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第2章 アルワーン王国編

第38話 精霊王女フィオナ

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「よいか、けっして境界線を超えてはいけない。人の国に入ったら最後、お前の名は失われ、精霊の国での記憶も封じられるであろう。そなたはお母様のことも忘れてしまうのだぞ」

  まだほんの少女。
 その背丈は自分の腰までもない。
 長い年月を生きる精霊女王から見れば、我が娘ながら、フィオナはまるで、赤ちゃんそのものだった。

 しかし、そんな赤ん坊相手でも、これだけは何度でも言っておかなければならない。
 なぜなら、とても大切なことだからだ。

「はい、わかりました。決して境界線は超えません」

 精霊王女フィオナは、彼女なりにきりっと真面目な顔を作って(そう、作っているのが、母たる精霊女王には丸わかりだった)、母を見上げた。

 なぜなら、自分にもう少しの自由を勝ち取るのは大事だからだ。
 そう、あともう一押し。
 あとちょっとで、宮殿から出る許可がもらえる。


 精霊女王のただ1人の娘。
 精霊王女のフィオナは、やんちゃ盛り。
 人間の国に興味を持って、先日は宮殿から脱走した。
 幸い、人間の国への境界線を超える前に捕まえることができたが、次も成功するとは限らない。

(どうしてこうも、好奇心旺盛なのか)

 精霊女王はため息を一つ。
 仕方ない。
 言い出したら聞かないこの性格は、一体、誰に似たものか。

「……とはいえ、お前には前科がある。この間は間に合ったけれど、いつもそうできるとは限るまい。私は人間の国に介入する気はないのだから。代わりにこれを」

 女王は愛娘の片耳に赤い宝石をカチリと嵌め込んだ。
 それは、白く柔らかな耳に、きらりと光って、収まった。

「たとえ変身しても、この石は取れぬ。失くす心配はない。よいか、この石だけがお前と精霊国の私を繋ぐもの」

「お母様、ありがとうございます」

 母は娘を抱きしめた。
 どうかいつでも娘が守られるように。
 娘は純粋で、とてもやさしい。どうか悪意から守られるようにと祈った。

「心から願ったときに、ただ1度だけ奇跡は起ころう。国に帰りたい、と願うのだ」
「はい、わかりました。お母様!」

 返事だけは立派だったのだが。
 フィオナは国に帰りたいとは願わず、大好きなドレイクを助けたいと願うことになる。

 * * *

 そして今、フィオナはいつの間にか慣れ親しんだオークランド王国に戻り、ドレイクの部屋で、ドレイクにウサギ型に切ったリンゴを食べさせてもらっていた。

 ウサギリンゴに、ミニキャロット、レモンの香りがするマドレーヌに、バターたっぷりのショートブレッド、それに薄いキュウリが挟まったサンドイッチ。

 どれもフィオナの好物ばかりだ。
 ドレイクは出されれば何でも食べるので、エマはフィオナを喜ばせることに集中している。

 エマが心づくしで用意してくれた午後のお茶のお菓子を、フィオナはドレイクにぴったりとくっつきながら、ひとつひとつ食べさせてもらってご機嫌だった。

 そんなフィオナは、淡いピンクのリボンで飾られた、オフホワイトのデイドレスを着ていた。
 白い髪は緩く巻いて、共布のピンクのリボンで結んでいる。

 ドレイクの気のせいではなく、フィオナは確かに、ドレイクが王城へ連れて来てから、背が伸びていた。
 体つきは相変わらず、まさに精霊そのものの、ほっそりとした体だったが、少しずつ胸と腰に丸い女性らしい膨らみが付いてきたようにドレイクには感じられる。

「フィオナ、記憶は戻ったのか?」

 自分の口にキュウリのサンドイッチを放り込むと、フィオナが欲しそうな顔をしたので、もう1切れ取って、フィオナの口に入れてやる。

「はい」

 サンドイッチを食べ、フィオナが端的に返事をする。

「お前は精霊国の王女だったのか?」
「はい。そうみたいです」

「人間の国に来ると、精霊国での記憶は失われてしまうんだろう? 今はなぜ、以前の記憶があるんだ?」

 フィオナは首を傾げた。

「お母様は、わたしが精霊王女として覚醒したからだ、とおっしゃっていました。人間の国に来ても、記憶は保っていられるし、精霊王女として、祝福を与えることができると。生き物のケガを治したり、植物の成長を早めたり、天候が不安定な時には、調整することができるようです」

(それはすごいな)

 フィオナはさらっと言っているが、それはすごいことだ。
 精霊王女であるフィオナですら、それだけのことができる。
 要は、フィオナが祝福した土地(国)は、天候は穏やかに、生き物達は健やかに、植物はより早く成長し、つまりは国は栄えることが約束されているようなもの。

 そう考えれば、精霊女王であるモルガンの力は、はるかに巨大なものであるのだろう。

 精霊女王はフィオナを生涯かけて守ると誓え、と迫り、その代わり、オークランドに精霊の加護を授けてくれた。
 そして、さらに精霊王女のフィオナがこの地に留まってくれるとしたら。

「つまりは、オークランドはもう、栄える気しかせんな……」
「ドレイク様?」

 フィオナがニンジンをかじっている。
 彼女がウサギに変身できると知っているだけに、その姿が妙に可愛い。

(アルワーンの竜の眠る谷で見たフィオナは、まるで男の子のような姿で、とてもきりっとしていて、それも可愛かったな)

 ドレイクはついにやけてしまう。
 それにあの身体能力と精霊王女として祝福された力。
 普段のほわん、としているフィオナとは別人のようだった。

(そこもいいんだが)

 そう思ったドレイクは、ハッとして思考を止めた。

「いかん……これでは、まるでフィオナにめろめろのバカ男ではないか……!」
「めろめろのバカ男、ですか? ドレイク様、心の声が漏れていますよ」
「なっ! ユリウス、お前も部屋にいたのか」
「いましたよ。どうせフィオナ様に夢中で、気がつかなかったのでしょう?」

 動揺したドレイクは、話題を変えようと試みた。

「そ、そうだ、竜の眠る谷で、なぜ俺を助けようとしてくれたんだ?」
「あなたはいつもわたしを助けてくれたわ。今度はわたしが助けなきゃって。それに、あなたがケガをするのも嫌」

(おおお……!)

 フィオナの返事に、人知れずドレイクが内心悶えていると、フィオナがほわんとした様子で言った。

「それにしても、びっくりしたねえ。わたし、ウサギじゃなかったんだ……!」

 よほどそのことが印象的だったらしい。
 ウサギでも良かったけどね、とへへっと笑う。

「今はもう変身をコントロールできるのよ~~~! 大人になったのよ。それに、お母様が、実はウサギだけじゃなくて、色々なものに変身できるわよって。それに」

 フィオナはキュッと目を閉じると、なんと耳だけをウサギの耳に変えてしまった。

「………………!!!」
「こんなこともできるようになりました♡」

 フィオナの頭でふわふわと揺れる、柔らかそうなウサ耳。

「ドレイク様、お耳、撫でて?」

 にこにこしているフィオナに負け、ドレイクは柔らかな毛並みで覆われた、フィオナのウサ耳を撫でてやった。

 この時点で、エマもユリウスも血相を変えると、バタバタと部屋から急いで出て行ってしまっていた。

 ドレイクは、ふはー、と深いため息をつく。

「危なすぎる!! こんなか、か、可愛い王女を放っておくとは、精霊の女王は何を考えていたんだ……!」

 ドレイクは、フィオナのウサ耳姿は永遠に国家機密にしようと、心に誓った。

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