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外伝2 心配性のエゴーム

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「それではしばらくの間、お留守番を頼みましたよ。エゴーム」

「エレナもすぐ戻ってくるはずだから、俺たちが帰るまで心細くないよう一緒に居てあげてくれ」

「ワウ! ワオーーン」

 オルガとリンネが幾つかの食べ物を包装してギルドを去っていく。
 お祝いの席に参加できなかった、マイトとフェールへお裾分けに行くようだ。
 
 エレナの方は、ギルドの隣にある魔石換金所で魔石を硬貨に換えている。
 なのでガルムたちは少しの間ギルドでお留守番だ。頼られたエゴームが張り切っていた。

「わう~」

 ガルムがさっそく、賑やかな別の席へ遊びに行こうとする。
 ギルド内はまだ人が多く、好奇心旺盛なガルムは我慢できずにいたのだ。

「ワウ」

 すぐさまエゴームはダメだよと、大きな身体で立ち塞がる。
 ここでジッとしていないと、リンネに怒られるよ。怖いよと。

「うぅ~わうぅ~」

 次にサイロが、エレナがいないよ。と鳴き出した。
 匂いを辿りながら、ふらふらっと持ち場を離れようとする。

「ワウ!」

 すぐに戻ってくるよと、不安げなサイロを顔で何度も撫でる。
 それまで一緒に遊ぼうと、エゴームは伏せて、二匹を傍に引き寄せた。

「う~! わうっ!」
「わうわん!」
「ワゥ……ワウゥ」

 ガルムとサイロは、頼りになるエゴームの身体にくっついていく。
 大きな背中に登って、何度も転げ落ちながら、楽しそうにまた登っていく。
 エゴームは二匹が可愛くて可愛くて仕方がないのか、微笑みを浮かべていた。

「――おい、コイツらってオルガの犬じゃねか?」

 そんな幸せ空間を破壊する、無粋な声が突然降り注いだ。

「いやいや、狼の方じゃね?」

「どっちでも構わないだろう」

「ワウ?」

 エゴームが見上げると、柄の悪そうな男たちが揃っている。

「ここが人目の多いギルドだからって、飼い主様不在とは。随分と不用心だな?」

「おっと珍しい白い狼の子供だ。貴族に高値で売れそうだよな。オルガの野郎にはもったいねぇ」

「大人狼なんか、毛皮の需要があったりするぜ。もしくは剥製にして飾るのも悪くない」

 ニヤニヤと、意地の悪い笑みを浮かべて。
 本気かどうか疑わしい企みを声に出している。

「ワウゥ……ワウッ!!」
 
 あまり友好的な雰囲気ではないと察して。
 エゴームはちびっ子たちの壁となり、男たちを威嚇する。
 争いを好まない性格なのだが、子供を守る為なら牙だって向ける。

「おいおい、俺たちはただここで世間話をしているだけだぜ。狼の素材の有用性って奴をよ」

「飼い主様は、どうやら躾がなっていないようだな」

「ほれ、チビども。俺たちがもっといい場所に連れて行ってやろうか?」

「ワゥッ!」

 馴れ馴れしくガルムに触れようとする男の手を、エゴームは身体で拒絶する。

「おっ、やりやがったな獣風情が。人間様に逆らうとどうなるか教えてやろうか!」
 
 男は木の棒を取り出し、エゴームを躾と称し殴りつけようとする。
 もちろん、その程度の攻撃は白き獣に通用しない。避けるのだって容易い。
 だが、エゴームは万が一にも子供たちへ被害が及ばぬよう。その場を動かず盾となった。

「――おっと、それ以上はやめておきな。言葉が通じない動物を虐めるなんざ、卑怯者のする事だぞ」

 顔色の悪い瘦せこけた男が、乱暴者の腕を掴んで木の棒を奪い取る。

「……ホーガン。お前、一体どういうつもりだ」

 エゴームたちを救ったのは、【蛇の足】を率いるリーダーであった。

「オルガはラングラルさんをタイマンでぶっ倒した男だ。この先も、奴は確実に強くなるだろうな。お前らのような三下が、調子に乗ってちょっかいを掛けていい相手じゃない。身の程を弁えた方がいいぞ」

