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第1章 オークランド王国編

第9話 黒竜とウサギ

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 早朝、王城の敷地内の一角に造られた城の鍛錬場では、気合のこもった掛け声が響いていた。
 騎士が1人ずつ、刃を潰してはあるが、実戦さながらに剣を持って戦う。
 勝者は残り、次の挑戦者を受ける。
 最後に残った勝者が対戦するのは……。

「陛下、怖れながら、参ります!」

 ドレイクはいつもの黒づくめの服装だ。革製の胴衣に、腕には同じく革と金属で作られた防具を着けている。
 対する騎士は実戦で使うフル装備に身を包んだ。
 鍛錬場に並ぶ騎士達は、第1部隊の面々だった。

「副隊長、がんばれ!」

 対戦を終えた仲間達が声を掛ける。
 副隊長が全身に力を込めて、ドレイクに打ち掛かっていった。
 がきん、という金属がぶつかる重い音が響く。

 ドレイクは子供の頃から、翼竜を乗りこなすために、体を鍛え、強靭な体を手に入れた。
 幼い頃は病弱な子供だったドレイクにとって、それはかなりの努力が重ねられた結果だった。
 この国で、いや知る限りの国で、翼竜に乗る人間はドレイクしかいない。
 それは、ドレイクの持つ宿命であるからだった。

 どん、と音がして、ドレイクの剣に弾き飛ばされた副隊長が、こらえきれずに肩から地面に倒れ込んだ。
 それでも起きあがろうとする副隊長を、隊長が止めた。

「そこまで」

 副隊長が肩を押さえて立ち上がる。
「陛下、ありがとうございました!」

「ケガをした奴は、ちゃんと手当をしておけよ。無理はするな」
 頭を下げる部下にうなづくと、ドレイクは竜舎に向かった。

 * * *

 竜を怖れる人間は多い。
 まさに伝説上の生物であり、実在するとは誰も思っていなかったからだ。

 竜がこの世界に登場したのは、オークランド王国が、隣国アルハーン王国に攻め込まれた時。
 ドレイクが黒の翼竜に乗り、黒の竜王として戦場に現れた時に遡る。

(アルディオン)

 ドレイクは、竜舎のある敷地を守る騎士にうなづき、その門を潜った際に、心の中で呼びかけた。

 契約を交わし、ドレイクの守護者となった竜の名前を、ドレイクは知っている。
 竜との契約とは、竜の名前を教えてもらうことで成立する。
 しかし、その名前は秘密であるので、ドレイクはいつも、心の中だけで呼びかけていた。

 黒竜は大抵、ドレイクが来ることをわかっている。
 そしてドレイクの心に直接話しかけるようにして、コミュニケーションを取ってくるのだ。
 そんな時、ドレイクは、黒竜が精霊達の暮らす、精霊国に関わる存在であることを改めて感じる。

 その能力も、何もかもが、人間の世界の基準を大きく超えている。
 今も、黒竜は即座にドレイクの呼びかけに応えてきた。

(竜王か)

 黒竜は竜舎から出てくると、翼を広げ、一瞬にしてドレイクの前に降り立った。

 黒竜は人々が怖れるように、人を無差別に襲うようなことは実はない。
 黒竜が人を襲うことを避けるために、ではなく、黒竜に何かよからぬことをしようとする人間から保護するために、竜舎のある敷地の周りは頑丈な壁で覆い、見張りと騎士を付けているが、竜舎自体には扉は付けられていない。

 黒竜はいつでも好きな時に、竜舎から出て、空を飛び回ることができる。
 しかし、国民に余計な不安を抱かせないために、ドレイクは人の多い街のある方角には行かないように言いつけていた。

 ドレイクは黒竜の硬い首筋を、ぽんぽんと叩いてやった。

「退屈はしていないか? そろそろ外へ飛びに行くか?」
 ドレイクが黒竜を思いやると、黒竜は楽しそうに笑い声を立てた。

(私に付き合ってくれるのか? では、あのウサギに会いたいのだが)

「ウサギに!?」
 思いもよらなかった黒竜の言葉に、ドレイクは驚く。

(大丈夫だ。私が安全なのは、そなたも知っているし、あのウサギは私を怖がったりはしなかっただろう。そなたがウサギを拾った時、私も一緒にいて、ウサギも一緒にそなたを運んできたのだからな)

「それは……その通りだと思うが」
 ドレイクはため息をついた。

 あのウサギを拾った時から、次々と予想外のことが起こる。

<ウサギは、何者なのだ?>

 もう、黒竜の希望通り、ウサギと会わせれば、ウサギ自身について何かわかるかもしれない。

 ドレイクはうなづいた。
「わかった。ウサギを連れて来よう」


 ドレイクがウサギ部屋で昼食を取っている少女の元に現れた時、少女はピンク色の目を丸くして、心から驚いている様子だった。
 昼間は執務時間だということをわかっているからだ。

