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第八章 傾いた未来予想図
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受けた恩義は必ず返しなさい。
小さい頃から両親にそう言い聞かされて生きてきた。けれど、友情や恋愛の物差しで考えると他人行儀な気がして言わなかった。だから光は後悔していない。
この感情は義理でもなんでもない。
本気で好きになった人をただ守りたい。傷つけることを恐れて避けてばかりの人生にしたくない。それだけだ。
勝行は「行ってきます」と揺るがぬ声で告げ、振り返らずに父の元へと向かった。彼の隣を歩くことを許されたのは護衛の片岡荘介のみ。二人の背中が見えなくなるまで、光は母屋の廊下で見送った。
夜には必ず戻る。今夜は実家に泊まるから、ここで待っていてと告げられた言葉を信じて、ぐっと唇を噛み締める。
「光くん、待ってたよ。あけましておめでとう」
「あ……うっす」
「これから賄いを作るんだけど、どう。光くんも一緒に」
使用人の休憩室に足を運ぶと、居合わせた厨房の中年男性が気さくに話しかけてくれた。彼は光がここに来るたび、料理を教えてくれた気の合うシェフだ。
光はぱっと目を輝かせ、さっそく今日の目的を告げる。
「やるやる! 今日も教えてもらおうと思ってたんだ。勝行の好きなメニューで、正月によく食うのって何?」
「そうだなあ……勝行坊ちゃんはけっこう和食好きで、おせちも好き嫌いはあまり聞いたことがない。雑煮もお好きだし……」
「あ、そうだ。オレ、家でお煮〆作ったんだけど、味見してくれよ。勝行の好きそうな味になってるかな」
「ああ、夏休みに教えたレシピのやつだね。光くんは将来有望なシェフになるなあ」
来るたびこうして勝行の好きなメニューを聞きまわったり、作り方を教わっていたせいだろうか。母屋に居る使用人たちは「未来の相羽家厨房担当」として、当主が連れてきた子どもだと勘違いしている。
同い年の友人と居ることもなければ年の近い従兄弟もいない。相羽家の中では一人浮いて最年少だった勝行の遊び相手として選ばれた孤児。相羽邸で暮らす時の光は、だいたいそのように説明されているらしい。
だから使用人の大人たちに囲まれ、母屋の掃除や洗濯、料理を手伝ってはつまみ食いをし、出来栄えの品評会を楽しむ。これが毎年待ちぼうけをくらう光の正月の過ごし方だった。
今日持ち込んだお煮しめは完璧だと絶賛された。相羽家お抱えのシェフは皆一流ホテルや旅館で働いたことのある腕のいい者ばかり。そんなメンバーに褒めてもらえるのはなかなかの名誉ではないだろうか。
(ライブハウスだと、こういうの作らねえからなあ)
光自身も、蓮根のもちもち感や芋の形をうまく残せたと思って、自分なりに満足している。勝行に出すと、「光の作ったものなら世界一美味しい」としか言わないので、正直感想はなんの参考にもならないのだ。
「片岡さんから聞いてるよ。一人で本格的なコース料理作って勝行さんに出してるって?」
「あーあの、牛肉を甘く炊いたシチューとか、鶏のステーキとか。あいつ好きだろ。リクエストも多いし。作ってるうちにコツ掴んできたっていうか。ファミレスで食ってるの見て、とりあえず見た目は真似して作ってた」
「それだけできたら十分じゃないか。高校卒業したら勝行さんと一緒に本家に戻ってくるんだよね?」
「……えっ?」
「楽しみだなあ。二人が戻ってくるなら食べ盛りが増えるから、仕入れも多めにしないと」
いつの間にそんな事が決まったのだろうか。光が首を傾げていると、周りで話を聞いていた他の使用人たちが続々と集まってくる。
