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第7話 緑の谷・2
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アレシアが湯浴みを済ませて部屋に戻ってくると、ネティが居間のテーブルの上に夕食を並べていた。
アレシアの部屋は、こじんまりとした造りながら、寝室、浴室、衣装部屋、食堂兼居間から成っていた。
部屋は代々の姫巫女が使っていたそのままに譲り受けた。簡素な家具が置かれているが、カーテンや寝具、浴用用品などには、衣類と同じく、最上の品質のものが用意されていた。
漂白された白の麻のドレスと絹のチュニック、普段用の生成りの麻のドレスは、それぞれ5組用意され、衣装部屋に吊るされていた。
使用している布地を織ったのは神殿の巫女達である。
その品質は最高のものだが、技術は惜しみなく民間に伝えられていて、リオベルデ王国の織物産業に貢献していた。
「いい匂い」
普段用の生成りの麻のドレスに着替え、テーブルに着いたアレシアが嬉しそうに微笑んだ。
食前の祈りをすると、さっそく手を伸ばして、スープ椀のふたを外した。
ふわりと蒸気が上がり、煮込んだ野菜の香りが立った。
夕食のメニューは、野菜の透明なスープ。生野菜のサラダ。穀物を茹でたもの。木の実と干した果実を甘辛く煮たもの。リンゴを甘く煮たもの。鶏の蒸し物。卵液を甘くして蒸したものがデザートとして用意されていた。
神殿で奉仕している間は、水分は取るものの、昼食は取らないので、夕食には種類豊富な食事が用意されるのが常だった。
野菜、果物中心のメニューだが、菜食ではない。卵や白身の肉、魚なども少量、食卓に載る。
それは神殿に伝わる、家畜に苦しみを与えない「清浄な」方法でもって用意されたものだった。
「喉が渇いたでしょう」
ネティがそう言って、冷ましたお茶を茶碗に入れてくれる。
ネティは20代初め、アレシアよりは少し年上だ。小柄なので若く見られがちだが、とてもしっかり者である。
アレシアが幼い頃、まだ王宮で暮らしていた時から、身の回りの世話をしてくれている。
正式に姫巫女となり、神殿に居を移してからも、ずっとアレシアに付いていてくれる、とても頼りになる存在だ。
「ありがとう」
アレシアは気持ちを込めて、ネティにお礼を言い、茶碗を受け取った。
「そういえば、陛下からお手紙をお預かりしています」
今朝、アレシアはクルスと一緒に朝食を取った後、神殿での務めに向かったのだが、クルスはその後も少し残って、王宮に戻る前にアレシアに手紙を書いていたようだ。
アレシアが手紙を広げると、久しぶりに会えてよかった、という文章から始まり、帝国への輿入れについて具体的に相談と準備があるため、近日中に王宮に来るようにと書かれていた。
「嫁入り支度についても準備があるから、数日は滞在するように、ですって」
アレシアが顔を上げると、ネティはうなづいた。
「そうですね。お衣装の準備もありますから、それくらいは最低かかるでしょう。でも、ご心配なく。私ももちろんご一緒いたしますので。……もちろん、王宮だけではありませんよ。帝国へも、お供させていただきます」
アレシアは思わず、自然に笑顔になってしまう。
なんて頼りになるんだろう。
ネティとはずっと一緒だった。まだネティ自身が少女で、アレシアが幼い子供だった時も、ネティは一生懸命、アレシアの面倒を見てくれた。
「ありがとうネティ。あなたがいてくれたら、わたしももっと、勇気が出る気がするわ」
アレシアは北の方角を眺める。
ランス帝国。このリオベルデを含め、広大な大陸を統治する大国家。
その若き皇帝が、まさか自分の婚約者だなんて。
アレシアにはカイルと会ったはっきりとした記憶はない。
アレシアが覚えているのは、やさしい少年の瞳。青みがかった美しいグレーの瞳をしていた。
婚約したのは、アレシアが3歳の時だった。
カイル自身もわずか7歳で、前皇帝の子ではあったものの、まだ皇太子でもなかった。まだほんの幼女だったアレシアとの婚約を、どう思っていたのだろう。
そんな2人の間に交わされた結婚の約束が、現実のものとなろうとしている。
『この婚姻の話を整えたのは、エレオラ伯母上だ。あの方は先代の皇帝に嫁がれたから……。しかし、婚姻については、両家でよく相談した上だと父上から聞いた』
兄クルスの言葉を思い出す。
しかしアレシアの母は、アレシアの婚約が整う前に亡くなった。
エレオラ伯母も、2人の婚約が整って1年後に帝国で亡くなってしまったのだった。
アレシアは、かすかな記憶の中で、妹を失い悲しみに沈む伯母の顔を覚えていた。
アレシアの母エリンは、アレシアと同じく、輝く銀色の髪をしていたという。
仲の良い姉妹だったエレオラとエリン。
エレオラは帝国に嫁ぎ、皇后になった。エリンはリオベルデで姫巫女となった後、王位を継ぎ、女王となった。
そして今、王女である自分は帝国へ嫁ごうとしていて、兄クルスはリオベルデの王になっている。
リオベルデの王族は、何よりも女神にゆかりのあるこの国を守ることを第一に考える。同時に、大陸の強国であるランス帝国との良好な関係も保たないといけない。
