”小説”震災のピアニスト

shiori

文字の大きさ
上 下
4 / 73

第1章「会いたい人」4

しおりを挟む
 扉を開いた先にある第二音楽室の中の光景が隆之介の眼前に開かれた。

 夕焼け空から眩いばかりの光を浴びるグランドピアノの先に、心地良さそうな笑顔で目を瞑りながら鍵盤を叩き、ペダルを踏み堂々とパッヘルベルのカノンを奏でる一人の少女。

 教室にはその一人の少女以外にはおらず、隆之介は教室の中に足を踏み入れて、グランドピアノへと近づいていく。

 少女は隆之介に気付く様子はなく演奏を続ける。

(……こんな子が、この学校にいたんだ)

 小学四年生になった隆之介もこんなにピアノが上手な生徒がいることを知らなかった。
 いや、ただ自分が上手くなりたい一心でピアノと関わって来たから、同じ小学生の演奏などに興味関心を抱く余裕がなかっただけかもしれない、それは自分よりも上手い人はほとんどが自分よりも年上で背も大きく、いずれ越えなければならない高い壁としていつもそびえ立っていたからだ。
 だから、隆之介は身近な同じ学校の生徒にまで関心を向ける余裕がこれまでなかった。

(自然と伝わってくる……、この子の持っているピアノが好きで、大好きでたまらなくて、演奏しているという心の動きが、この心地良い演奏を通して、痛いくらいに伝わってくる。
 これは、僕が持っていない感性、ただ上手くなりたくて、上手に弾きたくて、必死に譜面と向き合って一生懸命弾こうと格闘してきた自分とはまるで違う、違う感性の中で奏でる、この子の内にある感情から生まれた演奏なんだ……)

 考えればキリがないと思うほどに、隆之介はこの子の演奏に込められた音楽性に惹かれていた。

 
 やがて、時を忘れるほどに心地良い演奏が終わり、少女を目を開いて、顔を上げた。

 少女の視線が隆之介と重なって、そのまま互いに反応のないまま静止した。
 隆之介は勝手に教室に入って近くまで来て、少女の顔色まで伺える位置で聞いていただけに胸が高鳴り、緊張ですぐに言葉が出なかった。

 自分と身長も歳もそれほど変わらない少女の姿、艶やかに伸びた綺麗な黒髪をポニーテールにしてまとめ、透き通った綺麗な瞳を覗かせ、顔立ちも柔らかで年相応なものであった。それは隆之介が少女の音色を聞きながら頭の中でイメージしたそのままであり、少女は演奏直後でこの二人きりの状況に未だに実感が持てていないのか不思議そうにきょとんとした表情で隆之介を見ていた。

「あの……ごめん、勝手に教室に入って…っ」

 隆之介は緊張で固まったまま、何とか声を絞り出して先に謝った。
 その声を聞いて相手もようやく気付いたのか、人形ではないと分かるように表情を動かしてようやく口を開いた。

「あぁ……もしかして君もピアノがお好きなんですか?」

 ピアノの椅子に座ったまま、第一声を少女は語り掛けた。
 ピアノの音色と同様に繊細な少女の生声により魅了され、隆之介は返答が遅れた。

「……ちょっとだけ」

 辛うじて声を絞り出して出た言葉はなんとも情けないものだった。

「そうなんですね……、せっかくですから弾いてみますか?」

 少女から次に出た言葉は甘美な誘い言葉だった。

「……いいの? 君が練習してたんじゃないの?」
 
 どうして譲ってくれるのが分からず、隆之介は聞いた。

「私はここのピアノを気まぐれで時々使っているだけですから。
 普段の練習は家のピアノを使っています。今日はたまたま帰る前に弾きたくなっただけです。このピアノを使うのは式見先生から許可を頂いてますから、君が演奏しても大丈夫ですよ。無断使用にはあたりませんので」

 話すことに慣れているのか、隆之介には分からなかったが、ゆっくりとして、上品に落ち着いた口調で、まだ幼さの残る女生徒は丁寧に教えてくれた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?

石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。 ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。 ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。 「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。 小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。 扉絵は汐の音さまに描いていただきました。

時戻りのカノン

臣桜
恋愛
将来有望なピアニストだった花音は、世界的なコンクールを前にして事故に遭い、ピアニストとしての人生を諦めてしまった。地元で平凡な会社員として働いていた彼女は、事故からすれ違ってしまった祖母をも喪ってしまう。後悔にさいなまれる花音のもとに、祖母からの手紙が届く。手紙には、自宅にある練習室室Cのピアノを弾けば、女の子の霊が力を貸してくれるかもしれないとあった。やり直したいと思った花音は、トラウマを克服してピアノを弾き過去に戻る。やり直しの人生で秀真という男性に会い、恋をするが――。 ※ 表紙はニジジャーニーで生成しました

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

処理中です...