「勝行さんは大学に行きながら相羽家の跡取りとしてここで暮らすって、もっぱらの噂になってて」
「……へ、へえ?」
「でもバンド、今とても大人気じゃない! やめちゃうの?」
「この前、ネットで観たよ。光くんのピアノ凄いね」
急に取り囲まれ、話が盛り上がり出して光は途方に暮れた。けれど皆は勝行と光がWINGSというロックバンドを組み、音楽業界で地道に活動していることをテレビやネット動画で観て知っているようだ。口々に芸能界のことや勝行の話を聞かせて欲しいと頼んでくる。
歌声があんなに綺麗だとは知らなかったとうっとりするメイド。
昔からバイオリンやピアノに触れ、クラシックを聴いていらっしゃったから当然の才能だと鼻を高くする庭師。
二人は一体いつから一緒に活動をしていたのかと興味津々な警備員。
だが勝行が監禁されていたり光が本家で大暴れしたことは、不気味なほど誰も話題にしなかった。本当に知らないからか、それとも口止めをされているのかはわからない。
「さあ光くんも来たことだし。客間の準備もお食事運びも終わった。みんな一旦休憩しようか」
「そうですねー!」
「短い時間しか居られませんが、せっかくなので」
誰かの号令を受けて、皆がてきぱきとテーブルの上にオードブルやおせち料理を並べ始める。
「うわ、何この御馳走」
光は出てきたものの豪華さに驚く。だがこれは客間に出した正月懐石の残り物や賄いばかりだと言う。そこにオレンジジュースとグラスもポンと置かれ「光くんはこれだっけ?」とメイドの一人に注がれる。
「勝行さんも今頃同じメニューを召し上がってる頃だ。相羽家の味を知る勉強にもなるから。沢山食べなよ」
「そうそう、戻ってこられるまでは私たちとお話しよう」
勝行が居なくて寂しそうにしているとでも思われたのだろうか。
やたらと気遣ってくる大人たちの優しいお節介に囲まれながら、光は何度も自分の右手首を見つめた。そこには以前勝行に買ってもらった、黒の腕時計を嵌めていた。
受けた恩義は必ず返しなさい。
小さい頃から両親にそう言い聞かされて生きてきた。けれど、友情や恋愛の物差しで考えると他人行儀な気がして言わなかった。だから光は後悔していない。
この感情は義理でもなんでもない。
本気で好きになった人をただ守りたい。傷つけることを恐れて避けてばかりの人生にしたくない。それだけだ。
勝行は「行ってきます」と揺るがぬ声で告げ、振り返らずに父の元へと向かった。彼の隣を歩くことを許されたのは護衛の片岡荘介のみ。二人の背中が見えなくなるまで、光は母屋の廊下で見送った。
夜には必ず戻る。今夜は実家に泊まるから、ここで待っていてと告げられた言葉を信じて、ぐっと唇を噛み締める。
「光くん、待ってたよ。あけましておめでとう」
「あ……うっす」
「これから賄いを作るんだけど、どう。光くんも一緒に」
使用人の休憩室に足を運ぶと、居合わせた厨房の中年男性が気さくに話しかけてくれた。彼は光がここに来るたび、料理を教えてくれた気の合うシェフだ。
光はぱっと目を輝かせ、さっそく今日の目的を告げる。
「やるやる! 今日も教えてもらおうと思ってたんだ。勝行の好きなメニューで、正月によく食うのって何?」
「そうだなあ……勝行坊ちゃんはけっこう和食好きで、おせちも好き嫌いはあまり聞いたことがない。雑煮もお好きだし……」
「あ、そうだ。オレ、家でお煮〆作ったんだけど、味見してくれよ。勝行の好きそうな味になってるかな」
「ああ、夏休みに教えたレシピのやつだね。光くんは将来有望なシェフになるなあ」
来るたびこうして勝行の好きなメニューを聞きまわったり、作り方を教わっていたせいだろうか。母屋に居る使用人たちは「未来の相羽家厨房担当」として、当主が連れてきた子どもだと勘違いしている。
