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「願望……提案ですか」
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友人と二人街を歩いている時、リナリは背後から視線を感じた。
幼い頃から常に感じていたある種の習慣のような、しかし不快な感覚は、リナリの神経を年々鋭くさせていった。
気のせいではない。
リナリの頭を過る存在といえば、元婚約者のギムラン。だが彼の身柄は今、収容所にある。
(誰?)
リナリはおしゃべりの合間に、こっそり背後を窺い見る。
(レオンベルド様?)
この前一度だけ会って挨拶をした、ハルトリードの弟。彼がこっそりと陰からリナリを見ていた。
首の裏に言いようのない悪寒が走る。胃がずっしりと重い。
「リナリ?」
この友人は、かつてピネアの取り巻きだった令嬢。気が強いが妙にリナリとは気が合う。
「何でもない。ねえ、どこかに入らない?」
リナリの提案に友人は違和感を覚え、リナリが一瞬気にしていた背後を見た。
「うわ、あれって。また?」
「……ええと」
友人は、リナリがかつて元婚約者に付き纏われていたのを知っている。だから、また、今度は違う男に目を着けられたのだと思った。
「知り合い?」
「……婚約者の弟さんよ。一度しか会った事ないの、だけど」
「はぁ、災難ねぇ、リナリはいつも」
本当に気の毒そうに、心配そうにするこの友人にリナリはいつも助けられてきた。精神的にも。
かつて、無理矢理婚約を結ばされた経緯を知った者は、何もリナリを全面的に被害者として扱うばかりではなかった。
「隙があった」「そういう態度だった」「まんざらでもない」「歩み寄るべき」
そう言われ窘められた事だって数え切れない程ある。
その中でも、家族やこの友人、ピネア、似た境遇の取り巻き仲間からは心底心配され、同情され、心無い言葉を放つ相手に憤ってくれた。
それがどれだけリナリの心を守り、救ったか。
リナリは本当に感謝している。
「婚約者の弟か。そりゃ下手に扱えないわね……」
「一応彼からは無視していい、というか、相手にしたら駄目だって言われてるの」
リナリは最初、ハルトリードとの婚約は認めない、と暗に言われているのだと思っていた。しかし彼はむっつりと黙って首を振るのみ。
「そう? じゃあこのまま無視しちゃいましょ。迎えを呼ぶから、このまま私の屋敷に行くわよ」
「ありがとう」
迅速に迎えの馬車が来て、リナリは友人宅へ移動した。
その間も、レオンベルドはじっとリナリを見ていた。
久しぶりに友人の部屋に招かれたが、リナリは申し訳ない気分になった。
「ごめんね、迷惑かけて。折角今日……」
「謝るのはなしよ。迷惑なんて、元婚約者の件で私だってそうとうかけたでしょ」
「あれは迷惑というか、相手が勝手に貴女に突っかかってきただけよ」
「でしょ。そういう事よ」
友人は苦笑いで肩を竦めた。
「ありがとう」
「どういたしまして。こちらこそ」
気の強い友人は可愛らしく笑った。
馬車でフォード家まで送ってもらい至れり尽せりだった。
リナリはじっと目を伏せた。ハルトリードとの未来を思えばこそ、今後を考える必要がある。
(どうしよう。あのまま……にしておいていいの? でもこればっかりは相手が相手だし、シュゼル家にお任せするしかない?)
前の様に、ハルトリードに保護されるのは難しいだろう。なにせシュゼル家にレオンベルドがいるのだから。
(あまり外に出ないようにしないと)
一つ頷き玄関に入ると、迎えた使用人が伝える。
「お嬢様。お客様がお見えです」
リナリは少し肩が跳ねた。もしかして、という恐ろしい想像は、しかし僅かにずれた。
「シュゼル家の侍女の方です。ご当主様から言伝を預かっておられると仰られています」
「お義父様の? わかったわ。案内をお願い」
リナリは連れられて向かう道中、その侍女は年配だったと聞いて、何となくの人物を思い浮かべた。
とにかくホッと息を吐いた。じっと見ていたからと言って、直接来るような無茶はしないようだ。
応接間で待っていた客は、リナリの想像通りの人物だった。
ハルトリードと真に結ばれた夜、リナリに夜着を渡してきた年かさの侍女だった。
「お久しぶりです、どうしました?」
「ご無沙汰しております、リナリ様」
立ち上がりそうになる侍女を手で制した。
既に両親は席に着いて待っていたようで、これ以上手間を取らせるつもりはなかった。リナリもソファに座る。
本題を、と当主ポポルに言われ、侍女は頷く。
「実はレオンベルド様には現在監視がついております」
「監視ですか。あ、それで今日……?」
リナリが来る前に、既にあらかた事情は両親に伝わっていたらしい。心配そうな顔をされた。
「はい。不要不急の外出を禁じていたにも拘わらず、リナリ様と接触しそうになったと報せが来ました。若様とご当主様、奥様は厳しいご判断を下すようです」
リナリは眉を下げた。
そんな心情が透けたのか、侍女は目を伏せ小さく首を振った。
「元々、レオンベルド様は留学先で問題を起こしておりました。先方に謝罪を、と準備をしていた矢先、リナリ様への付き纏いですので、もう、このままにしてはおけないのだそうです」
決して、リナリに執着し始めた事だけが原因ではない。この侍女が名代としてここに来た時点で、それはシュゼル家の総意。
