魔剣狐たぶらかし

水珠

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魔剣狐、きょうだいには一家言ある

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「そのロンって人、そんなにヤバいの」

 私の口の中はもうからっからに渇いていた。
 理由は言うまでもないだろう。
 幾ら修羅場を経験したからって昨日の今日でこの展開に順応出来る程私は超人じゃない。

剣聖ウチは基本的に反社やからな、必要があれば一通りの悪事はする。
 堅気を殺さんように善処はしとるが剣鬼相手ならば話も別や。俺もフィーも相応に屍を重ねて来た」
「……まぁそれは薄々予想してましたけど、フィーちゃんまで……」
「お姉さんを助けたのはこのお兄ちゃんなんだけどね、その時もちゃんと人が逃げてるのを確認してから介入したんだよ。お兄ちゃんはそのへんマメだから」
「無駄に犠牲出しても旨くないからなぁ。廃刀の連中に目ェ付けられるのも怠いし、余計なヘイトは買わんに越したことないやろ?」

 それを聞いた私の心境は納得とショックで半々という所だった。
 魔剣使いとは要するに漫画の紙面から抜け出してきた暴力装置だ。
 私みたいに人畜無害に生きてた人間でさえあのザマでこのザマなのだから、そんな魔剣の世界で名を馳せるにはどうしたって斃した犠牲の山が不可欠だろう。
 そう解ってはいたけど、やっぱりフィーちゃんみたいな幼い子供までそうだと知るとやっぱり暗澹としたものが脳裏に広がる。
 とはいえ今此処でそれを口にしたってどうにもならないので、そんな気持ちは私の心の奥にしまっておく事にした。

「だがロンはウチの中でも特別でな。単純な殺害数スコアならアイツは頭抜けてる。
 ニナちゃんが絡まれとった『魔剣狩り』でさえ、ロン以上の数を殺しちゃおらんやろな」
「……殺人鬼って事?」
「殺人鬼ってのはちょっとちゃうね。どっちかって言うと在り方はそれこそ魔剣狩りに近い。
 アイツは喧嘩を売るんよ。で応じて来たらどちらか死ぬまで真剣勝負。
 万一逆に"売られよう"もんなら黒幕から末端まで一人も逃さん。ロンはそういう白痴ばかや。
 剣聖には後二人際物が居るけど、話の通じなさだけで言うたらヤツが群抜いてる」

 剣狂いならぬ戦狂いバトルジャンキー
 豚のお兄さんも言ってたけど、否が応にもあの魔剣狩りを思い出させられる性質だった。

「……え。そんな人がこれから帰って来るんですか? 此処に?」
「莫迦だが誰彼構わず殺して回るアホって訳でもないからな、喧嘩さえ売らなきゃ魔剣使いだからってすぐさま斬り掛かって来るこたないよ」

 だが、と豚マスクの下の眼光を顰めて続ける。

「ニナちゃんが剣聖に入るのを望むんやったら話は別や。
 ウチは基本何でもありやけど、一つだけルールがあってな。
 "剣聖一家に名を連ねるには一家全員にその加入を認められねばならない"。つまり俺やフィーがニナちゃんを歓迎したとて、残りの三人の誰か一人でも否を唱えたらその首を縦に振らせるまでは正式な加入が出来んって訳や」
「じゃあ……私はその、人殺し上等な戦闘狂某の首縦に振らせないといけないと」
「そうなる」
「そうなるのかぁ……」

 いや――無理。
 無理だ、うん。
 私の結論が出るまでは殊の外速かった。

「ごめんねフィーちゃん、あと豚のお兄さん。私にはやっぱりちょっと重たいかな……」

 正直な話をしておくと、迷う気持ちがあったのも本当だ。
 なんてったって私は自分が魔剣使いである事を隠せない。
 本当なら何処かの空き家にでも閉じ籠もって暮らしたいけど、『玉響』のケアはそこまで手厚くないのだ。
 お腹は減るし喉も渇く。
 社会と完全に関わらず人目に付かない風に生きる事は現実的に考えて不可能だ。
 だからフィーちゃん達『剣聖』の看板を背負って、人非人なりに堂々と胸を張るのも悪くないかと思った。
 けど普通に考えて、あの魔剣狩り以上の化物三人に認められろってのは幾ら何でも私みたいな雑魚の魔剣狐(まけんこ)には難題過ぎる。
 安全を買う為に命を落としてたら世話はないし、一家に入らなくてもある程度の庇護は貰えるらしいと来たら無理に身を粉にする必要もないかなというのが私の至極現実的で夢のない結論だった。

