ウサ耳の精霊王女は黒の竜王に溺愛される

櫻井金貨

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第2章 アルワーン王国編

第36話 精霊国と精霊の祝福(1)

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「アルナブ!!」

 時は少々さかのぼって、寵姫ちょうきアルナブのお披露目の宴会の夜。
 すでに真夜中近くになっていた。

 突然、フィオナは宴会の席から連れ出された。
 後宮で着替えさせられ、密かに通用門へと連れて来られたフィオナは、用意されていた馬車に乗り込もう、という時に、アルファイドに呼び止められた。

「アルファイド様?」

 走って来たらしく、息が荒いアルファイドは、立ち止まって、一旦、呼吸を整えてから、フィオナの元にやって来た。

「アルナブ。……お前を振り回して悪かった」

 そうアルファイドがためらいながら言うと、フィオナは目を丸くした。

「ドレイクのことは、心配するな。あいつはきっと……お前のところへ来る。私はお前を、竜の眠る谷へ送る」

 フィオナが驚いてアルファイドを見つめる。

「竜の眠る谷へ行くのが、お前に必要なことかもしれない、と思ったのだ。お前は、精霊だろう? 記憶がないようだが。その谷には竜が眠ると伝えられている。もしかしたら、お前は竜と会えるかもしれない。そうしたら、それは、精霊が存在していることの証明になるんだ。その時は……私は精霊を、もう1度、信じてみよう、と思う」

「竜の眠る谷……」

「そうだ。アルワーンの伝説の谷。古竜の谷だ。そこには、太古から生き抜いた古竜が今も生きていると言われている。長い眠りにつきながら」

 * * *

 フィオナの心は決まっていた。
 この谷に来た時に、心は定まったのだ。
 竜と会うのだと。

 この先に、竜が眠っている。
 アルディオンと同じ、精霊国の気配が漂ってくる。

 最後に、大きな岩を越えると、視界が広がった。
 谷底の中央には、岩が積み上がってできた丘が見えた。

いにしえの竜よ」

 フィオナは丘を見据えると、静かに呼びかけた。
 谷の中で、フィオナの声がこだまする。

「我が祈りに応えたまえ。我が名は、フィオナ」

 その瞬間、大地が揺れた。

(……姫君……?)

 フィオナの目の前で、小高い丘が振動した。
 そのまま、頂上がひび割れ、乾いた土や岩が雷鳴のような音を立てて、周囲に降り注いだ。

「!!」

 フィオナはとっさに頭をかばいながら、後退する。
 そばにあった大きな岩の下に体を潜り込ませると、音が静まるのを待った。

 からり。
 最後の小石が、谷底に転がり落ちる。

 フィオナは岩の下から立ち上がった。
 崩れた丘の下に現れた、竜の姿を見たピンク色の瞳が明るく輝き、フィオナは笑顔を浮かべた。

 しかし、竜が地面に横たわったまま動かないのに気づいた瞬間、フィオナの顔色が変わり、瓦礫《がれき》の中を駆け出していく。

「……いにしえの竜……!?」

 フィオナの前には、ドレイクの黒竜よりも大きく、がっしりとした体格の竜が、地面に倒れていた。

「竜よ、一体、どうしたというの……!?」

 フィオナが竜の前にひざまづくと、竜の言葉が、フィオナの頭の中に流れ込んできた。

(尊い姫君よ。我は遠い昔に精霊国から降り、人の国に暮らした者。精霊国への扉が閉まり、我は2度と、尊い精霊女王の元に帰ることはできなかった。長い長い時間の中を、待ち続け、体を保つために、眠りに入ることにしたのだ。そして、ようやく姫君が来てくださったというのに、我はもう起き上がることはできない)

「そんな」

 フィオナは大きな竜の体のあちこちに触り、容体を確かめようとする。
 心臓に耳を当てれば、その鼓動はもう、ほとんど感じられなかった。

(我が名は、アトラス)

 竜が名乗った。

(精霊国の王女、尊き精霊女王の唯一の姫君フィオナ様。叶うことなら、あなたにお仕えしたかった)

「アトラス……!?」

 フィオナは固く閉じられた竜の瞼に触れた。
 自分より遥かに大きな、いにしえの存在。
 しかし、フィオナには、怖れも不安もなかった。

 自分にはまだ、できることがある。
 いにしえの竜の命をつなぐことが、できるような気がするのだ。

「精霊王女? わたしが精霊国から来た精霊だと言うの……?」

 フィオナは呆然として竜の頭を撫でる。

「でもわたしは何も覚えていない」

(あなたが心から願えば、自然はあなたの想いに従うであろう)

 フィオナの目から涙が溢れ落ちた。

「どうかアトラスを助けて。古竜が再び、自分の足で立てるように」

 フィオナは目を閉じ、両手をそっとアトラスの胸に置いた。
 今願うことなど簡単だ。
 それは古竜のことだけ。
 この、長い年月を生きてきた竜の傷ついた魂と体を癒したい。

 すると、フィオナの閉じた目の奥で、緑豊かな草原と森の景色が浮かび上がった。

 穏やかな空気。優しい風。楽しそうに笑う声が聞こえてくる。
 広大な草原では、たくさんの竜達が思い思いに体を伸ばし、暖かな光を楽しんでいた。

(これが、アトラスの故郷……精霊国なのね?)

