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第六章 over the clouds
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爆速で風呂を終わらせた光は、しっとり濡れた髪のまま部屋に戻ってきた。
「もう少しちゃんと髪乾かして」と注意する。だが光はスンと顔を突き出し「やって」と甘えてくる。いつもの子どもじみた仕草。苦笑しつつ勝行はドライヤーを持ち込んで、ベッド上で光の髪を乾かした。
代わりに光はシーツを綺麗に敷き直し、毛布と枕も並べてくれていた。勝行がベルベット素材の寝巻を着て洗面所から戻ってくると、まるでホテルの客室状態になったベッドで、正座した光が嬉しそうに待っていた。
その光景はあまりに「理想の恋人像」すぎた。思わず「うっ」と口元を抑える。油断したら下心が顔に出てにやけてしまいそうだ。
「あれ。勝行、新しいパジャマ? 触り心地気持ちいいな」
「光にも揃いのを買ってあるよ。よかったら着る?」
「マジで。着たい……けど。まだ我慢する」
「なんで?」
「このパジャマまだ着れるし、衣替えはまだ早いって神様に怒られそう。贅沢の極みだ」
「神様、ねえ。別に寝巻なんか何着持ってても怒らないと思うけどなあ」
貧乏性の持論に呆れつつ用意されたベッドの中に潜り込むと、ベルベット起毛の肌触りを求めて光が犬のようにすりすり頬を寄せてくる。これはこれでなかなかに役得だ。
もちろん、光ならきっとこうするだろうと思ってこっそり新調した。買ってよかったと一人悦に浸る。それから部屋の明かりを消し、電球色のテーブルランプだけを灯す。
二人は久しぶりにゼロ距離で顔を突き合わせて、笑い合った。
「今日は沢山歌って楽しかったなあ。人も多かったし、プレッシャーもすごかったし……光は疲れたんじゃない?」
「ん、まあ。でもやっぱライブが一番好きだから、平気」
「あははわかる。俺も久しぶりに歌えて楽しかった。明日からがまた憂鬱だ」
「今のうちに充電しとけ、充電」
布団の中でそんな会話をしていると、光は両手を勝行の背中に回して抱きしめてくれる。
そういう彼は添い寝だけで満足なのだろうか。
くっつきすぎて、ドキドキ逸る心臓を悟られないだろうかと不安になる。
頬を赤らめながら光の肩に顔を埋めると、鼻息だけで感じたのだろうか、びくんと光の首筋が反応する。意識すればするほど、胸の高鳴りが早くなっていく。
このバクバク破裂しそうな音は一体、どっちの心臓音だろう。目の前にある光の耳も、頬も、熱を帯びていて温かい。
「……ねえ、光」
「なに?」
「頑張ったご褒美を沢山あげる。何してほしい?」
「……え?」
こんな遠回しに理由を付けないと、キスひとつできない自分が捻くれ者で情けない。
自嘲の笑みを浮かべつつ、勝行は不思議そうにこちらを見上げる光のおでこに鼻を寄せ、すんと髪の香りを確かめた。自分と同じシャンプーの、香り。もう他人の匂いはどこにもついていない。
「……ご、ご褒美って。なんでもいいのか……?」
「うん」
突然の提案に驚きながらも、光は嬉しそうに頬を緩める。それからゆっくり考えるように目を泳がせた。
自分の予想通りなら。いつもの光なら。
きっとディープで濃厚なキス……と言ってくるはず。キス以上のことはしないよう制御できるかな。うっかり暴走しても許してもらえるだろうか。うなじについた謎のキスマークの痕を上書きしたら、光はどんな反応をするのだろう――。
不埒な計画を考えながら、こういう時に限って遠慮がちになる光の髪を梳き、ぎゅっと抱きしめ返した。
今夜はうんと甘やかしてトロトロの腰砕け状態にしてやりたい。そんな気分だ。
「なんでもいいよ。遠慮しないで」
「お、おう」
「今日はライブでドタバタしてたけど、世間的には『勤労感謝の日』だったんだよ。だからいつも頑張ってくれる光にお礼がしたくて」
「……きんろう……かんしゃ……?」
「最近は、家のこともWINGSのことも任せっきりで。ごめんね」
「べ、別にそんなの……」
気にしなくてもいいのに。小声で呟きながら、光は勝行の胸元に顔を埋めた。
「保さんからも聞いたよ、バンドの練習頑張ってるし、一人でソロ曲録ったりスコア起こしができるようになったって。今度聴かせてよ、その曲」
「……あ……う、うん……」
照れているのか、光は歯切れの悪い返事を零す。執拗に勝行の寝巻をふにふに撫でたり、鼻を擦りつけてきたりしたせいだろうか。ふいに静電気がパチンと走る。「大丈夫か」と覗き込んだ光の表情は、痛かったのか少し涙ぐんでいるようだった。
