できそこないの幸せ

さくら怜音/黒桜

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第七章 俺が欲しいのはお前だ

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雪がちらつく山中の刑務所で、今西桐吾は一枚のCDを受け取った。ご丁寧にプレイヤーと電池、イヤホンまでセットされているらしい。検閲のために開封されてぼろぼろになった箱には、中身を記す味気ない書類が貼りつけられていた。
その差出人が誰なのかは、ついさっき面会室で「遊びに来た」と言いながら雑談して帰った友人の医者からいやというほど聞かされた。施設の目の前まで来たくせに、会わずに帰って行ったことも。せっかくここまで生き延びることができたのに、またどうしようもない難病を患ったことも聞かされた。その病気はじわじわと神経細胞を破壊し、いずれ介護なしには生きていけなくなるものらしい。
いつかピアノが弾けなくなると知ったら、あの子は延命よりも潔く死を選ぶだろう。奴も同じ予想を語っていた。

「お前がいつか出所する日まで、貰った金は使わないんだと。ああいう健気で頑固なところは母親に似てるな。桐吾てめえ、シャバに戻ってきた時はあの子のためにも真っ当に生きろよ。嫁さんの二の舞にするんじゃねえ」

余計な説教までついてきたが、どう考えても遊びに来る距離ではないこの辺境の地に「また来る」と言って、世話焼きの医者は帰って行った。
贈り物のCDの中に、誰のどんな曲が収録されているのかは全く知らない。だがなんとなく予想はつくし、素直に曲を聴く気にはなれなかった。
桐吾は許される限りの時間、解けない荷物を抱えたままうずくまっていた。

「どうせ差し入れるなら、煙草にしやがれ……クソガキめ……」

……
…… ……

「光さん、こっちです」

東京駅についてすぐ、改札口の先で手を振る片岡を見つけて光は駆け寄った。晴樹に便を変更してもらい、無理やり飛び乗った新幹線の中で必死に考えていたことをまくしたてる。

「勝行、昨日から飯も食ってないんだろ。見つかったのか」
「いいえまだです。総動員でしらみつぶしに探していますが、信頼できる人間の選別が難しく」
「え、敷地内にまだいるってことか? 誘拐されたんじゃねえのか」
「靴が残っているので、外は考えにくいのですが……」
「連れ去りだったらどのみち靴なんて履いてらんねえだろが」
「勝行さんの発信機を外したのがもし本人ではなく、他人なのだとしたら。それは本家の親族――近しい身内のはずです。それぞれがどこに装着しているのかも知っている人間は限られていますから」
「じゃ……じゃあ……まさか……親父さんが……大学受験のこと、怒って……?」
「可能性はあります。そしてもしその仮説が正しければ、命は保証されども自由は奪われます」
「どういうことだ……?」
「相羽家には派閥があるんです。そこからお話しますね。まずは車に急ぎましょう」

不安と緊張が消えない光の息はすっかりあがっていて、顔色も真っ青だ。片岡は「失礼します」と一言告げると、いきなり光の身体を抱き上げ猛烈なスピードで走り出した。病院の中庭から強制送還された時よりもうんと速い。

「うわあああっ」
「捕まっていてください、光さん」
「は、恥ずかしいんだけど!」
「大丈夫です、目立っているのは私だけですから」

黒スーツに黒サングラスをかけた大柄な男が、若い男を抱き上げ革靴を鳴らしてコンコースを駆け抜ける姿は明らかに異様で、注目の的だった。狭苦しい駅構内だというのに片岡は人混みの隙間をうまく縫ってすいすいと突き進む。

「午後の早い時間に戻ってきてくださったおかげで助かりました。夕方だったらこうはいきません」
「そういう問題じゃねえってー!」

通り過ぎた先から「なんかの撮影かな」「映画とか?」と話してる声が聞こえてきた。ロケ撮影なら絶対片岡の方が向いている。光は真剣にそう思った。


愛する父を目の前にして、二度目も勝行を選んでしまった。
桐吾が居る施設の門が遠巻きに見えるところまで行ったのに、結局稲葉に全てを託して東京へと引き返した。父に伝えたかったことも、揺れ続けた想いの清算も何一つうまくできないまま。タクシーに飛び乗り最短で東京まで戻ってきた。
一体何をしに長野くんだりまで来たのやら。交通費の無駄だったなと自嘲の笑みを浮かべながら、雪山の景色に別れを告げた。
けれど後悔はしていない。たとえ今まで貰った彼からの愛情が、同情や嘘いつわりのものだったとしても、自分は。――相羽勝行と過ごしたあの幸せな時間を、手放したくなかったのだ。
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