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第十一章 愛されるより、愛したい

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一方勝行は、大学から直接事務所に立ち寄り、山積みの書類と睨めっこしていた。
光のパーカーを着て応接室のソファに座っていると、晴樹に「うわー光くんかと思った、見間違えた」と楽し気に絡まれる。自分でも違和感を感じていたので軽くスルーした。

「変装とはいえ、ネクタイがないと落ち着かないです」
「さすが良家のお坊ちゃま……」
「保さんはどこかに出かけてるんですか」
「いやすぐ戻ってくるよ。勝行くんに会わせたい人物がいるんだ。迎えに行ってる」
「会わせたい人物? こんな恰好ですが大丈夫ですか」
「平気だよ。そこまで改まった席じゃないから」

誰かわからないが、人に会うなら今のうちに書類をひとつでも片づけてしまわねば。晴樹を無理やり座らせ「働いてください」と顎でこき使いながら、勝行は企画書や契約書関係をひたすら選別した。
光のソロデビューに相応しい企画は自分で選びたい。WINGSも復活に向け、事は急ピッチで進んでいる。一度リスケされた復活ライブの日取りも決め直さなければ。業務は溜まる一方なので、できれば書類もいくつか病室に持ち帰りたいところだ。

「これは相羽の遠縁が絡んでます、却下。あとこれはどう考えても色物なので無理です、断って」
「気持ちはわかるけどさあ、そうやって拒否ってばっかりだと光くんの仕事がなくなっちゃうよ~。彼の意見も聞いたらどうなの」

突き返されてばかりの書類を前に、晴樹がぶすっと愚痴を述べる。これでも一応、退院後の光ができそうなものを晴樹がセレクトした後だったらしい。

「本人の委任は得ているので問題ありません」
「ああもう、君は相変わらず光くんの事となったら唯我独尊だよねえ。我田引水って知ってるでしょ? 優等生」
「心外ですね、信用を損なうようなことはしてません。あとこの企画も却下。グルメレポなんて光にできるわけないでしょ」
「ちょ、待って。これは久我さんからの紹介でさあ、出演者も殆ど久我さんの知り合いだから大丈夫だって。光くんも絶対喜ぶと思って取ったのに! ケーキ屋さんだよ!? 健全な昼の仕事だよ!」
「コネで選ぶ前に、もう少し音楽に関係あるものを選んでください。無能マネージャー」
「ひっ……ひどい……」

完全に言い負かされて泣き寝入りしている晴樹を無視し、勝行はサクサクと書類選別を済ませていく。
だがさっき愚痴られた書類だけは、しばし考えて手元に引き戻した。

(……喜ぶのかな。本当に……)

「ただいま。勝行、来てる?」
「はい!」

ガチャリと事務所のドアが開き、保の甲高い声が聴こえてきた。返事をしながら書類を置いて出迎えると、その後ろに背の高い三十路ほどのリーマンスーツ男性が立っていた。思わず上着に手をかけたものの、自分はスーツ姿ではないことを思い出して代わりに軽くお辞儀する。

「やあ、勝行くん。前よりちょっと垢ぬけたんじゃないですか。大学合格、おめでとう」
「あ、はい。どうも……」

とてもフランクに話しかけてくれる男性は以前からこちらを知っているのか、カジュアルファッションの勝行を手放しに褒めてくる。まるで親戚のおじさんのようだ。誰だったか思い出せず、勝行は業務用の笑顔を浮かべながら「お茶淹れますね」とその場を離れた。
彼と晴樹は初対面だったらしく、綺麗な所作で胸元から名刺を抜き取り、挨拶を交わしている。

「株式会社Bondsボンズで新製品の販促を担当してます、高見です。CM関係の現場責任者として今年いっぱい、お付き合いさせていただきますので、今後ともよろしくお願い致します」
(あっ……あの人は!)