母と伯母は何を守ろうとしたのだろう。
そして自分と兄は、何を守っていくのだろう。
アレシアは静かに夜の闇を見つめていた。
アレシアの部屋は、こじんまりとした造りながら、寝室、浴室、衣装部屋、食堂兼居間から成っていた。
部屋は代々の姫巫女が使っていたそのままに譲り受けた。簡素な家具が置かれているが、カーテンや寝具、浴用用品などには、衣類と同じく、最上の品質のものが用意されていた。
漂白された白の麻のドレスと絹のチュニック、普段用の生成りの麻のドレスは、それぞれ5組用意され、衣装部屋に吊るされていた。
使用している布地を織ったのは神殿の巫女達である。
その品質は最高のものだが、技術は惜しみなく民間に伝えられていて、リオベルデ王国の織物産業に貢献していた。
「いい匂い」
普段用の生成りの麻のドレスに着替え、テーブルに着いたアレシアが嬉しそうに微笑んだ。
食前の祈りをすると、さっそく手を伸ばして、スープ椀のふたを外した。
ふわりと蒸気が上がり、煮込んだ野菜の香りが立った。
夕食のメニューは、野菜の透明なスープ。生野菜のサラダ。穀物を茹でたもの。木の実と干した果実を甘辛く煮たもの。リンゴを甘く煮たもの。鶏の蒸し物。卵液を甘くして蒸したものがデザートとして用意されていた。
神殿で奉仕している間は、水分は取るものの、昼食は取らないので、夕食には種類豊富な食事が用意されるのが常だった。
野菜、果物中心のメニューだが、菜食ではない。卵や白身の肉、魚なども少量、食卓に載る。
それは神殿に伝わる、家畜に苦しみを与えない「清浄な」方法でもって用意されたものだった。
「喉が渇いたでしょう」
ネティがそう言って、冷ましたお茶を茶碗に入れてくれる。
ネティは20代初め、アレシアよりは少し年上だ。小柄なので若く見られがちだが、とてもしっかり者である。
アレシアが幼い頃、まだ王宮で暮らしていた時から、身の回りの世話をしてくれている。
正式に姫巫女となり、神殿に居を移してからも、ずっとアレシアに付いていてくれる、とても頼りになる存在だ。
「ありがとう」
アレシアは気持ちを込めて、ネティにお礼を言い、茶碗を受け取った。
「そういえば、陛下からお手紙をお預かりしています」
今朝、アレシアはクルスと一緒に朝食を取った後、神殿での務めに向かったのだが、クルスはその後も少し残って、王宮に戻る前にアレシアに手紙を書いていたようだ。
アレシアが手紙を広げると、久しぶりに会えてよかった、という文章から始まり、帝国への輿入れについて具体的に相談と準備があるため、近日中に王宮に来るようにと書かれていた。
「嫁入り支度についても準備があるから、数日は滞在するように、ですって」
アレシアが顔を上げると、ネティはうなづいた。
「そうですね。お衣装の準備もありますから、それくらいは最低かかるでしょう。でも、ご心配なく。私ももちろんご一緒いたしますので。……もちろん、王宮だけではありませんよ。帝国へも、お供させていただきます」
アレシアは思わず、自然に笑顔になってしまう。
なんて頼りになるんだろう。
ネティとはずっと一緒だった。まだネティ自身が少女で、アレシアが幼い子供だった時も、ネティは一生懸命、アレシアの面倒を見てくれた。
「ありがとうネティ。あなたがいてくれたら、わたしももっと、勇気が出る気がするわ」
アレシアは北の方角を眺める。
ランス帝国。このリオベルデを含め、広大な大陸を統治する大国家。
その若き皇帝が、まさか自分の婚約者だなんて。
アレシアにはカイルと会ったはっきりとした記憶はない。
アレシアが覚えているのは、やさしい少年の瞳。青みがかった美しいグレーの瞳をしていた。
婚約したのは、アレシアが3歳の時だった。
カイル自身もわずか7歳で、前皇帝の子ではあったものの、まだ皇太子でもなかった。まだほんの幼女だったアレシアとの婚約を、どう思っていたのだろう。
そんな2人の間に交わされた結婚の約束が、現実のものとなろうとしている。
『この婚姻の話を整えたのは、エレオラ伯母上だ。あの方は先代の皇帝に嫁がれたから……。しかし、婚姻については、両家でよく相談した上だと父上から聞いた』
兄クルスの言葉を思い出す。
しかしアレシアの母は、アレシアの婚約が整う前に亡くなった。
エレオラ伯母も、2人の婚約が整って1年後に帝国で亡くなってしまったのだった。
アレシアは、かすかな記憶の中で、妹を失い悲しみに沈む伯母の顔を覚えていた。
アレシアの母エリンは、アレシアと同じく、輝く銀色の髪をしていたという。
仲の良い姉妹だったエレオラとエリン。
エレオラは帝国に嫁ぎ、皇后になった。エリンはリオベルデで姫巫女となった後、王位を継ぎ、女王となった。
そして今、王女である自分は帝国へ嫁ごうとしていて、兄クルスはリオベルデの王になっている。
リオベルデの王族は、何よりも女神にゆかりのあるこの国を守ることを第一に考える。同時に、大陸の強国であるランス帝国との良好な関係も保たないといけない。
母と伯母は何を守ろうとしたのだろう。
そして自分と兄は、何を守っていくのだろう。
アレシアは静かに夜の闇を見つめていた。
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