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2次選考の舞台は、学園の一区画である森全域だということだ。
技術者の協力は許可されていないということで、エダをいっしょに連れて行くことは出来なかった。
「暴れて来い」と、エダはノウノのことを送り出してくれた。エダはノウノのことを、まったく心配していない様子だった。勝てるという確信を持っているのだろう。
場所取りとして、最初に10分間与えられた。
10人のアバターは各々、森のなかに入って行く。場所取りと言われても、どこが有利だとか、どこが不利だとか、ノウノにはまったくわからない。
適当に森のなかを進んだ。端末を開けば、森のなかのマップを表示することが出来るため、遭難することはないので、その点は安心である。
不意討ちをされると困るため、なるべく視界の開けた場所にいようと決めた。森のなかには、湖があった。そのあたりには木が生えていなかった。周囲のどこから襲って来ても、対応できるだろうと思って水辺にあった岩に腰かけた。
ノウノのいるところからは、青い空を見上げることが出来た。青い空。散乱によって青いわけではない。
ただ、変数の値によって、青、と決められた空。
今日は、雲というデータは浮かんでいない。
その空に、巨大なディスプレイが投影されていた。ノウノを含めたVDOOLの名前が投影されていた。
おそらく今のこの状況は、バイナリー・ワールド全体に配信されているのだろう。どれぐらいの人が見てるんだろうか? 世界にいるほとんどの人が見ているかもしれない。そう思うと、こうして座っていても、あんまりだらしない恰好は出来ないな――と、背筋を正した。
あの日。ウサギの着ぐるみで生きていたころからは、信じられない躍進である。
魔女の手駒になる代償として、ここまで上り詰めたのだ。注目されてるなかで負けたら、フォロワー数ガン下がりやで――というベェタの言葉を思い出した。
負けるものか。せっかく手に入れた地位である。魔女のくれたチャンス。280万人のフォロワーを失ってたまるものか。
「あー」
うずうずする。
さっさとバトルしたい。
空中に浮かんでいる巨大なディスプレイに、突如――。「10」という数字が浮かび上がった。数字が数えおろされていく。カウントが「0」になる。「GO!」と表記されて、サイレンのような音が鳴った。
試合開始ということだろう。
サイレンの音とほぼ同時に、ノウノのもとに何かが飛来してきた。鉛玉。銃弾だ。ノウノはバク転をするようにして、それをかわした。
弾丸が飛んできたあたりに目を向ける。人影。どうやら、茂みのなかから、ノウノのことを狙っているらしい。
すこし遅れて2射目。ノウノの額を的確に狙った一撃。首を傾けてかわした。銃弾は、ノウノのブロンドの髪をかすめて通過してゆく。
「そこォ」
銃弾が飛来してきた場所に向かって疾駆した。
茂みのなかにいた人影が、逃げようとしていた。ノウノは茂みのなかに身を投じて、その背中に拳を叩きこんだ。少女の姿をしたアバターだ。たしか株式会社エモーションのVDOOLである。クリナと同じ企業の所属だ。
少女のアバターは間一髪でノウノの拳をかわした。ノウノの拳は地面の岩に直撃することになった。
拳が、岩を砕く。
砂塵が巻き起こり、岩片が吹き荒れた。
木の葉が舞い上がり、激しいノイズが吹き荒れた。
「ふぅん。武器とか使うのも、有りなのね」
「ありえない。私の狙撃をかわすなんて。それにこの怪力。やっぱりあなたは、エルシノア嬢……」
「よく間違えられるけど、違うわよ」
少女のアバターは、ふたたび銃を構えた。べつに火薬が使われているわけではない。あくまで物理計算によって射出されているに過ぎない武器である。ならばべつに銃の形をしている必要はない。
銃の形状をしているのは、デザインの問題だろう。トリガーに指がかかる。銃弾が射出されるよりも前に、ノウノは距離を詰めた。その銃身を蹴り上げる。銃弾が空に向かって撃ち放たれた。
少女は銃を捨てて、ナイフで斬りかかってきた。その動きのすべてが、低fpsに見えた。まるでスローモーションだ。やすやすとノウノは、少女の攻撃をかわした。
「バトルだから、ゴメン」
