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17 劣等感

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 エステルの中心からやや南西にある、二階建ての木造クランハウス。
 冒険者ギルドからほど近く、裏口を出るとすぐ冒険者街が広がり利便性はかなり高い。
 入り口看板には金細工で【鍋底】を象徴する丸々とした鍋模様が。可愛らしく描かれていた。

「この模様は女性のセンスだよね。まさかグラディオちんが望んで飾っているとは思えないし。金細工もお金が掛かってそう……経理を担っていたエレナちんだと、ここに金は使わない気がする。私の知らない誰かが居たんだろうな」

 看板を見上げながら、桃色髪の女戦士は常日頃からの疑問を呟く。
 【鍋底】の拠点は、Gランクとしては破格過ぎる立地と大きさがあったのだ。
 それは明らかにクランの実績と報酬に釣り合わず、維持費だけでも破産しかねない。

 彼らを応援する支援者が居るのだろうか、今のところ居場所を追い出される兆しはないが。
 嫌われ者の弱小クランが何故、今も無事に成り立っているのか。エステル七不思議の一つであり。
 【鍋底】の一員ながら、一年遅れで所属したフェールには知る由もなく、また聞いた事もなかった。
 
 ――そこに触れてはいけない空気があったからだ。
 グラディオは当然として、エレナやオルガですら口を堅く閉ざしている。

「うわっ、もう蜘蛛の巣が張ってるよ。気を抜くとこんなに早いんだ……くしゅん」

 扉を開けてすぐ、差した光を反射し埃が雪のように舞う。見せかけは綺麗だが。
 立派な建築物の内部は、床や壁、装飾、窓の縁、細かい所に埃が目立ちだしていた。
 いつも誰かが清掃していたので、気にも留めなかった。その誰かは言わずとわかるだろう。

「ずるっ……鼻水が……健康に悪いなぁ」
 
 フェールは【鍋底】を訪れるたびこう思うのだ。メイドを雇った方が良いのではないかと。
 クランハウスの内装もやたらと充実していて、いちいち高価な机や、装飾の多い照明が目立つ。
 対して【鍋底】は庶民的な思考の持ち主ばかり。こんな管理が面倒な家具を好んで置くだろうか。

 つまり謎の支援者様は、相当高貴な血筋の人物だ。上級貴族、もしくは王族だろうか。
 だとすればグラディオを含め誰も語りたがらないのも理解できる。口止めされているのだ。

 しかしながら。せっかく用意されたこの場所も、こうして汚れに塗れると悲壮感が漂う。

 この場に集まる人数も日に日に減ってきている。自主的に辞める者も現れ始めた。
 普段だったらこの時間、困窮する後輩の為にオルガが自費で料理を振る舞っていたはず。 
 店で頼むような本格的な物ではないにしろ、そこには暖かさがあった。笑顔があったのだ。

「あーあ、何で意地張って追い出しちゃうのかなぁ。こうなるって簡単に予想できるだろうに」
 
 本来落ちこぼれは、他人を気遣う余裕なんてない。誰しも自分の事で精一杯だから。
 かといって、落ちこぼれ一人では何もできないし、誰かの力を借りねば自立すら難しい。

 Gランククランという組織を維持するには、誰かが自分を捨てて、他者に尽くさねばならなかった。
 その役割を、オルガやエレナが率先して負って。だが、そのありがたみに殆どの者が気付けなかった。

 居なくなって初めてわかるのだ。自分たちは、存外に恵まれていたんだという事実を。
 でも、今さらそれがわかったとして、誰も言い出せない。どの面を下げて連れ戻せるのかと。

「そんなの、二人とも気にするような性格じゃないのにね。難しい話じゃなかったのに……」

 オルガもエレナも底なしのお人好しである。
 元殺し屋で面倒臭い人間すらも受け入れてくれた。
 これまでも、横暴なグラディオに付き合ってきたのだ。
 
 グラディオが二人に頭を下げて詫びれば終わる話を、どうしてこうも拗れるのか。
 クランリーダーという立場が、積み重ねてきた年月がプライドとして邪魔をするのか。

「――グラディオちん、もういい加減に諦めたら? 元Aランクを使って一発逆転を考えていたんだろうけど。それって上手くいくとは思えないんだよねぇ。素人の考えって奴だよ」

 フェールは暗くなった室内でたった一人、孤独に椅子に腰かける男へ語りかけていた。

 きっとこれは……長らくGランクで燻っていた彼らは知らなかったのだろうが。
 そもそもエステルに届けられる依頼は、その殆どがDランク以下のものであるのだ。
 【龍の角】自体がそういう緩い環境下であり、この街で活動するクランも最高でCランクだ。

「難しい依頼をこなせる戦力を揃えたところで、肝心の依頼が存在しないんだもん。仮に見つかったとして、どうして最初に【鍋底】に頼ると思うの? エステルには【鋼の華】があるし、依頼者だってより実績があって信頼できるクランの方へ頼むよね」

 つまり、グラディオが望んでいた元Aランクを使った逆転というのは端から破綻している。
 結局のところ、この街で活動している以上、地道に依頼の数をこなすしかなく。
 仲間を切り捨てるやり方は寧ろ、成功から遠ざかっているのだ。

