できそこないの幸せ

さくら怜音/黒桜

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第八章 傾いた未来予想図

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夜が更けても、アルコールの回った大人たちの笑い声はいつまでも響く。
あちこちで挨拶に回るたび、新当主と呼ばれて名刺を大量に渡された勝行は、げんなりした表情で宴会場を抜け出した。片岡も遅れて後を追う。

「どちらに行かれるんですか、勝行さん」
「あっ……すみません、受験勉強があるので今日はこのへんで……」
「なるほど、とても勤勉ですね。うちの息子に爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいだ」
「頑張ってください」
「ありがとうございます。失礼します」

すれ違いざまに声をかけてくる名も知らない親戚に頭を下げつつ、一目散に母屋に向かう。すっかり遅くなってしまった。外は真っ暗だし、下弦の月が遠くに見えている。廊下を通ると吐く息が白い。きっと寂しい思いをしながら光が待っているだろうと焦りながら速足で進んだ。

芸能活動していることをネットで偶然見つけたり、噂を聞きつけた年配の分家代表たちからは「芸能界は駄目です、あんな水商売」と説教される一方だった。
中には嫌味交じりに「まずはタレントとして国民の好感度を上げる作戦ですか」「多才ですね。タイムマネジメントがお得意そうだ」などと揶揄われる。
歌を褒める人も、音楽を聞いてくれた人もいない。目の前に立つ相羽家新代表の男の経歴を、傷ひとつない理想像にするための高尚な助言ばかりが飛んでくる。
父の面目のために、何も反論せずにひたすら耐えた。
代わりに移動中の休憩時、兄がいない間を見計らって無理やり進路希望を変更したことだけ手短に伝えた。

「共通一次はひとまずT大で受けます。ですが二次試験の第一希望はT大ではなくC大で受けさせてください。あの大学は芸術の学び舎の最高峰。そこで芸術の才能を認めてもらえず、受験に失敗すれば僕の実力はそこまでです。諦めてB日程でT大を受験します」
「……」
「これでも浪人した兄よりはマシですよね。B日程でも落ちるとなれば、所詮僕も兄と同じ凡才な男。兄弟のどちらが相羽家代表に相応しいか、器量をはかるための材料にもなるでしょう。僕にチャレンジの機会をいただけませんか」

父・修行は黙って苦虫を噛み潰したような顔で聞いていた。いつまでも続く無言の時間がいたたまれず、勝行は返事も聞かずに飛び出してきた。
最後は光が提案してくれた「このあと勉強するので」の一言でごり押しした。

(早く光に会いたい。抱きしめたい……)

わき目もふらず母屋の自室に向かったが、中は真っ暗で誰もいなかった。後を追ってきた片岡が「光さんは厨房で護衛や使用人と一緒にいるはずです」と教えてくれる。

(……そ、そうだった。一人こんなところに待たせるなんて俺も嫌だ)

急いで厨房前の大部屋に向かう。沢山の声が漏れ聞こえる部屋に近づくと、みんなに囲まれて楽しそうに笑う光の声が聴こえてきた。元気そうでほっとする。
だがかつてライブハウスの楽屋で見かけた光景――自分など入る余地もないであろう空間に感じて、一瞬入ることを躊躇った。

「……」

だが引き戸の前に立つ勝行の姿を先に見つけた光は、中から嬉しそうに迎え入れてくれる。

「勝行、お帰り!」
「わあっ、おかえりなさいませ!」
「お待ちしておりました!」

必ずここに帰ってくると、使用人にまで言った覚えはない。だがそこに居合わせた人間の殆どから「おかえり」と歓迎されて、勝行は面食らった。一番に駆け寄った光は、ぎゅっと抱きついてきて労うように背中を撫でてくれる。

「おつかれ」
「……ただいま、光」

たった数時間で一気に溜まったストレスも、泣きたくなるほどどうしようもない理不尽も、全部光の体温と言葉で浄化されていくようだ。

「がんばったな、こんな遅くまで。お前、なんも食ってないだろ?」
「え……あ、確かに。御膳の前で落ち着いて座る暇がなくて」
「だろうな。お前って忙しい時なんも食わねえもん。だから帰ってたら、ここで飯食わそうと思って待ってた」
「そ、そうなんだ」

正直料理長には申し訳ないが、宴会席の馳走を見ても食欲など一ミリもわかなかった。胃薬ひとつ飲んで、水だけで過ごしていたと零すと、女性陣から「育ち盛りの高校生になんてこと」「お可哀そうな」と悲鳴があがる。

「私たち、あんなに沢山の料理を運んだのにね」
「せっかくのお正月だというのに」
「ご、ごめんなさい。残してしまって……」
「やだっ、勝行坊ちゃまのせいではないので気になさらないでください!」
「そうですよ、あんなに大勢を前にしても物怖じせず、ずっと笑顔で対応されていて、とてもご立派でした……さすがアイドルって感じで、見惚れちゃいました」
「ちょっとあんたたち、宴会場でちゃんと仕事したんでしょうねえ?」

和装の仲居姿に身を包んだ年配の女性が、勝行を取り囲んで騒ぎ立てる女性スタッフたちを窘めていた。くすくすと笑いが絶えない中、料理長が「さあ、勝行坊ちゃまのお食事はこれからです」と手を叩いて合図を送る。

「研究熱心な光くんと一緒に、坊ちゃまのお好きなものばかり見繕って作りました。お席はこんな場所ですが、ぜひこちらを召し上がってくださいな」

宴会の片づけに従事していないスタッフたちが、無駄な動きもなくさっと食卓の準備を始める。椅子が足りない代わりに立食形式となるが、それでも机上にはあっという間に素朴な和風御膳がずらり並べられた。
中には鶏の照り焼きやだし巻き卵など、勝行が自宅でよく光に作ってもらう品も並んでいる。見ただけでわかる光のお手製だ。目にした途端、勝行の腹がぎゅるるると情けなく鳴った。
みんなは顔を見合わせて首を傾げ、音の正体に気がつくとどっと笑った。つられて勝行も思わず失笑してしまう。

「光くんの作戦、大成功ですねえ」
「だろ? コイツ卵と鶏料理には目がねえから」
「恥ずかしい……さっきまで全然お腹空かなかったのに……」
「やっぱ好物が並ぶと違うんじゃないですか?」
「今夜は私たちとも一緒にぜひ、乾杯してください」

未来のご当主。

年配の料理長にそう言われて、勝行は思わず顔をひきつらせた。
その途端、後ろに控えていた片岡が小さい子の頭を掻き抱くようにして勝行の目と耳を塞ぐ。

「その呼び方だけは、今はお控えください。勝行さんは『勝行さん』です」
「あっ……失礼しました」

慌てて恐縮するスタッフたちを無視して、光も片岡の脇下から「大丈夫か」と気遣ってくれる。

「どうした……泣きたいほど嫌なこと、いっぱい言われたのか」

――泣きたい?

正直なところ、今はそんな陳腐な言葉で片付けられるレベルではない。
たった一日で天上から地獄まで一気に味わった気分だ。とても一人では処理しきれない感情があれこれ心に渦巻いたまま初日をやり過ごした。今一体自分はどんな顔をしているのか、さっぱりわからない。片岡と光に速攻で庇われるということは、よほど酷い様相をしているのだろう。
勝行は「なんでもないよ」と笑おうとした。だがいつも通り平常心で過ごそうとすればするほど、光に「無理して笑うな」と咎められる。
それでも何があったかまでは追求せず、ただ手を繋いで傍に居てくれた。
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