と、ノウノはその首を叩き折った。
少女の首が変な方向に折れ曲って、その場に倒れ伏した。
べつに死んでいるわけではない。アバターが損傷しても、意識モデルに傷がいくわけではない。損傷したアバターも、心配は要らない。
株式会社エモーション所属ということだから、たぶんそこの技術者が修理するはずだ。
空中に浮かんでいるディスプレイ。10人の名前が書かれていたが、そのうちの1つに斜線が引かれた。ノウノがいま倒した人の名前だろう。
「なるほどね」
戦闘不能に陥った者から、斜線が引かれるのだろう。
残り9人か――と思ったら、いっきに2人に斜線が引かれた。知らない名前だ。
どこかで誰かがバトルをして決着がついたのだろう。
パチパチパチ……。
拍手の音が響く。
森の中。
広葉樹の幹に寄り掛かるようにして、黒猫丸ことクロがたたずんでいた。黒い手袋をはめた手を叩いていた。
「さすがは我が姫。君の処理速度は、世界のΔtを見通すか」
「でるたたいむ?」
「時間とは何だ? 当たり前に存在する物ではない。それは重力と同じように、現象のひとつに過ぎない。現実世界において言うならば、ビッグバンがもたらした現象のひとつだ。ならば、この世界は時間という概念を、どう処理しているか。それは微分の積み重ねによって計算されているのだ」
「難しい話をして、私を混乱させようって魂胆?」
「今という微分時間が、今という積分時間を構築する。その膨大な処理を、たった一人の意識モデルが行えるというのか? ありえん。それは世界に匹敵する価値。試させてもらおう。本当に我が姫が、この俺の妻にふさわしいのかどうか!」
「だから、妻になるつもりはないってば」
クロはディスプレイを出した。丸いディスプレイだった。ディスプレイからは、赤いレーザー光線が射出された。
ノウノはあわてて木の幹に姿を隠した。光線を受けた木の幹は激しいノイズを発生させて、グラフィックを歪ませていた。
本質は、おそらくクロが仕掛けていたトラップと同じものだ。クロを捕まえに旧棟に入ったときに、仕掛けられていた、あのトラップだ。しかし威力が段違いである。
「反応してみせよ。世界の速度を凌駕してみせよ。見せてくれ。君の意識モデルの神髄を! ほとばしらせよ。ニューロン計算を!」
ノウノを取り囲むようにして、丸いディスプレイが大量に現れた。ディスプレイひとつひとつの大きさは、ノウノの拳ぐらいだ。
青く明滅していたが、やがて赤くなった。光線を放とうとしているのだろう。
ノウノは木の枝に飛び移って、光線をかわした。
ディスプレイはまるで意思があるかのように、ノウノを追尾してきた。かといって、殴ってもノイズを走らせるだけである。
木の枝から枝へと飛び移り、ノウノはそのディスプレイを振り切ろうとしたが、執拗に付きまとってくる。
それどころか――。
「うわっち」
光線がすこしずつ、ノウノの動きを正確にとらえはじめている。
ノウノの足元に光線が撃ち込まれた。あやうくかわしたが、足場の木の枝が焼切れた。足場を失ったノウノは地面に落っこちた。着地地点に光線が撃ち込まれる。ノウノは跳ね起きて、その光線をかわした。
光線によって地面がえぐれて、激しい砂埃が生じた。
砂埃によって視界がかすむ。
「この俺のディスプレイは、超並列ベイズ更新によって、君の動きを予測する。動けば動くほどデータが蓄積されるぞ。さあ、この俺に見せてくれ。君のθを!」
ディスプレイを通して、クロの声が聞こえてくる。
「ったく」
厄介な男に、目をつけられたものである。
1次選考のときは、世話になったが、こんなに手のかかる男だとは思わなかった。
ノウノのような系統のタイプではない。どっちかというと、クリナみたいに頭を使うタイプなのだろう。そりゃそうだ。ロジカルンやセキュリティ会社の網をくぐって、黒猫丸として活動していたのだから。
こうして戦ってみると、クロという男の聡明さが伝わってくるようだった。
追尾してくるディスプレイが、じょじょにノウノの動きに追いついて来て、そして先回りをしようとしている。
ノウノの足跡を撃っていた光線はやがて、ノウノの足を狙いはじめ、さらには、ノウノの踏み出す先に、光線を置き撃ちしはじめている。
ノウノの動きを予測しはじめているのだ。このままではいずれ、ノウノはその光線に直撃することになる。