 何故その事実を、元Aランクのガンツが助言しなかったのかは甚だ疑問だが。
 彼もあまりやる気がないのかもしれない。グラディオが一人で暴走しているだけで。

 そこまで考えると、フェールには目の前の男が哀れで仕方がなかった。
 誰だって成功願望がある。抑えつけられた分だけ、鬱憤を晴らそうと爆発するのだ。

 その怒りの矛先を、どうして大切な仲間に、オルガたちにぶつけてしまったのだろうか。

「……エレナはどうした。俺は連れ戻して来いと命令したはずだ!」

「冷静さに欠けた、飢えた獣が待つクランに。エレナちん一人で戻れるはずないでしょ。その時はオルガも一緒じゃないと」

「ふざ……けんな! その名前を二度と口にするな!!」

 椅子を倒す勢いで、グラディオはフェールに掴みかかる。

「……自分でもわかっている癖に。誰がクランを支えていたのか、本当はわかっていて、だけど認めたくなくて、追い出して。自分の弱さを他人のせいにしている」

 グラディオの激昂をゆらりと躱して、フェールは自分の腕を見下ろす。

「醜い嫉妬心、劣等感の塊。グラディオちんは……本当は自分が大嫌いなんだね」

「お前に、お前に俺の苦悩が理解できるものか!!」

「わかるよ。私も似たようなものだったし。決して越えられない壁が近くにあるって辛いよね」

 フェールは誰かを思い出しているのか、前髪を弄りながらここではないどこか遠い場所を見ている。
 
「アイツは、オルガは俺の欲しい物を全部奪っていくんだ。エレナも、あの方だって! 俺と同じGランクで、俺より脆弱だった男が、何故、人に、運に恵まれている!? ラングラルに一目置かれている!? おかしい、間違っている。俺は示さねばならないんだ、あの方がいつか帰ってくる場所を、何よりも優れたクランに育て上げなければ、俺はいつまでも見向きもされないままだ! 俺は……俺はアイツにだけは負けたくないんだよっ!!」

 グラディオがどうしてクランの昇格にこだわるのか。
 彼があの方と呼ぶ人物に、それだけ強い想い入れがあるのだろう。
 単純で、裏もなければありふれた理由だ。惚れた人物に振り向いて欲しいだけ。

 しかし――それは所詮個人の願望だ。本人が解決すべき問題だ。
 クランを束ねる者が、自分本意に仲間を巻き込んでいいものではない。

「そう見えているだけ。オルガにだって抱えているものがある、背負っている。自分だけが……不幸だと思うな。グラディオちんは恵まれている、恵まれていたんだ。三年間、一緒に支えてくれた誰かを、真剣に見ようともせず、それを全部自分からかなぐり捨てたんだ! くだらない嫉妬心で……最低だよ」

「黙れ黙れ、お前に俺の何がわかる! お前だって周囲の連中と同じだ! 才能と運に恵まれ、何の苦労をしらない。俺のような持たざる者の気持ちなんて、これっぽちも理解していないんだ!!」

 グラディオは傍にあった机を蹴りつけ、自分の執務室に鍵を閉め引き籠ってしまう。
 静かになった【鍋底】で、フェールは椅子にもたれかかった。汚れた天井を見上げる。

「……あーあ。柄にもなく私まで熱くなり過ぎちゃった。正直、グラディオちんがどうなろうと、私の知った事じゃないんだけど。このまま【鍋底】が衰退してなくなるのも困るし。本当に面倒臭い。いっそ、誰かこのクランを乗っ取ってくれないかなぁ」

 事前に頼まれていなければ、あんな子供のような男に話しかけようとすら思わなかった。
 もしもだ。この場にオルガが残っていれば、今のグラディオだって助けようとするんじゃないか。
 彼は誰よりも人らしくあろうとする。だから普通の人間以上に、余計な気苦労まで背負ってしまう。

「オルガが苦労を知らない? そんな訳ないよ。あの人は楽な生き方が選べるような身体じゃないんだ」
 
 【鍋底】で後輩を可愛がっていたのも、誰かの世話を焼きたがるのも。
 そうしないと不安だからだ。世界から、隣人から、拒絶される事を恐れている。

 ――自分は人造魔神の癖に、敵であるはずの神獣すら拒絶できず傍に置いているのだから。
 
「優しさ、とはまた違うんだろうね。病的なまでの脅迫概念。優しくなければ人ではないと、誰かを救わなければ人ではないと。勝手にそう思い込んでいる。そんなおとぎ話のような、理想のままで生きる人間なんて、存在しないのに」
 
 今日親しい人物が、明日は自分を殺す敵になるかもしれない。
 咎を抱えて生きるというのは、どれほどの孤独を味わうのだろうか。
 オルガは決して周囲に弱みを見せない。自分の中だけで感情を処理している。
 
 本当の自分を、正体を悟られないように、彼なりの理想の人間を演じ続けている。

 そういう生き方を誰かから強制されてきたんだろう。人の世界で生き残る為に。
 だからこそ彼を見ていると、自分の抱えている問題が酷くちっぽけに思えてしまうのだ。

「グラディオちんの気持ちも多少は理解できるよ。私だってときどき、オルガを見ていて無性に腹が立つ時があるから。あんな潔い生き方なんて普通はできないし、演技でも真似できない。どうしてあんなに強く生きられるんだろうって……」

 相手が自分にないものを、欲しいものを持っているから、羨ましく妬ましい気持ちになる。
 オルガが演じる理想の人間が、鏡となって醜い己を映し出すのだ。何故、私はこうなれないのかと。
 
 まだ二年とちょっとの付き合いしかないフェールですら、そう感じるのだ。
 クラン創設時から関わりがあるグラディオは余計に、劣等感を刺激されたのだろう。

「だけどね……それってオルガにとっても同じなんだよ。あの人は、私たちのような普通というものにいつも憧れている。――結局、お互いにないものねだりをしているだけ。グラディオちん、忘れないで。向き合うべき相手は、いつだって自分自身なんだよ……?」

 ドア越しに届かない言葉を投げて、自分の仕事は終わったとばかりに背を向ける。
 立ち直れないのであればそれで構わない。その時は【鍋底】は他の誰かに託すべきだろう。 
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