できそこないの幸せ

さくら/黒桜

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第八章 傾いた未来予想図

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「どういうことなんですか。初耳なんですけど!」

スタートの遅れを取り戻すべく祝賀会を早送りで済ませ、本家の父子三人は書斎で小休憩を挟んだ。三人きりになった途端、勝行は飛び掛かるほどの勢いで父・修行に迫った。修行は「そういうことだ」と一言だけ述べる。
代わりに修一が「知らないほうがおかしいと気づけ」と叱咤した。

「まあ待て修一。知らなくて当然だ。あの時、勝行はまだ中学生で……」
「本人に関わることは年齢関係なくきっちり話すべきだと父さんにも助言したはずです」

突然目の前で父と兄の言い争いが始まったことに勝行は困惑した。今までずっと次男の自分は家の事に口出す立場ではないと考え、一歩引いていた。だが二人の諍いを聞けば聞くほど、時期が来るまで何も知らされずにいたことに気が付く。

「俺は……父さんが現当主で、兄さんが後継者だと信じてたんですけど」
「お前が先代に特別気に入られていたことは覚えているか」
「特別って……」

気に入られていたと言われたら確かにそうかもしれない。お前は直系の男子だからと口酸っぱく言われ、厳しい躾に耐え、ずっと祖父母の望む優等生を演じて生きてきた。祖父の怒りを買うとあの反省小屋に閉じ込められるので、怖くて全く逆らえなかっただけだ。
修一は盛大なため息をつきながら書斎の本棚を漁り、ひとつの角封筒を取り出した。中には製本された手製の家紋入り冊子が一通。

「じいさんは亡くなった時、この遺言状を残した。葬式後の親族会で開封した時、そこに記されていた後継者の名前は勝行、お前だったんだ」
「……どうして……」
「父さんとじいさんの仲が険悪だったことぐらいは知ってるだろう。疑うなら自分の目で確かめろ」

勝行は渡された冊子の中身を広げ、修一の話が間違いないことを確認した。

(嘘だろ……)

確かに祖父に反抗し、何度も言い争う父を知っていた。親睦会にもろくに戻らない放蕩息子だと罵っている祖父も見てきた。だからといって、なぜ自分が選ばれたのか。

「四年も前の話だ。先代はもう少し長生きするつもりだったんだろうが、残念ながら癌には勝てなかったからな。しかし勝行に全てを遺すと決めた先代の意思を無視することはできん。だからお前が成人し、大学卒業するまではわしが当主代理としてお前の代わりを務めている。――それが現状だ」
「じゃあ、後継者争いで先代派と対立していたわけじゃなかったんですか」
「お前の養育者になりたいという話ならよく来るな。もちろん、追い返しているが。現状を良く思わん先代派が一刻も早くお前を思うようにコントロールしたいんだろう」
「そ、そんな勝手な……」

では兄さんは?
尋ねかけて、愚問だということに気づいた勝行は口を噤んだ。
遺言書が正しい書式で残されており、効力を失っていないことは弁護士でもある修一自身が認めている。財産分与の割合だけは分家ごとに細かく記載されているが、本家督は勝行に、としか書いていない。修一に至っては名前すらない。

「おじい様も父さんも……どうして子どもの未来を勝手に決めるんですか……」
「……」
「後継者なんて……俺がどんな子どもなのか見もしないで……俺のこと、何も知らないくせに……どうして」

相羽家に生まれ落ちたという理由だけで、勝手に決められる人生はもう御免だ。
父ならば話せばきっと伝わると信じていたのに、その機会すら最初から祖父に奪われていたということだ。どんなに自由を得ようとあがいても、呪われた鳥かごの中から抜け出すことはできないのだろうか。強く握り締めすぎた勝行の拳は細かく震えていた。

「勝行。それが相羽の直系男子として生まれたお前の人生だと知った上で育ってきたはずだが? だから父さんは、お前に今まで沢山の自由を与えてくださったんだぞ。いい加減腹を括れ、好き勝手して遊ぶのはもう終わりだ」

修一の説教は刺々しい。だが幼い頃から祖父に口酸っぱく言われてきた言葉そっくりそのままだった。勝行にしてみれば同じ教育を受けた修一が間違っているとも思わない。
祖父の遺志を兄が継げば全て事足りる世界なのだ。

「俺は政治家になんてなりたくありません。父さんが一番それをよく知っているはず」
「勝行……」
「財産も要らない。今の当主が本当に俺なのだとしたら、家督も何もかも、すべて破棄して父さんと兄さんに譲ります。相羽家を継ぐにふさわしいのはお二人だ。勘当してくださっても構いません。俺は……音楽家になりたいんだ!」

たとえ才能がないと嗤われても。
芸能人らしくないとクラスメイトに言われても。
せめて裏方として彼の魅力を引き出す技術を身につけ、隣に居続けたい。ずっと一緒に、彼の生み出す音楽の海に浸っていたい。
「なあ勝行、歌って!」と屈託ない笑顔で強請る今西光の願いを一生叶え続けたいのだ。

「じいさんの財産も愛情も全部捨てるっていうのかよ。あんなにちやほやされて育ったくせに、このわがまま野郎!」
「兄さんにはそんな風に見えているだけです。おじい様たちがどれほどの仕打ちをしてきたか、何も知らないくせに……!」
「なんだと」
「やめろ二人とも」

互いの胸倉を掴みいがみ合う兄弟を引き止め、修行は「その話はいったん終わりにしよう」と静かに告げた。

「お前たちの言い分はわかった。だが今は祝賀会の真っ最中だ。ここで我々が揉めていることを先代派に悟られてはならない」
「……っ」
「とにかく、まずは今日の挨拶回りをつつがなくこなすことだけを考えろ。年寄り連中の戯言はいつも通り適当に笑って聞き流せ。二人とも無駄口を叩くな」

それは普段温厚な父親顔の修行からは考えられないほどの強い命令口調だった。
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