神様のボートの上で

shiori

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第十三話「夜を駆ける」6

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「私はね、ずっと黙っていたけど裕子の知っている私じゃないの、他の人と入れ替わった別人なの」


「何を言っているの?」

 私の突然の告白に裕子は戸惑い、発した声は震えていた。


「昼休みに男子生徒と階段の踊り場でぶつかった時に本当のちづるはその男の子に入れ替わったの。ちづるにはそういう不思議な力が備わっていたの。

 その後、裕子が保健室に駆けつけてくれて、私は何が起きたのかもわからないまま一緒に教室に戻った。私はあの時入れ替わったばかりで何も知らなかった。

 みんなは記憶喪失が再発したものと思ってたみたいだけど、私は女の子の身体になって戸惑いながら、あの時は本当のことがバレないようになんとかやり過ごすので必死だった」

「そんなことを、どうやって信じろっていうの?」

 裕子は聞いた、きっとこんな話し信じたくないんだろう、でも本当のことだから、ちゃんと言わないといけない。

「それじゃあ聞くけど、本当の進藤ちづるだったら、廃ビルまで一人で助けに行っただろうか、そもそも裕子と喧嘩することになっただろうか、原因を作ったのは私自身、私がやりたいようにやった結果なの」

 私は罪を告白する、全部私がやったことであると。
 自分が本当は男であると。

「同じような事をあの葛飾って男も言ってた、でもあたしはあんなやつの言っていたことだから突き放したけど・・・。
 突然言われてすぐには全部信じられないけど、そう・・・、そうなんだ・・・。どうして、ちづるはそんなことを・・・」

 裕子にとっては疑問が尽きないだろう、それにきっと私の事を許すことは出来ないだろう、私はそれがずっと怖かった。

「ちづるは辛かったんだと思う、生きていくのが、人として生きていくのが、だからこの身体を私に預けたんだと思う」

「ちづるは・・・、ちづるは生きてるの?」

「うん、ちづるが色々教えてくれて、助言をくれているから今もこうしてなんとか続けていられるの。
 もう、利害関係が出来ちゃってるの、私はちづるを狂わせた父の犯したとされている事件のことを解決したかった。自分のためにも、ちづるのためにも」

 ちづるが猫の姿になってるということはまでは言えなかったけど、今は生きていると伝えるだけで十分だろう。

「そうなんだ・・・、そっか、なんだかうまく言葉に出来ない。今日のことがなければ心底あたしはあなたを恨んでいたはずなのに・・・。
 あたし、ちづるが助けに来てくれた時、本当に嬉しかった。信じられない気持ちでいっぱいで、あなたにはたくさん酷いことを言って、助けになんて来るはずないって思ってた。そんなの現実的じゃない、警察にでも言って任せてしまえばいい、そう思ってた。

 それが一番安全で一番正しい判断だと、そう思ってた。

 記憶を失くして、もう一度思い出して、そんな大変なことを経験して、それでもちづるがまだあたしのことを大切に思っていてくれているんだって思って、それが凄く嬉しかった。

 あなたはきっとちづるの意思も自然と背負って助けに来たのね。

 だから恨もうと思っても、今更恨み切れないよ・・・」

 裕子の心は優しく私の心に沁みた。あんなに怖いことがあったのにすっかり裕子は冷静だった。私の事を突き放したりしなかった、それだけのことをしてきたのに。

「裕子、これからも変わらず一緒にいてくれる? こんな私でも嫌わないでいてくれる?」

「騙されたままでいてほしいならそれでもいいわよ、だって、ちづるも了承しているんでしょう? だったら、難しいこと考えるのはやめるわ」

 それが裕子の優しさなのか、距離の取り方なのか、よくわからなかったが納得してくれたようだ。

 帰り際、裕子は振り返って私を見た。


「ねぇ、それは、ちづるのマネ? それとも、元々女々しい性格なのかしら?」


 別れ際にそう言い放つ裕子は笑っていた。その言葉は私を牽制しているようでもあり、冗談を言えるだけ私の事を信用しているようでもあった。

「(ああ、話せてよかったな)」

 その時私は、長い間抱えていた氷が解けたような感覚になった。



 家に着くと家の中は真っ暗だった。慌ただしい一日から解放され、ふいに熱くなっていた心が冷めていくような気分だった。

 今日は疲れたと思いながら自室に戻る、ベッドから夜目を効かせた光を帯びたような視線を感じた。座ってこちらをずっと見つめる眼光、夜目の効いた猫の瞳は暗い室内でもよくわかった。

「おかえりなさい」

 もう慣れ親しんだ声に、安心感を覚えた。

「ちづる、今日はありがとう」

「いいえ、私はメモに書いてあったとおりのことをしただけよ」

「でも、凄く助かった、裕子も助けられて、悪い奴も逮捕できた」

「そう、大手柄ね、よくやったじゃない、あなたの指示が正しかったってことでしょ、もう少し喜んだら?」

 珍しく私のことを褒めてくれる、ちづるは私の異変に気付いているようだった。

「ごめん、謝らないといけないことがあるんだ」

「どうしたの?」

 私の声は震えていた、どうしてだろう。どうしてちづるの前だとこんなに緊張して、こんなに後ろめたい気持ちになるんだろう。


「裕子に本当の事話してしまった。ちづるに止められてたのに」


 私は包み隠さず、素直に伝えた。

「それは必要なことだったんでしょ? あなたにとって。嘘をつき続ける自信がなかった。それだけ裕子のことを大切に想うようになったのなら、私が言うことはないわ」

「本当にごめん、案外軽い人間なのかもしれない、だから上手くいかない事ばかりなのかも」

「そう、あなたも辛かったのね」

 傷ついた姿の私に同情したのか、ちづるも一緒に裕子のことを考えていたのか、ちづるはいつにもなく優しかった。ちづるの中でも何か心境の変化があったのだろうか、ぼんやりとした頭ではそれもよく分からない。

 自分の気持ちを伝えたことで、安心して力を失くしてベッドに横になる私に猫が寄り添う。猫の姿のちづるの事をどうしてこんなに愛おしいと思うのか、どうしてこんなに愛おしいと思うようになってしまったのか。

 その手触りも、敏感なところを触れたときの反応も、鳴き声も、どれも愛おしく、私の疲れを癒してくれる。私はその心地よさに沈んでいくように意識を閉じていった。

 長い一日が終わる、それぞれにとって大きな一日が、終わりを迎えようとしていた。
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