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第一章 旅立ち

③-1

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「こいつはうちの牧場で、一番年嵩のミルベライトです。毛艶も良いし、美味しいお乳を出すんですよ」

 そう言いながら、ミルベライトに近づくビンゴおじさん。年嵩のミルベライトはふいっとそっぽを向きますが、尻尾をゆらゆらと揺らしています。

「ただ……もう三か月もお乳を出してないんです。ご存じの通り、ミルベライトは一日でもお乳が出なければ大問題。あんまり長くお乳を出せないんじゃ、命にも関わります」

 ビンゴおじさんが年嵩のミルベライトの肌を撫でます。

「だからワシらも色々と試しました。魔法使いも呼んできて……でも、うんともすんとも。ただでさえ年だって言うのに、このままじゃこんな苦しいまんま死んじまうかもしれません」

「えっ……さ、さっき命に関わるって言ってたけど、しかも苦しいの?」

 タニアが驚いたようにそう訊くと、ビンゴおじさんが頷きました。

「そら、ワシらも小便が三か月も出なければ苦しいでしょう。ミルベライトのお乳はそれの何倍も出さないといけないモンなんです」

 やや下品な表現ですが、ことの重大さは伝わります。タニアが唖然としていると、子パッカは首をかしげてミルベライトに話しかけました。

「きゅいきゅい、きゅいー」

「……モゥ」

 ミルベライトは唸るように鳴きます。それを聞いた子パッカは、ラミルの袖をくいくいとつまみました。
 何を求められているかピンと来たラミルは、『パッカの鏡』を取り出します。

「しーちゃん、もう一回話しかけてみて。――鏡よ鏡、鏡さん。彼女がなんて言ってるか教えてください」

 ラミルが鏡に聞くと同時に、再度子パッカが話しかけます。そしてミルベライトが唸ると……『パッカの鏡』が揺らめいて、文字が浮かび上がってきました。

『お気に入りの、ベルが無くなった。アレが無いと、夜も眠れないし元気も出ない。そのせいでずっと、ずっと胸が痛い。でも、どうしようも出来ない。胸が痛すぎて動けない』

「……お気に入りのベル? っていうか、本当に辛そう……ねぇ、ビンゴおじさん。彼女、お気に入りのベルを無くしたみたいなんだけど」

 鏡の文字を読んだラミルがビンゴおじさんに話しかけると、彼はふむと首を傾げました。

「ベルが……? た、確かにコイツはカウベルが無くなってたから新しいのを付けてあげましたが、まさかそのストレスのせいで?」

 ミルベライトは、図太くのんびりとした気性の動物です。しかしだからと言ってストレスに強いかといわれると、そういうわけではありません。強いストレスを感じると味が落ちてしまい、酷くなるとお乳の量が激減してしまうこともあります。
 しかし、一切出なくなるというのは――

「ワシもこの仕事をして長いですが、病気や呪いの類以外で一切出なくなることがあるなんて初めて見ましたわ」

「ぼくも図鑑で読んだことは無いな。でも現に彼女はお乳が出なくて苦しんでる……」

 口を結んでむむっと考え出すラミル。タニアはミルベライトの方を見ると、ラミルに一つ提案をしました。

「ねぇ、その鏡でミルベライトの性格を変えたらどうにかならないかしら。ストレスが辛いなら、少しくらいそれが軽減できるかも」

「ああ、確かに大事な物を失くしたことにショックを受けない性格にすれば、少なくともお乳の件は解決するかも……? あんまり期待は出来ないけど、やってみようか」

 そう言いながら『パッカの鏡』を向けるラミル。鏡面にミルベライトの顔を映し、ラミルはいつもの呪文を唱えます。

「鏡よ鏡、鏡さん。彼女の性格を反転させてください」

 ぴかーん、と光が鏡から照射されてミルベライトを照らしました。すると次の瞬間、さっきまで辛そうにしていたミルベライトが立ち上がるではないですか。
 もしや成功したのか!? と期待したのもつかの間、ミルベライトは怒って両腕を振り上げだしました。

「モゥゥゥゥゥ!」

 思いっきり地面に腕を振り下ろすミルベライト。誰にも当たりませんでしたが――その反動でバランスを崩し、ころんと転がってしまいます。
 二、三回転してひっくり返るミルベライト。慌ててラミルが駆け寄り、彼女の性格を再度反転させて元に戻しました。

「あ、危ないことをしちゃった……やっぱりこっちに襲い掛かってくるとかじゃない限りは、あんまり使わない方が良さそうだね。皆、無事? ごめんね、凶暴化させちゃって」

「ううん、アタシこそ軽い気持ちで提案しちゃってごめん……。身体は大丈夫そうなの? その子、今すごくしんどいんでしょ?」

 タニアに言われてすぐにビンゴおじさんがミルベライトの容態を確認します。取り敢えず何ともなっていないようで、ビンゴおじさんは大丈夫とサムズアップしました。
 そして子パッカが、こつんとサムズアップをぶつけに行きます。

