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第10章 決戦

第222話 勝てない相手

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「それで兄さんは何を迷ってなさっているんですか?」

「......!」

 上半身を起き上がらせたルナは窓から入る風に少しだけ髪を揺らしながら、カムイへと尋ねていく。恐らく自分が言った愚痴にも似た言葉が原因なのだろうが、どうしてそれほどまでに安心している笑みを浮かべているのか。

 カムイはすぐには答えられなかった。ただ自分の中にある悩みをルナにうち明けてもいいのか迷ったからだ。

 すると、ルナはそっとカムイの手に触れていく。冷たい手でありながら、僅かな温かさを感じさせていくように。

「私は嬉しかったですよ。兄さんが助けに来てくれたことが。相変わらずなシスコンっぷりにも安堵を覚えました」

「おいおい、お前を助けるのにシスコンという理由は余計だろ。別に俺がシスコンでなくたって妹のお前を助けるのは当然のことだったよ。けど........お前は俺を憎んではいないのか?」

「憎む? どうして?」

 ルナは本当に「何を言っているのかわからない」と感じでキョトンとした顔をする。そのことにカムイは思わず驚きが隠せなかった。

「どうしてってそりゃあ―――――――」

「兄さんが私が連れ去られるときに鬼ヶ島にいなかったことを悔いておられるのですか?」

「......まあな」

「だとしたら、そんなことは仕方ないのですよ。私が兄さんを鬼ヶ島の外へと向かわせたのですから。兄さんが悔いることは何一つありません」

「そんな訳ねぇだろが! 俺がそこにいれば何か変わったかもしれない! ルナが苦しむ必要はなかったかもしれない! あいつだって.......死ぬことはなかったかもしれない」

「グレンさんのことですか?」

 ルナの質問にカムイは答えなかった。ただただ肩を震わせるのみ。それだけで肯定しているようなものなのだが、そのことにルナは触れることはなかった。

 代わりに向ける視線は母親が子に向けるような優しい視線。自分のことをこんなにも考えてくれたことには「相変わらずのシスコンぷりだな」と思いつつも、嬉しく思っている。

「グレンさんは私を助けようと必死に戦ってくれました。きっと兄さんも聞いているようにボロボロになりながらも、愛刀の氷絶と守狩を両手に挑み続けていました」

「.......」

「知っていますか? グレンさんはどんなに相手に歯が立たなかろうと一方的にやられようと不敵な笑みだけはやめませんでした。その表情は一部の人からは戦闘狂かなにかと映ったかもしれません。ですが、私にはわかります。あれはまだ希望を宿した笑みであることを」

「希望?」

「グレンさんは戦闘中に告げてましたよ――――――――『うちにはまだ最強が残っている。その最強がいる限り俺達国は敗れない』と」

「.......!」

「その意味を兄さんなら間違えずにわかりますよね?」

 ルナは栄養失調気味で少しやせこけた頬で優しく笑みを浮かべていく。そんなルナの表情にカムイは思わず同調した笑みを浮かべる。

 カムイは少しだけ考えていた。自分がグレンと逆の立場だった時、同じことが言えるのだろうかと。結論からすれば言える。それはグレンのことは自分がよくわかっているから。

 最強が残ってくれているなら、たとえ自分がやられても最強がその仇を取ってくれる。そう信じているからこその発言であることは考えなくてもわかることだ。

 だからこそ、もし......もし同じ場所にいたならばこの現実は変わっていたのかと考えてしまう。無駄な仮の世界の話を無意味に考えてしまう。

 すると突然、ルナはカムイに向かって告げた。

「そういえば、目覚めたせいか少し汗をかいてきましたね。それに何日も同じ衣服を着ていたせいか些か臭いが気になります。ですので、タオルとお湯を用意した頂けませんか?」

「ああ、構わないぞ」

 カムイは気前よく返事をすると一度退室して、しばらくしてから入室してきた。そして、カムイの視界に移ったのは服を脱いで背中をこちらに向けるようにベッドの上で座るルナの姿であった。

 その背中はあまり血色は良くなく、痩せ細っていた。触れれば折れてしまいそうにも感じる体つきである。

 カムイは椅子に座るとタオルをお湯に濡らして搾り、ルナの背中を拭いていく。出来るだけ丁寧に。

「兄さん、少し強い」

「ああ、悪い」

 カムイはそう言われてすぐに力を緩めた。カムイ自身はあまり強く力を入れた感覚はないのだが、それはカムイの筋力がついたからか。それともルナがやせ衰えてしまっているからか。

 恐らくその両方かもしれない。だとすれば、やはりルナをこんな姿にさせた神の使徒を許すことは出来ない。

 カムイは肩甲骨から腰辺りまでゆっくりと濡れたタオルを降ろしていく。そして、もう一つの肩甲骨辺りまで拭き終わるともう一度腰を横になぞって、両脇を拭いていく。

 タオルが冷たく感じ始めると一度濡らして搾り、小さな肩から首筋にかけて拭いていく。かれこれ見なかったルナの首すじはこれほどまでに細かっただろうか。それにこの手の疑問はもはや何度目であろうか。

