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第8章 道化師は移ろう

第169話 滅びの記憶#1

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 リリスの出生に関して特に際立ったことはない。ただ普通の家庭に生まれた少し才能に溢れた少女であっただけだ。

 リリスの両親はサキュバスの母親とインキュバスの父親。インキュバスとは基本的に女性しか生まれないサキュバスの種族の中でサキュバスの特性を引き継いだ男性のことである。

 その産まれる周期は百年に一度と呼ばれていて、強いて言うならリリスはその特別なサキュバスとの間に生まれたというだけのこと。

 百年に一人という確率で生まれるインキュバスであってもその能力は特別なものを持っているというわけではない。

 通常のサキュバスより強い淫気を体の中に宿しているというだけである。その淫気は他の種族にはなく、サキュバス特有の性質なのでその点では他の種族とは違うということだろう。

 まあ、その淫気とはただ単に生殖能力が高いとか、他の種族の男性を手玉に取りやすいといったことで戦闘面で強くなれるとかは一切ないのだが。

 なので、たとえそのインキュバスが野心に目覚めても、他の種族にケンカを売るということも当然なく、森の奥深くでゆったりと慎ましく暮らしていた。

 サキュバスの基本的な生態には魔物を狩ってその魔物に含まれるわずかな「精命」エネルギーを摂取して生きていて、その摂取量が足りなくなったり、の日に淫気が高まるので、そういった日に他の種族の男性を誑かして様々な方法で精気を食事していくのだ。

 そして、様々な年齢のサキュバスがいろいろな手段で精気を摂取していく中、リリスだけは動こうとしなかった。

 それはリリスだけが唯一しっかりとした貞操観念を抱いていたから。

 サキュバスとは淫魔だ。淫らなことをしてなんぼという種族であるためにリリスの行動を酷く不思議がる仲間も少なくなかった。

 だが、だからといって仲間が異端児のリリスを排除するということはなかった。それは同種族の仲間意識が強いためである。

 そのため、リリスの性格を不思議がるものは多かれど、それを使ってリリスをからかうぐらいには誰しもがリリスと親しかったりする。

 それに理由がもう一つあるとすれば、それは他の仲間がをしていたからだ。

 というのも、リリスには生まれつき有翼種のサキュバスであるにもかかわらず羽が生えていなかったことだ。

 それ故に、リリスは他の仲間達とは違う考え方をするのだろうと考えていた。

 リリスはただ単に母がどこからか拾ってきた人族の物語本を読んでそういう考えに至ったということを知らずに。

「リリス、また読んでるの?」

「セレン。うん、だって面白いから」

 湖のほとりでつぼみの月光花に囲まれながら本を読んでいるリリスに背後から淡い黄緑色をした髪をたなびかせるセレンが話しかけた。

 すると、リリスは読んでいる絵本を止め、頭だけをセレンの方へと向けて返答する。

「セレンも読んでみる?」

「いいの?」

 リリスはセレンへと持っていた本を渡した。その本をセレンは受け取るとリリスの隣へと座ってその本を読み始める。

 リリスはセレンが読んでいる間、ただ黙ってジッと湖を眺めていた。その湖は隙間から刺し込む太陽の僅かな光を反射して水面を輝かせていく。

 それを見るたびにリリスはため息を吐いた。「どうしてこの村はいつまでも曇っているのだろう」と。

 そう教えられたからというしかないが、その当時のリリスは本の影響からか少しだけこの大陸のことを憎く思っていた。

「面白かった!」

「でしょ?」

 しばらくして、セレンは読み終わるとその本の全体を見るように両腕を伸ばした。そして、伸ばしたままゴロンッと寝転がる。

 そのセレンの反応にリリスは興奮。これがセレンを一時的にリリスと同じ思考へと引っ張らせた瞬間であった。

「私もこういう恋愛? って言うのをしてみたいな」

「できるわよ、きっと。でも、そうなると少なくともここを出なければいけないと思うわよ」

 リリスは近くに咲いている月光花のつぼみにチョンチョンと指先を突っついて揺らしていく。一方、リリスの言葉を聞いたセレンは本でお気に入りのページを読み返しながら返答していく。

