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第一話「魔女と魔王」2

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 授業と授業の間の休み時間、知枝がお手洗いから出ると、そこには廊下の壁により掛かった研二の姿があった。ただそこにいるだけで絵になる、そんなカリスマ性を備えた、自然と人を惹きつける風貌。
 偶然にも研二の姿を目撃した知枝は瞬時に警戒心を高めた。

 知枝は研二の横をそのまま通り過ぎようと歩いていく。
 だが、通り過ぎようとしたところで研二の方から声をかけられた。

「―――

 無視しようにも、嫌味のように心を揺さぶられるネットリと色気の含んだ低い男性の声を聞いて、知枝は立ち止まって、反射的に研二のことを見た。

「あなたほどの人が、私を追ってきたのですか?」
 
 かんさわった知枝は睨みつけるように視線を送って、研二の言葉に対して、強い言葉で返した。

「そこまで酔狂ではないさ、だが、君の本当の目的には興味はある。誰かにもう話したのかな?」

 互いにその内に秘めた心理を探りながら、探り探りに会話が続く。

「答える義理はありません、そもそも、あなたは何者ですか? こんなところに待ち伏せまでして」

 廊下の壁にもたれかかっている様子の研二を見て、これは待ち伏せだと知枝は思った。

「待ち伏せをしていたわけじゃないさ、学園の中でまで人目を集めるのは望んでいないのでね、ここで時間を潰していたところさ。
 何者かと問われても、果たしてその説明は必要なのかな? 自分で言うのもなんだけど、そこそこ有名人なんだけど」

 研二の表面的な説明に知枝はさらに警戒心を強めた。
 “互いに隠し事”を持っていることは、すぐに推測できた。

「あなたの芸能活動のことではありません、あなたは日本人で、日本人の母親を持っている。今、日本にやってきたことと、無関係とは思えませんね。それにあなたは……」
 
 次の言葉をつづけようとしたところで、研二は突如割って入った。

「この短い間にそれだけ調べ上げてくるとは、恐れ入った。さすがは稗田家の人間、いや、魔女の後継者ということか」

 軽々しく“魔女”と言い放った研二に、また一層知枝の表情は険しいものになった。
 一つ一つの言動から、只者ではない雰囲気が垣間見れる、ピリピリとした嫌な気配に近寄ってはならないと感じながらも、知枝はこの場を離れられなかった。

「もう少し、自分の行いが与える影響というものを考えた方がいい、でなければ、後々後悔することになる」
「何の警告ですか? それは」

 相手がどれだけ自分ことを知っているのか、知枝にはなかなか推し量れないほどに、研二の表情からは思考が読めない。

「いや、それほど意味はないさ、だが、君の命を狙う者がいるのなら、周りに危害が及ぶ可能性だって考えられるだろう?」
「何をご存じか知りませんが、あの中国人のお知り合いですか?」

 知枝は先日ホテルで襲い掛かって来た中国人の男のことを思い出した。

「いや、あのような下世話な人間には興味もないし、偏見の対象だよ。それとも、ボディーガードをご希望かな?」
「あなたのような目立つ人間をボディーガードにするわけないでしょう」
「ごもっとも、自分の身は自分で守る、実に俺好みだよ。期待は裏切らないでくれたまえ」
「はい、ご心配いただきありがとうございます。では失礼します」

 初対面とは思えない相手の態度に知枝は研二と関わりたくない気持ちになった。
 知枝はこれ以上話してはこちらの手の内を晒すだけで、気分を損ねることしかないと思い立ち去ろうとした。

「いいんだよ、力を使って見せても。? 
「……あなた、まさか」
「今日はここまでだ、また、次の機会にしようか。まだ出会ったばかり、種明かしをするには早すぎる」

 そういって、研二はお手洗いの方に向かって歩いていく。

「あなた、もう次の授業が始まりますよ?」
「それまでには、戻るさ。今の話はここの生徒には秘密だよ」
「言えるわけないですが、なかなかにあなたという人は性格が歪んでいますね、周りにはいい格好を見せているようで」
「君も人に言えたものではないだろう。魔女の血を引いておいて、善人にでもなったつもりなら、それは君に魔女の遺志を継ぐ意思も覚悟もないということになるよ」
「また、あなたは……、祖母を侮辱することは許しませんよ!!」

 知枝が大きい声で警告を加えた頃にはもう、研二の姿はお手洗いの中に消えていた。同時に張り詰めた空気も消え去り、知枝は緊張を解いた。

「もう……、逃げられた……」

 知枝は悪態をついて、仕方なくきびすを返して教室へと向かった。

「(あの人、いったい何者? 挑発に乗って心を読もうと少し力を使ったけど、全然読めなかった。こんな相手、ほとんど出会ったことないのに……、力に対する対策を打ってきている? まさかとは思うけど、でも、一体どうやって? あの人のバックにある組織も気になる……、一人でここまで私の経歴に踏み込むのは単純な興味だけでは難しいはず)」

 教室に向かいながら、知枝は考える。

 まさか高性能なファイアウォールで意識の内側に侵入してくるのを封じてくるとは……。

 テレパシーを自在に操ることのできる自分の力が通じない相手がいること、それが自分に対して興味を抱いて近づいてきたこと、どれも知枝にとって無視できない事態だった。

(さっき調べたけど、あの人は有名な画家でもあり、別名義で活動をしている、一体どういうことなのかしら。それに、あの人の母親は4年前に亡くなってる……、また4年前、一体どうしてこう都合よく同じ年号に重要な事が繋がってくるのかしら……)

 今の知枝はさまざまな情報が頭を巡り巡って情報整理のつかない状態だった。
 調査不足の部分も含め、いずれ、ちゃんと調べておかなければと、知枝は改めて思い直した。

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