「そっか……ざんねん」
「わわ、元気出してー……。私もえっと、お菓子とか一杯買ってお部屋に置いとくから。
 私こんなナリだから友達とか居ないし、フィーちゃんみたいな可愛い子ならいつ遊びに来てくれても大歓迎だから!」
「えへへ、でもちょっと安心したかも。お兄ちゃんはああ言うけどロン兄ちゃん、すっごい意地悪でへそ曲がりさんだから」

 私の答えを聞いたフィーちゃんはかわいいアホ毛を『しゅん』と下げてしまって、慌てて私はフォローに回る。
 どうにも小さい子ががっかりする姿ってのは見てられないものだ。
 だけどフィーちゃんは私が心配してると悟ってか、またすぐにぱっと顔を明るくしてくれた。
 こんな子に守って貰う前提で話をするのは情けないし抵抗もあるんだけど、まぁ其処は後程豚のお兄さんにフォローして貰うとして。

「フィーちゃんはどんなお菓子が好き? 次会えるまでにお姉さん買っとくね」
「うん、えっとね――」

 兎にも角にもこれにて一件落着。
 血腥い方からのどかな方へと話を切り替えた、そんな矢先の事だった。
 ぴり、と。私の狐耳の毛先があらぬ方向に引っ張られたのは。

「……っ!」

 狐の体は大体の事が人より敏感だ。
 えっちな意味じゃなくて文字通りの話である。
 聴力も視力も人間より上だし、狐の特徴が特にハッキリ出てる耳と尻尾は色んな事にすぐ反応する。
 例えばそう。
 電気とかには、特に。

「お姉さん、逃げて!」

 フィーちゃんが叫んだ。
 私をベッドから引きずり下ろして、庇うように窓際へ立った。
 私はそれを止める事も出来ず尻餅を付いて只戦慄していた。
 感じ取ったのは物凄く巨大で、そして捷い何か。
 私がこれまでの人生で知る何よりも暴力的な力の塊。
 抵抗しようなんてとてもじゃないが思えない、思おうとする事が間違いだと感じてしまうような。
 それは――そう、まるで――
 小さい頃、空を見上げて只怯えるしか出来なかった。
 あの頃、世界がまだ無限に広がっていた頃に見た『神鳴り』のような……。

 轟音。
 そして衝撃。
 視界を埋め尽くす白。
 意識すら吹き飛ぶようなそれが炸裂した後の世界で、辛うじて気絶しなかった私の耳朶を揺らしたのは。

「――――よ。今帰ったぜ、兄貴」

 私より間違いなく年下だろう、状況に似合わない軽薄な声音だった。

    ◆ ◆ ◆

 私はどうやら今まで古びた洋館に居たらしい。
 今更になってそれが解ったのは、今まで居た部屋が物理的に壊れて館の全貌が見えるようになったからだ。
 蜘蛛の巣の張った壁もベッドも全部吹き飛んで青空が見えている。
 雲一つない青空だなぁなんて現実逃避の一つもしたい心境だったけど、そうさせてくれないのが目の前の魔剣使い達。
 もとい"兄妹達"の存在だった。

「兄ちゃん。ゲー兄ちゃんから聞いてたでしょ」

 私の前に立っているフィーちゃんは、先刻まで話していた子と同一人物とは思えないような怒気を滲ませていた。
 その小さな体には傷一つない。
 私が無事で済んだのもきっとフィーちゃんが助けてくれたからなんだろう。
 こんなに小さくても、私みたいなぽっと出の雑魚よりずっと強い魔剣使いなんだと改めてそう思い知る。

「フィーを助けてくれたお姉さんが居るって、聞いてたでしょ……!」

 辺りの地面に何本かの剣が突き立っていた。
 それが次々にボロボロと形を失って崩れていく。
 フィーちゃんは私に背中を向けているけど、もしも立場が逆だったら私はあれこれ撒き散らしながら這ってでも逃げ出してたに違いない。
 それくらいの気迫が今のフィーちゃんにはあった。
 だけどそんな彼女の声を浴びせられていた"そいつ"は……。

「よう兄貴。ほらよ、頼まれてた生八ツ橋」
「……ホンマに相変わらずやなオマエは。だから馬鹿呼ばわりされんねんぞ」
「雑魚の遠吠え聞いてもしゃーねえだろ? つーかよ」

