦巻く空を見上げた。
首を傾けたせいで、フードが脱げていた。黒い髪があらわになり、風に揺られていた。黙っていればイケメンなんだけどなぁ、とノウノはちょっとそう思った。
クロはフードをかぶりなおしていた。ノウノも空を見上げてみる。今日は曇天。空は灰色だった。
天気予報によると、午後からは雨が降るらしい。天気予報と呼ばれているが、べつに予報でも何でもない。プログラミングコード的に、午後から雨が降るように設定されているだけだ。空気は湿気をまとい、すこし重たい。
「クロは、この世界が嫌いなの?」
「飽きたんだよ。俺はもうけっこう長いからさ」
「へぇ。意外」
「意外でもないだろ。何か刺激を求めるから、違法アップロードなんかやってるわけで」
「生きている時間が長いと、やっぱり飽きてくるもんなのね」
「さあ、それは人によるんじゃないか? 俺は飽きてきたってだけだ」
「あぁ、そっか」
そういえば、生きることに執着している第1世代が、身近にいた。
「あとは、子供を残して、俺はさっさと眠りたいんだがな。しかし、せっかく子供を残すなら、優秀なほうが良い」
「あーね」
それで、クロは、優秀な意識モデルを探しているわけだ。
「まあ、でも、ここ数日はすこし面白い。君が来てくれたおかげで、学園が騒がしかったからな」
「もう少し、付き合ってもらうわよ」
「もちろん。姫を護衛する騎士として尽力させてもらうよ」
と、クロはおどけるように言った。
ロジクに招待された場所は、ビル群にあるうちの一棟だった。
玄関ホールに入ると、豪奢なシャンデリアが見えた。おそらく人工知能と思われる受付がいた。髪のない、白い立方体の顔をしたロボットだった。
「いらっしゃいませ。ロジク・ニュタリアさまが、5階フロアにてお待ちです」とのことだ。
エレベーターに乗りこんだ。本当に重力がかかっているわけでもないのに、慣性力が働いているような気がした。
エレベーターの扉が開く。薄暗い。明度が低く設定されているようだ。
薄暗い部屋のなかには、魚が泳ぎまわっていた。呼吸はできるが、まるで水槽のなかのような案配になっている。
「どう? 何か罠はありそう?」
クロはいちおう護衛として頑張ってくれているようで、ディスプレイを展開して、しきりにあたりの様子を探っている様子だった。
「いや、今のところは問題なさそうだ」
「そう」
エレベーターを降りる。バーになっていた。カウンターテーブルがあり、あたりにはサンゴが茂っている。
カウンターテーブルのスツールに腰かけているロジクの姿があった。ロジクの背後には、まるで護衛をするかのように、アルファとベェタの姿があった。「あ、二人とも、もう直ったんだ」と言うと、「ロジカルン舐めんな、ボケ」とアルファが返してきた。
「待っていたよ」
と、ロジクが言った。
アルファとベェタには席を外すように指示していた。
ノウノも、クロに席を外してもらうことにした。
アルファとベェタとクロの3人は、すこし離れたテーブル席で待っていてもらうことにした。
「かけたまえ」
と、ロジクは隣にあったスツールを引っ張り出した。
「どうも」
ロジクさんと会うときは、なぜかいつもスツールだなと思った。べつに意味はない。座高の高いスツールで、ノウノの足は床に届かなかった。スツールに足をかける場所があったので、そこに足を置いた。
「よく来てくれたね。警戒して、会ってくれないかとも思っていたが」
「私も迷いました。でも、私にとって損はない話だということなので」
「フォロワー300万のVDOOLと、こうして酒が飲めるのは光栄なことだ」
「よしてくださいよ。そんなこと思ってもないくせに。それに私、お酒は飲んだことないですよ」
「ノンアルコールもある」
「じゃあ、それいただきます」
雰囲気がおしゃれなので、ちょっと緊張する。名前はわからないが、クラシックらしき音楽が流れていた。イカの姿をしたマスターが、その長い触手を伸ばして、ノウノの前にグラスを置いた。白いドロリとした液体が注がれていた。
「海、ですか」
と、ノウノはそう尋ねた。
「そういうモチーフだ。私はよく、ここに飲みに来る」
「どうして海なんですか?」
「我々、生命の故郷だからね」
と、ノウノの質問にたいして答えになっているのかいないのか、良くわからない返答を、ロジクはした。
