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第8章 道化師は移ろう

第172話 滅びの記憶#4

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「旅ね......」

 リリスは現在村の中をのんびり歩いていた。というのも、それはリゼリアの言われたことを考えるためである。

 とはいえ、正直な話、してみたい気もあるがそれあくまで「気」であるだけで、「なら、するか?」と問われれば今も腕組みをして唸ってしまう。

 そもそも湖のほとりでリゼリアと話したことはこれだけじゃないのだ。実はその続きがあってそれが実に厄介だったりする。

 それはリゼリアから「旅をするなら一年後の今日あたりにして」と言われたのだ。

 これが何を意味するのかが実にわからない。当然、そう言われて理由を聞いたが明確な答えは返してくれなかった。

 リゼリアにはその一年で何か意味があるということなのか。それとも、その一年後に何かが起こるということなのか。

 その様々な理由が浮かぶその議題にリリスは頭を悩ませる。それは「旅をするか否か」という問いに対して毎回ひょっこり顔を出しては考えを乱していくからだ。

 とはいえ、幸いリゼリアからすぐに答えを聞かせてくれとかは言われていない。ただ出発する前には教えてくれということらしい。

「はあ......」

 リリスは思わずため息を漏らす。考えるたびに出てくるそれは実に悩みのタネで旅のことを考えるにしてもまともに意識を割くことが出来ない。

 それにこんなにも重たいため息を吐いているところをリゼリアに見られたら何と言われるだろうか。

 大体言われるのは「そんなんじゃ幸せが逃げてしまうわよ。ほら、吸って吸って」である。ため息一つで幸せが推し量れたら苦労しないというのに。

 そう思いつつリリスは再び考える。するとその時、リリスのところに一人の同胞の女性がやって来た。その女性は一冊の分厚い本を持っている。

「リリスちゃん、少しいいかしら?」

「はい、どうしました?」

「これを渡したくてね」

「これは......!」

 リリスが渡されたのは先ほど女性が持っていた本である。その本は昔リリスが大事そうに持っていた本に似ていて.......というか、本物ではないのか?

 リリスはその本と女性の顔を思わず見比べる。信用半分の疑い半分といった表情だ。そんなリリスに女性は笑みを浮かべながら告げる。

「それが本物かどうかを知りたいなら中身を見てみなさい。リリスちゃんのお気に入りの本なら内容見ればちゃんと思い出すでしょ?」

 リリスはそう言われるがままに本を開いて中身を見る。そして、少しだけ内容を読んでいく。

 .......そう、これだ。シンプルで少し味気なくも感じるが、勇敢な騎士が様々な強敵と戦い、撃ち倒して大切な姫を救うという胸が熱くなり、心が躍る王道ストーリー。

 リリスは本を閉じると大事そうに抱える。そして、目からは熱ぼったい涙が湧き上がってくる。

「その本はね、私の友達がたまたま前の村に寄った時に見つけたらしいのよ。そして、その本を見た時、幼いリリスちゃんが大事そうに持って歩いていたのを思い出したらしくてね。数少ない若い子のためだからって拾ってきたそうなのよ」

