できそこないの幸せ

さくら怜音/黒桜

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第十一章 愛されるより、愛したい

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言われてみれば、自分から「生きたい」と声にしたのは初めてだったかもしれない。
保護者二人と星野が一度席を立ち、金銭関係の話を続け始めたので光は大人しく待っていた。その間、若槻がカフェオレを淹れながら光に話しかけてきた。

「今日はお兄さんはどうした?」
「出かけてる」
「そうか。まあでも、良かったね」
「……?」
「一人きりでも表情が和らいでいる。家で会った時より断然いい」

確かにあの時と比べれば心配事はひとつ片付いたし、勝行の無事も確認できた。顔に出ている光の感情を読み取ったのか、若槻は「大事な人を信じられるようになったんだね」と頭を撫でた。
こんなことをする人だとは思わなくて、光は驚いた。それから小声でそっと若槻に問いかけてみる。

「そういうあんたは星野センセとどうなったんだよ」
「うるさいな、大人には大人の事情があるんだ、くだらない出刃亀は入れてこないように」
「どこが大人だ」

一気に拗ねた子どものような言い草をする若槻に、思わずプッと噴き出した。星野たちはすっかり打ち解けている光と若槻を見て微笑ましそうにしている。

「楽しそうだね、若槻先生のカフェオレがあると光くんの機嫌がいいって本当なんだ」

そうでしょうとドヤ顔で語る若槻を無視して、星野は光に再び向き直った。

「前も言ったけど、光くんの病にストレスは厳禁だよ。毎日薬を飲んで大人しくしているだけではだめだ。何が必要かわかるかい」
「……軽い運動とか?」

星野は「それも大事だけど」と言いながら、真剣に考える光の頭をぽんぽんと撫でた。

「いつでも楽しそうに笑っていて欲しい。大好きな人に囲まれて、幸せになりなさい」
「……え……?」
「宿題にするからね」

(幸せに……俺が? 勝行じゃなくて?)

呆然とする光に手を振り、星野と若槻は部屋から出て行った。

「まるで結婚祝いみたいなメッセージじゃない。あの先生、けっこうキザね」

でも言ってることには同意しかないわ。保はそう独りごちながら修行に挨拶を交わし、二人の後を追って出て行った。部屋は修行と光の二人きりになる。シンと静まり返った中、修行はすぐに出て行かず、黙って光のベッドサイドに座り込んでいた。

(……き、きまずいんだけど。この状態でどうやって幸せになれと)

彼は何か言いたいことがあるのだろう。光も彼に言いたいことは沢山ある。けれどうまく言葉にならず、喉につっかえてばかりだ。しばしの沈黙の後、光は重い口を恐る恐る開いた。

「あ……その……ごめん、なさい」
「……なぜ謝る。君はいつも私の前で謝罪してばかりだな」
「ひ……一人で勝手に……勝行のとこに行ったから……」

せっかく義親として自分を心配してくれたのに。修行を信じきれず、片岡の助けも待てず、一人で抜け出した。その前に修一を殴って怪我を負わせた。勝行の車や相羽家の使用人も勝手に使った。怒られることしかいないと思っていた光は、自分から先に謝るべきだと勇気を振り絞ったつもりだったのだが。
修行は一度深くため息をついたが、顔には困ったような笑みを浮かべていた。

「その謝罪は受け入れておく。だが他に聞きたいことがあるんだ」
「……聞きたいこと?」
「君から見た、勝行のことを話して聞かせてくれないか。君が一番、近い場所からあの子を見てきただろう」

修行の落胆した表情を見て、光は胸が詰まった。自ら相羽家を出ていくと言った次男、追い出さざるを得なくなった長男を失って、この人は今とんでもなく「寂しい」と感じているのではないか。
片岡もまだ復活していないようだし、疲弊した彼を慰めてくれる人間は今どこにもいないのだろう。とはいえ何から話せばいいかわからず、光は戸惑っていた。

「家で儂には見せてくれない、素のままの勝行を少しでも知りたいと思ってね」
「それは……親父さんの勘違いだろ」
「ん?」
「あいつが見せないんじゃなくて。親父さんがあいつを見てなかったんだ。……きっと」

生意気なことを言ってしまったかと一瞬たじろいだが、修行は興味深そうにこちらを見つめていた。何かを語る側になるのは苦手だが、今ここでちゃんと話さなければ、もう二度とこの人とは分かり合えない気がする。光は途切れ途切れでも懸命に言葉を紡いだ。

「あいつはやりたくないって言っても、なんだかんだでいつか親父さんの右腕になるような……すごい男だと俺は思ってる。家のことも、押し付けられるのが嫌なだけで。ホントは嫌いじゃないよ、きっと……」
「どうしてそう思う?」
「正月ん時……厨房の前でライブしたんだ。俺ら。そん時、親父さんに許してもらえる日がきたら、家の庭でライブしたいって。……みんなに聴いてもらいたいって、言ってた」

家が嫌いだったら、そんなこと言わないはずだ。
光の思い違いかもしれないけれど、勝行は誰かに『等身大の自分たちを見て』もらいたくて歌っている気がしていた。理想を塗り重ねて作った上品なお坊ちゃまの自分ではなく、マイクスタンドを蹴飛ばし、ギターをかき鳴らしながら歌い叫ぶ汗まみれの自分を。

「あいつが歌ってるとこ、親父さん観た事あるだろ。あいつ、めっちゃ楽しそうに笑ってると思わないか?」
「……」
「だからって勉強しなくなったわけでもない。音楽も勉強もどっちも手を抜かないで、毎日寝る間も惜しんでずっと頑張ってた。いつかの相羽家のためにも、ちゃんとやることはやってんよ、あいつ」
「そうか……教えてくれて嬉しい。君は本当にあの子をよく見てくれている」
「俺もあいつの邪魔にならないよう、一人で出来ることは頑張るから……だから、あいつからWINGSをとらないでくれ。今だけは……」
「……どうして今だけ、なんだ?」

光の必死の訴えに違和感を感じたのか、修行のツッコミは的確で、光の心臓はどきんと跳ね上がった。

「前……音楽は逃げないって、俺に言った……」
「確かに、そう言った気がする」
「でも俺の身体には時間がないんだ。未来の音楽に用はない。生きてるうちにいっぱい歌作って……勝行に歌ってもらいたくて、バンドしてる、から」
「だが先生はさっき、生存率は九割を超えてると」
「……俺がいつまで生きられるのかは知らないし、これはただの勘だけど。……生き延びても、どうせあと数年でピアノが弾けなくなる」

動かすたび、日に日に違和感を感じるようになった指先を見つめ、光は「生存率ってのは、寝たきりも含まれるんだろ」と小さく呟いた。修行はハッとしたように顔を上げ、「悲観的なことばかり考えるのはよくない」と窘める。けれど光はずっと言いたかった。

「明日この指が動かなくなったら、心臓が止まったら。俺の音楽活動は終わりだ。……勝行もそれを知ってるし、俺は毎日そうやって生きてきた。これからも」
「……」
「俺たちの音楽は、消えるんだ。いつか遠くない、未来に」

せめて勝行が求めてくれている間は、ずっと繋ぎ留めていたい。そのために治療もきちんと受けるけれど、終わりはいずれ必ずやってくる。勝行の未来予想図の最後まで、付き合える自信は今もない。
光は拳を握り締め、ベッドから降りると、修行の足元に跪いた。

「お願いだ……お願いします。俺に、今の勝行の時間をください」
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