 ホーガンは自分でそう発言しながらも、俺もその三下だったんだけどな。と、苦笑する。

「ああん? あれはただの演出だって話だろう? 落ちこぼれが【鋼の肉体美】に殴り勝っただなんて、鵜呑みにする奴なんざこの街にいねぇぜ」

「そうだそうだ。人が段階を踏まずいきなり強くなる訳ねーだろ。絶対に裏があるに決まってる!」
 
 この男たちは実際に二人の戦いを見ていない。人づてに結果を聞いただけであった。
 現場を見ていた者の中にも、ラングラルの敗北を認めず、都合の良い解釈を流した者さえ居た。
 あれは【鋼の華】が場を盛り上げる為に、わざと負けたのだと。本気で与太話を信じていたのだ。

 そして、それが一部の者に大きな不評を買っていた。とりわけ冒険者は実力面での不正を嫌う。
 自分を強く見せる為に、ラングラルに交渉して負けてもらったのだと。オルガを批判していたのだ。
 
 人は天才でもなければすぐには成長しない。昔からの落ちこぼれであれば尚更だ。
 常識という固定概念を切り崩せず、その枠組みから外れた者を、異端者として叩くのだ。

「ちっ、お前らがその無茶苦茶な主張をするたび、本当に負けた俺が哀れになんだよ! ラングラルさんは確かに演出はするが、冒険者の誇りを汚すような真似はしない。馬鹿にすんなよ!」
 
 ホーガンは苦い顔をして反論した。ホーガン自身もオルガを甘く見ていた過去がある。

 酒場で苛立ってオルガに当たった。これまで何度も【鍋底】に迷惑を掛けさせられていた。
 きっとこの感情は多くのクランが抱いているもので、実際あの場では【鋼の華】が乱入するまで、周囲はホーガンの方を応援していたようにも思えた。冷ややかな視線で、これは然るべき報復なのだと。

 だが、冷静に考えると。そんなのは個人に対して行うものじゃない。
 クランの問題はクラン単位で解決すべきで。正式な場を設け改めて糾弾するものだ。
 【蛇の足】を率いるクランリーダーは、それを一番に理解していなければならなかった。

 ラングラルがいなければ、あの陰湿な空気に背中を押され、大きな過ちを犯していただろう。

 心が弱っていたのだ。目の前の男たち同様、相手が弱者だとわかって喧嘩を吹っ掛けていた。
 あの時は酔っていたのを言い訳にしたが、なんて卑怯な行いだ。思い出しては何度も自分を恥じた。

 目を覚ますきっかけをくれたのが、オルガとラングラルの拳の殴り合いだ。
 落ちこぼれと呼ばれていた人間が、いきなり格上相手と真っ向から戦っていたのだ。
 仮に自分が同じくらい成長できたとして、あんなに堂々と、真剣にぶつかり合えただろうか。

 強さとは単純な実力だけではない。きっとそこには心だって伴う必要があるのだと思う。
 オルガは強くなっても変わらなかった。驕り高ぶらず、必要以上にこちらを責めなかった。
 
 その時、ああ、コイツには敵わないと。ホーガンは悟った。
 肉体面でも精神面でも自分は負けたのだと。いっそ清々しいほどに。
 そして自分を変えるきっかけをくれたあの勝負が、嘘であってたまるかと。

 ホーガンはひたすら憤っていたのだ。

「ホーガン、お前、牙が丸くなったか? まさかお前も買収されたんじゃないだろうな!?」
「Eランク風情が、Gランクの肩を持ちやがって、ぶっ飛ばされてぇか!」
「調子に乗りやがって、一片痛い目を見ないとわからないようだな」

「うっせぇ! この際俺はどう言われても構わないが、二人を馬鹿にするってなら黙っちゃいねぇ!」
「ワウッ!」

 ホーガンの怒りに呼応して、エゴームが颯爽と並び立つ。
 内容はあまり理解できなかったが、主様に関わる話だとわかった。
 誰に力を貸したいか、悩むまでもなかった。助けてもらった恩を返そう。

