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第36話 オブライエン公爵

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 アレシアはアレキサンドラに言われたように、右に進んで、階段を下まで降りた。
 4階分降りたところで、廊下につながっている。

 薄暗い廊下を進むと、大きなガラス張りの温室があり、そこからテラスに出られるようになっていた。

 左右を確認して、誰もいないことを確かめると、アレシアはさっとテラスに開くドアのところまで走った。
 心臓が強く打っている。

 アレシアはそっとドアに手をかけると、ドアは音もなくすっと開き、アレシアは深い息を吐いた。

 暗がりの中を壁伝いに庭を進み、台所に入った。
 そのまま台所を突っ切って、勝手口を見つける。アレキサンドラから預かった鍵がぴたりとはまった。

 ドアを開けると、数メートルのところに、通用門が見えた。
 今やアレシアの心臓は、嫌なくらいに激しく打っていた。

「よし……ここを出れば大丈夫」
 アレシアは覚悟を決めて、台所を出て、通用門まで走った。
 しかし、通用門をくぐり抜けた途端、アレシアは立ち止まった。

「これは姫巫女様。ご用意したお部屋ではご不満でしたかな……? ご希望があるなら、新しいお部屋をご用意いたしましょうか。今度は、簡単に抜けられないお部屋、地下牢などいかがでしょうね?」

 オブライエン公爵の冷たい声に、アレシアは体を震わせた。
 無意識にじりっと背後に動くが、ふと、がちゃりと金属が触れ合う音がして、アレシアは振り返る。

 そこには、いつの間にか2人の騎士が立っていて、アレシアの退路を塞いでいたのだった。

 オブライエン公爵の緑の瞳が、嫌な感じに光ったようにアレシアは感じた。

「もちろん、あなたの部屋には見張りを付けておりましたよ。まさかアレキサンドラがあなたを逃がすとは思いませんでしたが。あれはやさしい娘だ。さて」

 オブライエン公爵はポケットから取り出した薄い手袋を両手に着ける。

「あなたにこれを使うのはまだ先と思っていたのですよ。まだあなたには利用価値があるものでね。しかし、あなたが逃亡しようとするなら、話は別だ。……女を拘束しろ!」
 オブライエンが騎士達に叫んだ。

 次の瞬間。
「アレシアに触れることは許さない」
 暗闇の中から、聞こえてきた声に、2人の騎士は動きを止めた。

 アレシアは驚きのままに声が聞こえてきた方角を見つめる。
 そこには、黒いチュニックに黒のマントを着たカイルが、エドアルドを従えて立っていた。
 さらにその後ろには10人ほどの騎士が控えているのが見える。

「オブライエン、この屋敷が監視されているとは思わなかったのか?」

 カイルはオブライエン公爵から、アレシアに手を伸ばそうとしていた2人の騎士に視線を移した。

「お前達。帝国の騎士であるなら、たとえオブライエン公爵家に仕える者であっても、皇帝に逆らうことは許されない」

 騎士2人はお互いを見合い、剣を下ろした。

「アレシア、こちらへ」
 カイルがアレシアに手を差し伸べる。

「ち……っ! 今更。使えない騎士どもめ」

 オブライエンは自らアレシアに手を伸ばすと、アレシアを羽交い締めにした。
 そのまま左手でアレシアを抱え込み、右手で服の中から、黒の封印を取り出し、アレシアに使用しようとする。

 しかし、カイルの剣の方が一瞬早かった。カイルは黒の封印を握った、オブライエンの右手を振り払うと、黒のびんは地面に転がった。
 エドアルドが手早くびんに手を伸ばし、回収する。

「カイル様!」

 アレシアは叫んで、オブライエンの拘束から身を捩って抜け出そうとし、カイルの手を掴んだ。

 次の瞬間、まばゆい金色の光が溢れ、つながり合ったアレシア、カイル、オブライエンの3人を包み込んだのだった。

 アレシアの頭の中に、耳障りな声が響いていた。

『こんなことがあっていいはずがない。不公平だ。間違いだ。ただ1人の皇位継承者がすべてを得る。同じ血を分けた私には何も与えられない』

『マーカス兄上が皇帝となる。さらに嫁いで来た女はどうだ。聖なるリオベルデ王国の王女ではないか。あんな美しい女は見たことがない。しかも、闊達でなんと生き生きとしていることか。エレオラの前では宮殿の女達はまるで半分枯れた花のようにしか見えない』

