神様のボートの上で

shiori

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第十話「終焉への序曲」1

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「へぇ、お姉ちゃんって一人っ子なんだぁ」

「そうよ、だからちょっと羨ましいかな」

「へえええ、なら明里の本当のお姉ちゃんでいてくれていいよ、明里もお兄ちゃんや弟よりお姉ちゃんが欲しかったから」

 こうして新島家で過ごす中で一番懐いたのは明里で、食事中もずっと話しかけてくる。礼二さんは10分も経たずに席を立ってしまって、一人自室に戻ってしまった。そんなこともあってすっかり私は質問攻めにあっているのだった。

「そんなことを言っちゃ二人が可哀そうよ」

「あんまりたくさん話しかけて進藤さんを困らせちゃダメよ明里」

「むー、せっかくの機会だと思ったのに」

 お母さんの援護もあって明里もようやく押し黙った。

「それでは、私もそろそろ失礼します」

 そう言って私は礼二さんのところへと向かう。礼二さんはちづるとベランダにいた。涼しい夜風が気持ちいい。髪を靡かせながら、照った身体がゆっくりと冷めていく。

 タバコの副流煙が立ち込めてこちらまでやってくる。

「先に抜け出して何をしてるかと思えば喫煙ですか・・・」

 凄く嫌いというほどではないが、たばこを吸ったことのない身としてはタバコの煙は心地良い臭いではない。

「お前はここに何をしに来たんだ」

 タバコまで吸っておいて、あまりにその達観した物言いにイラっとしたが、さすがにそれをはっきり口には出来なかった。

「ここまで巻き込んだのはそっちが原因ですよ・・・、というかタバコなんて吸っていいと思ってるんですか」

「だからここで吸ってるんだろう、そんなこともわからないのか」

「はぁ・・・、もういいです・・・」

 まるで悪びれた様子もない礼二さんにこれ以上かける言葉もなかった。

「新島君、もう遊びの時間は終わりよ」

 ちづるが真剣な眼差しで言った。もちろんここで言う新島君というのは私のことであって礼二さんのことではない。

 私は背筋を伸ばして二人を見る、すっと意識が切り替わったように頭がクリアになった。

 そして、礼二さんは私に核心に触れる質問をしてきた。

「お前、白糸医師に会ったんじゃないのか?」

「会いましたけど、どうしてそれを・・・、それにどうして白糸医師のことを知ってるんですか?」


「それはね・・・、白糸医師は私の主治医でもあるからよ」


 ちづるはあっさりと衝撃的なことを告白した。その言葉に私は驚いて言葉を失った。あの人がちづるの主治医? 自分はそんなことも知らないまま赤月さんに連れられて病院に・・・。


「確かに・・・、先生は私のことを知っているようでした。事件のことがあったから顔と名前くらいは知ってるのかとその時は思ってたけど、でもよく考えるとそんなことはありえないってことですよね」

「事態は思ったより大きく動いているのかもしれないな、悠長にしていられるのも今のうちかもしれないな」

 礼二さんが考えながらぼそぼそと呟いた。タバコを吸う礼二さんからは大人の雰囲気が滲み出ていた、これが本来の礼二さんの性格ということだろう。

「それってどういう・・・」

 礼二さんの言葉の意図するところは全く分からなかった。私の知らないところで何かとんでもないことになっているのだろうか。

「場所を変えましょう、さ、行きましょう」

 ちづるが手すりからピョンとベランダに降りて部屋へと向かう。

「ちょっとどこに行くの?」

 私はちづるを追いかけながら言った。

「ついてくれば分かるわ、さぁ、出掛けるわよ」

「もう、好き勝手しちゃって、礼二さんこれでいいの?」

 気になるところは山ほどあったが、ちづるの真意が私にはまだ見えてこなかった。

「ああ、ちづるにはちづるなりに覚悟が必要なんだろう、今日くらいは付き合ってやってくれてもいいんじゃないか」

「私は、いつも強引に付き合わされてるんですが・・・」

 そんな反論も虚しく、礼二さんとちづるに押されるように新島家を後にすることとなった。

 ちづるは・・・、今になって驚くくらいに積極的になってきている、その理由を私は考えてみたが、はっきりとした答えは出てこなかった。



「お姉ちゃん、もう帰っちゃうの?」

 玄関を出るためにダイニングを通ると明里が一番にやってきた。

「うん、またね、今日はありがとう」
 
 寂しそうにしている明里に私は明里に背を合わせるようにして感謝を告げた。

「うん、また遊びに来てね、絶対だよ」

「姉ちゃん今度は負けねえから、絶対来いよ!」

 明里と竣は名残惜しそうに声を掛けてくれた。ちょっと切ない気持ちなった。
 うちの兄弟にもこんな可愛いところがあったのか、今更ながら再確認することになった。

「うちの子たちも懐いちゃったみたいだし、いつでも遊びに来てね、色々また話を聞かせて頂戴、歓迎するから」

 お母さんにもすっかり気に入られてしまったようだ。この先のことを思うとかなり複雑だ。お父さんの方はお風呂に入浴しているのかすでにダイニングにはいなかった。

「今日はお世話になりました。夕食までご馳走頂いてありがとうございました。なんだか久しぶりに家族らしい団欒に囲まれて暖かい気持ちになれました」

 私は嘘偽りのないように、出来るだけ素直な言葉を三人に伝えた。

「あっ、ちづるも付いてくんだ、カバンから顔出して、やっぱりとっても仲良しさんなんだね」

 カバンから半身だけ顔を出した猫のちづるのことを見て、明里ははしゃいでちづるのことを撫でている。

「うん、ちづるも久しぶりに会えて喜んでるみたい」

「お姉ちゃんが優しいからだよ」

 明里はちづるのことを愛おしそうに撫でて、優しい笑みを浮かべていた。

「そろそろお別れだね、またみんなでゲームしようね」

「うん、お姉ちゃん」

「今度はギャフンと言わせてやるぞ、絶対来いよ、待ってるからな」

「もう、竣ったら偉そうなんだから・・・」

 談笑が続きながら、私と礼二さんは靴を履いた。
 名残惜しくも別れの時間が来てしまった。

「それじゃあ、途中まで送ってくるから」

「はい、いってらっしゃい」

 礼二さんの言葉にお母さんが手を振って答えた。

「色気づいてる兄ちゃんなんて似合わないぜ、姉ちゃんいつでも俺に乗り換えてくれていいからな」

「竣にはまだ早いわよ」

「お姉ちゃん、帰り道変なことされないよう気を付けてね」

 このままここにいたら、いつまでもこんな非現実的な会話を続けてしまうだろう。私はこれ以上この場にいる気力もなく、ちゃんと返事も出来ないまま苦笑いで玄関を出た。
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