 妹の声なんて聞こえないみたいに豚のお兄さんへ話し掛ける。
 気さくな笑みを浮かべて差し出す観光土産。
 そうしている姿は、……彼の背丈も含めて普通の『弟』にしか見えなかった。
 
(なんか、全然イメージと違う)

 くるんと毛先のカールした短い茶髪。
 160はあっても165はないだろう背丈。
 顔立ちの幼さ……どれを見ても高校生くらいにしか見えない。
 並み居る魔剣使いを次々討ち取ったバトルジャンキーという聞いてた像とてんで結び付かない姿形。
 だけどそういうギャップをねじ伏せる迫力が私の視界一面に散乱している。
 ぶち壊された館の残骸と瓦礫は今も青白い火花を立てていて、私の耳と尻尾はぴくぴく反応しっぱなしだ。
 そんな彼の指が。
 背丈の問題でフィーちゃん越しでも見えるそれが、背中越しの私を指差す。

「まさかソレじゃねえよな、ウチに入るかもしれん奴って」
「フィーも言うてるけどな。オマエ俺から話聞いとったやろうが」
「いいから答えろって。その雑魚カスじゃねえよな、って聞いてんだよ」

 散々な言われようだけど生憎反論出来る言葉は持ち合わせていない。
 別にその言い草に腹を立てる義理もないし、私としては嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。

「大言壮語は嫌いじゃないけどなぁ。身の程ってもんがあンだろ?何事にも」

 だけどどうやらこの嵐は、まだ終わりどころか始まったばかりみたいで。

「俺はくろと違ってこの剣聖一家はりぼてに其処まで執着ねぇからな。
 自分とこの看板背負うに足る人間なら別に老若男女何でも構わん。それよりアンタの体たらくの方に腹立ててたくらいでよ」
「…………」
「けど何だよコレ。俺の初撃も防げないわ、あまつさえガキの後ろに隠れて震えてるわの雑魚女。
 なぁ兄貴、アンタ自分の失態込みでも本気でこれをウチに入れようと思ってんのかよ? 答え次第じゃ俺は今後の身の振り考えるぜ」

 ――いやもう何でもいいから早く帰してくれないでしょうか。
 私は切実にそう思っていたけど、とても口を挟める空気ではなくて。
 どうしようかなこれ。
 どうすれば平和に帰れるかな……と思っていると。
 あろうことか次に声をあげたのはフィーちゃんだった。

「答えて」

 これを言うのは何度目か解らないけど。
 狐の耳はとても良い。
 だからだろうか、それとも単に私が役者の足りない臆病者なだけだろうか。
 兎に角私はこの時、ピシ、と空気の軋む音を聞いた。

「なんでお姉さんを攻撃したの。フィーを助けてくれた人だって聞いてたのに」
「ンな事知るかよカス」

 浴びせられた殺気に応じるように稲光が轟く。
 信じられない光景だった。
 何処にでもいるような少年のありふれたサイズの体が、当然のように蒼光を放って火花を散らしている。
 人はどうして雷を怖がるのか。
 ――手が届かないからだ。
 空が黒く染まるなり、雲間を引き裂いて降ってくるその雷霆にはどうやったって触れられない。
 手は届かず、そして触れられないなら、それは神の御業と呼ぶべきだろう。
 だから畏れる。
 じゃあ、そんな神の御業を。
 "神鳴り"を我が物として振り翳す存在がもしも実在するのなら。
 
「オマエ、何負けてんだよ」

 それは――
 それは――

「てめえその意味が解らねえ訳じゃねえだろ? ウチの神輿が勝手に転げて、土に塗れる。
 挙句何処の馬の骨とも解らん雑魚に尻拭いさせやがって、ンな恥晒しが何偉そうな口叩いてんだ? あ?」
「……それは」
「死人に口無し、負け犬の遠吠えほど耳障りな物もねぇ。俺が質問するまで雑魚はお座りして口噤んでろやカス」

 それは、神そのものと呼ぶべきではないのか。
 眼光自体が稲妻を帯びている。
 心臓の脈動に合わせて体が臨界を迎えるように明滅している。
 この状況も相俟って、私には彼が本物の雷様のように見えた。
 怒り狂って地上に降りては人の過ちを誅する――神様。
 神鳴りを奏でる天上の主。
 稲光を従え、嵐を乗り物にして空を駆ける傍若無人のロン

「で? ほら早速質問してやるよ。良かったなぁ面汚し。兄貴の命令無視してまで先走って、何処の誰にぶっ飛ばされたんだよ? 言ってみろや」
「……フィーは――」

 まいった、思ったよりも怖すぎる。
 これは無理でしょ。
 なんかバチバチ言ってるし。
 言葉選びが一から十まで怖いし。
 ていうか何でこれと私が戦う事を選択肢の一つに出して来たのさ剣聖さんちの二人は。
 でも幸い私の存在は終始蚊帳の外。
 おっかない雷神様は私みたいな雑魚のカスに興味ないみたいだし。
 このまま嵐が過ぎるまで震えてれば、最悪の事態は何とか回避出来そうだった。

「……あのさ」

 だってのに、嗚呼。

「さっきから、妹にそんな言い方無いんじゃないの」

 何だってこの口はわざわざ地雷原に突っ込んで転がり回るような真似をしてしまうのか。

    ◆ ◆ ◆

「あ?」

 ほら見ろ視線が向いた。
 不機嫌と不快を隠そうともしない眼光が私を射抜く。
 率直に言って漏らしそうだった。
 若者の人間離れとか少年犯罪の凶悪化とかそういう次元じゃないでしょこれは。
 フィーちゃんもびっくりしたような顔でこっちを向いてる。
 だよねー。そりゃそういう顔にもなるよね。

「妹なんでしょ。血は繋がってなくても」
「……」
「勝ったとか負けたとかじゃなくてさ。まずは心配するのが、お兄ちゃんなんじゃないの」
「――は」

 まるで心底傑作な冗句を聞いたみたいに龍は噴き出した。
 ひぃひぃと喉を鳴らしながら、オトガイを反らして笑っている。
 その笑い声が止むのと、雷が落ちるのは同時だった。
 私の頬を一筋掠めて、蒼い稲妻が走り抜けていった。

「あ~可笑しい可笑しい。で? 何だって? あんまり可笑しくて何言ってたか忘れちまったわ、もう一回言ってくれや」
「……ッ」

 語り口はフレンドリーに聞こえる。
 だけどその実情は全くの真逆だ。
 こいつは愉快を示す為に笑っているんじゃない。
 寧ろその本当の目的は、口を開いて牙を剥く事であるかのように。
 今までは脈打つだけに留まっていた雷神の影が、夏夜の誘蛾灯に似た破裂音を響かせながら感光を始めていた。

「言えって、なあ」
「おいロン、やめろ」

 私だってこんな奴と関わりたくない。
 出来るなら揉み手でもしてやり過ごしたいのが本音だ。
 今だってほら、豚のお兄さんが助け舟出してくれてるし。
 私が余計な事さえしなければ、前よりちょっと物騒さが増した日常に帰ってそれで済む。
 なのに私って人間はとことんまでに要領が悪いみたいで。
 こんな時だってのに、怖い怖いって震えてる以外の自分が喧しく喚き立てているのだ。

「そのデケえ耳は飾りか? あぁそれとも口の方が飾りなのか? 狐なら狐の言葉で答えてくれてもいいぜ、どの道俺の返事は決まってるしな」
「ロン」
「兄ちゃん――やめて」

 答えろって言われたら、言うべき事は一つしかない。
 ファーストコンタクトから今までずっと私がこいつに感じてる事は一貫してる。
 怖い。こんな化物とは関わりたくない、今すぐにでも尻尾巻いて逃げ出したい。

「ダンマリかよ。つまんね」

 そんな気持ちが脳裏の隅に追いやられてしまうくらい、私はこいつに――

「売られた喧嘩は買う主義だ。焼けとk――」

 言葉が結ばれるのを待ったら駄目だと解った。
 何度でも言うけど狐の体は兎に角色々敏感だ。
 それは何も、目に見えて耳で聞こえる情報に対してだけじゃない。
 動物由来の本能的直感。
 戦闘に応用出来る程じゃないけど、"駄目"な事は薄っすら解る。
 だから此処しかないと思った。
 腹を括るタイミングは、これが最後。


「――出ろ! 『玉響』!!」


 体が炎に染まる。
 噴き出す炎が腹を括らせる。
 掌から飛び出した刀。
 その切っ先を絵筆に見立てて描き出すのは狐火の像。
 狙う先はフィーちゃんの馬鹿兄貴、その人を馬鹿にし腐った顔面だ。
 やはりと言うべきか簡単に払われてしまうけどそれでもいい。
 今は、それでもいい。
 大事なのは仕掛けたって事。
 自分の意思で、魔剣けんを抜いたって事だから。