「若様はリナリ様の行動……自由を制限する事に酷く心を痛めておられます」
リナリは胸が熱くなり、視界が滲んだ。
「ええ。分かっています。ハルト様はいつも私の為を想ってくれていると。家に引きこもるくらい、何でもありません」
ハルトリードに心労を負わせるくらいなら、リナリはじっと黙って立てこもるくらい容易かった。
侍女は、何故か少し苦笑いをした。だが、すぐに真顔に戻ってしまう。何か可笑しな事を思い出したような間だった。
この侍女は、何も当主の言伝だけを持ってきたのではない。
「外出を控えるのではなく、若様の別荘に避難する、という願望……失礼、提案をされています」
「願望……提案ですか。別荘?」
つい、そのまま疑問で返してしまう。
「リナリ様の気持ちひとつだと仰られています」
リナリは黙っている両親を窺い見た。
「リナリが決めなさい」
「そうよ。ねえリナリ。残された家族の時間を、なんて考えなくてもいいの。でも、あなたが結婚まで家に居たいのなら居るといいわ」
両親は、リナリの身の危険、精神的負担を心配している。安全で笑っていられるなら何処にいてもいい。
「ああ。それに、嫁いでも里帰りを許さない狭量な方々ではないだろう?」
「はい」
シュゼル家当主夫妻は、次期当主の妻としての仕事、立場を弁えていれば基本自由にさせてくれる。その次期当主は多少過保護な傾向があるが、血縁上の家族との交流を悪くは思わないだろう。
リナリは侍女を見た。
「ハルトリード様はなんと?」
「別荘に行く、二人で籠る、と」
その様子を思い出したのか、侍女は苦笑いを隠せない。リナリにもありありとその情景が浮かぶ。
(ハルト様ったら……)
呆れてはいない。
ただ、嬉しかった。そして、先程の侍女の思い出し苦笑いの真相が判明し、リナリまで頬が緩む。
「私はハルトリード様と共に行きます」
侍女は首を動かさず目礼だけをして、立ち上がる。
「では、御前失礼します。リナリ様がご決断したらすぐにでも報せを、と言われておりますので」
ポポルも立ち上がる。
「ご苦労だったね。侍女殿の見送りを」
リナリをここまで連れてきた使用人に、玄関まで侍女を送らせるよう指示する。
リナリも一緒に見送りシュゼル家名代の侍女に手厚く礼をした。
幼い頃から常に感じていたある種の習慣のような、しかし不快な感覚は、リナリの神経を年々鋭くさせていった。
気のせいではない。
リナリの頭を過る存在といえば、元婚約者のギムラン。だが彼の身柄は今、収容所にある。
(誰?)
リナリはおしゃべりの合間に、こっそり背後を窺い見る。
(レオンベルド様?)
この前一度だけ会って挨拶をした、ハルトリードの弟。彼がこっそりと陰からリナリを見ていた。
首の裏に言いようのない悪寒が走る。胃がずっしりと重い。
「リナリ?」
この友人は、かつてピネアの取り巻きだった令嬢。気が強いが妙にリナリとは気が合う。
「何でもない。ねえ、どこかに入らない?」
リナリの提案に友人は違和感を覚え、リナリが一瞬気にしていた背後を見た。
「うわ、あれって。また?」
「……ええと」
友人は、リナリがかつて元婚約者に付き纏われていたのを知っている。だから、また、今度は違う男に目を着けられたのだと思った。
「知り合い?」
「……婚約者の弟さんよ。一度しか会った事ないの、だけど」
「はぁ、災難ねぇ、リナリはいつも」
本当に気の毒そうに、心配そうにするこの友人にリナリはいつも助けられてきた。精神的にも。
かつて、無理矢理婚約を結ばされた経緯を知った者は、何もリナリを全面的に被害者として扱うばかりではなかった。
「隙があった」「そういう態度だった」「まんざらでもない」「歩み寄るべき」
そう言われ窘められた事だって数え切れない程ある。
その中でも、家族やこの友人、ピネア、似た境遇の取り巻き仲間からは心底心配され、同情され、心無い言葉を放つ相手に憤ってくれた。
それがどれだけリナリの心を守り、救ったか。
リナリは本当に感謝している。
「婚約者の弟か。そりゃ下手に扱えないわね……」
「一応彼からは無視していい、というか、相手にしたら駄目だって言われてるの」
リナリは最初、ハルトリードとの婚約は認めない、と暗に言われているのだと思っていた。しかし彼はむっつりと黙って首を振るのみ。
「そう? じゃあこのまま無視しちゃいましょ。迎えを呼ぶから、このまま私の屋敷に行くわよ」
「ありがとう」
迅速に迎えの馬車が来て、リナリは友人宅へ移動した。
その間も、レオンベルドはじっとリナリを見ていた。
久しぶりに友人の部屋に招かれたが、リナリは申し訳ない気分になった。
「ごめんね、迷惑かけて。折角今日……」
「謝るのはなしよ。迷惑なんて、元婚約者の件で私だってそうとうかけたでしょ」
「あれは迷惑というか、相手が勝手に貴女に突っかかってきただけよ」
「でしょ。そういう事よ」
友人は苦笑いで肩を竦めた。
「ありがとう」
「どういたしまして。こちらこそ」
気の強い友人は可愛らしく笑った。
馬車でフォード家まで送ってもらい至れり尽せりだった。
リナリはじっと目を伏せた。ハルトリードとの未来を思えばこそ、今後を考える必要がある。
(どうしよう。あのまま……にしておいていいの? でもこればっかりは相手が相手だし、シュゼル家にお任せするしかない?)
