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第9章 道化師は堕ちる

第195話 道化の原点#11

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 仁はその場で寝転がると溜まった疲れや緊張とともに熱い息を吐いた。感覚としてはまるでラスボスを倒した気分だ。

「いちっ!」

 仁は両手から痛みを感じる。思わず両手を見ると血がダラーっと手首を流れ落ちていて、手のひらなんかは真っ赤である。

 そのこと仁は苦笑いしながらもスティナを救えたことにはどこか姫を守った騎士のような達成感があった。まあ、スティナは聖女でもあるが、この国の姫でもあるのであながち間違っていないだろうけど。

 仁はなんとか体を起こしていくと出来る限り手のひらを他に触れないようにしながら立ち上がっていく。そしてすぐに、未だ寝ているスティナの方へと歩き出した。

 正直、今のスティナの寝ている姿には不安がある。というのも、余裕がなかったためあまりわからないが、戦いが終わった今でも全く動き出す気配が無いのだ。

 あの時の<天罰>はギリギリスティナに当たっていないような気がする。あくまで、気がするので当たっていたら、聖女殺しの勇者となり処罰は必須。一生懸命戦って罪を背負って死ぬとか嫌すぎる。

 「無事でいろ無事でいろ」と仁は擦り合わせられない手を空で擦り合わせながら、願うようにブツブツと呟いていく。

 そして、スティナのもとへとやってくるとスティナは目をギュッと瞑ったまま、その目に合わせるように口も堅く閉じたまま一直線に寝そべっていた。

 その姿はまるでエジプトのミイラのようでそのおかしさに仁は思わず笑いが込み上げてくる。すると、その声を聞くとスティナはパチッと目を覚ました。

「じ.......んさん?」

「ああ、そうだよ。大丈夫?」

 スティナは目を覚ますとまだ不安げな様子で聞いてくる。そんなスティナに仁は明るい笑顔を見せながら、起こそうと手を差し伸べるがすぐにひっこめた。

 それは自分の手が血で染まっているからだ。本来なら、これだけの量をしかも両手から流れ出ている光景を見れば卒倒してもおかしくないのだが、それでもこうして立っていられるというのはやはり慣れなのだろうか。

 はたまた未だ体が興奮気味なのか。恐らく後者だろうが、それは今はありがたいことだ。やはり女の子の前では恰好つけたいものだし。とはいえ、これだけの出血では恰好つけるどころの話でなくなるかもしれないが。

 仁は自分の袖に手を引っ込めて、袖でスティナの手を掴もうとするとその前にスティナに手を掴まれた。そのことに仁は思わず驚く。

「待って、汚いから! それに汚れたら困るし――――――」

「私を救ってくれたこの手のどこが汚らわしいというのですか? 少なくとも私は仁さんの血を見てもそうは思いませんよ。それに私の服のことは気になさらないでください。私が死んでしまってはもう二度とこの服は着れないのですから」

「.......」

 仁は思わず押し黙る。スティナがそう思っているのならそう思うことにした方が良いのかもしれない。ただスティナの来ている純白な修道服を落ちた自分の血で点々と赤いシミを作ってしまっていることには罪悪感を感じているけれど。

「そんな事よりも早くその手を止血しなければ!」

 スティナはそう言うとすぐに自分の袖に手をかけた。そして、その袖を引きちぎると右手を止血するように縛っていく。さらに反対側の袖も同じように千切ると左手も。

 仁はその思いっ切ったような行動に思わず目を白黒させた。すると、スティナはそんな仁を見てさもありなんと答えていく。

「ああ、大丈夫ですよ。もともとこういう仕様なんです。怪我をしている人がいて、手元にハンカチとかがない時に自分の袖を使って止血するという。まあ、あまり衛生的ではないので、基本的にはその場しのぎという形になりますけど」

「へ、へぇ~、そっか。ありがとう、治療してくれて」

「当然なことですよ! ですが、どういたしまして」

 スティナは赤みがかった頬で笑ってみせる。その笑顔は仁がこれまで見てきたもので一番の笑顔だと思った。

「やっぱり、そっちの方が良いかもね。ちゃんと笑ってる」

「.......気づいていらっしゃったのですね」

 仁の言葉にスティナはさらに嬉しそうに口角を上げながらも、なんだか恥ずかしそうに顔をうつむかせていく。

 その表情に思わず当てられた仁は同調するように火照った顔の熱を冷ますように手で仰ぎながら、ふと周囲を見た。

 そして、すぐに目に入ってきたのは先ほどから視界に入っていたお墓だ。そのお墓はまるで神聖なものが眠っているかのように優しい日の光で照らされている。

 その墓の一か所だけ別の場所のようであった。ここには善も悪もなく、ただ等しく平等であるかのように。つまりは幻想的で、「言葉で表すには難しい」と仁は感じた。

「――――――そこはお母様のお墓なんです」

 するとその時、背後からスティナの言葉聞こえてくる。そのこと仁は思わず振り返ると立ちがっていたスティナがゆっくりと仁の傍に歩み寄る。

「仁さんは私がどうしてここにいるのか疑問に思いませんでしたか? その疑問がここにあるのです」

「お墓に? お墓参りとか?」

「簡単に言うとそうですね。頻繁に来ると言わけではありませんが、毎月お母様の命日にここに来てはこうしてお話しに来ているのです」

「護衛はどうしたの?」

 仁はすぐに気になった点を質問した。スティナが聖女であるということは今や仲間でも周知の事実。それは聖騎士や魔術師なら以ての外だろう。

 それにスティナが生まれる前からの古参の従者だっていてもおかしくないはずだ。そうすれば、危うく死にかけるという体験をしなかったはずだ。

 だが、スティナはそれをしなかった。しかも、他の人達が指導という形でいない今を狙って。その質問に対し、スティナは誠実に答えていく。

「それはあくまで前置きなんですよ。本当はお母様が恋しくて、甘えたくて、これまで頑張った分弱った姿をここではしてもいいということにしているのです。まあ、要するに見られたくないのですよ。それにどんなに私が無防備でもここには魔物が来ませんから」