「おお、これは挨拶と思ってるんですな」

「うん、ぼくが教えたから。……それはそうと、どうしようか」

 ラミルが言うと、子パッカがすぐにミルベライトの首元を見に行ってカウベルを確認します。しっかり目に焼き付けるように凝視した後、広い牧場を指さしました。

「きゅいきゅい!」

「……まぁ、探すしかないよね。ビンゴおじさん、たぶん失くしたのって三か月前くらいだと思うんですけど……その時にこの子がどの辺にいたかって分かりますか?」

 やや無茶ぶりをしていることを自覚しながらラミルは問いますが、ビンゴおじさんは流石に首を振ります。三か月前の、しかもこんなにたくさんいるミルベライトのうちの一頭の動きを完璧に把握するなんて出来ないでしょう。
 手掛かりが無いと探しようもない――という時こそ、鏡の出番。ラミルは再度鏡に問いかけます。

「鏡よ鏡、鏡さん。この子が気に入っていたベルがどこにあるか教えてください」

 ぽちゃん……と水面に雫が落ちたような音が鳴り、『パッカの鏡』の鏡面が揺らめきます。揺らめいた水が渦を巻き、その中心からぼんやりとした絵が浮かんできました。
 大きい木の下に、青々とした牧草が生えている絵。ミルベライトが何頭か転がっており、ところどころにボコっと土が盛り上がっています。

「……こ、この絵だけだと分からないな。ビンゴおじさん、これって……」

 ラミルが鏡を見せると、ビンゴおじさんは目を見開いてビックリ仰天しました。

「な、なんですかこれは……魔道具ですかな? さっきから何かをこそこそ聞いているのは見えておりましたが、まさかこんなに精巧な絵が出てくるとは……!」

「これは試練に必須の、『パッカの鏡』だよ。そんなことより、ビンゴおじさん。これがどこか分かる?」

 便利なんて次元では無い魔法道具のことを『そんなこと』の一言で流すラミルには、大物になれる素質があるかもしれません。
 ビンゴおじさんも堂々とスルーされるとツッコミづらくなるのか、鏡については何も言わずジッと浮かんだ絵を眺めます。

「そうですな、たぶん西の大樹の下です。ほら、あっちの」

 ビンゴおじさんの指さす先には、だいぶ離れた距離からでも分かるほど大きい木が。言われてラミルも絵を見た後、周囲をぐるっと見回すと……確かにこの絵に描かれているほど大きい木はあれしか見当たりません。

「あの辺は暑い時期は、ミルベライトから人気ですからな。しかも木の洞や、ランラットの巣もありますからそこで落としたんでしょう」

「きゅいっ!」

「そうだね、分かったなら行ってみよう。ビンゴおじさん、案内をお願いします」

 張り切る子パッカを先頭に、ビンゴおじさんの指示通り西の大樹へ向かう一行。数分歩いて大樹の元へ行くと、涼しい風が出迎えてくれました。
 よく見ると少し離れた所に小川が流れており、樹木の日陰と合わせて周囲に比べて気温が下がっているようです。
 二頭ほどのミルベライトがいましたが、ビンゴおじさんが声をかけてどかしてくれました。

「しかし見つかるかね。もう三か月も前だが……」

「大丈夫だと思います。無いなら無いって鏡は言ってくれますから」

 そう言いながら、ラミルは袖をまくります。そして盛り上がった土の中に、いきなり手を突っ込みました。

「ちょっ、いきなり何してんのアンタ!」

「ランラットは、光る物を巣に集める習性があるんだよ。――ほら」

 そう言ってラミルが手を出すと、そこにはコインが握られていました。この国の通貨である『シード』の硬貨です。これは真ん中に穴が空いているため、五十シード硬貨のようです。
 普通の物よりも綺麗に光っており、子パッカはそれを見てから……目をキラキラさせながら、ラミルに手を差し出しました。

「きゅい!」

「欲しいの? はい、どうぞ」

「きゅいー!」

 コインを受け取った子パッカは、るんたるんたと踊り出します。あの硬貨では駄菓子が一つ買えるかどうかというところですが、初めて硬貨を見た子パッカにはその価値は分かりません。
 踊っている子パッカを置いておいて、ラミルはもう一度同じ巣穴に手を突っ込みましたが……今度は何にも出てきませんでした。

「ここはこれだけかな。ランラットは土を盛って小さい巣穴を各地に作って、そこに光る物を集めるんだ。そしてそれらをメスに見せて求愛するっていう特徴を持ってる。たぶんこの辺のランラットの巣穴にカウベルもあるんじゃないかな」

「よく知ってるわね、アンタ。アタシ、ランラットの巣なんて初めて見たわよ」

 ランラットは、比較的涼しい地方に棲息するネズミです。高地にあるルベライトではともかく、アバンダでは見ないでしょう。
 ラミルは頷き、手をパンパンと払います。

「母上に教えて貰ったんだよ。……それじゃあ、取り合えず片っ端から巣に手を突っ込もうかな。タニア、突っ込む時は噛まれないようにグーで手を入れてね」

 拳を握って前に突き出すラミル。ランラットは自分の頭よりも大きい物には噛みつかず、逃げる習性があるためです。
 タニアは頷いて、小さい拳をグッと握りました。

「わ、分かった」

「きゅい」

 子パッカも手をグーにしてアピールしますが、彼の小さい手では危ないと判断して取り敢えずビンゴおじさんに預かってもらいます。

「ビンゴおじさん、ちょっと相手をして貰っていてもいいですか?」

「構いませんぞ」

「きゅいっ!」

 子パッカがビンゴおじさんの方へ駆け寄ったのを見てから、ラミルとタニアは動き出します。いくつかある巣穴に手を突っ込み、中の光る物を取り出す作業に。

「よし、頑張るぞ!」

「おー!」


                                       つづく
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