同い年の友人と居ることもなければ年の近い従兄弟もいない。相羽家の中では一人浮いて最年少だった勝行の遊び相手として選ばれた孤児。相羽邸で暮らす時の光は、だいたいそのように説明されているらしい。
だから使用人の大人たちに囲まれ、母屋の掃除や洗濯、料理を手伝ってはつまみ食いをし、出来栄えの品評会を楽しむ。これが毎年待ちぼうけをくらう光の正月の過ごし方だった。
今日持ち込んだお煮しめは完璧だと絶賛された。相羽家お抱えのシェフは皆一流ホテルや旅館で働いたことのある腕のいい者ばかり。そんなメンバーに褒めてもらえるのはなかなかの名誉ではないだろうか。
(ライブハウスだと、こういうの作らねえからなあ)
光自身も、蓮根のもちもち感や芋の形をうまく残せたと思って、自分なりに満足している。勝行に出すと、「光の作ったものなら世界一美味しい」としか言わないので、正直感想はなんの参考にもならないのだ。
「片岡さんから聞いてるよ。一人で本格的なコース料理作って勝行さんに出してるって?」
「あーあの、牛肉を甘く炊いたシチューとか、鶏のステーキとか。あいつ好きだろ。リクエストも多いし。作ってるうちにコツ掴んできたっていうか。ファミレスで食ってるの見て、とりあえず見た目は真似して作ってた」
「それだけできたら十分じゃないか。高校卒業したら勝行さんと一緒に本家に戻ってくるんだよね?」
「……えっ?」
「楽しみだなあ。二人が戻ってくるなら食べ盛りが増えるから、仕入れも多めにしないと」
いつの間にそんな事が決まったのだろうか。光が首を傾げていると、周りで話を聞いていた他の使用人たちが続々と集まってくる。
「勝行さんは大学に行きながら相羽家の跡取りとしてここで暮らすって、もっぱらの噂になってて」
「……へ、へえ?」
「でもバンド、今とても大人気じゃない! やめちゃうの?」
「この前、ネットで観たよ。光くんのピアノ凄いね」
急に取り囲まれ、話が盛り上がり出して光は途方に暮れた。けれど皆は勝行と光がWINGSというロックバンドを組み、音楽業界で地道に活動していることをテレビやネット動画で観て知っているようだ。口々に芸能界のことや勝行の話を聞かせて欲しいと頼んでくる。
歌声があんなに綺麗だとは知らなかったとうっとりするメイド。
昔からバイオリンやピアノに触れ、クラシックを聴いていらっしゃったから当然の才能だと鼻を高くする庭師。
二人は一体いつから一緒に活動をしていたのかと興味津々な警備員。
だが勝行が監禁されていたり光が本家で大暴れしたことは、不気味なほど誰も話題にしなかった。本当に知らないからか、それとも口止めをされているのかはわからない。
「さあ光くんも来たことだし。客間の準備もお食事運びも終わった。みんな一旦休憩しようか」
「そうですねー!」
「短い時間しか居られませんが、せっかくなので」
誰かの号令を受けて、皆がてきぱきとテーブルの上にオードブルやおせち料理を並べ始める。
「うわ、何この御馳走」
光は出てきたものの豪華さに驚く。だがこれは客間に出した正月懐石の残り物や賄いばかりだと言う。そこにオレンジジュースとグラスもポンと置かれ「光くんはこれだっけ?」とメイドの一人に注がれる。
「勝行さんも今頃同じメニューを召し上がってる頃だ。相羽家の味を知る勉強にもなるから。沢山食べなよ」
「そうそう、戻ってこられるまでは私たちとお話しよう」
勝行が居なくて寂しそうにしているとでも思われたのだろうか。
やたらと気遣ってくる大人たちの優しいお節介に囲まれながら、光は何度も自分の右手首を見つめた。そこには以前勝行に買ってもらった、黒の腕時計を嵌めていた。
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