16 / 21
本編――公爵令嬢リリア
2-12
しおりを挟む
四日目、リリアは違和感を覚えていた。
それは、アルテミスに避けられていたからでも、カルロが家を訪ねていたからではなく、ナイーゼ家を徘徊する騎士の数が明らかに増えたからだ。
それも、ただの騎士ではなく、皇家を象徴する胸章を身に着けた皇家直属の『聖騎士』たちが。
こんなことを仕出かす人間に心当たりは一人しかおらず、毎日のように家を行き来している皇太子その者に違いない。
昨日から、彼らの姿が敷地で見られるようになっていたことはリリアも勘付いていた。
が、今日になって、その数が更に増えているのだ。
昨日は気に留めるまでもなかったが、今では明らかに目に付くレベルである。
何気なく聖騎士本人に事情を尋ねてはみたものの、話を逸らすばかりで、誰も口を割ってくれなかった。
口外を禁じられているとしても、余計に謎は深まるばかりだ。
まだ顔合わせの日から一ヶ月どころか一週間も経っていないが、この状況を易々と見逃す訳にもいくまい。
だからリリアは、彼に突き付けた条件を自ら破り、その日も飽きもせず訪ねて来たカルロの元へと向かった。
居場所はメイドたちに聞いて回って。
「―――殿下!!」
行く宛もなく、決して狭くない家の中を探し回ったリリアは、彼の姿を確認するなり精一杯声を上げた。すっかり疲れ果て、息も絶え絶えである。
その時カルロは、屋敷から少し離れた馬小屋にいた。
馬に優しく触れて、微笑んでいるときだった。
突然の声に、カルロは馬から手を離し、リリアの方をちらりと見た。
それから何度か瞬きを繰り返し、最後には彼女の方に向き直した。
「……リア?」
きょとんとした表情を浮かべてカルロが呟く。
けれどもその声はリリアの耳に入ることなく、虚空に飲み込まれて消えていった。
けれども直ぐに我に返ったようで、リリアの様子を確認すると安堵の表情を浮かべた。聞かれていないようだ、と。
それから、彼は純粋な疑問をリリアに投げ掛けた。
「どうして君がここに?」
それを聞きたいのは何方かというとリリアの方である。
皇太子ともあろう者が他家の敷地内、それも比較的小汚い馬小屋にいるなど誰が想像できようか。
「殿下こそ……!何故こんな所にいらっしゃるのですか?」
思っていたことが計らずも彼女の口をついて出た。
本来聞きたかったことを忘れた訳では無いが、今はそんなことよりも、わざわざ馬小屋に足を運んだ理由が知りたかったのだ。
馬など、皇宮で沢山見られる筈だ。公爵家なんかより余っ程立派な馬が。
そうしている内に、カルロが漸く口を開いた。少し考える仕草をしてから、やっとのことで言い放つ。
「………馬が、好きなんだ」
そう呟くと、カルロは馬を一瞥した。慈しむような視線を向けて、馬をひと撫でする。
馬は心地良さそうに、彼に顔を寄せていた。
言葉に嘘はない。それだけは確かで、けれどもきっと何か大事なことを隠しているような気がしてならなかった。
そう思うと、リリアはまた胸の奥がむず痒くなるのを感じた。前世も今も、どれ程隠し事をすれば気が済むのだろうかと思うと、辛くもあり、何処か寂しくもあったのだ。
今になって知ってしまうことも。
それはきっと恋なんかではなくて、言葉では表現し難い別の何かで、滅多に知り得ない感情だろう。
「そう、なのですね」
独り言のように、リリアは答えた。ぎこちなくはないか、感情が顔に出ていないかを気にしながら。
それからカルロの方に視線をやると、彼はリリアを凝視していた。
自然と手は止まり、まるで石のようにその場に動くことなく佇んでいる。
それから暫くは、辺りに沈黙が流れていた。何方も話すことなく、淡々と時間だけが過ぎていった。
気まずい空気が広がる中、先に沈黙を破ったのはカルロだった。
「―――ごめんね、隠し事なんかして。もう少しだけ待っていて欲しいんだ」
哀愁漂う表情を彼女に向けて言葉を紡ぐ。まるで心を覗き込まれたかのようだ。
自然と拳を握り締める。それからリリアは唇をキュッと引き結んで静かに彼を見つめた。
サアッとそよ風が吹き付けて草木が揺れる。
リリアは口を何度もぱくつかせた。
―――声が出ない。
魔法に掛かったかのように、溢れ出そうとした言葉は吐き出す前に喉の奥に消えていった。
"待っていて"なんて、どうして今になって言うのだろう。前はどれ程信じて待っても、そんな事言ってくれなかったのに。
幼い彼が何を抱えて何を隠しているのかは知らない。
けれども今更そう言われても、リリアは心からその言葉を信じることが出来なかった。
前と今の彼は同じであって違う。だからこそ、どう接して良いのかが分からない。
いっその事、カルロの言動から行動まで、何もかもが全く同じであったらどれ程楽であっただろうか。そしたら、過去の追体験をしているようで辛いものは辛いが、こんなに心が惑わせられることはなかったのに。
