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23 令嬢は商業ギルトに赴き①

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「次、8番の方をどうぞ」

 受付の女性の声がホールに響き渡ると、私はふと我に返り、思考の回路から引き戻され、急いで立ち上がり、手に持っていた木版の『8番』を高い位置に掲げて、今ここにいることを示す。  

 周囲の視線がちらりと私に集まり、私は一瞬体が硬直したが、すぐに気を取り直し、できるだけ平常心を保つよう努めながら、受付嬢が示した部屋へと足を進めた。

 部屋に入り、私たちは受付嬢の勧められたまま席に着いた。彼女は軽く会釈をしてから「少々こちらでお待ちください」と告げると、ドアを出た。
 静かになった部屋の中、残された私とライラはは互いに無言のまま、ドアの外の物音に気を配りつつ、さりげなく室内の配置を観察する。

 部屋はシンプルなデザインの、小さな個室だった。壁際に資料を置くための棚、中央に配置されたテーブル、その周りに整然と並んだいくつかの椅子と、きちんと整えられた事務用品だけ。
 唯一の飾りと言えるのは、窓際に飾られた一鉢いっぱつのポトスで、静かな空気の中で穏やかな雰囲気を醸し出している。

 ぼーっとポトスを眺めて、待っていると、そう長くもなく、ドアの向こうから華やかな女性の声が聞こえてきた。

「ガレフさん、今日ギルドにいらしたのね!」

 それに続いて、声からして、位置が少し離れた所から、優しげな男性の声が返ってきた。  

「おはようございます、ナナさん。会長の代理で、後での代表たちの会議に参加することになっています」
「そうなんですね。もし何か必要なことがあれば、遠慮なくおっしゃってくださいね」
「ええ、勿論です。その時はぜひお願いします」

 二人の会話が耳に入る中、徐々に男性の声が大きくなり、近づいてきたと感じた矢先、部屋のドアがゆっくりと開かれた。
 姿を現したのは、30代前半ほどの男性だった。柔らかい物腰と整った容貌が印象的で、その瞳には経験を重ねてきた者特有の落ち着きが宿っている。

 男性は私たちに視線を向けると、穏やかな笑顔を浮かべ、軽くドアを閉じてから、手元から時計を取り出す。
 彼がそれに魔力を注ぎ込むと、魔導具の時計が淡い緑色の光を放ち、薄い霧のように広がって部屋全体を包み込んだ。

 以前学園で生徒同士が私的な交流会をする時に使っているのを見かけた事があるので、私は直ぐにこれは外部からの盗聴や干渉を遮断するための魔術の結界だと理解する。

 男性は私たちの正体を隠すための渡守の装いに全く気を留めず、ライラではなく、子供である私の方へ、深い敬意を込めたように頭を下げ、丁寧に挨拶をしてくる。

「初めまして。私はフィオラ商会の副会長ガレフと申します。この度はわざわざお越しいただき、ありがとうございます、スペンサーグ公爵令嬢フリージア様」

 その一言に、私は息を飲み、内心で驚きが駆け巡った。

 部屋には防音の結界が掛けられているとはいえ、まさか彼がこうもあっさりと、堂々と私の正体を明かすとは……。

 確かに、この店舗の所有権証明書には公爵家の家名とともに私の名が記載されている。しかし、公爵令嬢としての私個人の名前が領地内で広く知られているわけではない。
 普通なら、契約書に記された名前を見ただけで、公爵家に関わる傍系貴族と考えるのが一般的だ。それなのに、彼は私が公爵令嬢だと見抜けた。

 それに、この取引はあくまでも秘密裏に行う契約であり、私たちの装いも、そうした意図を相手にさりげなく伝えるためのものだった。
 それを理解しているはずのガレフが、あえて私の正体を明言する行動には、何かしらの意図が隠されていると思う。

 ――やはり、悪い予感が当たている。脅迫のためでしょうね。

 アストラル王国の貴族階層は、平民からの税収によって経済的に維持されており、いかなる産業活動も国王陛下の許可なくしては行えず、私産の保有は厳格に制限されていた。
 そして貴族令嬢たちは、結婚して夫人の立場になれば、夫を代理して産業を管理することができるが、結婚前の令嬢たちはあくまでも『家の大切な財産』と見なされ、私産を持つことなどは許されていない。
 だからこそ、お母様が私に残してくださったこの店舗の所有権は、誰にも知られてはならないのだ。

 ――目の前の商人は、このことを利用して私を脅そうとしている。

 息を整え、冷静を装い、私は立ち上がり、ガレフに向かって、なるべく淡々とした口調で、彼に応じる。

「初めまして、フリージアです。わたくしは誰かを知っているなら、話は早いわ。正式な登録手続きをしたいと思っているけれど……」

 私はわざとらしく間を空けてから、ゆっくりと言葉を続ける。

「でも、少し不思議ですわ。なぜ商業ギルドの職員ではなく、貴方のような名の知らない商会の、一介の副会長がここに?もしかして、どこかで私の行動を監視していたのではないかしら?」  

 記憶の中の従姉妹ルイーズの、気が強く、自信に満ちた話し方を真似して、私は彼の反応を待つ。

 自分の口から発した言葉には余裕を込めたつもりだったが、心臓の鼓動は今でも速く、マントの下に隠れた手の震えも止まらない。

 大丈夫、大丈夫と……ひたすら、内心で自分に言い聞かせる。

 相手は平民であり、今の私はまだ貴族令嬢。この身分社会においては、貴族としての規範と矜持を保ち、平民の前では相応の尊大な態度で接するべきだと、公爵邸の家庭教師から繰り返しに教えられてきた。

 だから、怖いけれど、貴族の権限を盾にした卑怯な手段に見えるとしても、今の私の行動は間違っていないはず。
 お母さんが残してくれたこの店舗を無事に受け取り、相手に悪用させない為には、私は彼に隙を見せるわけにはいかないのだ。
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