”小説”震災のピアニスト

shiori

文字の大きさ
上 下
58 / 73

最終章前編「生きているルーツを見つけにいこう」1

しおりを挟む
 僕は繊細な心を持った晶ちゃんがどんな答えを出すのか知りたかったのだと思う。だからあんな提案をしたのだ。

”晶ちゃん、一通り演奏会が落ち着いたら、一緒にオーストリア、ウィーンで一緒に暮らさないか? この日本を離れて
 
 本格的に音楽に触れれば晶ちゃんの身体ももっとよくなるかもしれないって思うんだ”

 夢は叶えるためにあるものだ。

 そう考えると、僕のした提案は、晶ちゃんにとって酷く残酷なものであったと思う。

 迷わせるようなことを言って、彼女のしようとしていることを妨害しようとしていることに僕は気付いてしまったのだ。

 ウィーンで一緒に暮らすという甘美な誘惑は、彼女の決意を揺るがせるものだ。

 でも、僕は考えて欲しかった、迷って欲しかったのだ。

 将来でもいい、僕と一緒に暮らす未来を、想像して、叶えられたら幸せなことだと、思って欲しかったのだ。

 あの夜、晶ちゃんからの答えはなかったけど、こういう話しをちゃんと出来たことは意義のあることだと僕は思うことにした。

 いずれにしても、僕はもうすぐウィーンに帰ることになるから。

 その時、”再会”したい気持ちが、より多くあれば、それだけ僕らの未来が保証される、つまりはそういうことで、糸が切れないようにするための予防線だったのだ。


 彼女が何を考えているのか、僕はまだ知らなかった。―――彼女が弾いた『RAIN』の真意さえも。


 想像しただけで分かることはあった。それは彼女がどれほど悩み続け、コンクールの舞台であの独奏を演奏することを決意したのか。

 彼女は審査員の評価に繋がらなくても、大切なメッセージとして、あの曲を観客に伝えることを選ぼうとしたのだ。

 だから、晶ちゃんのあの曲に込めたメッセージは本気なのだと僕は思った。

 それは、インタビューの時の文章からも読み取れる。

 しかし、これもまだ客観的な想像に過ぎない。
 
 晶ちゃんから直接、その表情を見ながら気持ちを確かめた時、それが本当の答えなのだ。

 だから、僕は晶ちゃんの出す答えを待つことにした。

 一緒にいたいと伝えてしまった時点で、そうするのが正しいことだと思うから。



 ピアノコンクールの日から瞬く間に時が流れていった。
 
 副賞であるオーケストラとの演奏会に向けての準備を隆ちゃんと一緒に進めて、引き続き楽しい日々を過ごした。

 私もご厚意で一緒に出演させてもらい、多くの人に名前を覚えてもらうことが出来た。

 そんな幸せな演奏会も終えて、別れの日が刻一刻と近づく中、私は隆ちゃんに故郷の町に一緒に行きたいと誘った。

 私たちが生まれ育った地、今なお震災の爪痕が残る海辺の町。

 私は隆ちゃんが日本にいる間に一緒に回りたいと思っていたのだ。

 思い出がいっぱい詰まった、私たちの原点の地へ。

 
 隆ちゃんが快く承諾してくれて、小旅行のような気持ちで一緒に計画をした。反対されるのを恐れて、式見先生には秘密で出掛けることになった。


 季節は梅雨から本格的な夏へ、旅行当日は快晴で、まだ待ち合わせ時間が早いこともあり、日差しは強くなかったが、昼間になれば、すっかり夏本番の陽光が降り注ぐ時期だった。


 もう、高校は夏休みに入っていたから、お互い勉強に影響を及ぼすこともなく、そういう意味では安心して出掛けることが出来た。


 ひと足早く待ち合わせ場所に着いた、麦わら帽子を被った白いワンピース姿の私。
 赤い肩掛けポーチとタオルや着替えの入った大きめのカバンを手に、駅の改札前で隆ちゃんがやってくるのを待つ。

 
 オーケストラとの演奏会があったから、関東地方で暮らす隆ちゃんとは長期間会えないこともなく、寂しい気持ちはなかったけど、二人きりでこっそりお出掛けするのはウキウキして、楽しみで仕方なかった。


”提案してくれたことは嬉しいけど、今はまだ、答えは出せないよ”