ディスプレイへの攻撃は、意味をなさない。
ならば――。
クロ本人を叩くべきだろう。
「1次のときには協力してもらったけど、悪いけどそのモデルはぶっ壊させてもらうわ」
ノウノのことを見つめていたクロへと距離を詰めた。
「むろん。手加減されては困る。しかし、ここまで辿り着けるかな?」
直線距離で考えるならおおよそ30メートルもない。
しかし、その30メートルが長い。
追尾するディスプレイが、ノウノの行く手をはばむように光線を放ってくる。
「熱っ」
光線が頬をかすめた。
ふふっ、と黒猫丸がフードの奥で笑みを漏らした。
「驚くべき数値だよ。実際、姫がエルシノア嬢なのかどうか、ハッキリとしたことはわからない。だが、ひとつ言える。姫の数値はあのエルシノア嬢に匹敵する」
「そりゃどうも」
「しかし、ここまでだ。姫のデータは出そろった。一歩でも動いてみろ。統計予測によって確実に姫の脳天を貫くことになる」
「へえ」
ノウノのことを取り囲むように、拳ほどの大きさのディスプレイが、ふわふわと浮かんでいる。
脅しではない。
たしかに、そろそろ追いつかれそうな気がしている。
風が吹く。
あたりの葉っぱが、衣擦れのような音を奏でた。
「そのモデルを修復するのは、困難なものがあるだろう。どうだろう? この俺と結婚すると承諾してくれれば、降参してやっても良い」
「なにそれ? 取引ってこと?」
「俺が欲しいのは、姫の意識モデルであって、バトルの勝利ではないからね」
すこし、迷った。
が――。
エダの言葉をふと思い出した。
ヴェンヴ学園に登録したときのことだ。『アバターの精度は間違いない。なにせ、あのエルシノア嬢の改良版じゃからな。吾輩のアバターを上手く使えなったら、吾輩だってオヌシに文句を言うからな』と。
このアバターに、敗北は許されない。あとはノウノの問題である。
「悪いけど、そんなダサい勝利に興味はないわ」
「残念。この光線によって破損すると、修理に時間がかかるぜ」
「上等!」
ノウノは1歩、踏み出した。ノウノの動きを予測したディスプレイが、赤く光る。光線の準備だ。
人間の脳も感情も魂も芸術も宇宙も、すべては数学によって説明できる。
数式は世界を記述して、未来を予測する。
だが、それが何だというのか。
思い出す。
エダと出会う直前のことだ。
株式会社のエモーションの1次選考も、今と似たようなものだった。たしか、あのときはドローンによる光線だった。あのときとそう大差はない。
いや。
いつだってそうだ。
ノウノは、見えて、いるのだ。
予測がなんだというのか。
ノウノのまわりに浮かんでいるディスプレイの数をかぞえる。
全部で12。
12のディスプレイから、光線が撃ち放たれる。
光線は予測先に撃たれるのだから、見てから躱せば良いだけの話だ。
右手を地面について、側転。股のあいだを光線が抜けていく。
広葉樹の木の枝をつかんで、空中に舞い上がる。2射目、3射目と躱す。
ウサギの着ぐるみのアバターとは違う。ノウノの動きに身体が追い付いてきてくれる。
あっという間に、クロとの距離を詰めることが出来た。間合いに入っている。拳を突き出す。いや。突き出そうとしたときだ。クロは両手をあげて降参の恰好をした。周りに浮かんでいたディスプレイが、シャットダウンしていた。
「素晴らしい。俺の負けだ」
と、クロはそう宣言した。
空中に浮かんでいた巨大なディスプレイ。クロの名前に斜線が引かれた。
「なに? これからが良いところなんじゃない」
「悪いけど、直接やりあっても、俺じゃあ、勝ち目はないからさ。それにしても素晴らしい。統計予測なんて君の反応速度の前には、無意味だったわけだ。やはり俺は君とのあいだに子供を作りたい」
「もうちょっと遠回しな言い方は出来ないわけ?」
ふふん、とクロは肩をすくめた。
「じゃあ俺は、観客のほうに回らせてもらうよ。戦いに巻き込まれるのは御免なんでね」
そう言い残すと、クロはそそくさとノウノの視界から消えて行った。
良くわからない男である。
空中の巨大ディスプレイ。
残っているのは3人だけだった。
ノウノ。
それから、アルファとベェタだ。
ノウノがクロの相手をしているあいだに、アルファとベェタが、ほかのVDOOLを駆逐したのかもしれない。