「お前、俺に協力してくれるのか?」
「ワウゥ!!」

 そして――――

「くっ、覚えていやがれ!!」
「俺たちにはまだ仲間が居るんだからな!?」
「おかしい、何もないところから岩が出てきやがった……腕がああっ……」

 男たちは、使い古された負け台詞を吐いて逃げ去っていく。

「ワウ~ワオ~ン!」

 エゴームは勝利の雄叫びを上げる。

「あぁ……だから俺は、後方支援が専門で、殴り合うのは、苦手だっていうのにな……」
 
 男たちは偉そうなだけあって、Dランクのそれなりの実力者であった。
 日頃から裏方仕事の多いホーガンは、実力差で負けボコボコにされてしまう。
 顔面に青痣をたくさん作り、全身が痺れまともに動かない状態だ。それでも勝利した。

 歯を食いしばり、倒れても何度だって立ち上がり、男たちを精神力で追い詰めたのだ。
 心の中で常に、オルガとラングラルの戦いを思い浮かべていた。自分もそこへ目指すのだと。
 相手がホーガンに気を向けている隙に、エゴームが【大地の神盾】で翻弄したのも大きかった。

「ワウッ!」
 
 エゴームが大丈夫ですかと、戦友を助け起こそうとする。

「平気だ……助かったぜ、狼さんよ。情けない話、俺一人じゃどうしようもなかった……。すげぇよな。あんな三下相手でも俺は怖かったんだよ。普段は魔物を相手にしてるが、人が人に向ける敵意はそれとはまた別物で。でもオルガの奴は、街の最強格であるラングラルさんに一人で立ち向かったんだぜ、真似できねぇよ」

 ホーガンは椅子に寄り掛かり、時間を使って自らの足で立ち上がる。

「どうかこの一件は……オルガたちには内緒にしてくれよ」
「ワウ?」

 どうして? と、エゴームは首を傾げる。
 堂々と伝えたら、きっと主様も喜んでくれるのに、と。
 言葉は通じずとも、雰囲気で伝わったのか、ホーガンは自嘲気味に笑った。

「くだらん意地さ。今さら俺が心変わりしましたと自分で主張するのは、そんなの俺にとって都合が良すぎるだろ? だからこれで、いいんだよ。俺が勝手に腹を立てて、アイツらに反抗しただけだ」 

 そう言って、誰の助けも求めず、ホーガンは足を引きずりながらギルドを去っていく。
 エゴームはそんな男の背中を、ジッと見つめていた。彼は無事に帰れるだろうか、心配だった。

「ガハハハハ、長引くようであれば止めようかと思ったが、必要なかったようだな。ああ、この辺の片付けは俺様たち【鋼の華】が受け持とう。引き留めてしまった責任として、備品の修理代も支払う」

 背後から機嫌良さそうにしてラングラルがやってくる。
 ギルド関係者と話しながら、壊れた椅子や机を持ち運んでいく。
 どうやら最初から、ずっと隠れてエゴームたちの様子を窺っていたらしい。
 
 ホーガンとエゴームが戦っている間、ギルド側から止められず、妨害もされなかったのは。
 ラングラルが裏で関係者の許可を取っていたからだそうだ。誰にも無粋な真似はさせまいと。

「お前さんも、面白い力を持っているようだ。オルガはあれから更に強くなったという訳か。そしてホーガンも――まさしく漢の面構えをしていたな。ガハハハ、今日はめでたい日だ。ダンジョン探索の成果なんぞよりも、お宝を見つける以上の価値のあるものが見れた」

「ワウッ! ウウゥゥ……!」

 エゴームはラングラルのズボンを引っ張り、ホーガンが去った場所を指す。

「心配するな。俺様の可愛い同志に見張らせている。連中が仲間を引っ提げ報復に来れば、その時は俺様が直々に相手してやろう。あれだけ大口を叩いていたんだ、さぞかし楽しませてくれるんだろうよ。――もちろん、前回と同じ大観衆の前でな?」

 若干の皮肉を込めて、ラングラルは腕を組み口角を上げる。
 それを聞いて、よかったと。エゴームは安心してその場に伏せた。 

「それにしても、若者の成長は早いな。いつだって俺様の予測を気持ちよく裏切ってくれる。一人が抜きんでると、それに追いつこうと必死なる奴が現れ、相乗効果を生み出し、他の者たちだって引き上げられていくんだ。年長者が口うるさく指導するよりもずっと効果的だ。オルガには感謝しないといけない。叶う事なら、アイツらの行く末を最後まで見届けたいものだ……」