「出るのかー。なんか怖いな」

「大丈夫よ。私達はサキュバスよ? どんな種族であれ、魔物であれ従わせる力を持ってるじゃない」

 リリスは腕を組んでフフンッと鼻を鳴らす。そんなリリスの様子に本を開いた状態で胸の上へと置いたセレンがジト目で告げていく。

「確かにそうかもしれないけど、リリスが言うと全然説得力ないよ」

「うっ.......うっさいわよ。言うだけタダよ! タダ!」

「結構重要だと思うんだけどなー」

 リリスはセレンから浴びせられる容赦ない視線から逃げるように立ち上がると湖の方へと歩いて行く。

 そして、湖の岸まで辿り着くとそこで四つん這いになって鏡のようにツインテールの自身を映し出す水面を見た。

 それから、靴を脱いで足湯のようにひざ下だけを湖につけると軽くバシャバシャと脚を動かしながら、セレンへと問いかける。

「セレンはこの村から出てみたいと思ったことある?」

「この村から?」

 セレンは上体を起こすと背中の姿だけ見えるリリスへとオウム返しに聞き返した。その返答にリリスの頭が縦に振られたことがわかると自身の気持ちを告げた。

「そうだねー。憧れはあるよ。でも、私は案外村でののんびりした生活が好きだからいいかな」

「夢がないわねー。そんなんじゃ婚期とか逃すわよ? 村にも切羽詰まっている仲間だっているし」

「それだけはリリスには言われたくないかな」

 振り返ったリリスにセレンは苦笑いで返答していく。とはいえ、雰囲気は相変わらず柔らかく、気候は最悪でもどこか周りが明るく見えるような光景であった。

 するとその時、リリス達がやって来た道から大量の黒い鳥が鳴き声を上げながら飛び去っていく。

 リリスはセレンへと目配せする。その意図がわかったセレンはリリスの準備がし終わるとすぐに来た道を戻っていく。

 異形の木々を勢いよく次々と走り抜いていくと遠くに魔物が集まっている姿が見えた。本来なら、それだけで黒い鳥が反応することはない。

 その鳥が反応するのは大抵自分達以外の誰かがこの近くを通って来た誰かの時。

 ということは、魔物の近くには、魔物しか見えないということは誰かが襲われて倒れているということ。

 リリスは両手に収束させた炎の弾を作り出すとすぐにセレンへと告げた。

「セレン、人を呼んできて! 出来れば私の母さんか父さんを!」

「一人じゃ危ないよ!」

「大丈夫。こう見えても魔法は修練してるから」

「.......わかった」

 セレンは背中から羽を生やすとその羽を勢い良く羽ばたかせる。そして、空中を飛んでいくとだんだんと小さく見えていくリリスを尻目に村へと救援を呼びに行った。

 その一方で、リリスは両手にある炎の弾をまだ気づかれていない遠めの距離から狙いを定めて射出していく。

「火炎弾!」

「「キャウンッ!」」

 その火炎弾は二体の犬の魔物に当たるとそのまま軽く弾き飛ばしていく。しかし、その他はすぐにリリスへと気づき、臨戦態勢へと入っていく。

 それらの魔物から発せられる唸り声と睨みでリリスは一瞬怯むが物語で呼んだ姫のように勇気を持って耐えた。

 そして、近くに落ちていた長くて丈夫な木の枝を持つとその先を炎で燃やして松明のようにしていく。

「ああああ!」

 リリスは恐怖を押し殺すように叫び声を上げながら突撃していく。その際、木の枝をブンブンと振り回しながら。

 魔物達は火を恐れて倒れている人物から距離を取っていく。その隙を狙ってその倒れている人の前へ立つと燃やした木の枝を魔物達に向けていく。

 しかし、魔物達は木の枝を持っているリリスをそれほど脅威じゃないと感じたのか木の枝が向いてない方にいる魔物がジリジリと距離を詰めていく。

 だが、リリスとて近づけさせるわけにはいかない。近づいた方向へと木の枝を向けながら逆の手で<火炎弾>を放っていく。

 そしてその不意打ちとも言える攻撃は直撃した。だが、ダメージはさほど与えられていないのかすぐに前線に復帰し、気が付けば最初に<火炎弾>で攻撃した魔物も他の魔物と同じようにリリスを襲おうと囲っている。

 リリスの顔はその時にはすでに勇気とは程遠い恐怖で顔を歪ませていた。だが、その目は確かに死んでおらずずっと睨みつけている。

 心臓はずっとバクバクと激しく音を鳴らしながら、セレンが仲間を連れてきて戻ってくる間をどうにかして稼ごうと考えている。

 だが、リリスはまだその当時六歳だ。どんなに頑張ろとも気力、体力ともに限界に達するのは早い。むしろ、持った方だとも言える。

 そして、リリスが疲れた一瞬の気の緩みを逃さず、リリスに武器を向けらていない方の魔物達は一斉に襲いかかってきた。

 リリスはそれに気付くと木の枝を振り回しながら、恐怖で目を瞑りがらも必死で応戦する。

 その瞬間、すぐ近くから突風のような強い風を感じた。それも。そして、同時に聞こえる魔物達の声。

 リリスは何が何だかわからなかった。目を閉じているので当然といえば当然だが、それでもさっきまで後ろにいた人は倒れていたはず。

 リリスはゆっくりと目を開ける。すると、目の前に先ほど倒れていた人が目の前に立っていた。しかも、リリスが振り回していた木の枝を手で掴んで。

 すると、その人はリリスを尻目に見るようにしながら告げる。

「女の子が木の枝なんか振り回しちゃダメよ。でも、助けてくれてありとうね。あなたが稼いでくれた時間でなんとか動けるぐらいまでダメージを回復させることが出来たわ」

 その妖艶さを漂わせる女性の声はこの場の殺伐とした空気に似合わなかった。

 というよりむしろ、殺伐とした空気を塗り替えていくようでもあった。

 そして、その女性はリリスから木の枝を取ると逆の手でサッと燃えた炎を消していく。

 それから、一斉に襲いかかってきた魔物を全て蹴りで吹き飛ばした。

 どの魔物も一撃で沈み、ピクリとも動かない。そのことにリリスは思わず目を見開いた。すると、その女性はリリスに体を向けて告げる。

「改めて助けてくれてありがとう。私の名前はリゼリア。あなたは命の恩人ね」

 この時、リリスがリゼリアと出会った瞬間であった。
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