技術者の協力は許可されていないということで、エダをいっしょに連れて行くことは出来なかった。
「暴れて来い」と、エダはノウノのことを送り出してくれた。エダはノウノのことを、まったく心配していない様子だった。勝てるという確信を持っているのだろう。
場所取りとして、最初に10分間与えられた。
10人のアバターは各々、森のなかに入って行く。場所取りと言われても、どこが有利だとか、どこが不利だとか、ノウノにはまったくわからない。
適当に森のなかを進んだ。端末を開けば、森のなかのマップを表示することが出来るため、遭難することはないので、その点は安心である。
不意討ちをされると困るため、なるべく視界の開けた場所にいようと決めた。森のなかには、湖があった。そのあたりには木が生えていなかった。周囲のどこから襲って来ても、対応できるだろうと思って水辺にあった岩に腰かけた。
ノウノのいるところからは、青い空を見上げることが出来た。青い空。散乱によって青いわけではない。
ただ、変数の値によって、青、と決められた空。
今日は、雲というデータは浮かんでいない。
その空に、巨大なディスプレイが投影されていた。ノウノを含めたVDOOLの名前が投影されていた。
おそらく今のこの状況は、バイナリー・ワールド全体に配信されているのだろう。どれぐらいの人が見てるんだろうか? 世界にいるほとんどの人が見ているかもしれない。そう思うと、こうして座っていても、あんまりだらしない恰好は出来ないな――と、背筋を正した。
あの日。ウサギの着ぐるみで生きていたころからは、信じられない躍進である。
魔女の手駒になる代償として、ここまで上り詰めたのだ。注目されてるなかで負けたら、フォロワー数ガン下がりやで――というベェタの言葉を思い出した。
負けるものか。せっかく手に入れた地位である。魔女のくれたチャンス。280万人のフォロワーを失ってたまるものか。
「あー」
うずうずする。
さっさとバトルしたい。
空中に浮かんでいる巨大なディスプレイに、突如――。「10」という数字が浮かび上がった。数字が数えおろされていく。カウントが「0」になる。「GO!」と表記されて、サイレンのような音が鳴った。
試合開始ということだろう。
サイレンの音とほぼ同時に、ノウノのもとに何かが飛来してきた。鉛玉。銃弾だ。ノウノはバク転をするようにして、それをかわした。
弾丸が飛んできたあたりに目を向ける。人影。どうやら、茂みのなかから、ノウノのことを狙っているらしい。
すこし遅れて2射目。ノウノの額を的確に狙った一撃。首を傾けてかわした。銃弾は、ノウノのブロンドの髪をかすめて通過してゆく。
「そこォ」
銃弾が飛来してきた場所に向かって疾駆した。
茂みのなかにいた人影が、逃げようとしていた。ノウノは茂みのなかに身を投じて、その背中に拳を叩きこんだ。少女の姿をしたアバターだ。たしか株式会社エモーションのVDOOLである。クリナと同じ企業の所属だ。
少女のアバターは間一髪でノウノの拳をかわした。ノウノの拳は地面の岩に直撃することになった。
拳が、岩を砕く。
砂塵が巻き起こり、岩片が吹き荒れた。
木の葉が舞い上がり、激しいノイズが吹き荒れた。
「ふぅん。武器とか使うのも、有りなのね」
「ありえない。私の狙撃をかわすなんて。それにこの怪力。やっぱりあなたは、エルシノア嬢……」
「よく間違えられるけど、違うわよ」
少女のアバターは、ふたたび銃を構えた。べつに火薬が使われているわけではない。あくまで物理計算によって射出されているに過ぎない武器である。ならばべつに銃の形をしている必要はない。
銃の形状をしているのは、デザインの問題だろう。トリガーに指がかかる。銃弾が射出されるよりも前に、ノウノは距離を詰めた。その銃身を蹴り上げる。銃弾が空に向かって撃ち放たれた。
少女は銃を捨てて、ナイフで斬りかかってきた。その動きのすべてが、低fpsに見えた。まるでスローモーションだ。やすやすとノウノは、少女の攻撃をかわした。
「バトルだから、ゴメン」
と、ノウノはその首を叩き折った。
少女の首が変な方向に折れ曲って、その場に倒れ伏した。