 少し年老いた、貫禄のある表情を覗かせながら。ラングラルは目を細めていた。 
 エゴームも、その気持ちはよく理解できた。ちびっ子たちの成長した姿を思い浮かべる。

「……ところでだ。お前さんのチビたちが持ち場を離れていったが。放っておいていいのか?」
「ワウゥ!?」

 エゴームはビクっと毛を逆立て、慌てて周囲を見回した。  
 ガルムもサイロもいなくなっている。騒動の間にはぐれてしまったようだ。
 
「ワウワウワウワウ!! キュ~ンキュ~ン! ワオ~~ン!! ガクガクガクガクガク」

 エゴームは半狂乱状態となって鳴き喚き、暴れ回る。
 大事な大事なちびっ子たちがいない、いないよ。どこにいった。
 主様との約束を破ってしまった。どうしようどうしよう。怪我でもしたら大変だ。
 
「兄貴、言われた通り捕まえておきましたぜ。どうやら匂いに釣られて、厨房を覗いていたようで」
「わう?」
「わう~」

 ガルムとサイロが、清掃中の【鋼の華】の男たちに運ばれてきた。
 口元にはミルクをつけており、どうやら親切な冒険者にご飯を貰っていたようだ。

「クーンクーン」

 エゴームはすぐさま怪我はない? 大丈夫? と何度も身体を確認する。
 連れて来てくれた【鋼の華】の男たちに頭を擦り付けて、深い感謝を示した。
 その必死の様子から、自分たちが悪い事をしてしまったのだと二匹は自覚した。
 
「わぅ……」
「くぅん……」

 ガルムとサイロは、心配を掛けてごめんなさいと謝った。

「ワウッ」

 無事だったらそれでいいのだと、エゴームは鼻を擦り合わせる。
 そして、もう離さないとばかりに、二匹をお腹の下に引き寄せた。
 
「チビたちが見つかって良かったな。優しい狼さんよ」

 ◇

「主様。マイト様もフェール様も、随分と喜んでいらっしゃいましたね!」

「【鍋底】は稼ぎが少ないからな。みんな生活費を切り詰めて頑張っているんだよ。……一人はただサボっているだけだが。あの食べっぷりを見せられると、細かい事を言うのは後日でいいかなと思ったよ」
 
 暖かい食事を二人に届けると、それはもう大変感謝された。
 またいつか奢ってあげようと思うくらいには。二人とも後輩力が高い。

「わふぅ、わふわふっ」

 付き合ってくれたリンネに、露店で買った肉巻きをあげると、上機嫌に尻尾を振っていた。
 お留守番している三匹にも、それぞれの好物を買ってきている。さてさて喜んでくれるだろうか。

「オルガくん、オルガくん! エゴームちゃんの様子が……!」

「……どうしたんだ?」

 ギルドに入ってすぐ、慌てた様子のエレナに腕を引っ張られる。
 そのまま併設されている酒場に向かうと、床にモフモフが敷かれていた。

「ワウ~」
「わう!」
「へっへっ」

 酒場の床で、エゴームがひっくり返ってお腹を見せていたのだ。
 ちびっ子たちも真似してお腹を出しており、可愛いが、何だこれは。

「私が換金から戻った時には、ずっとこの調子で……どうしたのかな? ……お腹痛いのかな?」

「どうやら、エゴームは主様との約束を守れなかったようで。自ら反省しているようです」

「……?」

 表情から読み取ったリンネはやれやれと、三匹のお腹をぽんぽんと叩く。

「ガハハハ、律儀な狼たちだな。オルガよ、俺様の分厚い広背筋に免じて許してやってくれよ」

「いや、唐突に背中を見せつけられても困るが……確かにデカいな……!」

 その後、俺たちがラングラルから事情を聴いて、許しを出すまでの数分間。
 エゴームはお腹を晒し反省し続けたのであった。ちなみにちびっ子たちはぐっすり眠っていた。

 ――――あと、その日から二日後。
 Dランク冒険者数人が、何故か大観衆の前でラングラルと殴り合っていた。
 結果は言うまでもなく。ボコボコにされた男たちが路上に積み重なり横たわっていた。
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