 フィオナは自分もまた、その穏やかな世界の中にいるような気がした。

(竜の故郷、そして、わたしの故郷)

 心に生まれる優しい想い。
 確かに、自分はその場所を知っている、という想いが強くなる。

(この竜を、故郷に返してあげたい)

 やがてかすかな金色の光がフィオナの手から生まれ、次第に強くなり、やがて古竜の体全体を覆い尽くした。

 * * *

 その時、ドレイクは、谷底に明るく輝く、金色の不思議な光を見た。
 その前に感じた、大地の揺れも収まり、岩場を転がり落ちる土や岩も落ち着きを見せた。

「急ぐぞ」

 ドレイクはユリウスに声をかけ、疲れも見せずに、谷底への道を降り続ける。
 前方には、一際大きな岩がまるで小山のように道を塞いで立っており、光はその向こうから広がっているようだった。


「フィオナ!!」

 大きな岩をよじ登ったドレイクは、その先にようやく探していたものを見つけた。
 そこには、瓦礫がれきの中に1頭の竜が横たわっており、竜に寄り添うフィオナの姿があった。

 ドレイクの声に、はっとして、フィオナが顔を上げる。

「……ドレイク様!?」

 ドレイクは軽々と岩から谷底へと飛び降り、フィオナの元に走ってきた。
 後ろには、ユリウスの姿も続いている。

「フィオナ!」

 ドレイクがフィオナをぎゅっと抱きしめた。
 フィオナの両足がぶらんと宙に浮き、フィオナは自分を抱き上げたドレイクの首にしっかりとかじり付き、肩の窪みに自分の頭を載せた。

「フィオナ様、ご無事で何よりです」

 ユリウスが少し荒い呼吸を吐きながら、やって来た。
 フィオナはユリウスが警戒していることに気づく。
 近くには、じっと座っているが、目覚めたばかりの古竜がいる。
 ドレイクの黒竜とは少し違う種類なのか、空を飛ぶ翼はあるものの、全体にがっしりとした、灰色の竜である。

「大丈夫よ、ユリウス。この竜はとても古い竜で、とても賢いの。目覚めたばかりだけれど、自分が人間の世界にいることはわかっているわ」

「人間の世界……?」

 思わずドレイクとユリウスが目を合わせた時だった。
 不意に、ドレイクが目を細め、厳しい声で言った。

「……お前はここで何をしている?」

 小石が落ちた。
 からん、と音がして、谷底に響き渡る。
 ドレイクとユリウスが越えてきた大岩の上から、1人の男が姿を現した。

 アルワーン国王、アルファイド・ガラニエル。
 フィオナとドレイクを竜の眠る谷まで来させた張本人である。

 アルファイドは、供も連れず、単身だった。
 いつものアルワーン風の裾の長いカフタンではなく、西国風のチュニックにブーツ、という旅装姿をしている。

「私は……」

 アルファイドの青い瞳が揺れた。
 ドレイクがフィオナを下ろし、自分の背中に庇う。
 ユリウスもまた、剣を抜いて、ドレイクの隣に立った。

 オークランドで共に時間を過ごした、かつての学友2人のその様子に、アルファイドは視線を落とした。

「すまない」

 アルファイドはゆっくりと頭を下げた。

「だが、私は、精霊が存在していることを自分の目で確かめたかった」
「お前は! いつも、己の都合だけで考える……! 1国の王になってまだ、そんなことを言っているのか!」

 ドレイクが怒りのままに、アルファイドを怒鳴りつける。

「勝手にフィオナを拐って、勝手にフィオナをこの谷に置き去りにして、お前は」
「ドレイク様!」

 フィオナはドレイクの腕を引いた。
 何かがおかしい。
 この谷に来た時から、人の気配などはしたことがない。
 残っている気配もなかったのだ。

 竜の伝説の残る場所として、人が寄り付かなかった、そんな気配を感じた場所だった。
 なのに、今は突然、まるで大地から湧き出たかのように、大勢の殺気立った人間の気配が、谷に満ちている。

「アルファイド、ドレイク、都合良く2人揃うとはな。手間が省けた」

 低い声がして、1人の男が姿を現した。
 その背後には、30人ほどの黒装束の男達が立っている。

 アルファイドは目を見開いた。
「……兄上?」

「兄と呼ぶな。おこがましい。お前が島流しにした父王は死んだ。お前のことは決して許さぬ! オークランドの飼い犬に成り下りおって! 精霊なぞを信じる弱腰のお前が、アルワーンの王にふさわしいものか!」

 アルファイドが舌打ちをして、剣を抜いた。

「……こいつを処刑しなかった自分の甘さが嫌になる」

 アルファイドの呟きに、ドレイクは思わずため息をつき、剣を握り直した。
「ユリウス、フィオナを守れ」

「フィオナ様、こちらへ」

 戦いの気配に、ユリウスも剣を握り直し、フィオナを庇いながら、安全な場所まで下がらせた。
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