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第8章 道化師は移ろう

第167話 リゼリアが残したもの

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 リリスは手記を置くと手に持った鍵を見た。その鍵はハート形をしていて「なんとも母さんらしい」とリリスは少しだけ笑った。

「それにしても、母さんが地下室の鍵を持っているなんてね。まあ、もとよりこの家に地下があること自体知らなかったんだけどね」

 リリスはそう呟くと今度は少し呆れたようにため息を吐く。長年住んでいて上手く隠したものだ。全く気付かなかった。

 するとここでリリスは思わず疑問が思い浮かんだ。セレンはこの家を建て替えたと言っていた。となれば、地下室の存在も知っているのではないか?

 加えて「手記を読んだ」とも言っていた。となると、鍵の存在にも気づいていたのではないか? なら、セレンは一体どこまで何を知っていることになる?

 昔からの親友だ。それに性格上嘘をつくような子ではない。となれば、単純に気づかなかった可能性もあるが.......ともかく、今は地下室の鍵を使ってその場所に向かって見るのが先決か。

 リリスは家を出る際のセレンの反応も相まって少しだけ不安な気持ちでその悩みの種を頭の片隅に入れた。

 そして、書斎を離れリビングへと向かって行く。リビングでは中央に花瓶が置かれ一本の淡い輝きを放つ花が咲いているテーブルがある。

 リゼリアの言葉からすれば恐らくここに当たるだろう。そして、少しかがんでランプで照らしながら、テーブル下を覗いてみるとそこにはうっすら四角く切り込みの入った場所があった。

 本当に薄いので床の木の目の一部だと言われれば納得してしまうような感じだ。

 リリスは地下室の位置を確認できると一旦立ち上がる。そして、淡く光る花の花びらへと触っていく。

「月光花.......確か月が出ている間に咲く珍しい花だったわよね。私が家を出る時にはなかったから、恐らくセレンが置いたものなんでしょうね。それで確か、この花の花言葉は.......裏切りへの謝罪、希望への手助けって相反する言葉が揃ってたから印象深いのよね」

 リリスはそう軽く言葉にしながらもその目はあまり笑っていなかった。

 この花はどちらの意味を指しているのだろうか。セレンに対する不安がある中で前者だとすれば、セレンは何かを知って私達に何かをしようとしていることになる。

 後者であれば純粋に嬉しいことだが、だとすれば希望とは何を指し示しているのだろうか。そして、どんな手助けを施したのだろうか。

 まあ、セレンのことだ。何か意図があっておいたわけではなく、純粋にキレイだったから置いた可能性もなくはない。

 そもそも旅の経験からかすぐに疑いや裏があるのではないかと思ってしまう自分がいるので、勝手な解釈をしているだけかもしれない。

 リリスは結局根拠も何もない思考を一旦止め、これも頭の片隅に入れて机に手を付け、どかそうとする―――――その前にこの場にいるはずない誰かに向かって声をかけた。

「ねぇ、そんなにコソコソと動いてないでしっかりと姿を現わしたら?」

 リリスは紅い輝きを持つ瞳を背後へ向けると丁度正面の空間が揺らいだ。そして、その揺らぎが大きくなり始めたと同時に雪姫が姿を現わしていた。

 雪姫は静かにリリスへと聞いていく。

「いつから気づいていたの?」

「最初からよ。そもそも雪姫、あんたは尾行に向いてなさすぎ。いや、魔法があるからかもしれないけど、いくら魔法が万能視されているとはいえ、見ている視線を隠せるわけじゃない。それに認識阻害魔法のかけていたとしても気配を隠せたわけじゃないから、私が倒した魔物に群がる魔物が突然散っていったことで確信したわ」

「凄いね。それだけでバレるんだね」

「こればっかりは経験がものを言うわよ。それで? 解説はここまでにして何しについてきたの?」

 リリスは下手な小細工をせず直球で質問を投げつけた。それに対して、雪姫は少し怯んだような顔をするがすぐに返答する。

「私はただ質問しに来ただけ.......仁のことに対してね」

「そう」

 リリスはそれだけ口に出すと重力魔法でテーブルをどかし、切り込みの入った隠し板をどかした。その板の下には暗く先が見えない急な階段が続いていた。

 リリスはその階段に脚を踏み出す前に雪姫へと聞いていく。その時の気持ちはほんの気まぐれであった。

「雪姫も来る?」

「.......行く」

 リリスと雪姫はランプに照らされても、光が暗闇に吸い込まれるだけで先が見えない階段を下っていく。

 どうやらこの階段は螺旋階段らしく、すぐに自分達の居場所がどこなのか見失いそうであった。

 そして、階段を下りきった先には鉄の扉があった。その扉は南京錠で鍵がされていて、リリスは持っている鍵でその南京錠を開錠、重たい扉を雪姫と二人で押して開けていく。

 リリスがランプをかざすとそこにはいくつもの積まれた本の山があった。さらに床には様々な色をした宝石や紙くずが散乱している。

 それから、中央のテーブルにはあるところで見開きになった分厚い本と大きな紙に描かれた魔法陣があった。

 リリスと雪姫は辺りを見回しながら先に進んでいくとテーブルの上にある二つのものに目を向けた。

「この本、難しすぎて何が何だか.......読めはするんだけど専門知識がないせいでさっぱりだよ」

「そうね.......でも、この魔法陣には見覚えがあるわ」

「そうなの?」

「ええ、だってこの魔法陣は書斎にあった魔法陣と酷似しているもの。ということは、これが母さんの研究していたってこと?」

 リリスはそう確信にも似たものを感じながらも、なかなか納得できないでいた。それは肝心の「何の」魔法陣なのかわかっていないからだ。

 リゼリアが手記に鍵まで用意して残したということはこの魔法陣は自分、もしくは仲間達に関する何かだと思われる。

 しかし、何もわからない状態でこの魔法陣を使うのはあまりにも博打だろう。たとえば、この魔法陣が爆発か何かだとして、それを知らずに手元で起動させたなら.......考えたくはない。