 ピアノコンクールが終わった後の大切な夜、たくさん話しをした後で私はそう伝えた。
 ウィーンで一緒に暮らしたいと提案されたのだ。
 旅行でもまだヨーロッパに行けていない私としては、行ってみたい気持ちも、一緒に暮らしたい気持ちもあったが、答えは出せなかった。


”でも、ありがとう。隆ちゃんの気持ちは本当に嬉しい、私と一緒にいたいって思ってくれてるってことだから”

 伝えた言葉は全部本心だった、本心だからこそ胸が苦しくなった。

 愛する人といられる幸せを、心行くまで知ってしまったから。

”隆ちゃんがウィーンに帰るまでにはちゃんと答えを出して、伝えるよ”

”だから、その時まで待っていてね。私、自分の人生に後悔したくないから”

 早く答えを出すつもりだったけど、上手に伝える方法を考えて準備をしたいこともあり、結局今日こんにちまで先送りになって来た。


 あの夜にやり取りしたメッセージ、届いたメッセージも送ったメッセージも、どちらも何度も繰り返し確認した。

 隆ちゃんとの交流の記録、一緒にいた確かな証拠。

 その一つ一つが私の存在意義で、生きた証だった。
 
”自分に出来ることがなんなのか、自分がしたいことがなんなのか、ちゃんと考えて、答えを出したいから”

 ここまで真剣に将来のことを考えたのは、これが初めてだったかもしれない。
 震災で両親を亡くしたのも大きかった。
 いずれ考えないといけないことだから……。

 
 私はピアノコンクール本選で『RAIN』を演奏すると決め、演奏した時点で、大きな決意をしたつもりだったけど、それが全然足りないものだったと自覚させられた。

 私のしたいこと、後悔しない選択を、隆ちゃんにも納得してもらえる答えを、私は今日まで準備した。

 半袖のワンピースを着た、ピンク色のリボンで髪を結んだポニーテール姿の私を、隆ちゃんが見つけるのに時間はかからなかった。

 短い金髪をした見慣れた男の子の姿が視界に映る。
 半袖のワイシャツに茶色のスラックスを履き、私を見つけると、今日も爽やかな笑顔を浮かべていた。

”楽しい一日になるといいな”

 朝の日差しを浴びながら、心の底から私は思った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

冬の水葬

束原ミヤコ
青春
夕霧七瀬(ユウギリナナセ)は、一つ年上の幼なじみ、凪蓮水(ナギハスミ)が好き。 凪が高校生になってから疎遠になってしまっていたけれど、ずっと好きだった。 高校一年生になった夕霧は、凪と同じ高校に通えることを楽しみにしていた。 美術部の凪を追いかけて美術部に入り、気安い幼なじみの間柄に戻ることができたと思っていた―― けれど、そのときにはすでに、凪の心には消えない傷ができてしまっていた。 ある女性に捕らわれた凪と、それを追いかける夕霧の、繰り返す冬の話。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

#彼女を探して・・・

杉 孝子
ホラー
 佳苗はある日、SNSで不気味なハッシュタグ『#彼女を探して』という投稿を偶然見かける。それは、特定の人物を探していると思われたが、少し不気味な雰囲気を醸し出していた。日が経つにつれて、そのタグの投稿が急増しSNS上では都市伝説の話も出始めていた。

日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~

海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。 そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。 そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。

夏蝉鳴く頃、空が笑う

EUREKA NOVELS
ライト文芸
夏蝉が鳴く頃、あの夏を思い出す。 主人公の僕はあの夏、鈍行列車に乗り込んであの街を逃げ出した。 どこにいるかもわからない君を探すため、僕の人生を切り売りした物語を書いた。 そしてある時僕はあの街に帰ると、君が立っていたんだ。 どうして突然僕の前からいなくなってしまったのか、どうして今僕の目の前にいるのか。 わからないことだらけの状況で君が放った言葉は「本当に変わらないね、君は」の一言。 どうして僕がこうなってしまったのか、君はなぜこうして立っているのか、幾度と繰り返される回想の中で明かされる僕の過去。 そして、最後に訪れる意外なラストとは。 ひろっぴーだの初作品、ここに登場!

仔猫のスープ

ましら佳
恋愛
 繁華街の少しはずれにある小さな薬膳カフェ、金蘭軒。 今日も、美味しいお食事をご用意して、看板猫と共に店主がお待ちしております。 2匹の仔猫を拾った店主の恋愛事情や、周囲の人々やお客様達とのお話です。 お楽しみ頂けましたら嬉しいです。

処理中です...