「私は、生まれも育ちも、バイナリー・ワールドですけど」
「惑星は水素とヘリウムからはじまり、命は海からはじまった。人は地球という惑星で生きて、宇宙に飛び立ち、仮想世界にやって来た。思えば、遠くまで来たものだ」
「はぁ」
と、ノウノは曖昧に応じた。
もしかしてロジクは酔っているのかもしれない。
ノウノのすぐ目の前を、赤い尾ひれの魚が浮かんでいた。指でつついてみると、魚はビックリしたように泳ぎ去って行った。
立体映像かとも思ったが、どうやら、人工知能が搭載されたモデルらしい。白い液体の注がれたワイングラスに口をつけてみる。甘い果実の味が口のなかに広がった。
店内に流れている音楽に、呆然と耳を傾けていた。なんの音楽なんだろうか。低いベースの音とピアノらしき音が聞こえる。ノウノが音楽に耳を傾けているのかわかったのか、「良い音楽だろう」とロジクが言った。
「ええ」
「音楽というのは良い。sin波とcos波。周波は規則的がゆえに、人を安心させる」
「ノイズミュージックとか聞くと、ちょっと変な感じしますからね」
と、ノウノは話を合わせた。
「時間の矢は、前にしか進まない。なのに、なぜか人は周期やパターンというものを好む。かつて地球は太陽の周りをまわっていた。一回転すると1年と決めていた。時計の針が一回転すると1時間。回帰することを特別視したのだ。実際には回帰していないのに、まるで回帰したかのように決めつけた。特定のリズムやパターンを、人は見出そうとする。なぜだと思うかね?」
「さあ」
音楽と同時に、波の音もわずかに聞こえる。
海だから、だろう。
この波にしても、一定のリズムがあるのだろう。
「そこに秩序があるから。人は安定と秩序を求めている。イレギュラーを好まない。そうは思わないか?」
「人によるんじゃないですか?」
ここに来るまでの道中。クロは言っていた。論理は破綻しているほうが面白い、と。安定こそが絶対の正義というわけではないだろうと思う。
ふん、とロジクは鼻を鳴らした。
笑ったのか、不満なのか、判じかねる鼻息だった。
本題に入ろう――と、ロジクはその緑色に透き通った目を、ノウノに向けてきた。
その目線を向けられたとき、ノウノは不意を突かれたような気分だった。ロジクは酔ってなどいない。酔っているフリをしているのだとわかった。
「女王戦。辞退して欲しい」
「辞退?」
「そうだ。女王に勝ちを譲ってもらいたい」
「それで私に良いことがあるんですか?」
「君をロジカルンに向か入れよう。国家技術をもってして、君のバックアップを行う」
「それは、お断りします」
ロジカルンの支援は必要ない。エダがいれば充分だ。
「君には、覚悟があるのか」
「覚悟?」
「そうだ。世界を背負う覚悟だ。君が右と言えば、世界は右を向く。君が左と言えば、世界は左を向く。もし君が、反乱を起こそうと企てることがあれば、国家は転覆する。それがこの世界におけるインフルエンサーの影響力だ」
「それは……」
ノウノは言葉に詰まった。
正直、フォロワーを抱えるのは重い。
そう思っていたところだ。
「均衡を崩すべきではない。人は安定を求めているのだ。世界は女王を中心に回っているのだ。女王を退かせてはならない」
「でも、辞退をするつもりはありません」
「彼女と同じだな」
「彼女?」
「エルシノア嬢だ。彼女に交渉を持ちかけたときにも、君と同じように断ってきた。あの魔女は、自分の実力がどこまで通用するか、試してみたい――と言っていた」
「話がそれだけなら、もう私、帰りますけど」
グラスの白い液体を飲み干した。
甘くて濃厚な液体が、ノド奥に流れ込んできた。
「望みは、ないのかね? 私のチカラならば、たいていのことは叶えられる。君は、どうしても女王と戦わなくてはならないのかね?」
「自信ないんですか? 実際に戦っても、女王が勝つかもしれないじゃないですか」
「もちろん、私は娘を信じている」
「娘?」
「もちろん実の娘ではない。でも、私は女王を娘だと思っている。ロジカルンの技術の結晶。私の知識と技術の集大成だ。解析力学と人体解剖学にもとづいたモデリングとアーマチュア計算。線形代数行列式によるニューラル・ネットワーク計算と、フロントエンドのフェッチ。あのアバターも、意識モデルも最高の逸材だ」
