”小説”震災のピアニスト

shiori

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第5章「もう一度、はじめるために」4

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「ここに来るまでずっと……、晶ちゃんの事を元気づけられたらって思って……、俺は昔みたいに一緒にピアノを弾けたらいいなって、それだけなんだ」

 気付けば闇雲に言葉が出ていた。それが晶ちゃんにとって追い打ちになるような言葉とも気付かずに。


「”無理なんだよ、私、隆ちゃんには分からないかもしないけど、今クラシックも聞く気分になれないの。ましてや、ピアノに触るなんて、もう怖くてできないよ……”」


 暗い表情で頭を横に振りながら、哀しいくらいに棒読みな音声がスピーカーを通して流れると、余計に哀しい気持ちでいっぱいになった。

 気が動転し、焦って俺だなんて言ってしまい、後悔の念が大きくなった。
 
 晶ちゃんの心の傷は、震災によって生じた深い心の傷は、今もまだ癒えていないのだと、まだ深い苦しみの中にいるのだと、今、ようやく本当の意味で理解した。


「ゴメン……、本当にゴメン……、僕は全然晶ちゃんの気持ちを考えてなかった」

「”謝らないで……、いい歳してすぐに立ち直れない私が悪いの。
 きっと、お父さんもお母さんも失望してる。
 あんなにわがままなくらいにピアノが好きだったのに、触りたくないなんて、勝手なことばかり言って失望させてしまってるから”」

 晶ちゃんのこんなにもはっきりとした弱音なんて、聞きたくなかった。僕が呼び起こしてしまったのだ、僕の言葉で。

 ”こんなはずではなかった”と、誰のせいにもできない自分のミスだと思った。
 震災のせいにしたところで、晶ちゃんの声はすぐに戻らないし、心の傷が癒えることもないのだとよく分かった。


「ごめん……、どう謝っていいのか分からない……」

「”いいの、謝らないで、私は隆ちゃんとまた会えて本当に嬉しかったから”」

「僕もここに来るまでの間、ずっと晶ちゃんのことだけ考えてた。やっと会えるんだって、忘れてないかな、会って大丈夫かなって、ずっと考えてた」

 愛しい人を目の前に、傷つけてしまった後悔と一緒に、今まで背負って来た想いが口から言葉として溢れた。


「”そうだよね……、式見先生が教えたんだよね、私がここにいるって。

 会ってビックリさせようとしてくれたんだよね、サプライズだったんだよね、喜んでくれたらって思ってここまでわざわざ来てくれたんだよね……。

 うん、隆ちゃん、ありがとう……、本当にありがとう。

 私、こんなんだけど、本当に再会出来て嬉しいよ、だから、見捨てないでね”」

 
 僕が持ってきた花束を大切そうに横に置きながら、彼女はどこまでも優しかった。
 涙を滲ませながら言葉を紡ぐ彼女を僕はもう一度ぎゅっと抱きしめた。

 こんな風に、大切に僕のことを想ってくれている人がいる、それだけでもう十分すぎるほど、僕は幸せな人間だった。

 僕の衝動的な行為を受け入れてくれたのか、晶ちゃんは決壊するように僕の胸の中で泣きじゃくった。


「見捨てるわけないよっ、ずっとそばにいたかったんだから、たまらないくらいずっと会いたかったんだからっ!!」

 
 相手を思いやって言葉を尽くすことの難しさを経験して、こうして抱き締め合うことで得られる安心感の方が、ずっと簡単に互いの心の内にある不安な気持ちを拭い去って、心を満たしてしまうのだということが、よくわかってしまった。

 これは自分の不甲斐なさを誤魔化しているようでずるいことかもしれない、でも、ただ、こうしていることが、温もりを確かめ合っていることの方が今は幸せだった。

「”一つだけ、お願いしてもいいかな?”」

 僕はせめて、少しでも前に前進するために、晶ちゃんと一つの約束をしようと思い、話しかけた。

 晶ちゃんは泣き腫らした表情で、躊躇うことなく頷いた。

「晶ちゃんが無事に退院出来たら、僕のピアノ演奏を聞いてほしいんだ」

 成長した僕の演奏を聞いてもらうこと、それで晶ちゃんがピアノへと向かう勇気を取り戻せるなら、それ以上に望むことなんてなかった。

 晶ちゃんはその言葉の意味を理解しようと、少し返答に間をおいてから、決心が出来たのか、ゆっくりと身体を放してから頷いてくれた。

「ありがとう、退院できる日を楽しみにしてる。応援してるから」

 僕は改めて、ここに来た意味を実感すると共に、本当に大切なものが何かを考えていた。

 それから、随分と長居してしまい、申し訳ない気持ちが沸いてきてしまっていたところで、検診にやって来た看護師さんにお礼を伝え、今日のところは病室を出ることにした。

 今日、訪れた女性の看護師さんがたまたま真面目な人だったからか、二人で談笑していた男女の僕らがからかわれることもなく、また来るからと晶ちゃんに伝え、僕は病室を出ることにした。

 別れ際、晶ちゃんが涙を拭って、優しく微笑みながら手を振ってくれて、思わず胸が熱くなりながら僕は病室を出た。

 4年ぶりの邂逅は、こうして様々なことがありながら、ひとまず終えることが出来たのだった。
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