神様のボートの上で

shiori

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第十三話「夜を駆ける」5

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 全員で揃ってビルを出ると、パトカー以外に救急車も止まっていて、ここまで騒ぎになっているとは知らず驚かされた。

「いやはや、こんなに本気になってくださるとは・・・」

「何を言ってる、元はといえばお前が計画したことだろう」

「そうですけど、ここまで大事にするつもりもなかったので」

 すでに関係者以外は立ち入り禁止になっており、テープがビルの前には取り付けられ、何人にも警官が見張りを続けていた。

 犯人の共犯者がいる可能性もあるから、聞き込みもしっかりしているようだった。

 私は一度は断ったけど、半ば強引にビルの前に停車していた救急車に乗せられ病院へと向かわされた。

 あんなに激しい戦いをしたのに、今は救急車で病院まで運ばれている。
 不思議な心地だった。
 こんなに真剣に、大きな事件に巻き込まれたのは初めての経験だった。

 私は、俺は・・・、自分なりにやれることはやったと思う。

 夜間診療を終えて病院を後にする。左腕には包帯を巻いて、まだ傷口は痛むけど現状動かせないほどではない。
 後は何か所か木刀で叩かれた時の打撲傷があって、見ると青あざになっているところもあるけど、そのうち治ることだろう。

「入院しなくてよかったの?」

 帰り道、裕子が私の姿を見て心配そうに話しかける、裕子が私の家まで送ってくれることになったのだ。

 二人で歩く夜道は、どこか懐かしく夜風が気持ちよかった。

「大丈夫大丈夫、大した怪我じゃないから」

 私は心配させないように、笑顔で答えた。

「本当? あんなに怖い思いしたのに、腕だって痛そうなのに」

 裕子は心配そうだった。大喧嘩してもこんな怪我をしないだろうから仕方のないことだけど。
 痛みは続いていたが裕子を救うことができたからか、気丈に振舞うことができた。

「なんだか落ち着かなくって。せっかく平穏が戻りそうなのに、家に帰れないのは嫌だなぁって」

「そっか、無理しないでよ」

 裕子の心配そうな視線を見ながら平穏が戻ったようで今は嬉しかった。
 綺麗な月を眺めながら二人歩く、こういうのもいいなぁとしみじみ思った。

「うん、帰ったらすぐ寝ちゃうと思う、さすがに疲れちゃったから」

「その方がいいよ、今日は頑張りすぎだよ」

 二人歩く速度はずっと変わらない、でも心臓の鼓動はずっと高鳴っていた。裕子は許してくれるだろうか、今も裕子は気づいていない、私の本当の気持ちに。

 でもそれは普通で自然なことなのかもしれない。こんなことで悩んでいるのは私くらいで、そんなことで苦しんでいるのは馬鹿馬鹿しいことなのかもしれない。

 私は立ち止まって、大きく息を吐く、私は真っ直ぐに裕子のことを見た。もう覚悟は決まっていた。

「裕子、私ね、聞いてほしいことがあるの」

 どう話せば私の気持ちが伝わるか、ずっと考えながら歩いていると、気付けばもう私の家の前まで着いてしまった。すっかり夜も深くなって人通りもなかった。

 今、話さなければ、今本当の事を裕子に言わなければ、これからもずっと永久に言えないような気がしていた。

 あぁ・・・、ちづるに止められていたのに、でも私は”明日も今日と同じように騙して一緒にいられる自信はない”、このまま永遠にずっと裕子を騙しておくことはできない、そうずっと考えていた。

 永遠? 永遠とは何だろう? 

 私は、ずっとこのままこの身体で、進藤ちづるとして生き続けるということ?

 じゃあちづるは?

 柚季さんは?

 私が私であるということがいつまで続くのか。そんなこと全然分からない、先の事なんて全然分からない。でもこのままではいけないと思った。

「どうしたの? 怖い顔して、話って何?」

 立ち止まったまま、なかなか口を開けない私を見て、裕子が心配そうにこちらをじっと見る。

「(そんな顔しないで・・・)

 ずっと騙していたことを思って心が痛んだ。

 らしくない事ばかりしてきたんだ、私が本当の進藤ちづるじゃないから、裕子は記憶を失くしたり、豹変したりする私の姿を、複雑な心境でずっと見守って来たのだ。

「今日はゆっくり休めばいいんじゃない、話しなら今度でもいいでしょう、あたしはいつでもいいから」

 それは、何か不吉な気配を感じ取って言ったセリフかもしれない、しかし、私の言葉を止めることは出来ない。

 裕子が優しく言ってくれたとしても、今、本当のことを話さなければならない・・・。
 例え嫌われても、例え一緒に入れなくなったとしても、それだけは後回しには出来ない確かなことだから。
 私はちづるであってちづるでない、そのことを深く自覚した。

 話したとしても伝わるだろうか、話すにしても事情を全部話せるわけでもない、私が知らないことだってある。

 それでも話すのか、そんな曖昧にウソにウソを重ねるようなことをしていいのか、裕子を混乱させるだけじゃないのか。裕子には私の気持ちなんてわからないかもしれない、男の気持ちがわからないように、私の気持ちも分からないのかもしれない。

 でも・・・、それでも、私は分かり合えると信じたかった、だから・・・。


「いいの、聞いて、今言わないとずっと伝えられないような気がするから」


 そう言うと、裕子は恐れながらもゆっくり頷いた。私は息を整える、今だけはこの痛みを我慢しよう。私は震えそうになる気持ちを抑えて、言葉を選んだ。
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