「なら、べつに私が辞退しなくても良いじゃないですか。女王が勝つかもしれませんし」
ロジクは目を細めて、ノウノのことを見つめた。そしてふと顔を背けて、赤い液体を飲み干した。
「私は、君が怖いのだ」
「怖い?」
「君の背後に、魔女の亡霊が見える」
慧眼と言うべきか。
やはり、エダがエルシノア嬢あることに気付いているのかもしれない。
「私、ロジカルンのVDOOLに応募したことあるんですよ」
「本当かね?」
「1次で落ちましたけどね。もしそのときに、私を採用してくれていたなら、世界は変わっていたと思います」
厭味をこめてノウノはそう言った。スツールから立ち上がる。クロを呼んで立ち去ろうとした。
「待て」
と、ロジクが呼び止めてきた。
「まだ何か?」
「大人しく君を帰すわけにはいかない」
ノウノの行く手を遮るようにアルファとベェタが立ちふさがった。
「ふぅん。やっぱり、そういう感じですか? こういう小細工はして来ない人だと思ってたんですけど」
「世界の均衡と秩序のためだ」
よりいっそう低い声音で、ロジクはそう言った。
と、クロが言った。
ロジクからDMが来た翌日のことである。ノウノは、ロジクに会いに行くことにした。クロが同行してくれた。
「悪の親玉?」
「ロジカルンの総裁であるロジクは、君やエダからしてみれば、悪の親玉のようなものだろう。エルシノア嬢のことを垢BANした、張本人だ」
「まあ、そういう意味では、悪の親玉かも」
バイナリー・スクエアは、ビル群となっている。まるで立ち並んでいるサーバーみたいだ。ビルとビルのあいだには、高架道路がめぐらされている。
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「うん。そうかも」
「なら、わざわざ会いに行くことはないだろ? せっかく俺とデートする約束だったのに」
と、クロは肩を落としていた。
「デートする約束なんか、してないでしょーが。気分転換に遊べば良いって話でしょ」
「ロジクに会いに行くんじゃ、気分転換にならないだろ」
と、クロは駄々をこねるように言った。
しかし本気で駄々をこねているわけではない。あえてそういう態度を装っている――ように見える。
クロの性格なのだろう。
どことなく、この状況を面白がっているようにすら見える。
「学園を出るだけでも、息抜きになるけどね」
と、ノウノはつぶやいた。
ほかのVDOOLたちの視線が、窮屈だった。学園に来たときは、楽しかったのに、今は妙に息が詰まる。300万人の重圧がかかっている。
「俺も、いちおう違法アップロードしてる身だから、あまり会いたくないんだがなぁ」
ああ、そこ右だ、とクロが道を教えてくれる。
ロジクから教えられた場所まで、クロがナビゲートしてくれている。
「私、セキュリティ会社にしょっ引かれたときに、ロジクさんに会ったのよ。でも、そんなに悪い人には見えなかったし、それに、なんだか気になる文面だったし」
君に損はさせない、と書かれていた。
付け加えられていたその一言が、気になったのだ。
「悪い人に見えないって、人は見かけによらないだろ」
「それはそうなんだけど」
ロジクという男からは、王たる威厳を感じた。変な小細工など仕掛けて来ないように見えた。しかし、それは思い違いなのだろう。実際、エルシノア嬢のことを垢BANするという悪辣なことをしているのだ。
「罠かもしれないぜ」
「うん。そのときは、むしろ好都合よ。何か違法なことを仕掛けてきたら、証拠を撮影してSNSにアップする。それがエダの望みでもあるし」
「虎穴に入らずんばってヤツか」
「なにそれ?」
「古代人のつくった言葉だよ。虎の巣に入ったら、良いことあるよ――みたいな」
「古代人の言葉って、意味不明なの多いわよね」
「論理は破綻しているほうが面白いけどな」
「そう?」
「ああ。辻褄が合ってると予測できる。予測できる物は面白くない。俺はもうこの世界にヘキエキしていてね」
と、クロは高架道路の渦巻く空を見上げた。
首を傾けたせいで、フードが脱げていた。黒い髪があらわになり、風に揺られていた。黙っていればイケメンなんだけどなぁ、とノウノはちょっとそう思った。
クロはフードをかぶりなおしていた。ノウノも空を見上げてみる。今日は曇天。空は灰色だった。