彼と再開してからずっとこの調子で、カルロと会う度にリリアのペースは乱された。会わなくても、その影がちらついて堪らない。
「ところで、私に何か用でもあった?」
不意に、カルロがパッと話題を切り替えた。
リリアの様子を見越したのか、白けてしまった雰囲気を少しでも良くしようと努めたのだ。
その甲斐あって、リリアは余計なことを考えるのを一旦止めた。
考えた所で答えは出ない。
軽く頷いてから、彼女は言葉を紡ごうと口を開いた。
カルロは静かに聞いてくれている。
「あの、家の敷地内で聖騎士を見かけるようになったのですが………。殿下は一体何をされようとしていらっしゃるのですか?」
「……すまない。それも今は言えない」
ハッキリと告げられる。
リリアが意を決して投げ掛けた疑問も、結局は無惨にも切り捨てられた。
「どうしてっ……」
言い掛けた言葉を途中で止めた。
どうせ教えてくれるつもりなどないのだと思い知らされたから。
「……分かりました」
リリアが呟く。何かを決意したように、力強く。
腹の底から溢れた声は、留まることを知らなかった。
「ごめ―――」
「もう、良いです」
何度も何度も謝罪して誤魔化そうとする彼に、リリアは吐き捨てるように言い放った。
もう謝罪なんか要らない。その場限りの謝罪なんて聞きたくなかったのだ。
カルロが目を見開いた。リリアの、これまでに見たことのないような失意と、諦めのようなものを肌で感じ取ったのだ。
「え、?」
彼は呆然と、けれども驚いたように声を出した。
きっとそれは無意識で、自然と漏れ出た言葉に違いない。
そんなこともいざ知らず、リリアが言葉を続けた。
「もう、良いから、二度と関わらないで」
そう力を込めて言い切った彼女は、カルロを拒絶するかのように彼に背を向けた。
そうしないと、今のリリアがどんな顔をしているのか知られてしまう。それを見せるのだけは嫌だった。
彼から距離を取ろうと、足早に歩き始める。
これだけ言ってしまえば、もう家に来なくなるだろう。もう婚約の話も綺麗さっぱりなくなるだろう。
これで彼との縁は終わりだと、リリアはその場から立ち去ろうとした。
わだかまりが残っていても、縁さえ切ってしまえば彼女には関係などなかった。
そう、関係なかったのだ。
カルロがリリアを引き止めるまでは。
それは、アルテミスに避けられていたからでも、カルロが家を訪ねていたからではなく、ナイーゼ家を徘徊する騎士の数が明らかに増えたからだ。
それも、ただの騎士ではなく、皇家を象徴する胸章を身に着けた皇家直属の『聖騎士』たちが。
こんなことを仕出かす人間に心当たりは一人しかおらず、毎日のように家を行き来している皇太子その者に違いない。
昨日から、彼らの姿が敷地で見られるようになっていたことはリリアも勘付いていた。
が、今日になって、その数が更に増えているのだ。
昨日は気に留めるまでもなかったが、今では明らかに目に付くレベルである。
何気なく聖騎士本人に事情を尋ねてはみたものの、話を逸らすばかりで、誰も口を割ってくれなかった。
口外を禁じられているとしても、余計に謎は深まるばかりだ。
まだ顔合わせの日から一ヶ月どころか一週間も経っていないが、この状況を易々と見逃す訳にもいくまい。
だからリリアは、彼に突き付けた条件を自ら破り、その日も飽きもせず訪ねて来たカルロの元へと向かった。
居場所はメイドたちに聞いて回って。
「―――殿下!!」
行く宛もなく、決して狭くない家の中を探し回ったリリアは、彼の姿を確認するなり精一杯声を上げた。すっかり疲れ果て、息も絶え絶えである。
その時カルロは、屋敷から少し離れた馬小屋にいた。
馬に優しく触れて、微笑んでいるときだった。
突然の声に、カルロは馬から手を離し、リリアの方をちらりと見た。
それから何度か瞬きを繰り返し、最後には彼女の方に向き直した。
「……リア?」
きょとんとした表情を浮かべてカルロが呟く。
けれどもその声はリリアの耳に入ることなく、虚空に飲み込まれて消えていった。
けれども直ぐに我に返ったようで、リリアの様子を確認すると安堵の表情を浮かべた。聞かれていないようだ、と。
それから、彼は純粋な疑問をリリアに投げ掛けた。
「どうして君がここに?」
それを聞きたいのは何方かというとリリアの方である。
皇太子ともあろう者が他家の敷地内、それも比較的小汚い馬小屋にいるなど誰が想像できようか。
「殿下こそ……!何故こんな所にいらっしゃるのですか?」
思っていたことが計らずも彼女の口をついて出た。
本来聞きたかったことを忘れた訳では無いが、今はそんなことよりも、わざわざ馬小屋に足を運んだ理由が知りたかったのだ。
馬など、皇宮で沢山見られる筈だ。公爵家なんかより余っ程立派な馬が。