『軟弱な兄上よ。宰相の言うなりに、次々と側室を迎えるとは。エレオラのことを大切にしないなんて許せない。側室達も、その子供達も、許せない。子のいないエレオラの気持ちを何とする。しかし、迂闊だった。兄に年少の息子がまだいたとは。しかも、エレオラがその子供にリオベルデの姫巫女の娘をめとらせようとしている。なんと言うことだ……許せない』

『許せない……許せない……兄に関わるすべてを根絶やしにしないことには、私の心は落ち着かないのだ……』

 アレシアの中で、皮膚が黒く変色して苦しむ子供達の映像が見えていた。そして、その母親達の。

『許してくれ、エレオラ。あなたに兄の殺害計画を知られてしまった。秘密を守るためにはあなたにも消えてもらわなければならなくなってしまった。エレオラ、それでも、私は……あなたを……』

 やがて現れるであろう、エレオラの毒薬に犯された顔を見るのが辛く、アレシアは目を閉じた。

 すると、自分の肩を支える温かな存在に気づいた。

「カイル様、あなたにも、見えているのですか……?」
 アレシアの問いに、カイルはうなづいた。

「私にも、すべて見えている」

 緑色の目をした、美しい赤毛の赤ちゃんが見えた。

『アレキサンドラ、不幸な娘。しかしお前の母親はなんと立派な態度だったことか。心からあれを愛したことはないが、立派に妻を務めてくれた。そして私に娘を授けてくれた。そんな母親から生まれたアレキサンドラを、私はまた、便利に動かせる駒のように扱っているのだ……』

『私はアレキサンドラに黒の封印を与えた。あの娘が死んでも構わないとでも言うように。毒を通さない手袋は1組だけ伝わっている。私はそれをアレキサンドラに渡さなかった。自分のために取ってあるのだ』

 オブライエン公爵の声が震えた。

『兄上』

 オブライエン公爵は涙を流していた。

『私があなたを殺した。エレオラも殺した。カイル以外のすべての子供を手にかけたのは私だ』

 まるで雨のように、温かな涙の雫が、オブライエン公爵に降り注いでいた。
 アレシアが顔を上げると、そこにはアレキサンドラとよく似た、燃えるような赤毛の女性が立っていて、オブライエン公爵の頭を優しく撫でていた。

『もう終わりよ、あなた。これ以上、人の命に手をかけないで。あなたには私がいるわ。あなたがどんなに罪を重ねても、あなたを見捨てたりはしないわ。だからもう、子供達を殺さないで』

 アレシアの耳には、美しいソプラノの歌声が響いていた。
 それはまるで祈るような、清らかな歌声だった。
 金色の光が一段と強くなり、やがてゆっくりと消えていった。
 
 アレシアが気がつくと、そこには地面に倒れている2人の騎士と、地面に膝をつき、項垂れているオブライエン。そしてカイルに支えられながらも立っているアレシア自身がいた。

「私が、殺した。兄上に関わる人々をすべて。そして兄上をも」
 オブライエンが告白した。

 カイルはすっと息を吸った。
「オブライエン、すべてを改めて白状してもらう」

 オブライエンは項垂れたまま、うなづいた。

「エドアルド、オブライエンを捕らえよ」
 エドアルドは騎士達に指示して、オブライエン公爵を拘束した。
 カイルはオブライエン公爵を斬らなかった。

「自分の罪によって裁かれればよい」
 騎士に連れて行かれるオブライエン公爵の後ろ姿を見ながら、カイルはつぶやいた。

 そうして、すべては終わった。

 アレシアの過去を見る力はカイルとつながって、オブライエン公爵のすべての罪をアレシアとカイルの目の前に映し出した。そして殺された人々の想いを見せたのだ。

 オブライエン公爵はその罪に耐えきれなかった。
 アレシアの透視は証拠にはならない。しかしオブライエン公爵は自白したのだ。
 オブライエン公爵は、罪の重さを、もう自分自身で背負うことはできなかった。
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