天気予報によると、午後からは雨が降るらしい。天気予報と呼ばれているが、べつに予報でも何でもない。プログラミングコード的に、午後から雨が降るように設定されているだけだ。空気は湿気をまとい、すこし重たい。
「クロは、この世界が嫌いなの?」
「飽きたんだよ。俺はもうけっこう長いからさ」
「へぇ。意外」
「意外でもないだろ。何か刺激を求めるから、違法アップロードなんかやってるわけで」
「生きている時間が長いと、やっぱり飽きてくるもんなのね」
「さあ、それは人によるんじゃないか? 俺は飽きてきたってだけだ」
「あぁ、そっか」
そういえば、生きることに執着している第1世代が、身近にいた。
「あとは、子供を残して、俺はさっさと眠りたいんだがな。しかし、せっかく子供を残すなら、優秀なほうが良い」
「あーね」
それで、クロは、優秀な意識モデルを探しているわけだ。
「まあ、でも、ここ数日はすこし面白い。君が来てくれたおかげで、学園が騒がしかったからな」
「もう少し、付き合ってもらうわよ」
「もちろん。姫を護衛する騎士として尽力させてもらうよ」
と、クロはおどけるように言った。
ロジクに招待された場所は、ビル群にあるうちの一棟だった。
玄関ホールに入ると、豪奢なシャンデリアが見えた。おそらく人工知能と思われる受付がいた。髪のない、白い立方体の顔をしたロボットだった。
「いらっしゃいませ。ロジク・ニュタリアさまが、5階フロアにてお待ちです」とのことだ。
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エレベーターの扉が開く。薄暗い。明度が低く設定されているようだ。
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「どう? 何か罠はありそう?」
クロはいちおう護衛として頑張ってくれているようで、ディスプレイを展開して、しきりにあたりの様子を探っている様子だった。
「いや、今のところは問題なさそうだ」
「そう」
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「待っていたよ」
と、ロジクが言った。
アルファとベェタには席を外すように指示していた。
ノウノも、クロに席を外してもらうことにした。
アルファとベェタとクロの3人は、すこし離れたテーブル席で待っていてもらうことにした。
「かけたまえ」
と、ロジクは隣にあったスツールを引っ張り出した。
「どうも」
ロジクさんと会うときは、なぜかいつもスツールだなと思った。べつに意味はない。座高の高いスツールで、ノウノの足は床に届かなかった。スツールに足をかける場所があったので、そこに足を置いた。
「よく来てくれたね。警戒して、会ってくれないかとも思っていたが」
「私も迷いました。でも、私にとって損はない話だということなので」
「フォロワー300万のVDOOLと、こうして酒が飲めるのは光栄なことだ」
「よしてくださいよ。そんなこと思ってもないくせに。それに私、お酒は飲んだことないですよ」
「ノンアルコールもある」
「じゃあ、それいただきます」
雰囲気がおしゃれなので、ちょっと緊張する。名前はわからないが、クラシックらしき音楽が流れていた。イカの姿をしたマスターが、その長い触手を伸ばして、ノウノの前にグラスを置いた。白いドロリとした液体が注がれていた。
「海、ですか」
と、ノウノはそう尋ねた。
「そういうモチーフだ。私はよく、ここに飲みに来る」
「どうして海なんですか?」
「我々、生命の故郷だからね」
と、ノウノの質問にたいして答えになっているのかいないのか、良くわからない返答を、ロジクはした。
「私は、生まれも育ちも、バイナリー・ワールドですけど」
「惑星は水素とヘリウムからはじまり、命は海からはじまった。人は地球という惑星で生きて、宇宙に飛び立ち、仮想世界にやって来た。思えば、遠くまで来たものだ」
「はぁ」
と、ノウノは曖昧に応じた。
もしかしてロジクは酔っているのかもしれない。
ノウノのすぐ目の前を、赤い尾ひれの魚が浮かんでいた。指でつついてみると、魚はビックリしたように泳ぎ去って行った。