前の様に、ハルトリードに保護されるのは難しいだろう。なにせシュゼル家にレオンベルドがいるのだから。
(あまり外に出ないようにしないと)
一つ頷き玄関に入ると、迎えた使用人が伝える。
「お嬢様。お客様がお見えです」
リナリは少し肩が跳ねた。もしかして、という恐ろしい想像は、しかし僅かにずれた。
「シュゼル家の侍女の方です。ご当主様から言伝を預かっておられると仰られています」
「お義父様の? わかったわ。案内をお願い」
リナリは連れられて向かう道中、その侍女は年配だったと聞いて、何となくの人物を思い浮かべた。
とにかくホッと息を吐いた。じっと見ていたからと言って、直接来るような無茶はしないようだ。
応接間で待っていた客は、リナリの想像通りの人物だった。
ハルトリードと真に結ばれた夜、リナリに夜着を渡してきた年かさの侍女だった。
「お久しぶりです、どうしました?」
「ご無沙汰しております、リナリ様」
立ち上がりそうになる侍女を手で制した。
既に両親は席に着いて待っていたようで、これ以上手間を取らせるつもりはなかった。リナリもソファに座る。
本題を、と当主ポポルに言われ、侍女は頷く。
「実はレオンベルド様には現在監視がついております」
「監視ですか。あ、それで今日……?」
リナリが来る前に、既にあらかた事情は両親に伝わっていたらしい。心配そうな顔をされた。
「はい。不要不急の外出を禁じていたにも拘わらず、リナリ様と接触しそうになったと報せが来ました。若様とご当主様、奥様は厳しいご判断を下すようです」
リナリは眉を下げた。
そんな心情が透けたのか、侍女は目を伏せ小さく首を振った。
「元々、レオンベルド様は留学先で問題を起こしておりました。先方に謝罪を、と準備をしていた矢先、リナリ様への付き纏いですので、もう、このままにしてはおけないのだそうです」
決して、リナリに執着し始めた事だけが原因ではない。この侍女が名代としてここに来た時点で、それはシュゼル家の総意。
「若様はリナリ様の行動……自由を制限する事に酷く心を痛めておられます」
リナリは胸が熱くなり、視界が滲んだ。
「ええ。分かっています。ハルト様はいつも私の為を想ってくれていると。家に引きこもるくらい、何でもありません」
ハルトリードに心労を負わせるくらいなら、リナリはじっと黙って立てこもるくらい容易かった。
侍女は、何故か少し苦笑いをした。だが、すぐに真顔に戻ってしまう。何か可笑しな事を思い出したような間だった。
この侍女は、何も当主の言伝だけを持ってきたのではない。
「外出を控えるのではなく、若様の別荘に避難する、という願望……失礼、提案をされています」
「願望……提案ですか。別荘?」
つい、そのまま疑問で返してしまう。
「リナリ様の気持ちひとつだと仰られています」
リナリは黙っている両親を窺い見た。
「リナリが決めなさい」
「そうよ。ねえリナリ。残された家族の時間を、なんて考えなくてもいいの。でも、あなたが結婚まで家に居たいのなら居るといいわ」
両親は、リナリの身の危険、精神的負担を心配している。安全で笑っていられるなら何処にいてもいい。
「ああ。それに、嫁いでも里帰りを許さない狭量な方々ではないだろう?」
「はい」
シュゼル家当主夫妻は、次期当主の妻としての仕事、立場を弁えていれば基本自由にさせてくれる。その次期当主は多少過保護な傾向があるが、血縁上の家族との交流を悪くは思わないだろう。
リナリは侍女を見た。
「ハルトリード様はなんと?」
「別荘に行く、二人で籠る、と」
その様子を思い出したのか、侍女は苦笑いを隠せない。リナリにもありありとその情景が浮かぶ。
(ハルト様ったら……)
呆れてはいない。
ただ、嬉しかった。そして、先程の侍女の思い出し苦笑いの真相が判明し、リナリまで頬が緩む。
「私はハルトリード様と共に行きます」
侍女は首を動かさず目礼だけをして、立ち上がる。
「では、御前失礼します。リナリ様がご決断したらすぐにでも報せを、と言われておりますので」
ポポルも立ち上がる。
「ご苦労だったね。侍女殿の見送りを」
リナリをここまで連れてきた使用人に、玄関まで侍女を送らせるよう指示する。
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