べつに死んでいるわけではない。アバターが損傷しても、意識モデルに傷がいくわけではない。損傷したアバターも、心配は要らない。
株式会社エモーション所属ということだから、たぶんそこの技術者が修理するはずだ。
空中に浮かんでいるディスプレイ。10人の名前が書かれていたが、そのうちの1つに斜線が引かれた。ノウノがいま倒した人の名前だろう。
「なるほどね」
戦闘不能に陥った者から、斜線が引かれるのだろう。
残り9人か――と思ったら、いっきに2人に斜線が引かれた。知らない名前だ。
どこかで誰かがバトルをして決着がついたのだろう。
パチパチパチ……。
拍手の音が響く。
森の中。
広葉樹の幹に寄り掛かるようにして、黒猫丸ことクロがたたずんでいた。黒い手袋をはめた手を叩いていた。
「さすがは我が姫。君の処理速度は、世界のΔtを見通すか」
「でるたたいむ?」
「時間とは何だ? 当たり前に存在する物ではない。それは重力と同じように、現象のひとつに過ぎない。現実世界において言うならば、ビッグバンがもたらした現象のひとつだ。ならば、この世界は時間という概念を、どう処理しているか。それは微分の積み重ねによって計算されているのだ」
「難しい話をして、私を混乱させようって魂胆?」
「今という微分時間が、今という積分時間を構築する。その膨大な処理を、たった一人の意識モデルが行えるというのか? ありえん。それは世界に匹敵する価値。試させてもらおう。本当に我が姫が、この俺の妻にふさわしいのかどうか!」
「だから、妻になるつもりはないってば」
クロはディスプレイを出した。丸いディスプレイだった。ディスプレイからは、赤いレーザー光線が射出された。
ノウノはあわてて木の幹に姿を隠した。光線を受けた木の幹は激しいノイズを発生させて、グラフィックを歪ませていた。
本質は、おそらくクロが仕掛けていたトラップと同じものだ。クロを捕まえに旧棟に入ったときに、仕掛けられていた、あのトラップだ。しかし威力が段違いである。
「反応してみせよ。世界の速度を凌駕してみせよ。見せてくれ。君の意識モデルの神髄を! ほとばしらせよ。ニューロン計算を!」
ノウノを取り囲むようにして、丸いディスプレイが大量に現れた。ディスプレイひとつひとつの大きさは、ノウノの拳ぐらいだ。
青く明滅していたが、やがて赤くなった。光線を放とうとしているのだろう。
ノウノは木の枝に飛び移って、光線をかわした。
ディスプレイはまるで意思があるかのように、ノウノを追尾してきた。かといって、殴ってもノイズを走らせるだけである。
木の枝から枝へと飛び移り、ノウノはそのディスプレイを振り切ろうとしたが、執拗に付きまとってくる。
それどころか――。
「うわっち」
光線がすこしずつ、ノウノの動きを正確にとらえはじめている。
ノウノの足元に光線が撃ち込まれた。あやうくかわしたが、足場の木の枝が焼切れた。足場を失ったノウノは地面に落っこちた。着地地点に光線が撃ち込まれる。ノウノは跳ね起きて、その光線をかわした。
光線によって地面がえぐれて、激しい砂埃が生じた。
砂埃によって視界がかすむ。
「この俺のディスプレイは、超並列ベイズ更新によって、君の動きを予測する。動けば動くほどデータが蓄積されるぞ。さあ、この俺に見せてくれ。君のθを!」
ディスプレイを通して、クロの声が聞こえてくる。
「ったく」
厄介な男に、目をつけられたものである。
1次選考のときは、世話になったが、こんなに手のかかる男だとは思わなかった。
ノウノのような系統のタイプではない。どっちかというと、クリナみたいに頭を使うタイプなのだろう。そりゃそうだ。ロジカルンやセキュリティ会社の網をくぐって、黒猫丸として活動していたのだから。
こうして戦ってみると、クロという男の聡明さが伝わってくるようだった。
追尾してくるディスプレイが、じょじょにノウノの動きに追いついて来て、そして先回りをしようとしている。
ノウノの足跡を撃っていた光線はやがて、ノウノの足を狙いはじめ、さらには、ノウノの踏み出す先に、光線を置き撃ちしはじめている。
ノウノの動きを予測しはじめているのだ。このままではいずれ、ノウノはその光線に直撃することになる。
ディスプレイへの攻撃は、意味をなさない。
ならば――。
クロ本人を叩くべきだろう。
