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第2章 アルワーン王国編

第30話 美しき寵姫

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「まあ、いいでしょう」

 端的にザハラが評すると、ピンク色の瞳の少女は、嬉しそうに微笑み、本を閉じた。
 侍女のダヤが、フィオナから本を受け取り、テーブルの上に載せた。

 今日、ザハラとフィオナが読んでいたのは、アルワーンの古典的な詩集だった。
 古語で書かれた詩の中には、花や動物、美しいオアシスなどが出てくる。

 フィオナは『ザハラ』が花の意であること、フィオナのアルワーンでの名前である『アルナブ』がウサギの意であることを知った。

 フィオナはとても覚えるのが早く、それにはいつも冷静なザハラも目を丸くしていた。
 おかげで、アルファイドが指示したフィオナの学習範囲はもうほぼ終えてしまっていたくらいだ。

 詩の勉強が終わると、ザハラは侍女を呼び、爪の手入れを始めた。
 指先を柔らかくし、オイルでマッサージし、爪の形を整え、赤い色に染める。

「美しくいることも、仕事のひとつよ」

 目を丸くしてザハラをじっと見ているフィオナに、ザハラがそっけなく言った。

「お前もする?」

 ザハラがそう言うと、フィオナはぶんぶんと首を振った。

「いえ、結構です。わたしは綺麗にならなくても大丈夫です」

 ザハラがぷっ、と苦笑した。

「なぜ? アルファイド様は女性の身だしなみにとても厳しい方よ。身なりを整えないと、後宮から放り出されるわよ」
「構いません。アルファイド様に綺麗だと思われる必要はありません」

 ザハラがまじまじとフィオナを見た。

「ここは後宮なのよ。お前は後宮の女として、アルファイド様にお仕えする義務があるのよ。陛下がお前の部屋にいらしたら、どうするつもり?」

 フィオナはごくりと唾を飲み込んだ。
 それはどう考えても、まずい状況だった。

「そ、それは……ウサギになって逃げます!! わたしはドレイク様が大好きなのです。オークランドに来たのも、ドレイク様に会うためなのです。わたしはドレイク様でないと嫌です!!」

 ザハラは真っ赤な顔をしたフィオナを不機嫌そうに見つめていた。

「そう…………わたくしの教育の成果はその程度、ということなのね」

 ザハラの冷たい視線に、フィオナの背中に冷や汗が伝う。
 フィオナが耐えること数分。
 すると、ザハラは一転して、ぱぁっと、華やかな笑顔を見せた。

「そう、お前は本当に、アルファイド様には興味がないのね」

 ザハラはうなづいた。

「わかったわ、そういうことなら。もしお前が身の程知らずにも、アルファイド様に手を出そうとするなら、お前が後宮を逃げ出すくらいにはネチネチと虐めてやろうと思っていたけれど。わたくしはね、アルファイド様が大好きなの。覚えておきなさい。もしお前が図々しくも、アルファイド様の歓心を買おうとしたなら……」

 ザハラは嬉しそうに笑った。

「即刻、鍋に放り込んでやるわよ……?」

(ぴきいっ!! またしても、ウサギ鍋!? 人間達はなんて、ウサギ鍋が好きなのでしょうかっ……!!)

 * * *

 そんな、フィオナがまたしてものウサギ鍋の恐怖に震えている時、アルワーンの黄金宮殿の眼下に広がる城下町を、人目を避けながら進む2人の人物がいた。

 やがて、2人は何の特徴もない、ありふれた小さな茶屋に入る。
 テーブル席の間を抜けて、奥のカーテンを潜った先には小部屋があり、オークランドからの間者が、ドレイクとユリウスを待っていた。

「アルワーン1の美貌と言われているのが、寵姫ザハラです。彼女は国王のお気に入りで、後宮に暮らしながらも、かなり自由を与えられているようです」

 オークランドから送り込んでいる間者は、ドレイクの指示の下、すでにザハラへの監視活動を行っていた。

「毎月、寺院に参拝しています。衣装の仕立てや宝飾品の注文は、後宮に商人を呼んで手配できるはずですが、彼女は自分でも店に出向いています。おかげで、ザハラの容姿についてや噂など、調べやすかったですよ」