 その言葉を聞いて増々目頭が熱くなっていく。そして、やがて体は小刻みに震え始めた。

 胸に押し寄せる熱い波のうねりはだんだんと大きくなり、やがて溢れんばかりの涙となって流れ頬の川を作っていく。

「ありがとう......ございます」

 震え声で言った精一杯の感謝の言葉。あご先から落ちた涙は本に跡を作っていくように沁み込んでいく。

「その言葉は私じゃないわよ。だから、今はいないけど戻ってきたらしっかりと伝えてあげて」

「はい、そうします!」

 ―――――スッ

 リリスが流した涙をそのままに笑顔でそう言った瞬間、前方から突風が吹き荒れた。そして同時に、ほんのわずかな銀閃のような何かが音を立てて通ったのが見えた。

 しかし、リリスはそのことを少し不思議に思いながらもあまり気にしなかった。

 基本的に曇り空の魔国大陸であり、突発的に吹いた風で流された葉っぱか何かと見間違えただけかもしれない。

「今の風、凄かったですね」

「.......」

「あのー、どうしました?」

 リリスは気を取り直して、涙を拭いながら気さくに話しかける。しかし、女性は笑顔のままで返答がなかった。

 そのことを不審に思ったリリスは背後を見てみる。何かあるのではと思ったがそうでもない。変わらず、村の人々は動いている。

 目の前にいる女性だけが不自然に固まっているのだ。少しふざけていたりするのだろうか。あまりそういうタイプじゃないが。

「ん?」

 その時、リリスはふと女性の首筋から赤い液体のようなものが噴き出ていることに気が付いた。しかし、数十秒経っても一切反応がない。

 リリスは思い切って乱れたままの髪に触れようと頭に手を伸ばした。

「もう、いい大人なんですから。すぐに髪を直さないと――――――え?」

 リリスが頭に触れた瞬間、女性の頭はもとから切り離されていたかのようにスッと首元から落ちていく。

 そして、勢いよく噴き出す赤い液体。それはまるで噴水のようでやや熱いそれが顔や体を真っ赤に染めていく。

 それから、リリスがそれを「血」であると認識する前に、その噴水越しから見える一人の男の存在に気付いてしまった。

 その瞬間、無意識に頭の中を駆け巡る残酷で凄惨な過去。そうだ......あの男は自分の母親を殺した男だ。

 目の前にある女性の体が静かにリリスの視界から消えていく。しかし、リリスはその女性の体を追うことはなく、男へと釘付けにされていた。

 そして、その黒い法衣を来た男ラズリはリリスの顔を見て思わずニヤッとさせる。

「やっと見つけたネ」

「どうして――――――」

 リリスが「ここに」と言葉を告げる前にラズリの全身がブレた。そして、気が付いた時には殺気の籠った短剣の刃がすぐ首元へと迫っていた。

 どうして? どうして!? どうしてここにこの男がいるの!? というか、この時間は一体何なの!?

 リリスは半分パニックを起こしていた。というのも、今のリリスはまるで自分も相手も時が非常にゆっくり流れているように感じているのだ。

 ただ思考だけがやたらと回る。思った言葉と過去の記憶が次々に頭の中へと駆け巡っていく。

 そして、その思考の中でリリスは落ち着こうと努めた。それから同時に、この時間を理解した。そうか......これが走馬灯なのか......。

 刃がリリスの首元へと触れると同時にラズリの振った腕が弾き飛ばされた。それから、目の前には良く見る後ろ姿があった。

 リゼリアはリリスに攻撃が通る寸前でなんとかラズリの攻撃を阻止することに成功したのだ。そして、ラズリをリリスから距離を離すように蹴りかかる。

 ラズリがその攻撃を避けて距離を取ったのを確認するとリゼリアは怒号のような声でリリスに言い放った。

「振り返らずに逃げなさい!」

「!」

 リリスは普段見せない母親の鬼気迫る表情に理解するよりも先に行動を開始していた。あの時と同じようにただ全速力で走り始める。

「知る者は一人も逃がさないネ。殺れ」

 ラズリは右腕を大きく上げるとその背後から大勢の騎士が現れた。そして、ラズリが腕を振り下ろすと同時に一斉に放たれる紅蓮の雨。

 その雨の一つ一つが当たればひとたまりもない熱量を有していて、飛んでくる勢いで空気を含みながら燃え盛っている。

 やがてその雨はリリスの視界一杯に振り落ちてくる。先ほどまでなかった明るさがこの村を照らしていき、再び全てを赤く染め上げていく。

 地面、周囲の木々、家々に着弾すると次々に燃え始める。すぐさま周囲が肌を焼くような環境へと変わっていく。

「なんで.......なんでなのよ.......」

 リリスは悔し涙を流しながら重たくなり始めた足を必死に動かした。

 自分はただ普通に暮らしていただけだ。なのにどうしてこんな目に合うのだろうか。なぜ奴らは探してまで滅ぼそうとするのか。

 理不尽だ! 不条理だ! 自分達は普通に暮らす権利すら与えてくれないということなのか!? ふざけるな!