 故に、リリスはこの魔法陣をどうすべきか考えあぐねいてた。その一方で、雪姫は見開きのページを起点として前のページや後のページに目を通して何かヒントがないか探していた。

 そして、前のページを漁っているとあるページの章タイトルまでやって来てしまった。

 そのことに雪姫は「何もヒントが得られなかった」と落ち込みつつも、ふとそのタイトルに目を通した。

 すると、そのタイトルには「魔王の始祖と古代淫魔の因果関係」と書かれてあった。その時、雪姫は「淫魔」という部分に着目する。

「ねぇ、リリスちゃん。淫魔ってこの世界ではサキュバスのことだよね?」

「ええ、そうよ。その本に淫魔について書かれていたってこと?」

「うん。見開きのページもその章に入るからもしかしたら、その魔法陣はリリスちゃんに関わることかもしれないよ」

「私に?」

 リリスはその言われてにらめっこするように再び魔法陣へと視線を見せる。これがもしサキュバスに関する何かだとすれば、存外否定できない。

 リリスの母リゼリアはずっと自分を過保護に扱っていた。それは自分の特性について。

 本来サキュバスというのは本能が淫乱だ。それは精を吸収するために特化した本能とも言えて、基本淫らと言っても過言ではない。

 そして、それは生まれてから年齢を取るにつれて特性は高まっていき、二十歳がピークである。そして、自分は十六歳なので本来なら有り余る性欲を誰かにぶつけてもおかしくないのだ。

 だが、自分は自分の性格もあり、母からもらった薬もありで今の今まで性欲を掻き立てられるような感情には襲われていない。

 もしリゼリアがリリスに何かを施すために意図的に薬を飲ませていたとしたら? ありえなくない考えだ。だとすると、狙いは何か。この魔法陣なのか?

「あ!」

「どうしたの?」

 突然、隣にいた雪姫が叫んだ。そのことにリリスはビクッとさせながらもテーブルに机を置いて、リリスへと説明していく。

「専門用語がわからなかったからね、前の文脈から推定で話を読んでいたんだけど、それでわかったのがその魔法陣が始祖返りの魔法陣かもしれないということ。あと.......」

 雪姫は今度はテーブルに置いた本をどかしていく。すると、その下の紙には「紙を裏返して」と書いてあった。

「あ」

「実は最初からあったみたいなんだよね.......」

 思わず声が漏れるリリスとそれに同じく先ほど気づいた雪姫が苦笑いしていく。

 リリスは自分が気づかなかったことに頭を抱えつつも、指示された通りに紙を裏返す。

 すると、そこには文字が書かれていた。

『この魔法陣は古代サキュバスへと変性することが出来る魔法陣。でも、それが出来るのはサキュバスの特性を帯びた多大な淫気を持つサキュバスじゃないとできないの。だから、リリスには私の方から意図的にその薬で性欲を止めさせてもらったわ。リリスの性格も相まって助かったわ』

「まさか私が摂取し続けた薬がこんな意味を持っていたなんてね」

「まだ続きがあるよ」

『でも、この魔法陣をリリスが受け取ったとしても、変身できるかどうかはまた別よ。古代サキュバスは淫気と同時に多大なる愛に溢れていたの。つまり、リリスはサキュバスとして淫気を持つ方はクリアしていても、その愛を疑わずに貫けなければ変身することは出来ないの。だけど、リリスにはどうかできるようになって欲しい。これが今のあなたを救う確かな力になるはずだから』

 もはや切実とも言えるような文章に手記に書かれていたリゼリアの姿も相まって悲しさが込み上げてくる。

 しかし、こんなところで涙を見せてなんかいられない。仲間のためにも、母さんのためにももう立ち止まってなんていられない。

 リリスはその紙を裏返すと紙に書かれた魔法陣に右手をかざす。そして、その状態で魔力を一気に注入していく。

 すると、魔法陣は鮮やかな虹色の輝きを放ちながら、魔法陣に被っているリリスの右腕も鮮やかに染め上げていく。

「うっ」

「リリスちゃん!?」

 その刹那、リリスの脳内に一気に魔法陣に刻まれた意味や効果が頭の中へと情報として流れ込んでくる。

 その膨大な量にリリスは左手で頭を掻きむしるように押さえていく。そんなリリスの丸くなった背中に手を置きながら雪姫は心配そうな視線を送る。

 それから数十秒後―――――魔法陣の輝きは消えた。

 その瞬間、リリスは脳がショートしたように意識を落として倒れていった。
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