立体映像かとも思ったが、どうやら、人工知能が搭載されたモデルらしい。白い液体の注がれたワイングラスに口をつけてみる。甘い果実の味が口のなかに広がった。
店内に流れている音楽に、呆然と耳を傾けていた。なんの音楽なんだろうか。低いベースの音とピアノらしき音が聞こえる。ノウノが音楽に耳を傾けているのかわかったのか、「良い音楽だろう」とロジクが言った。
「ええ」
「音楽というのは良い。sin波とcos波。周波は規則的がゆえに、人を安心させる」
「ノイズミュージックとか聞くと、ちょっと変な感じしますからね」
と、ノウノは話を合わせた。
「時間の矢は、前にしか進まない。なのに、なぜか人は周期やパターンというものを好む。かつて地球は太陽の周りをまわっていた。一回転すると1年と決めていた。時計の針が一回転すると1時間。回帰することを特別視したのだ。実際には回帰していないのに、まるで回帰したかのように決めつけた。特定のリズムやパターンを、人は見出そうとする。なぜだと思うかね?」
「さあ」
音楽と同時に、波の音もわずかに聞こえる。
海だから、だろう。
この波にしても、一定のリズムがあるのだろう。
「そこに秩序があるから。人は安定と秩序を求めている。イレギュラーを好まない。そうは思わないか?」
「人によるんじゃないですか?」
ここに来るまでの道中。クロは言っていた。論理は破綻しているほうが面白い、と。安定こそが絶対の正義というわけではないだろうと思う。
ふん、とロジクは鼻を鳴らした。
笑ったのか、不満なのか、判じかねる鼻息だった。
本題に入ろう――と、ロジクはその緑色に透き通った目を、ノウノに向けてきた。
その目線を向けられたとき、ノウノは不意を突かれたような気分だった。ロジクは酔ってなどいない。酔っているフリをしているのだとわかった。
「女王戦。辞退して欲しい」
「辞退?」
「そうだ。女王に勝ちを譲ってもらいたい」
「それで私に良いことがあるんですか?」
「君をロジカルンに向か入れよう。国家技術をもってして、君のバックアップを行う」
「それは、お断りします」
ロジカルンの支援は必要ない。エダがいれば充分だ。
「君には、覚悟があるのか」
「覚悟?」
「そうだ。世界を背負う覚悟だ。君が右と言えば、世界は右を向く。君が左と言えば、世界は左を向く。もし君が、反乱を起こそうと企てることがあれば、国家は転覆する。それがこの世界におけるインフルエンサーの影響力だ」
「それは……」
ノウノは言葉に詰まった。
正直、フォロワーを抱えるのは重い。
そう思っていたところだ。
「均衡を崩すべきではない。人は安定を求めているのだ。世界は女王を中心に回っているのだ。女王を退かせてはならない」
「でも、辞退をするつもりはありません」
「彼女と同じだな」
「彼女?」
「エルシノア嬢だ。彼女に交渉を持ちかけたときにも、君と同じように断ってきた。あの魔女は、自分の実力がどこまで通用するか、試してみたい――と言っていた」
「話がそれだけなら、もう私、帰りますけど」
グラスの白い液体を飲み干した。
甘くて濃厚な液体が、ノド奥に流れ込んできた。
「望みは、ないのかね? 私のチカラならば、たいていのことは叶えられる。君は、どうしても女王と戦わなくてはならないのかね?」
「自信ないんですか? 実際に戦っても、女王が勝つかもしれないじゃないですか」
「もちろん、私は娘を信じている」
「娘?」
「もちろん実の娘ではない。でも、私は女王を娘だと思っている。ロジカルンの技術の結晶。私の知識と技術の集大成だ。解析力学と人体解剖学にもとづいたモデリングとアーマチュア計算。線形代数行列式によるニューラル・ネットワーク計算と、フロントエンドのフェッチ。あのアバターも、意識モデルも最高の逸材だ」
「なら、べつに私が辞退しなくても良いじゃないですか。女王が勝つかもしれませんし」
ロジクは目を細めて、ノウノのことを見つめた。そしてふと顔を背けて、赤い液体を飲み干した。
「私は、君が怖いのだ」
「怖い?」
「君の背後に、魔女の亡霊が見える」
慧眼と言うべきか。
やはり、エダがエルシノア嬢あることに気付いているのかもしれない。
「私、ロジカルンのVDOOLに応募したことあるんですよ」
「本当かね?」
「1次で落ちましたけどね。もしそのときに、私を採用してくれていたなら、世界は変わっていたと思います」