 首が吹き終わると両腕を伸ばしてもらい、その腕を拭き始める。するとその時、ルナはカムイに告げた。

「どうですか、兄さん。私はしっかりと生きてますよ?」

「どうしたんだ? そんな当たり前のことを聞いて」

「時に、兄さんは同じような状況に陥っているのではないですか?」

「.......!」

 ルナの唐突な確信を突くような質問にカムイは思わず拭く動作を止めた。そして、諦めたようにため息を吐くと再び拭き始める。

「ルナには全てお見通しか」

「兄さんがわかりやすすぎるんですよ。それで兄さんは何を迷っておられるんですか? まさか自分が力不足で悩んでおられるのですか?」

「エスパーか」

「兄さんのことなら。その返しをするということは図星ということなんですね?」

 ルナの口調は思っているよりも明るめであった。まるでカムイの悩みが悩みでもなんでもないかのように。そのことを怪訝に思いつつもカムイは話しを進める。

「まあ、そう言うことになるのかな。あの時は俺が鬼ヶ島にいなかったからこうなったんじゃないかって思ったけどよ、クラウンの時は俺がすぐ近くにいたというにもかかわらず何もできなかった。むしろ傷つけようとさえしていた。そんなことを考えるとさ、ルナの時も俺がいてもいなくても一緒だったんじゃないかと思えてくるんだ。さっきは未来が変わったかもしれないとかなんとか言っていたのにさ」

「でも、その矛盾する二つの言葉はどちらも兄さんの本心なんですよね?」

「.......困ったことにな。全く自分の考えすらまともに持てない男なのかと思えてしまうぜ」

「――――――なら、結果から考えてはいかがですか?」

「結果?」

 カムイは即答気味に告げたルナの言葉を思わずオウム返しで聞いた。すると、ルナは「もう片方の腕もお願いします」と告げて腕を上げると質問した。

「兄さん、時に私は今はどんな状態ですか?」

「どんな? そりゃあ、痩せ細ってて不意に力を入れてしまったら折れてしまいそうな体つきをしていて――――――」

「そう言うことじゃなくて。もっと根本的な部分で答えてください」

「根本的? 生きてるってことか?」

「そうですよ。生きているんです」

 ルナは「もう大丈夫です」と告げるとカムイにタオルを渡してもらった。そして、少し頬を赤く染めながら「反対側を向いてください」と言ってカムイに背中を向かせた。

 そして、ルナは正面を向きながらカムイに告げる。

「私は生きている。兄さんが鬼ヶ島で私が連れ去られた時にいなくても、私はこうして兄さんが助けに来てくれたことで生きているんです。生きていればいいことがあります。当然辛いこと、苦しいこともありますが、生きていることでしか出来ない経験はたくさんあります」

 ルナは正面を拭き終わるとタオルをお湯の入った桶に入れるとすぐに脱いだ服を着こんでいく。

「この場合は過程を気にするより結果論ですよ。私は辛い目にあってきました。ですが、結果的にこうして生きています。兄さんは私に再びたくさんの経験を与えてくれる機会を与えてくれたのです。それは十分に誇らしいことです。なら、兄さんは今同じような場面に遭遇してどうするんですか? 再び私のように生かすのですか? それとも――――――動かずに殺すのですか?」

「.......」

「少しズルい質問でしたね。申し訳ありません。ですが、極端な言い方をすればそう言う風な言い方になってしまいます。自分は力になれないからと助けに行かないのはその方に生きる希望を与えない、生きている喜びを伝えないということで、助けに行くのは言わずもがなです」

「ルナは俺につべこべ言わずに助けに行ってこいと言っているのか?」

「まあ、直接的な言い方をすればそうですね。そのままでは兄さんが後悔しそうですから。それに兄さんが望んでいることは何ですか? 願っていることは何ですか? それはその方が生きてまた一緒に楽しくやることではないんですか?」

「.......!」

「力不足だから、助けられる場面で敵に手も足も出なかったから、それは助けることにおいて言い訳にはなりません。それは作戦や対策でどうにかする理由です。助けるという気持ちに必要なのは『やる』か『やらない』かの二つしかありません。その二つで兄さんはどちらを選ぶんですか? 過程を考えずに、自分が見たい未来を選択してください。私は兄さんを信じています」

「はは、最後の言葉は卑怯じゃないのか?」

 カムイは苦笑いしながら振り返るとルナを見た。すると、ルナはカムイの言葉に無邪気な笑みだけを返していく。

「全く、選択肢が選択肢の意味を成してないじゃないか。それも俺に選ばせることで言葉の責任を持たせるってか?」

「さあ、どうでしょうか? 私は兄さんが思っているよりも頭はよくありませんよ。ただ兄さんの扱い方を知っているだけです」

「全く自分の妹ながら末恐ろしいことだ」

 そう言うとカムイは立ち上がる。そして、病室のドアノブへと手をかけていく。それから、振り返らずに告げた。

「そんじゃ、ルナの相応しい兄貴になってくるわ」

 カムイは病室を出るとそのドアの壁に朱里が寄り掛かっていた。朱里は「すいません。盗み聞きするつもりは無かったのですが」というので、カムイは「気にするな」とだけ返していく。

 すると、朱里は先ほどの会話を聞いて思わず告げた。

「ルナさんはなんというか強かですね」

「全くだ。昔っからそうだから、敵いやしねぇ」

「ふふっ、カムイさんにも最高な人はいるんですね」

「そうだな。最高だ」

 そう言うと二人は明るい口調で話しながら歩き始めた。また希望の光が増えた瞬間であった。
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