色々あってすっかり頭から抜け落ちていたが、彼はインフィニティでの年末ライブに来てくれたスポンサー企業の人間だと思い出す。

(村上先生の役立たずめ……こんな恰好で会うことを許される人じゃないじゃないか)

ボンズといえば、万人向けのスキンケア商品などを製造販売する有名ブランドだ。勝行も日常使いでボンズのヘアワックスをいくつか所持している。以前ライブで楽屋挨拶に来た時は、広告代理店の営業に連れて来られた感満載の様子だったから脈なしかと思って油断していた。あの時、もしかしたら広告の仕事がボンズから貰えるかも……と聞かされてはいたが、その後どうなったかは知らない。

(あそこのコマーシャルってだいたい女優さんだった気が。今年は男性向けのラインナップでも増やすのかな。……ああでも、光のソロデビューにはうってつけの案件じゃないか。ビジュアルだけを求められたら、一度ピアノも勧めてみようかな)

大人たちの話が気になりつつも、咄嗟にやってきた台所の使い勝手がわからない。ドリップパックを手に持ったままミニキッチンで右往左往していると、晴樹が助け舟を出しにやってきた。

「あの人は勝行くんに会いたくて来たんだから、こっちは僕に任せて」
「……ありがとうございます。お願いします」
「そもそも君、自分でコーヒー淹れられないでしょ。毎日光くん任せなんだから」
「……やればできますよ。多分」

くすくすと肩を震わせる晴樹を睨みつけるも、絡むのは時間の無駄だ。勝行は急いで応接室に戻った。書類を散らかしたままだったことを謝りつつ、改めて挨拶を交わす。保と並んでソファに座ると、向かい側に座る高見が契約書類を机に広げた。

「改めて正式な業務提携をお願いしにきました。新生WINGSに、我々ボンズの製品を託したい。一年間当社のイメージキャラクターとして販促をお手伝いいただけませんか」
「え? WINGS……ですか。光個人じゃないんですか」
「んん? 僕らはWINGSにお願いしたいと思ってますよ。コマーシャル用の楽曲も作ってもらいたいし、ライブを開催される時はスポンサーとして支援提供をお約束しましょう。我々は、青空の下でのびのびと歌う二人の姿を求めています」
「ほ……本当ですか……?」

高見の思わぬ進言に、勝行は声を震わせた。本当なら、これはとんでもない大抜擢だ。
にわかに信じられなくて、隣席の保を振り返る。すると彼は嬉しそうにウインクしながら「忙しくなるわね」と微笑んだ。思わずガッツポーズしたくなったが、同時に不安要素もあれこれ思い出す。

「……で、ですが僕らには色々と活動に制約が」
「光くんがまだ入院してることも、アメリカに移住する可能性があることも知ってます。その上でのオファーです。あと、うちは野外ロックフェスや音楽祭典のスポンサーとして年がら年中あちこちに協賛出展するんですが、そのいずれかにWINGSを誘致できればと考えてます。ああ、これはまだ企画段階で、出演者を決める会議はこれからなんですけどね。僕らはスポンサー枠として一組推薦できるんですよ。勝行くん、夏フェスで歌いたくない?」
「な……夏フェス……」

あまりにもトントン拍子に話が進み過ぎて、一瞬、去年千堂から持ちかけられたイベント出場オファーの話が頭に過る。けれど今は保が隣で一緒に聞いているし、目の前にいる男ならば――きっと、信頼できる。そんな気がする。


「もうね、うちの社員みんなPV動画見て君らのファンになっちゃって。イベント会場で仕事しながらWINGSの生歌を聞きたいーって盛り上がっちゃいましてね」
「そんな理由でフェスに推薦ってできるんですか? 高見さんったら話うまいんだから」
「ははは、実際に推薦会議に行くのはもっと口の上手い広告代理店の方なんで。あっあとでサインもらってもいい? 女子社員がねー、うるさくて」

高見と保の談笑をぼんやり聞き流しながら、勝行はやっと未来の歯車が動き出したことを実感していた。

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