厭味をこめてノウノはそう言った。スツールから立ち上がる。クロを呼んで立ち去ろうとした。
「待て」
と、ロジクが呼び止めてきた。
「まだ何か?」
「大人しく君を帰すわけにはいかない」
ノウノの行く手を遮るようにアルファとベェタが立ちふさがった。
「ふぅん。やっぱり、そういう感じですか? こういう小細工はして来ない人だと思ってたんですけど」
「世界の均衡と秩序のためだ」
よりいっそう低い声音で、ロジクはそう言った。
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1) このお話には、オリジナル及び架空設定を多数含みます。
2) 部隊規模(始めは中隊規模)での転移物となります。
3) チャプター3くらいまでは単一事件をいくつか描き、チャプター4くらいから単一事件を混ぜつつ、一つの大筋にだんだん乗っていく流れになっています。
4) 主人公を始めとする一部隊員キャラクターが、超常的な行動を取ります。ぶっ飛んでます。かなりなんでも有りです。
5) 小説家になろう、カクヨムにてすでに投稿済のものになりますが、そちらより一話当たり分量を多くして話数を減らす整理のし直しを行っています。

メトロポリス社へようこそ! ~「役立たずだ」とクビにされたおっさんの就職先は大企業の宇宙船を守る護衛官でした~
アンジェロ岩井
SF
「えっ、クビですか?」
中企業アナハイニム社の事務課に勤める大津修也(おおつしゅうや)は会社の都合によってクビを切られてしまう。
ろくなスキルも身に付けていない修也にとって再転職は絶望的だと思われたが、大企業『メトロポリス』からの使者が現れた。
『メトロポリス』からの使者によれば自身の商品を宇宙の植民星に運ぶ際に宇宙生物に襲われるという事態が幾度も発生しており、そのための護衛役として会社の顧問役である人工頭脳『マリア』が護衛役を務める適任者として選び出したのだという。
宇宙生物との戦いに用いるロトワングというパワードスーツには適性があり、その適性が見出されたのが大津修也だ。
大津にとっては他に就職の選択肢がなかったので『メトロポリス』からの選択肢を受けざるを得なかった。
『メトロポリス』の宇宙船に乗り込み、宇宙生物との戦いに明け暮れる中で、彼は護衛アンドロイドであるシュウジとサヤカと共に過ごし、絆を育んでいくうちに地球上にてアンドロイドが使用人としての扱いしか受けていないことを思い出す。
修也は戦いの中でアンドロイドと人間が対等な関係を築き、共存を行うことができればいいと考えたが、『メトロポリス』では修也とは対照的に人類との共存ではなく支配という名目で動き出そうとしていた。
「メジャー・インフラトン」序章2/7(僕のグランドゼロ〜マズルカの調べに乗って。少年兵の季節FIRE!FIRE!FIRE! No1. )
あおっち
SF
敵の帝国、AXISがいよいよ日本へ攻めて来たのだ。その島嶼攻撃、すなわち敵の第1次目標は対馬だった。
この序章2/7は主人公、椎葉きよしの少年時代の物語です。女子高校の修学旅行中にAXIS兵士に襲われる女子高生達。かろうじて逃げ出した少女が1人。そこで出会った少年、椎葉きよしと布村愛子、そして少女達との出会い。
パンダ隊長と少女達に名付けられたきよしの活躍はいかに!少女達の運命は!
ジャンプ血清保持者(ゼロ・スターター)椎葉きよしを助ける人々。そして、初めての恋人ジェシカ。札幌、定山渓温泉に集まった対馬島嶼防衛戦で関係を持った家族との絆のストーリー。
彼らに関連する人々の生き様を、笑いと涙で送る物語。疲れたあなたに贈る微妙なSF物語です。是非、ご覧あれ。
※加筆や修正が予告なしにあります。

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する
高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。
手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。
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