「1次のときには協力してもらったけど、悪いけどそのモデルはぶっ壊させてもらうわ」
ノウノのことを見つめていたクロへと距離を詰めた。
「むろん。手加減されては困る。しかし、ここまで辿り着けるかな?」
直線距離で考えるならおおよそ30メートルもない。
しかし、その30メートルが長い。
追尾するディスプレイが、ノウノの行く手をはばむように光線を放ってくる。
「熱っ」
光線が頬をかすめた。
ふふっ、と黒猫丸がフードの奥で笑みを漏らした。
「驚くべき数値だよ。実際、姫がエルシノア嬢なのかどうか、ハッキリとしたことはわからない。だが、ひとつ言える。姫の数値はあのエルシノア嬢に匹敵する」
「そりゃどうも」
「しかし、ここまでだ。姫のデータは出そろった。一歩でも動いてみろ。統計予測によって確実に姫の脳天を貫くことになる」
「へえ」
ノウノのことを取り囲むように、拳ほどの大きさのディスプレイが、ふわふわと浮かんでいる。
脅しではない。
たしかに、そろそろ追いつかれそうな気がしている。
風が吹く。
あたりの葉っぱが、衣擦れのような音を奏でた。
「そのモデルを修復するのは、困難なものがあるだろう。どうだろう? この俺と結婚すると承諾してくれれば、降参してやっても良い」
「なにそれ? 取引ってこと?」
「俺が欲しいのは、姫の意識モデルであって、バトルの勝利ではないからね」
すこし、迷った。
が――。
エダの言葉をふと思い出した。
ヴェンヴ学園に登録したときのことだ。『アバターの精度は間違いない。なにせ、あのエルシノア嬢の改良版じゃからな。吾輩のアバターを上手く使えなったら、吾輩だってオヌシに文句を言うからな』と。
このアバターに、敗北は許されない。あとはノウノの問題である。
「悪いけど、そんなダサい勝利に興味はないわ」
「残念。この光線によって破損すると、修理に時間がかかるぜ」
「上等!」
ノウノは1歩、踏み出した。ノウノの動きを予測したディスプレイが、赤く光る。光線の準備だ。
人間の脳も感情も魂も芸術も宇宙も、すべては数学によって説明できる。
数式は世界を記述して、未来を予測する。
だが、それが何だというのか。
思い出す。
エダと出会う直前のことだ。
株式会社のエモーションの1次選考も、今と似たようなものだった。たしか、あのときはドローンによる光線だった。あのときとそう大差はない。
いや。
いつだってそうだ。
ノウノは、見えて、いるのだ。
予測がなんだというのか。
ノウノのまわりに浮かんでいるディスプレイの数をかぞえる。
全部で12。
12のディスプレイから、光線が撃ち放たれる。
光線は予測先に撃たれるのだから、見てから躱せば良いだけの話だ。
右手を地面について、側転。股のあいだを光線が抜けていく。
広葉樹の木の枝をつかんで、空中に舞い上がる。2射目、3射目と躱す。
ウサギの着ぐるみのアバターとは違う。ノウノの動きに身体が追い付いてきてくれる。
あっという間に、クロとの距離を詰めることが出来た。間合いに入っている。拳を突き出す。いや。突き出そうとしたときだ。クロは両手をあげて降参の恰好をした。周りに浮かんでいたディスプレイが、シャットダウンしていた。
「素晴らしい。俺の負けだ」
と、クロはそう宣言した。
空中に浮かんでいた巨大なディスプレイ。クロの名前に斜線が引かれた。
「なに? これからが良いところなんじゃない」
「悪いけど、直接やりあっても、俺じゃあ、勝ち目はないからさ。それにしても素晴らしい。統計予測なんて君の反応速度の前には、無意味だったわけだ。やはり俺は君とのあいだに子供を作りたい」
「もうちょっと遠回しな言い方は出来ないわけ?」
ふふん、とクロは肩をすくめた。
「じゃあ俺は、観客のほうに回らせてもらうよ。戦いに巻き込まれるのは御免なんでね」
そう言い残すと、クロはそそくさとノウノの視界から消えて行った。
良くわからない男である。
空中の巨大ディスプレイ。
残っているのは3人だけだった。
ノウノ。
それから、アルファとベェタだ。
ノウノがクロの相手をしているあいだに、アルファとベェタが、ほかのVDOOLを駆逐したのかもしれない。
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