今度はあなたと共に。

荒川きな

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本編――公爵令嬢リリア

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 きっかけは単純で、いつかの社交パーティーが原因だった。

 リリアと共にパーティーへと参加することになったアナは、腹いせにリリアをバルコニーへと誘き出した。
 当然、リリアが拒否出来る訳もなく、言われるがままに外に出る。

 何時もより機嫌の悪かったアナは、初めはリリアに暴言を吐くだけで終わらせようとしていた。
 が、リリアの様子が気に障ったのか、はたまた彼女がどんな反応をするのか気になったのか、有ろうことかリリアを手すりか突き落とそうとしたのだ。先のことを考えず。

 嫌な気配を察して、コレには流石のリリアも抵抗した。

 しかし偶然にも、リリアの振りほどいた手が無防備なアナの頬をったのだ。
 パチンッ、と景気良い音が辺りに鳴り響いた。アナは突然の痛みに声を上げて、リリアを見た。何が起こったのか、と。

 丁度その時、バルコニーの傍にいた貴族が勢い良く扉を開けた。ずっと不審に思っていたのか、確信に満ちた表情を浮かべている。
 余りに大きな音が鳴ったものだから、とうとう見過ごせなくなったのだ。

 会場中の人々の視線が集まる。何があったのだろうかと、好奇に満ちた目をした貴族が彼方此方から湧いてきた。

 現場は悲惨だった。
 バルコニーには、痛みで頬を押さえるアナと、それを見据えるリリアがふたり立っていたのだ。

 誰がどう見てもそういう事・・・・・にしか見えない状況に、弁明したところで意味がない。
 そもそもそんなことした所で、後がどうなるかなど分かり切っていた。

―――噂が広まるのは一瞬だった。

 否定しないリリアに、口を閉ざしたアナ。これが良くなかったのか、気が付けばアナは悲劇のヒロインとなっていた。
 何でも完璧にこなす姉に見下されているのだと。

 ラミアはその状況を好機と捉えた。今であれば、噂を容易に悪用出来ると。
 だからラミアは、アナを唆した。
 リリアは社交界から追い出すべきだ、と。
 皇太子には貴女のほうが相応しい、と。

 怒り狂っていたアナはすっかりその気になった。ラミアの言う通りに行動を起こすようになったのだ。
 アナが学園に入学する前は社交パーティーで。入学してからは学園内で。偶然を装いリリアに近付いては盛大に転んだり、階段から落ちたりもした。
 
 それでも、リリアは何もしなかった。いや、出来なかった。なるように躾けられていたし、学園内ではラミアの息がかかったメイドに四六時中見張られていたから。

 いつしか、リリアを愛してくれていたカルロも彼女から目を背けるようになっていった。
 それでも彼女はカルロを信じ続けた。のように、いつかこの地獄から救い出してくれることを願って。

 が、その時が訪れることはなかった。

 信じていた彼は今、義妹のアナを庇って立っている。リリアに立ちはだかるかのように。
 カルロは忌々しいものを見る目でリリアを睨みつけ、遂にはその口を開いた。


「リリア・ナイーゼよ。妹君への悪行の数々は聞き及んでいる。

 ……だが、それも今日までである。証拠は出揃った。

 皇太子、カルロ・イル・アスベルトの名に置いて、貴様との婚約を破棄し、貴様をナイーゼ家内の部屋に軟禁させてもらうこととする。

 本来なら、身分剥奪の末、牢に入れる筈だった。が、被害者である妹君本人の激しい希望により自宅軟禁を望んだことである。

 貴様の改心を願って、な。

 妹君に感謝し、贖罪の機会を無駄にするな。以上だ」

 大勢の貴族たちが見据える中、リリアはカルロにそう告げられた。彼の後ろに控えるアナは口を一文字に結んで、笑いを必死に堪えている。

 リリアは頭が真っ白になった。カルロの口からそんな言葉なんて聞きたくなかった、と。
 カルロにはもう彼女の本質など見えてさえいない。
 彼の目に映るのは、偽りに覆われた"悪女"リリアだけだ。


「私はアナを虐めてなどいません。
 殿下、私と婚約破棄をしたいのでしたら・・・」

「白々しいな。何を言い出すかと思えば、第一に否定か。他に言うことがあるだろうに。

 それに、ただ婚約破棄をしたいが為にこんな大掛かりな捏ち上げをする訳がなかろう?するだけなら幾らでもできる。

 私はこのような残虐な行為を好かんのだ。実の妹に手を上げるなど‥‥!!」

 カルロが語気が強めてリリアの言葉を遮った。聞きたくない、とでも言うかのように。


「‥‥いいえ、そのような事実はございません」

 今すぐその場から逃げ出してしまいたかった。が、リリアはきっぱりと否定した。
 そうでもしないと気が狂いそうだから。

 余りに堂々と言い放ったリリアに、カルロも一瞬たじろいだ。
 それでも止める気はなさそうだ。

 側に控えていたメイドにカルロが指示を飛ばす。
 すると、そのメイドは隠し持っていた書類をカルロに手渡し、会場外から何かが入った籠を持ってきた。
 瓶のぶつかり合う音が、静まり返った会場内に響き渡る。