「お姉さん……!」

 そう、思えばずっとムカついてた。
 こっちの話も聞かないでいきなりぶっ放して来るし。
 当の私の事は蚊帳の外に置いて言いたい放題してるし。
 その癖こいつ、多分私より年下なんだ。
 精々高坊だろう年下のガキにゴミカス扱いされてむかっ腹の一つも立たない程、私の性根は穏やかじゃない。
 それに。
 何より――

「抜いたな」
「抜いたよ。ああ抜きましたとも」

 ――おまえなあ、お兄ちゃんなんだろ!
 兄貴が妹の事ゴミだの雑魚だのカスだの言うか普通!
 倫理観どうなってんだ! いや人殺しに説教してもしゃーないけど!

「……兄貴。馬鹿フィー。こっからはマジで手出し無用な」

 腹は括った。
 後戻りはもう出来ない。
 ならもう修羅場だ、出たとこ勝負だ。
 今こそ自分の気持ちに素直になろう。
 嗚呼、もう――あったま来た!
 こいつ。このガキ。
 ぜっっったい――ぶっ飛ばす!
            
「剣聖一家三男、皆殺しのロンだ」
「は?……何、改まって」
「おいおい剣鬼同士が死合うんだぜ? お約束だろ。良いから名乗れよ、それとも名無しの権兵衛で死にてえか」
「……篝ニナ。ああでも」


「もうすぐ只の"ニナ"になっちゃうかな。長女か次女か解んないけど、そっちのお宅にお邪魔するから!」
「流石イヌ科だな。遠吠えは得意分野か!? 畜生女ァ!」


 ……あ。
 でももしかしたら普通に死ぬかも。
 目が焼け付くんじゃないかってくらい眩しく光る未来の弟候補を前に、私は顔が引き攣りそうになるのを必死で堪えなければならなかった。

    ◆ ◆ ◆

 それは――人の形をした雷だった。
 龍の全身が蒼白に発光して火花を散らしている。
 そんな活動する自然現象という不条理が私の前にある。
 私の脳内に甦って来たのは、腹の立つ事にあの魔剣狩りの講釈だった。
 魔剣には二つの種類がある。
 一つは単に握って使う武装型。
 そしてもう一つは――

「合一型魔剣……!」
「へぇ、知ってんだ? 『魔剣狩り』は良い師になったみたいだな」

 まさかの同族。
 でも素人目にも解る、私とはあらゆる面で格が違うと。アレ
 だってそうでもなかったら、一応は乾坤一擲だった筈の初撃を片手でいなすなんて出来る筈がない。
 魔剣狩りに比べればこれでも幾らか分別の付く相手ではあるんだろうけど。
 それでも私はもう既にこいつの地雷を踏んでいる。
 地獄の釜を開けてしまっている。
 油断も慢心も全部が即死に繋がると、狐の生存本能が喧しい程に警鐘を鳴らしていた。

「狐女。オマエゲームとかやる?」
「……人並みには」
「じゃあオマエ、ゲームやる時何を思ってコントローラーを握るよ。血湧き肉躍る戦いか?それとものんびり楽しい息抜きか?」
「多分後者、だけど」
「かーッ玉無しかよ。女はこれだからいけねぇな」

 こっちがさてどう切り込むかと必死に考えてるってのに、いきなりこんな話を振られて面食らいそうになる。
 挙句の果てには答えてやったってのにこの態度だ。
 そういう物言いって今の時代はいけないんだぞ。
 只でさえムカついてるってのに火に油を注がれて、私は勢い任せに踏み出しながら売り言葉に買い言葉で逆に問いを投げ掛けた。

「ならあなたは何を求めてるってのさ!」

 魔剣狩りの講釈。
 合一型の魔剣は、担い手を全力で生かそうとする。
 だから即死と過度の欠損以外は傷付いた内に入らない。           
 文字通り死ぬ程痛いが、死ぬ訳じゃないんだから我慢して切り込み続けろとあの狂人ばかは言っていた。
 直感を尖らせろ。
 生存本能を必死で回せ。
 こちとら死ぬ事以外は掠り傷――即死だけ避ければ私は死なない!
 自分を鼓舞しながら繰り出す大上段からの振り下ろし。
 狐火の出力を刃の方向に向ける事で噴射器ブースター代わりにし、剣鬼相手じゃ絶対的に足りない膂力をカバーする。
 私なりの新しい工夫も盛り込んで放った乾坤一擲は、……それでも子供の児戯みたいにあっさり彼の刀身に防がれた。