「食事中か。もう終わるな。この後、時間はあるか?」

 ドレイクが少女に話しかけると、少女は口の中に野菜が詰まっているので、慌てて、こくこくとうなづいた。

「急がなくていい。ちゃんと噛んで食べろ」
 ドレイクが苦笑して言うと、少女は顔を赤くしたが、言われた通り、落ち着いて残りの食事を食べ始めた。

 部屋の入り口で控えているユリウスも笑いをこらえている。

「この後、竜舎に行くぞ」

 その一言に、少女が持っていたサンドイッチをぽろりと皿に落とした。

「黒竜がお前に会いたがっている」

「会いに行っていいんですか!?」

 少女は大興奮で両手を握り、ドレイクをキラキラした目で見上げた。
 しかし、問題はある。
 ドレイクは少女に尋ねた。

「今、ウサギ姿になれるか?」

 そうか、少女姿で部屋の外に出るわけにはいかないのだった。
 少女は眉を寄せると、むっ、と何か力を込めたように見えた。
 次の瞬間、白いウサギが踊り出すようにして、ドレイクに飛び付いた。

「……変身できましたね。彼女はある程度は意識的に姿を変えられるんでしょうかね」

 ユリウスは感心したように色白で細面の顔を傾げ、ドレイクの腕に収まって、頭を撫でてもらっているウサギを見つめる。
 ユリウスの銀色の長いまつ毛がふぁさ、と揺れた。

 それにしても、無駄に美貌の男である。
 どんな仕草をしても、妙な色気があるな、とドレイクは思った。
 少女が美貌の男に関心がないのが幸いだ。

 侍女のエマはすぐに少女のドレスを回収すると、小さく畳んで、ブランケットと一緒にバスケットに入れた。
 少女がウサギに変身する時のことを考えて、エマはコルセットを必要としない、柔らかなワンピース型のドレスを着せていた。
 万が一の時も、ぱぱっと畳んで、バスケットにしまうことができる。

 この、少女が変身した場合に備えて、エマが持ち運んでいるバスケットは、名付けて、ウサギバスケット。
 中に入っているブランケットは、ウサギが少女姿に戻ってしまった際に、彼女の裸を隠すのに必要だ。

「よし行こう」

 オークランド王国の黒竜は、ドレイクの守護者であり、世界に1頭しかいない貴重な存在でもある。
 黒竜の存在自体は、広く各国に知られていたが、竜の詳細な情報は固く守られていた。
 ドレイクは白ウサギを片手に抱えると、ユリウスとエマ、警護の騎士数名、という最低限の人数で、王城裏に造られている竜舎へと向かった。


 竜舎に近付くにつれ、竜が呼吸をする音、翼を動かす音などが響き、竜の気配が濃厚に伝わってきた。

(アルディオン)

 ドレイクが黒竜に呼びかけると、白ウサギが耳を立てて、まるでドレイクの心の声が聞こえたかのように、耳を澄ませているように見えた。

 黒竜が竜舎から姿を現すと、ユリウスがさりげなくエマを門の脇に誘導し、そこで待機するようにさせた。

 白ウサギは黒竜の姿を見つけると、ドレイクの腕から抜け出し、たたたっと黒竜に向かって走り出した。

「おい! ウサギ!」

 ドレイクが慌てて後を追う。
 ユリウスと騎士達も続いた。

 白ウサギが黒竜の前で立ち止まる。
 白ウサギと黒竜は、お互いに相手をじっと見つめているように見えた。
 そして次の瞬間、驚くことが起こった。

(幼な子よ)

 黒竜はそう言うと、その足を折って、白ウサギの前に礼を取ったのだ。
 ドレイクは驚愕した。

(アルディオン)

 白ウサギも黒竜に応えた。

 ウサギと黒竜はお互いに会話できるのか。
 しかも、ウサギは翼竜の名前を知っている。
 黒の翼竜は精霊女王の守護者だ。
 やはり、ウサギも精霊国の存在なのか。

 黒竜もウサギを知っている。
 黒竜が頭を下げる存在とは、一体何なのか。

 黒竜の背中に器用に飛び乗って、まるでドレイクがするように、その首筋を小さな手でぽんぽん、と叩いてやっている白ウサギを、ドレイクは苦笑しながら眺めていた。

 自分ではおかしな絵面になっているのが、きっとわからないに違いない。
 少女は、今は真っ白な毛並みの、チビウサギだというのに。
 ユリウスは爆笑を抑えるのに必死だ。

「アルディオン、お前はウサギを知っているのか?」
 こほん、と咳をしてから黒竜に尋ねると、沈黙が返ってきた。

(…………)

 あろうことか、黒竜は黙秘を選んだらしい。

「……ウサギの謎が深まってしまったな……」

 ドレイクは呟いた。

 ウサギは、ユリウスが言うように、精霊なのかもしれない。
 いや、精霊ではないかもしれないが、精霊国と何らかの関わりがあるのは、確かなように、ドレイクには思われた。

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