「どんな女なんだ」

「まず聞くのが、かなりの美貌だと言うこと。ベール越しでもわかるくらい、顔立ちがはっきりしています。仕立て屋の話だと、銀の髪に紫の瞳だそうです。そして女性にしては、かなり背が高い。元々アルワーンの生まれではなく、どこか西方から来たのではないかと言われています」

「銀の髪に紫の瞳?」

 ドレイクが不思議そうに繰り返した。
 なぜなら、ここにもう1人、その外見に一致した人物がいるからだ。
 ユリウスが真っ直ぐにドレイクを見返した。

「ユリウス、お前と同じだな」

 一方、ユリウスの方は、微妙に表情が固い。
 押し黙って、一言も口を開かない。

「ザハラ、というのは、アルワーン風の名前だが、本名なのか?」
「なんでも、子供の頃に奴隷として売られてきたらしいのです。そこでザハラと名付けられたと。それまでの記憶がないそうで、以前、どんな名前だったのかは、誰も知りません」

「ザハラを見てみたいな」

 ドレイクの言葉に、間者はうなづいた。

「明後日は、寺院の参拝日ですよ。そこで接触しましょう」

 そこで、ドレイクは声を潜めた。

「俺に考えがある。少々準備してもらいたい」

 * * *

 その頃、アルワーンの後宮では、寵姫ザハラが、アルファイドのために楽器を奏でていた。

 満月の下で、ザハラはどこか悲しげな、アルワーンの伝統的な音楽を奏でていた。
 夜風が、ザハラの長い銀色の髪を揺らす。

 ザハラが演奏を終えた時、アルファイドはザハラの髪をかき分け、現れたほっそりとした白い首筋に、唇を押し付けた。

「良い音色だった。褒美だ」

 そう言って、バラの花をかたどった、美しい首飾りをザハラの首に掛けてやった。

「ザハラ、これからしばらく、お前のところには来れない」

 そう言われて、ザハラは片方の眉を静かに上げた。

「…………どこぞの部族の王女様とのお話が進んでいるとか?」
「この週末には、両家での話し合いが予定されている」

「なのに、明後日、アルナブを寵姫ちょうきとしてお披露目されるのですか?」
「王女はまだ15歳だ。見た目はアルナブと大差ないだろう。なのにアルナブが寵姫になれば、ご機嫌を損ねるだろうな?」

 アルファイドは冷たく笑った。
 そんなアルファイドを見上げて、ザハラはしなやかに、彼の膝の上に腰を下ろす。

「わたくし、少しは自惚れてもよろしいのかしら?」

 アルファイドはザハラの腰を掴んで、引き寄せた。
 自然に2人の唇が重なり合う。

「ザハラ。お前だけが、特別だ」

 ザハラは返事の代わりに、さらに彼女の体をアルファイドにぴたりと押し付けた。
 音もなく、背後の幕が下され、侍女達が退出する。

(わたくしは、特別。それでも、わたくしがあなたの妃になることはないのだわ。……それでも)

 ザハラはアルファイに抱き上げられ、ベッドへと運ばれる中、目を閉じる。
 瞼の奥には、遠い記憶がある。

 深い森だ。
 古い木が重なり合う、森。
 離れ離れになって、自分の名を呼ぶ声がしている。

 自分と同じ、銀色の髪と、紫の瞳をした少年が、自分を探している。

 それでも、ザハラは決めたのだ。
 自分は、帰らないと。
 アルファイドを置いて行きはしないと。

(わたくしはこの青い瞳の男がいい)

 お互いの鼻がくっつきそうになるほど寄せられた、2人の顔。
 アルファイドの鮮やかな青い瞳は、まるで砂漠の中にあるオアシスのように美しい。

 アルファイドは、ザハラをまるで大切な宝石であるかのように、愛でる。
 優しい口づけに、ザハラはささやいた。

「……そのお優しいお顔は、わたくしの前だけにしてくださいませ。冷酷王アルファイドの名が廃れますから」

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