 そう言われると確かにそうだ。そのお墓を見た瞬間、心を丸裸にされたように恥も疲れも何もかも吹き飛んでいる。もちろん、痛みも感じない。

 仁の流した血の臭いから他の魔物が来てもおかしくない。にもかかわらず、その気配をこの場から感じることもない。

「これがお母様の力なんです。その当時はあまりわかりませんでしたが、今ならなんとなく想像が尽きます」

「そっか。それは良かったね」

 仁はスティナの言葉に深く追求しようとはせず、共感するような言葉だけ伝えた。それは単純で他人の自分が干渉する範囲ではないと思ったからだ。

 だが、その端的な言葉が静かにスティナの心を揺らしていることに仁は気づくことはなかった。すると、スティナは前で組んだ手を少し強く握ると赤らめた頬で仁へと告げた。

「仁さん! す、少し時間はごごございますでしょうか!!」

********************************************************
「――――――ということがあったんです」

「へぇ~、それは凄いね。僕にも出来るかな?」

「仁さんならすぐにできるかもしれませんよ?」

 スティナから提案された後、仁はスティナの話を近くの倒れている木に座りながらしていた。そして、少し離れた所にあるお墓を見つめながら、基本的に聞き役に徹していた。

 その時のスティナの表情はいつもの営業スマイルのような感じとは違い、雪姫や朱里といった仲の良い人物達と話すような絵がをしていた。

 つまりは同年齢らしい、可愛らしい笑顔だということだ。そんな表情に仁は跳び上がりそうな心臓を押さえるようずっと耐えていた。ここに実は聞き役に徹していたという理由があったりする。

「ところで、仁さん。何かお困りごとはありませんか?」

「え?」

 その言葉に仁は思わず驚く。今までずっと楽しそうに母との思い出を話していたかと思いきや自分のことを聞いてきたのだから。

「どうしてそう思うの?」

「私はこれまで聖女の仕事として幼い時から多くの人と接してきたのです。ですから、その人と話せば、悩みがあるかどうかぐらいはすぐに見分けられるんです」

「そうなのか」

「もし何かあれば遠慮なく話してみてください。聖女として、一人の私として何かお助けできることがあるかもしれません」

「.......実は――――――」

 そう言うと仁はおもむろにスティナへと話し始めた。それは彰に言われたことに関してだ。正直なところ、全く嘘とは思えないが、それでもどうして彰がそういうのか疑問に思うところがあった。

 だから、スティナに聞いてどういう意見が帰ってくるのか知りたくなったのだ。もちろん、それでどっちの意見の方が正しいと決めるつもりは無いが。

 すると、スティナは仁の独白を聞くと告げていく。

「これは自分の意見としてですが、仁さんはやはり前みたいに役に立っていると思いますよ。仲良くさせてもらっている雪姫さんからも良くお話を聞かせてもらいます。心配の声もですが」

「ああ、うん.......」

「ですが、雪姫さんは終始笑顔であったことは変わりません。それはひとえに仁さんの存在があるからだと思います。それにそれは響さんであっても変わりませんでした」

「響も?」

「少しひいき目になってしまいまずが、やはり勇者の存在はこの国の、戦いの要ですから、他の人よりも調子を尋ねに行く機会が多いのです。その時も、響さんは元世界での仁さんとの思い出を語ってくれていましたよ」

「.......そうなのか」

 スティナの意見が全く正しいとは思わないが、それでも彰よりも付き合いは長く、聖女という説得力もあってか気持ちはストンと落ちていく。

 すると、スティナはおもむろに仁の手に自身の手を重ねると少しだけ距離を縮めた。赤らめた顔がクラウンの体温を急激に上げていき、揺れる髪の優しい香りから緊張がほぐされていく。

「仁さんは自信がないのです。『自信』とは『自身』であり、『自信がない』ということは『自身がない』のです。仁さんは自分の意志で役に立つことを決めたのではないのですか? その『じしん』はどこへ行かれてしまわれたのですか?」

「!」

 仁はその言葉に思わず目を見開く。「自身がない」まさに今の自分を表しているようだ。

 響や雪姫のために、皆のために、教皇や聖騎士、魔術師達のために自分は頑張っている。だが、そのどこに自分はいるのだ?

 自分が「そうしなかればいけない」と思い込んで動いているだけではないか? 本来の自分の目的は何だった?

 自分は皆の役に立ちたい。いや、その前だ。皆ともとの世界に帰りたい。それが最初だったはずだ。

 その気持ちを持って今の自分がある。今こうして頑張っているのは自分だけじゃない。他の人もそうだ。だからこそ、自分が自分の意志で動かなければいけないんだ。

「ありがとう、スティナ。少しスッキリしたよ」

 そう言って仁はスティナの手を両手で握り返す。そのことにスティナは先ほどよりも顔を赤らめていった。

 そして、バッと立ち上がると早口で告げた。

「ど、どういたしまして! 早く治療するために教会に向かいましょう! 魔法が不得手の私でも、そこなら魔法を上手く使えますから!」

 そして、スティナはぎこちなく、されどスタスタと歩き始める。そんな姿を不思議に思いながらも仁はその後を追っていく。
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