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第十話「トライアングル ポイント」1

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 それは、まだ雨が降り出す前の昼下がりだった。

 午前中で授業は終わり、知枝は学園から水原家みずはらけまでは光と一緒だったが、光はデートのためにすぐに出掛けてしまった。
 叔父さんと叔母さんも不在であったため、偶然にも知枝は家に一人きりとなった。

 部屋で荷物整理していた知枝は、玄関から物音がしたので、誰か帰ってきたのかなと思いながら部屋を出て、階段を下りて玄関の方を見た。
 
 ――――そこにいたのは”舞”だった。

 知枝は、この日を、この時が来るのを遠い過去から覚悟していた。ずっと生き別れたまま、出会うことも、話すこともなかった舞との邂逅かいこうを。

 どんな形で再会を迎えることになるか、何度も、そう何度も頭の中でシミュレーションしてきたはずだった。

 それがどうしてかなんて簡単な問いに意味はない。
 どんな形であれ、生き別れとなった姉弟と再会する日をずっと心待ちにしていたから。

 知枝は光から貰った写真で舞の今の姿も知っていた。
 だから、舞の姿を目の前にしたとしても、迷うことも、動揺することもないはずだった。
 だが、気持ちとは裏腹にどうしようもなく不安で緊張していた。
 
“それでも、舞と分かり合えることを望んできたのは、本当だったから”

 知枝は舞が挨拶なく通り過ぎてしまう前に勇気を振り絞り声を掛けた。


「舞ちゃん、ずっと会いたかった。私、知枝だよ、光から聞いてると思うけど」


 話したいことは山ほどある中、それが今の知枝に言える精一杯の言葉だった。

 舞と目が合った瞬間に流れた、知枝の中にある期待と不安と焦燥の感情。
 絞り出した声は少し震えていたかもしれない。
 舞は知枝の存在に気付いて、その瞳を途端に鋭いものに変えた。

「――――どうして、あなたがここにいるの?」

 恐ろしいまでに、容赦ない冷たい声だった。

 好意とまではいかなくても、分かり合えると思える相手でいてほしかった。

 ましてや、敵意や悪意を向けられる相手であってほしくなかった。

 そんな知枝の希望的観測はいともたやすく打ち崩された。

 望んでいない、望むはずのない敵意のある視線を舞から向けられ、どうしようもなく心が痛んだ。

「私、今日からここに暮らすことになったの。ちゃんと挨拶出来なくて、ごめんね」

「どうして……、どうして、今更、稗田家のあなたがあたし達の家に来るの? ここはあたし達の場所よ。あなたが来るような場所ではない、そんなことも分からないの?」

「私たちは三つ子の姉弟だから! だからきっと分かり合えると思って!」

「そんなの、あなたの個人的なエゴよ、あたしの気持ちなんて知りもしないで! 稗田家だってこんな事望んでなんていないくせに!! そんな自分勝手な感情、あたしに押し付けないでよ!!」

「私は、ずっと、みんなを説得して―――」

「そんなことあたしは一度も望んでない。あたしはお父さんとお母さんと、光がいればそれでいいの。今更勝手に間に入ってきて、あたしの家族を奪わないでよ!!」

「そんなこと思ってない! 私はただ一緒にいたいだけ。今からでも仲良くなりたいの!! 家のことなんて関係ない!!」

「あなたは特別なのよ……。自覚が足りないんでしょうけど、あなただけが特別選ばれた人間なのよ。今更、私たちの間に入って同じように一緒にいられるなんで思わないで!!!
 早く出て行ってよっ!!! あなたの顔なんて、見たくないんだからっ!!!」

 言葉を交わせば交わすほど、段々とヒートアップして感情的な放流が互いに止まらなくなっていく。
 それはまるで、近づけ近づくほど離れてしまう磁石のようであった。

 舞の凝り固まった稗田家に対する激しい憎悪の感情。知枝のことを受け入れられない強い意志に対して、知枝はどうしようもない苦悩に襲われた。
 
 これ以上、どう言葉を尽くして説得すればいいのか、知枝は見失っていた。

 もう、この場にいるのが耐えられなくなり、知枝は衝動的に舞に言われた通りに玄関を飛び出して家を出た。

 今の知枝にはこれ以上、舞をどうすることも出来ず、行く場所もなくフラフラと歩いて公園の中へと入ると、公園のブランコでただ一人途方に暮れて涙を流して、どうしてこんなことになってしまったのかと自分を悔やんだ。


「私って、こんなんだったっけ。そうだね、思えば優柔不断で自分なんてなくて、人に褒められること、認められることばかり求めて生きてきたっけ。

 舞の気持ちなんて、本気で考えてなんてなかった。

 そうだよね、話をしてくれないってことは、拒絶されて来たってことだもん……。

 やっぱり過ぎた願いだったのかな……。
 初めて自分から願ったことだったけど、確かに私のエゴだよ。

 上手くいかないね。
 私は所詮稗田家の人間、その血に染まった人間なんだから当然だよね」

 やがて、身動きできないでいると生ぬるい雨が降り始め、身体を濡らしていく。

 抵抗する気力もない、立ち上がる勇気さえも。

 ただ無力感に包まれたまま、罪の深さを象徴するように、雨は止むどころか、次第に強くなっていき、流れる涙さえも、分からないものになっていった。

 罪の重さを思い知らせるように、降りしきる雨は知枝の身体も心も冷たく濡らしていった。

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