「"勝利"」

 玉響が出現する時と同じように、掌から突き出した日本刀。
 腕の細さなんて私とどっこいどっこいに見えるのに、どうしてか山でも斬ってるみたいに硬くて重たい。
 奥歯が砕けそうになるくらい力を込めても私の玉響はこの拮抗を崩せずに二の足を踏み続けるばかりだった。

「それも単なる勝ちじゃねぇ。圧倒的な実力差で踏み躙って、ありったけ苛つかせて自尊心をぶち壊すような"完勝"だ。
 鎖国されて以降はゲーム会社もシェア争いに本気だから絶滅状態だけどよ、そうじゃなかったら別にチート入れたって構わねぇ」
「ガキか、この……! 厨二病拗らせんのも大概にしとけってのよッ」
「俺は勝利を愛してる。逆に言えばそれ以外、たにんとの関わりなんざ求めてねえ。求めるのは常に蹂躙さ」

 別に私だってそう高尚な人間じゃないし人の事は言えないけれど。
 それでも解る事は一つある――こいつの語ってる事はあの『魔剣狩り』とは全然ベクトルが違う。
 幼稚なのだ。
 薄いのだ。
 まさに歳相応というか、中学高校くらいでかぶれるような自分中心のエゴイズム……ネットだったら口にした瞬間中二病とかそういう一言でバッサリ切り捨てられて終わりの主義主張をビビるくらい堂々と声高に語って来るから思わず面食らいそうになる。
 でもだからこそ、私にはこのロンって子がとんでもなく理不尽な存在に感じられてならなかった。
 だってそうじゃない。
 普通恥も外聞もなく幼稚な事を喚ける奴ってのは実力の伴わない、世間も自分も知らないダサい雑魚って相場が決まってる。
 故にこそその手の"病気"になった子供達は大人になるにつれて過去の自分を痛々しい古傷として捉えるようになっていくんだし、逆に抜け出せなかった人間は錐揉み回転しながら誰の手も届かない所まで堕ちていく。
 でも逆に、そうもしも。
 もしもそんな幼稚を振り翳して回る輩に、その有言を実行出来るだけの力が備わっていたのなら?

「一人殺せばまた次を。それを倒せば更に次。次を次を次を次を――貫いてこその生涯無敗、天下無双!
 男として生まれたんなら体現すべき理想はそれだ、女には理解が及ばねえかな」
「ぁ、ぐ……! ゥ、ぅうぅうううう――ッ」

 切り込んだのは私だった筈なのに。
 何故か私の腕が裂ける、傷口は愚か骨まで焼け付いて焦げていく。
 その理由は驚く程に単純明快で絶望的だった。
 だってこいつは雷だから。
 人が雷に触れられない理由は、何もそれが空の上で生まれる現象だからって訳じゃない。
 触れると死ぬからだ。
 皮膚は焼け、骨は焦げ、命が焼き切れてしまうからだ。
 故に雷とは神鳴り。
 神に挑もうとした不信心者の末路はいつも一つ。
 罰が当たって、命が裂けるのだ。

「まだ、まだぁ……!」

 私は合一型だから手が裂きイカみたいになってもダメージの内に入らない。
 そりゃ死ぬ程痛いけど、それで一々ぴーぴー泣いてたらそれこそ次は膾切りだ。
 だから我慢してやり過ごす訳だけども、だからと言って痛いだけの膠着状態を延々続けるのは旨くない。
 仕切り直しの為に前蹴りを出して、相手の体に一撃入れながら数歩分下がる。
 そして剣を構え直す――脳内におっきな絵筆をイメージして、空間に炎の絵具で絵を描くのだ。
 狐火が織り成す縦横無尽、十重二十重の斬撃網。
 魔剣狩り戦を経たからこそ思い付くし実行も出来る精一杯の無茶苦茶を押し付けるべく必死こく私に、然しロンは。

「おいおい。五十にも届いてねえじゃん」

 私自身さえ把握してない斬撃の数を一目で見切って。
 その上で、動作モーション無しの電撃を文字通りその全身から噴出させた。
 
「ッ、嘘……!?」

 肉体を焼かれながら吹き飛ばされる私の視界に、苦労して出した狐火の斬撃網が一瞬で霧散していく光景が映る。
 ……私は無茶苦茶をやったつもりだった。
 でもあんなの、こいつ……いや。
 の世界じゃ、無茶苦茶どころか脅威の内にも入らないっていうの……!?