 このままでいいのか? このままだと自分はまた同じ過去のままだ。でも、今は違う。母から教わった足技がある。これなら聖騎士にだって負けないはずだ。

 リリスは思い切って後ろを振り返った。その瞬間、強烈な風がリリスを襲う。それを防ごうと腕を掲げたりリリスはその隙間からリゼリアが猛然とした速さでかけてくるのがわかった。

「伏せなさい!」

 リリスはその心臓が止まるかのような威圧を受けて反射的にしゃがんだ。すると、近づいたリゼリアがリリスを避けるように上段蹴りをする。

「チッ、外したネ」

 背後から聞こえてくるのは敵の声。迫ってくる姿も見えないままに背後を取られていたようだ。そのことにリリスは戦慄した。

 ――――――今の自分で勝てる相手じゃない。

「精神鎖縛!」

「ぐっ」

 リゼリアは近づいた一瞬の隙を突いてラズリの胸へ手を触れさせる。そして、すぐに魔法を行使した。

 すると、ラズリの胸からハート形鍵穴が現れ、さらにその鍵穴からラズリを縛るように鎖が伸びて全身に絡みつく。

 その一つの鎖をリゼリアが持つとすぐそばにいるリリスに告げた。

「全てが終わるまで安全な所へ隠れてなさい」

 リリスは涙も拭わずにその言葉にうなづくとすぐに立ち上がって走り出す。リゼリアが伝えたのは簡単に言えば「家に籠っていろ」ということだ。

 今住んでいるリリスの家はもともとそこにあった古びた家を再利用したものだが、その家にはリゼリアが施した厳重な結界があり、それを発動させれば認識阻害が発動しバレにくくなる。

 さらに仮にバレたとしてもリゼリアの力で強化されたその家はどんなに強い騎士でも壊すことは出来ない。

 そして、リリスは家に戻ると緊急用魔法陣に魔力を流した。すると、その家は特殊な魔力の膜に包まれていく。

 それから全てが終わるまで、リリスは耳を塞ぎながら縮こまってジッとしていた。自分の無力感、弱さ、敵の憎さ、人族の恨みを募らせながら。

 僅かに聞こえていた音が聞こえなくなるとリリスは周囲を確認しながら慎重に外へと出ていく。

 リリスが村に戻って見た光景は―――――――思い出も何もない黒く焼き焦げた「異世界」だった。そのことにリリスはまともに受け止められるはずもなく、膝から崩れ落ちていく。

 流す涙も枯れ果てたように見開いた目でその光景を眺めていく。

 燃えるものがなくなって焦げた臭いがするそこは未だ近づくと火傷するのではと思うぐらい熱い場所だ。まさに焦土。何一つない。

 するとその時、リリスのところへと見たことない鳥が脚に紙束のようなものを持って飛んできた。

 そして、その鳥はリリスの目の前に紙束を落とすとそのままどこかへ飛んでいく。

 リリスは未だ放心状態でありながらも、その紙に目を通していく。そこに書かれていたのはリゼリアが唐突に旅へ出るというものだった。

 書いてあるのはそれだけで、理由は何もない。強いて言えば、急に決めたことを謝っている言葉ぐらいしかなかった。

「......いいわよ。何も教えてくれないなら、自分でやるわよ」

 リリスはその紙をクシャクシャに握りつぶすと睨んだような目で空を見た。どんよりとした雲にはさらに黒い煙が立ち昇っていく。

 そして、リリスは誓った。この村を滅ぼしたあの男に復讐して、どうして狙ったのか全てを吐かせることを。

 ただ自分の実力は目の見えて知らしめられた。だから、一年間修行してそれから旅に出よう。

 リリスは立ち上がるとその紙を破り捨てて、その村を後にした。
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