そうしている内に、カルロが漸く口を開いた。少し考える仕草をしてから、やっとのことで言い放つ。
「………馬が、好きなんだ」
そう呟くと、カルロは馬を一瞥した。慈しむような視線を向けて、馬をひと撫でする。
馬は心地良さそうに、彼に顔を寄せていた。
言葉に嘘はない。それだけは確かで、けれどもきっと何か大事なことを隠しているような気がしてならなかった。
そう思うと、リリアはまた胸の奥がむず痒くなるのを感じた。前世も今も、どれ程隠し事をすれば気が済むのだろうかと思うと、辛くもあり、何処か寂しくもあったのだ。
今になって知ってしまうことも。
それはきっと恋なんかではなくて、言葉では表現し難い別の何かで、滅多に知り得ない感情だろう。
「そう、なのですね」
独り言のように、リリアは答えた。ぎこちなくはないか、感情が顔に出ていないかを気にしながら。
それからカルロの方に視線をやると、彼はリリアを凝視していた。
自然と手は止まり、まるで石のようにその場に動くことなく佇んでいる。
それから暫くは、辺りに沈黙が流れていた。何方も話すことなく、淡々と時間だけが過ぎていった。
気まずい空気が広がる中、先に沈黙を破ったのはカルロだった。
「―――ごめんね、隠し事なんかして。もう少しだけ待っていて欲しいんだ」
哀愁漂う表情を彼女に向けて言葉を紡ぐ。まるで心を覗き込まれたかのようだ。
自然と拳を握り締める。それからリリアは唇をキュッと引き結んで静かに彼を見つめた。
サアッとそよ風が吹き付けて草木が揺れる。
リリアは口を何度もぱくつかせた。
―――声が出ない。
魔法に掛かったかのように、溢れ出そうとした言葉は吐き出す前に喉の奥に消えていった。
"待っていて"なんて、どうして今になって言うのだろう。前はどれ程信じて待っても、そんな事言ってくれなかったのに。
幼い彼が何を抱えて何を隠しているのかは知らない。
けれども今更そう言われても、リリアは心からその言葉を信じることが出来なかった。
前と今の彼は同じであって違う。だからこそ、どう接して良いのかが分からない。
いっその事、カルロの言動から行動まで、何もかもが全く同じであったらどれ程楽であっただろうか。そしたら、過去の追体験をしているようで辛いものは辛いが、こんなに心が惑わせられることはなかったのに。
彼と再開してからずっとこの調子で、カルロと会う度にリリアのペースは乱された。会わなくても、その影がちらついて堪らない。
「ところで、私に何か用でもあった?」
不意に、カルロがパッと話題を切り替えた。
リリアの様子を見越したのか、白けてしまった雰囲気を少しでも良くしようと努めたのだ。
その甲斐あって、リリアは余計なことを考えるのを一旦止めた。
考えた所で答えは出ない。
軽く頷いてから、彼女は言葉を紡ごうと口を開いた。
カルロは静かに聞いてくれている。
「あの、家の敷地内で聖騎士を見かけるようになったのですが………。殿下は一体何をされようとしていらっしゃるのですか?」
「……すまない。それも今は言えない」
ハッキリと告げられる。
リリアが意を決して投げ掛けた疑問も、結局は無惨にも切り捨てられた。
「どうしてっ……」
言い掛けた言葉を途中で止めた。
どうせ教えてくれるつもりなどないのだと思い知らされたから。
「……分かりました」
リリアが呟く。何かを決意したように、力強く。
腹の底から溢れた声は、留まることを知らなかった。
「ごめ―――」
「もう、良いです」
何度も何度も謝罪して誤魔化そうとする彼に、リリアは吐き捨てるように言い放った。
もう謝罪なんか要らない。その場限りの謝罪なんて聞きたくなかったのだ。
カルロが目を見開いた。リリアの、これまでに見たことのないような失意と、諦めのようなものを肌で感じ取ったのだ。
「え、?」
彼は呆然と、けれども驚いたように声を出した。
きっとそれは無意識で、自然と漏れ出た言葉に違いない。
そんなこともいざ知らず、リリアが言葉を続けた。
「もう、良いから、二度と関わらないで」
そう力を込めて言い切った彼女は、カルロを拒絶するかのように彼に背を向けた。
そうしないと、今のリリアがどんな顔をしているのか知られてしまう。それを見せるのだけは嫌だった。
彼から距離を取ろうと、足早に歩き始める。
これだけ言ってしまえば、もう家に来なくなるだろう。もう婚約の話も綺麗さっぱりなくなるだろう。
これで彼との縁は終わりだと、リリアはその場から立ち去ろうとした。
わだかまりが残っていても、縁さえ切ってしまえば彼女には関係などなかった。
そう、関係なかったのだ。
カルロがリリアを引き止めるまでは。
応援ありがとうございます!
15
お気に入りに追加
62
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる