できそこないの幸せ

さくら怜音/黒桜

文字の大きさ
上 下
114 / 165
第八章 傾いた未来予想図

4

しおりを挟む
**
受けた恩義は必ず返しなさい。
小さい頃から両親にそう言い聞かされて生きてきた。けれど、友情や恋愛の物差しで考えると他人行儀な気がして言わなかった。だから光は後悔していない。
この感情は義理でもなんでもない。
本気で好きになった人をただ守りたい。傷つけることを恐れて避けてばかりの人生にしたくない。それだけだ。

勝行は「行ってきます」と揺るがぬ声で告げ、振り返らずに父の元へと向かった。彼の隣を歩くことを許されたのは護衛の片岡荘介のみ。二人の背中が見えなくなるまで、光は母屋の廊下で見送った。
夜には必ず戻る。今夜は実家に泊まるから、ここで待っていてと告げられた言葉を信じて、ぐっと唇を噛み締める。

「光くん、待ってたよ。あけましておめでとう」
「あ……うっす」
「これから賄いを作るんだけど、どう。光くんも一緒に」

使用人の休憩室に足を運ぶと、居合わせた厨房の中年男性が気さくに話しかけてくれた。彼は光がここに来るたび、料理を教えてくれた気の合うシェフだ。
光はぱっと目を輝かせ、さっそく今日の目的を告げる。

「やるやる! 今日も教えてもらおうと思ってたんだ。勝行の好きなメニューで、正月によく食うのって何?」
「そうだなあ……勝行坊ちゃんはけっこう和食好きで、おせちも好き嫌いはあまり聞いたことがない。雑煮もお好きだし……」
「あ、そうだ。オレ、家でお煮〆作ったんだけど、味見してくれよ。勝行の好きそうな味になってるかな」
「ああ、夏休みに教えたレシピのやつだね。光くんは将来有望なシェフになるなあ」

来るたびこうして勝行の好きなメニューを聞きまわったり、作り方を教わっていたせいだろうか。母屋に居る使用人たちは「未来の相羽家厨房担当」として、当主が連れてきた子どもだと勘違いしている。
同い年の友人と居ることもなければ年の近い従兄弟もいない。相羽家の中では一人浮いて最年少だった勝行の遊び相手として選ばれた孤児。相羽邸で暮らす時の光は、だいたいそのように説明されているらしい。
だから使用人の大人たちに囲まれ、母屋の掃除や洗濯、料理を手伝ってはつまみ食いをし、出来栄えの品評会を楽しむ。これが毎年待ちぼうけをくらう光の正月の過ごし方だった。
今日持ち込んだお煮しめは完璧だと絶賛された。相羽家お抱えのシェフは皆一流ホテルや旅館で働いたことのある腕のいい者ばかり。そんなメンバーに褒めてもらえるのはなかなかの名誉ではないだろうか。

(ライブハウスだと、こういうの作らねえからなあ)

光自身も、蓮根のもちもち感や芋の形をうまく残せたと思って、自分なりに満足している。勝行に出すと、「光の作ったものなら世界一美味しい」としか言わないので、正直感想はなんの参考にもならないのだ。

「片岡さんから聞いてるよ。一人で本格的なコース料理作って勝行さんに出してるって?」
「あーあの、牛肉を甘く炊いたシチューとか、鶏のステーキとか。あいつ好きだろ。リクエストも多いし。作ってるうちにコツ掴んできたっていうか。ファミレスで食ってるの見て、とりあえず見た目は真似して作ってた」
「それだけできたら十分じゃないか。高校卒業したら勝行さんと一緒に本家に戻ってくるんだよね?」
「……えっ?」
「楽しみだなあ。二人が戻ってくるなら食べ盛りが増えるから、仕入れも多めにしないと」

いつの間にそんな事が決まったのだろうか。光が首を傾げていると、周りで話を聞いていた他の使用人たちが続々と集まってくる。

「勝行さんは大学に行きながら相羽家の跡取りとしてここで暮らすって、もっぱらの噂になってて」
「……へ、へえ?」
「でもバンド、今とても大人気じゃない! やめちゃうの?」
「この前、ネットで観たよ。光くんのピアノ凄いね」

急に取り囲まれ、話が盛り上がり出して光は途方に暮れた。けれど皆は勝行と光がWINGSというロックバンドを組み、音楽業界で地道に活動していることをテレビやネット動画で観て知っているようだ。口々に芸能界のことや勝行の話を聞かせて欲しいと頼んでくる。
歌声があんなに綺麗だとは知らなかったとうっとりするメイド。
昔からバイオリンやピアノに触れ、クラシックを聴いていらっしゃったから当然の才能だと鼻を高くする庭師。
二人は一体いつから一緒に活動をしていたのかと興味津々な警備員。
だが勝行が監禁されていたり光が本家で大暴れしたことは、不気味なほど誰も話題にしなかった。本当に知らないからか、それとも口止めをされているのかはわからない。

「さあ光くんも来たことだし。客間の準備もお食事運びも終わった。みんな一旦休憩しようか」
「そうですねー!」
「短い時間しか居られませんが、せっかくなので」

誰かの号令を受けて、皆がてきぱきとテーブルの上にオードブルやおせち料理を並べ始める。

「うわ、何この御馳走」

光は出てきたものの豪華さに驚く。だがこれは客間に出した正月懐石の残り物や賄いばかりだと言う。そこにオレンジジュースとグラスもポンと置かれ「光くんはこれだっけ?」とメイドの一人に注がれる。

「勝行さんも今頃同じメニューを召し上がってる頃だ。相羽家の味を知る勉強にもなるから。沢山食べなよ」
「そうそう、戻ってこられるまでは私たちとお話しよう」

勝行が居なくて寂しそうにしているとでも思われたのだろうか。
やたらと気遣ってくる大人たちの優しいお節介に囲まれながら、光は何度も自分の右手首を見つめた。そこには以前勝行に買ってもらった、黒の腕時計を嵌めていた。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる

クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

僕の追憶と運命の人-【消えない思い】スピンオフ

樹木緑
BL
【消えない思い】スピンオフ ーオメガバース ーあの日の記憶がいつまでも僕を追いかけるー 消えない思いをまだ読んでおられない方は 、 続きではありませんが、消えない思いから読むことをお勧めします。 消えない思いで何時も番の居るΩに恋をしていた矢野浩二が 高校の後輩に初めての本気の恋をしてその恋に破れ、 それでもあきらめきれない中で、 自分の運命の番を探し求めるお話。 消えない思いに比べると、 更新はゆっくりになると思いますが、 またまた宜しくお願い致します。

あと一度だけでもいいから君に会いたい

藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。 いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。 もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。 ※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

【運命】に捨てられ捨てたΩ

雨宮一楼
BL
「拓海さん、ごめんなさい」 秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。 「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」 秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。 【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。 なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。 右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。 前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。 ※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。 縦読みを推奨します。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

処理中です...