 リリアは籠の中身が何なのか、瞬時に理解した。

―――毒だ。少量では死に至らない毒。

 何度か食事に混ぜられ、死にかけたことをリリアは覚えている。
 家では食事さえ怯えながら食べなくてはならなかった。
 その様子を毎度のように眺められ、嗤われていたものだ。

 そうしている間に、カルロが綴じられた複数枚の書類をペラペラと捲り始めた。


「ならば、一つ一つ読み上げてやろうか?
 ……手始めに、妹君の頬を叩き、腹を蹴り、脚で躓かせた。次に、階段から突き落とし、学園内に彼女の悪い噂を蔓延させようとした。加えて、毒を仕込むだけでなく・・・・」

 ありもしないリリアの罪を読み上げていく。
 リリアには何も頭に入ってこなかった。カルロの言葉は右から左へと流れていく。

 が、彼が籠の中に手を伸ばすと、リリアの肩がビクリと小さく震えた。

 その時、だった。


「もう、もう………お止めください!!」

 アナがカルロの後ろで、絞り出したかのような声を上げた。
 カルロが動きを止める。

 彼の静止も聞かずに、アナは震えながら前へと進み出て、リリアとカルロの間に立ち塞がるかのように佇んだ。
 思わずリリアはアナを凝視する。が、アナはそんなこと気にしていなかった。


「お姉様は、私に度を超えた悪戯を仕出かしました。

 ‥‥‥‥ですが、それだけなのです!
 他の方にはそのようなことをしておりません!!

 それに元はと言えば、私がいけないんです。
 私が、考えなしに発言したから…………。

 だから、どうかこれ以上の罰はお許し下さい……!!」

 一体彼女アナは何を言っているのか。リリアは目の前の義妹悪女に震えだしそうになった。
 それでも、震えも涙もこれといって出てこなかった。

 アナは今にも泣き出しそうな悲痛な声で、震えを必死に抑えている。きっと他の者には痛ましく見えることだろう。

 が、その場でリリアだけは分かっていた。アナが心のなかでほくそ笑んでいることに。
 人混みに紛れているラミアも同様だ。

 そんなアナの様子にカルロは見事に騙されたようで、哀れんだ目でアナを見た。
 そして、近くのメイドに彼女を預ける。

 メイドは会場の外に出て介抱しようとしていた。
 が、その場に留まる為に、アナは泣き縋るようにしてメイドにしがみついた。
 この光景を特等席で見ていたいのだろう。

 何かを誤解したのか、皆アナを憐れむかのように見ている。
 中には、アナのに心を動かされている者もいた。すっかりアナに騙されているのだ。
 リリアだけが唯一、アナの正体を知っている。


「‥‥‥よかろう。妹君に免じて、リリア・ナイーゼの件についてはこれにて終わりとする。異論はないな?

 ただし、軟禁だけは免れん。今すぐ連れ帰れ」

 何を思ったのか、カルロが突然終わりを告げた。聴衆に圧をかけて、黙らせる。
 勿論、陰口を叩いていた者も例外ではない。

 そうして、会場は一気に静まり返った。皆の視線がカルロへと集中する。
 それもすぐに、本日の主役であるリリアへと向けられた。


「いやっ、‥‥‥!」

―――あの、いつでもリリアが取り乱している。

 中々お目にかかれない公爵令嬢の醜態を、貴族たちは物珍しげに眺めていた。
 さぞ見ものだったことだろう。中には滑稽だと嗤い出した者もいた。

 控えていた女騎士たちにリリアは為す術もなく拘束された。身をよじって暴れようとしたところで無意味だった。
 栄養不足で虚弱な身体のリリアと鍛えられた騎士とでは天と地ほどの差があったのだ。

 リリアは騎士に拘束される中、アナの方を見た。
 メイドに顔を埋めるアナの口元は弧を歪に描いている。
 恐ろしさで足がすくんで、リリアは口から血の気が引いていくのを感じた。

 アナを凝視したまま会場の外へと連れて行かれる。
 勿論、群衆の誰もそれには気づかない。良くも悪くも、リリアの醜態をただ眺めているだけだ。

 二度と社交界へは戻れない。いや、戻ることができない。


「やめてっ、殿下っ、見捨てないで‥‥っ」

 リリアはカルロに必死に訴えた。
 が、彼は彼女の方を見向きもしなかった。

 最後まで諦めることなく、リリアはか細い声で藻掻き続けた。
 ずっと声を出し続けた。ずっと、ずっと。


「あの家にだけは、閉じ込めないでっっ…っ!」

 扉が閉まる直前、最後の力を振り絞ってこれまで以上に大きな声を出した。
 それでも、その声はカルロには届かなかった。
 代わりに、扉の閉まる音がリリアの耳に響き渡った。

 リリアは扉に手を伸ばそうとした。が、女騎士はそれを許してはくれなかった。
 怪しい行動をしたリリアの手を押さえ込み、彼女に言い聞かせる。
 大人しくしてください、と。

 すっかり色の失ったリリアを馬車へと追いやる。その周りは騎士で囲まれていた。
 リリアには逃げる術もないし、今更逃げる気力さえなかった。

 無意識に流れた一筋の涙はゆっくりと頬を伝っていった。


(もう、疲れた‥‥‥‥)

 リリアは馬車の中で運ばれている間、一人そんな事を思っていた。
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