「話の続きな。
 よく勘違いされんだけどよ、別に前時代的な差別主義を振り翳して悦に浸ってる訳じゃねぇよ。
 男だろうが女だろうが、血湧き肉躍らせてくれるならそれでいいのさ。逆に言えば其処に達しない全ての生命体を俺は嫌悪してる。
 オマエが斬り結んだって言う『魔剣狩り』とも此処は同じなんじゃねぇかな。アレもアレで雑魚が許せねぇ質だろうし」
「は、ぐ……ッ」

 肺がおかしい。
 肺胞が焼け付いてるのか空気が上手く取り込めない。
 でも治るのを待ってる暇はないから、軋む膝を無理やり動かしてせめて膝立ちの状態には持って行く。
 其処に突撃して来る剣鬼ロン――稲妻そのものの刺突を玉響を面で構える事で少し逸らせたのは自分でも神がかった機転だった。
 そのお陰で私は……本当は確殺だったろう一撃を、左肩が抉れ飛ぶ程度の傷に抑える事が出来たのだ。

「ましてや魔剣使い――これだけの玩具を与えられて躍れねぇ玉無しに用はない。そして今、そんな虫螻が蝋燭の火にも劣る蛍火を掲げて俺の家に踏み込もうとしてると来た。
 なあおい、今からでも尻尾巻いて帰れや雑魚糞。もう解っただろ、彼我の力の差ってもんは。
 確かに多少はやれるようだがそれも新参ルーキー基準の話だ。オマエじゃ俺にも兄貴にも……フィーのアホにも成れやしねぇよ」

 痛い。
 苦しい――やばい。
 肩ごと腕は生え直り始めているけど、それが完了するまで意識を保てないくらい脳が沸騰していた。
 視界が冗談抜きに回転してるし見える物全部がブレまくっていて狙いの一つも付けられそうにない。
 口から溢れる涎をはしたないと思ってるのに、拭おうと手を動かすだけで胃の中身を全部吐き出しそうになる。
 死ねないと言う事がこんなにも苦しいんだと、私はこの時初めて知った。
 これに比べれば確かにあの魔剣狩りは所詮"狩人"だ。
 これが、"剣聖"。
 魔を従えながら聖なるモノを名乗る、剣鬼達の極致……!

「兄貴の手前と愚妹の恩だ。跪いて遜れば許してやるよ。剣聖一家の龍が売られた喧嘩を流してやるのは破格の処遇だぜ?」

 ……であればこれはきっと、彼の言う通り千載一遇の好機なんだろう。
 これ以上続ければ絶対に死ぬし此処までの段階で殺されてたって何もおかしくなかった。
 私が偶々今の一撃を凌げたから、それに免じて少しだけ譲歩してくれた。
 その温情に飛び付かない理由は考えられる限り一つもない。
 悪逆無道の山賊がほんの気紛れで足元の蜘蛛を避けてやるみたいに。
 二度とありはしない私にとって最高の気紛れが今、終わりかけの命を首の皮一枚繋げてくれてるんだ。

「俺の時間は高い。さっさと選べ、畜生」

 片膝ならもう突いている。
 今立ててるこのもう片方を地面に突ければいい。
 それで頭を下げて、土に擦り付けでもすれば満足してくれるだろう。
 たったそれだけの事で私は明日も生きていられる。
 それも多分、もう二度とこんな痛い思いはしないで生きていけるんだ。
 じゃあ選ぶべき選択肢はやっぱり一つで。
 私は――
 私は――、震える喉を動かして声を絞り出す。


「あの、さ。君達魔剣使いって……もっと、短く……喋れない、の……?」


「あ?」

 眉を顰めるロン。
 当然だよなぁなんて心の中で苦笑しながら。
 でも顔にはありったけの憎たらしい、慣れない露悪的な笑顔を貼り付けてやる。
 上手く出来てるかは全然解んないし出来てたとしても涙でぼろぼろの顔だ。
 格好なんてこれっぽっちも付いてないだろうけど、もうこの際それでもいい。
 ニナは生憎オマエらみたいな強くて格好良い生き物じゃあないんだよ。

