上 下
7 / 50

第7話 緑の谷・2

しおりを挟む
 アレシアが湯浴みを済ませて部屋に戻ってくると、ネティが居間のテーブルの上に夕食を並べていた。

 アレシアの部屋は、こじんまりとした造りながら、寝室、浴室、衣装部屋、食堂兼居間から成っていた。

 部屋は代々の姫巫女ひめみこが使っていたそのままに譲り受けた。簡素な家具が置かれているが、カーテンや寝具、浴用用品などには、衣類と同じく、最上の品質のものが用意されていた。

 漂白された白の麻のドレスと絹のチュニック、普段用の生成りの麻のドレスは、それぞれ5組用意され、衣装部屋に吊るされていた。

 使用している布地を織ったのは神殿の巫女達である。
 その品質は最高のものだが、技術は惜しみなく民間に伝えられていて、リオベルデ王国の織物産業に貢献していた。

「いい匂い」

 普段用の生成りの麻のドレスに着替え、テーブルに着いたアレシアが嬉しそうに微笑んだ。

 食前の祈りをすると、さっそく手を伸ばして、スープ椀のふたを外した。
 ふわりと蒸気が上がり、煮込んだ野菜の香りが立った。

 夕食のメニューは、野菜の透明なスープ。生野菜のサラダ。穀物を茹でたもの。木の実と干した果実を甘辛く煮たもの。リンゴを甘く煮たもの。鶏の蒸し物。卵液を甘くして蒸したものがデザートとして用意されていた。

 神殿で奉仕している間は、水分は取るものの、昼食は取らないので、夕食には種類豊富な食事が用意されるのが常だった。

 野菜、果物中心のメニューだが、菜食ではない。卵や白身の肉、魚なども少量、食卓に載る。
 それは神殿に伝わる、家畜に苦しみを与えない「清浄な」方法でもって用意されたものだった。

「喉が渇いたでしょう」
 ネティがそう言って、冷ましたお茶を茶碗に入れてくれる。

 ネティは20代初め、アレシアよりは少し年上だ。小柄なので若く見られがちだが、とてもしっかり者である。

 アレシアが幼い頃、まだ王宮で暮らしていた時から、身の回りの世話をしてくれている。
 正式に姫巫女となり、神殿に居を移してからも、ずっとアレシアに付いていてくれる、とても頼りになる存在だ。

「ありがとう」
 アレシアは気持ちを込めて、ネティにお礼を言い、茶碗を受け取った。

「そういえば、陛下からお手紙をお預かりしています」

 今朝、アレシアはクルスと一緒に朝食を取った後、神殿での務めに向かったのだが、クルスはその後も少し残って、王宮に戻る前にアレシアに手紙を書いていたようだ。

 アレシアが手紙を広げると、久しぶりに会えてよかった、という文章から始まり、帝国への輿入れについて具体的に相談と準備があるため、近日中に王宮に来るようにと書かれていた。

「嫁入り支度についても準備があるから、数日は滞在するように、ですって」
 アレシアが顔を上げると、ネティはうなづいた。

「そうですね。お衣装の準備もありますから、それくらいは最低かかるでしょう。でも、ご心配なく。私ももちろんご一緒いたしますので。……もちろん、王宮だけではありませんよ。帝国へも、お供させていただきます」

 アレシアは思わず、自然に笑顔になってしまう。
 なんて頼りになるんだろう。

 ネティとはずっと一緒だった。まだネティ自身が少女で、アレシアが幼い子供だった時も、ネティは一生懸命、アレシアの面倒を見てくれた。

「ありがとうネティ。あなたがいてくれたら、わたしももっと、勇気が出る気がするわ」

 アレシアは北の方角を眺める。

 ランス帝国。このリオベルデを含め、広大な大陸を統治する大国家。
 その若き皇帝が、まさか自分の婚約者だなんて。
 アレシアにはカイルと会ったはっきりとした記憶はない。
 アレシアが覚えているのは、やさしい少年の瞳。青みがかった美しいグレーの瞳をしていた。

 婚約したのは、アレシアが3歳の時だった。
 カイル自身もわずか7歳で、前皇帝の子ではあったものの、まだ皇太子でもなかった。まだほんの幼女だったアレシアとの婚約を、どう思っていたのだろう。
 そんな2人の間に交わされた結婚の約束が、現実のものとなろうとしている。

『この婚姻の話を整えたのは、エレオラ伯母上だ。あの方は先代の皇帝に嫁がれたから……。しかし、婚姻については、両家でよく相談した上だと父上から聞いた』

 兄クルスの言葉を思い出す。
 しかしアレシアの母は、アレシアの婚約が整う前に亡くなった。
 エレオラ伯母も、2人の婚約が整って1年後に帝国で亡くなってしまったのだった。

 アレシアは、かすかな記憶の中で、妹を失い悲しみに沈む伯母の顔を覚えていた。
 アレシアの母エリンは、アレシアと同じく、輝く銀色の髪をしていたという。

 仲の良い姉妹だったエレオラとエリン。
 エレオラは帝国に嫁ぎ、皇后になった。エリンはリオベルデで姫巫女となった後、王位を継ぎ、女王となった。

 そして今、王女である自分は帝国へ嫁ごうとしていて、兄クルスはリオベルデの王になっている。

 リオベルデの王族は、何よりも女神にゆかりのあるこの国を守ることを第一に考える。同時に、大陸の強国であるランス帝国との良好な関係も保たないといけない。

 母と伯母は何を守ろうとしたのだろう。
 そして自分と兄は、何を守っていくのだろう。
 アレシアは静かに夜の闇を見つめていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

婚約をなかったことにしてみたら…

宵闇 月
恋愛
忘れ物を取りに音楽室に行くと婚約者とその義妹が睦み合ってました。 この婚約をなかったことにしてみましょう。 ※ 更新はかなりゆっくりです。

【完結】転生したので悪役令嬢かと思ったらヒロインの妹でした

果実果音
恋愛
まあ、ラノベとかでよくある話、転生ですね。 そういう類のものは結構読んでたから嬉しいなーと思ったけど、 あれあれ??私ってもしかしても物語にあまり関係の無いというか、全くないモブでは??だって、一度もこんな子出てこなかったもの。 じゃあ、気楽にいきますか。 *『小説家になろう』様でも公開を始めましたが、修正してから公開しているため、こちらよりも遅いです。また、こちらでも、『小説家になろう』様の方で完結しましたら修正していこうと考えています。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

処理中です...