「『魔剣狩り』といい、君といい……。
 人が黙ってれば、ずーーーーっとべらべら喋ってるんだもん……っは。
 剣握ってヒャッハーするのも良いけど、たまには……ッ、人とちゃんと、喋れるように……練習した方が、いいんじゃない……?」
「……何言ってんだオマエ。恐怖で現実逃避でもしてんのか?」
「私はぶっちゃけどうでもいいんだよ。
 そっちの家に入るだとか入らないだとか。
 どっちにしたって身が危うくなるのは確定みたいだし。血の池地獄か針山地獄かを選ばされてるような気分なの、ずっと」

 歯磨き粉のチューブを必死になって絞ってる時。
 そんな日常の一シーンを私は場違いにも思い出していた。
 でもやってる事自体は実際同じだ。
 自分の中でありったけの言葉を紡いで片っ端から絞り出して気丈を装う。
 少しでも自分を大きく見せる為だ。
 相手にも、……自分にも。

「なのに私が今剣を握ってる理由。それは――」

 最近気付いた事。
 私はどうも、いざって時に理屈で行動出来ないタイプらしい。
 魔剣狩り相手の時は理屈じゃなくても理由はあった。
 けど今回はもうこれこそ滅茶苦茶だ。
 どう考えたって最適解なんて一つなのに。
 詫び入れて降参すれば済むだけの話なのに――
 何故かこの足は跪くんじゃなく立ち上がろうとしてて。
 それに合わせるみたいにこの魔剣は強く、より強く燃え上がっている――!

「その上から目線で独り善がりな言動ぜんぶが、ぶちのめしたいくらいムカつくからってだけなんだよこのクソガキ……!」

 立ち上がった。
 立ち上がって、しまった。
 もう戻れない。
 気紛れは二度は起きないだろう――でも知るか。
 もう知るか知るもんか理屈なんて。
 やってしまったものは、仕方ないんだから!

「もういい、もう知らない! 
 あったま来た! 黙って聞いてれば雑魚だのカスだの畜生だの初対面の相手に好き勝手!
 まだ高校生そこらの歳のガキが、ちょっと長物ぶん回すのが上手い程度でイキり散らかすのも大概にしろっての!」

 燃えろ、燃えちまえ『玉響』!
 今だけはあんたの全部を肯定してやる。
 だから私の為に燃え上がれ。
 私を庇って雷神の前に立ってくれたあの子の為に燃え上がれ!
 こちとら、きょうだいには一家言あるんだよ!

                 
「かかってきなさい、雷小僧! ――がボコボコにしてあげる!」


 喝破はそれだけ。
 後は剣で語る。
 それがこの家の流儀だろうと何故か今は肌で解るんだ。
 それはどうやら正解だったみたいで。
 自棄を起こした私を訝しむように見つめていた雷神の顔から『ビキ』と音がしたのが聞こえた。

「……吠えたな、この俺に」

 やっぱりそうだよな。
 口ではどう言ってもこの一家に身を置いてるんだ。
 よそ者が軽々しく口にするその言葉は、看過出来ないよな。

「ふ――――――――…。良いわ良いわ、解った解った。
 悪い悪い、マジでその気なんだとは思わなくてよ。
 いや本当悪かったな。俺って剣見る眼ぁあっても人見る眼はからっきしでなぁ。
 まぁオマエの言う事にも正直反論出来ねぇかもだ。人付き合いとか全然して来なかったからなぁ……」

 だからよ、と一言。
 それが合図だった。

「吐いた唾は呑めねぇぞ雑魚狐」

 ロン――雷神たる龍から発せられる雷が。
 私の眼で見た限りでもざっと十倍以上に膨張する。
 正気を失っても可笑しくない事実が突き付けられた形だ。
 冗談じゃない――先刻までのアレでさえこいつにとっては加減に加減を重ねた様子見だったって事。
 足が震える。
 歯が鳴りそうになる。
 いや、それでもいい。
 震えてもいい。
 歯を鳴らしてもいい。
 只一つ。
 そう只一つ……!

「そっちこそ――」

 剣を握れていれば、それでいい!

「あんまり魔剣狐まけんこ舐めんなよ、馬鹿弟ロン!」

 思いの丈全部を込めた炎は玉響に燃え盛り。
 結果の見えた戦いに、私は虚勢を張って飛び込んでいく。
 誰かを守る為じゃない。
 目の前の敵に勝つ為に剣を振るうんだ。
 多分この日――いやこの時。
 私は本当の意味で、剣鬼になった。
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