「痛かった? こういう素材って摩擦でやられるから……」
「ん……平気……」
消え入りそうな声で返事した後、光は「ご褒美もうもらった。これでいい」と言って腕から逃れ、ストンと掛布団の中に潜り込んだ。てっきりキスだと思っていた勝行は「へっ?」と間抜けな声をひとつ漏らした。
「お前の勉強だって未来の仕事のためだろ。だったら働いてるのは俺だけじゃない。ご褒美はお前と半分こでいい」
「光……」
「俺は、お前が一緒に寝てくれたらそれだけで十分だ」
「ホントに……?」
「そのかわり」
くるりと勝行の方を振り返り、もう一度ぎゅっと身体に抱きつきながら、光は目を閉じた。
「明日の朝も、ここにいろ」
「……もちろん、ずっと傍にいるよ」
「お前の分のご褒美も、あげる」
「ん……ありがとう」
たっぷり充電させてもらうね。そう言いながら光の髪にキスをひとつ落とすと、「おやすみ」という声がくぐもって聞こえてきた。
その声が涙で掠れていることには、気づかないままだった。
「もう少しちゃんと髪乾かして」と注意する。だが光はスンと顔を突き出し「やって」と甘えてくる。いつもの子どもじみた仕草。苦笑しつつ勝行はドライヤーを持ち込んで、ベッド上で光の髪を乾かした。
代わりに光はシーツを綺麗に敷き直し、毛布と枕も並べてくれていた。勝行がベルベット素材の寝巻を着て洗面所から戻ってくると、まるでホテルの客室状態になったベッドで、正座した光が嬉しそうに待っていた。
その光景はあまりに「理想の恋人像」すぎた。思わず「うっ」と口元を抑える。油断したら下心が顔に出てにやけてしまいそうだ。
「あれ。勝行、新しいパジャマ? 触り心地気持ちいいな」
「光にも揃いのを買ってあるよ。よかったら着る?」
「マジで。着たい……けど。まだ我慢する」
「なんで?」
「このパジャマまだ着れるし、衣替えはまだ早いって神様に怒られそう。贅沢の極みだ」
「神様、ねえ。別に寝巻なんか何着持ってても怒らないと思うけどなあ」
貧乏性の持論に呆れつつ用意されたベッドの中に潜り込むと、ベルベット起毛の肌触りを求めて光が犬のようにすりすり頬を寄せてくる。これはこれでなかなかに役得だ。
もちろん、光ならきっとこうするだろうと思ってこっそり新調した。買ってよかったと一人悦に浸る。それから部屋の明かりを消し、電球色のテーブルランプだけを灯す。
二人は久しぶりにゼロ距離で顔を突き合わせて、笑い合った。
「今日は沢山歌って楽しかったなあ。人も多かったし、プレッシャーもすごかったし……光は疲れたんじゃない?」
「ん、まあ。でもやっぱライブが一番好きだから、平気」
「あははわかる。俺も久しぶりに歌えて楽しかった。明日からがまた憂鬱だ」
「今のうちに充電しとけ、充電」
布団の中でそんな会話をしていると、光は両手を勝行の背中に回して抱きしめてくれる。
そういう彼は添い寝だけで満足なのだろうか。
くっつきすぎて、ドキドキ逸る心臓を悟られないだろうかと不安になる。
頬を赤らめながら光の肩に顔を埋めると、鼻息だけで感じたのだろうか、びくんと光の首筋が反応する。意識すればするほど、胸の高鳴りが早くなっていく。
このバクバク破裂しそうな音は一体、どっちの心臓音だろう。目の前にある光の耳も、頬も、熱を帯びていて温かい。
「……ねえ、光」
「なに?」
「頑張ったご褒美を沢山あげる。何してほしい?」
「……え?」
こんな遠回しに理由を付けないと、キスひとつできない自分が捻くれ者で情けない。
自嘲の笑みを浮かべつつ、勝行は不思議そうにこちらを見上げる光のおでこに鼻を寄せ、すんと髪の香りを確かめた。自分と同じシャンプーの、香り。もう他人の匂いはどこにもついていない。
「……ご、ご褒美って。なんでもいいのか……?」
「うん」
突然の提案に驚きながらも、光は嬉しそうに頬を緩める。それからゆっくり考えるように目を泳がせた。
自分の予想通りなら。いつもの光なら。
きっとディープで濃厚なキス……と言ってくるはず。キス以上のことはしないよう制御できるかな。うっかり暴走しても許してもらえるだろうか。うなじについた謎のキスマークの痕を上書きしたら、光はどんな反応をするのだろう――。
不埒な計画を考えながら、こういう時に限って遠慮がちになる光の髪を梳き、ぎゅっと抱きしめ返した。
今夜はうんと甘やかしてトロトロの腰砕け状態にしてやりたい。そんな気分だ。
「なんでもいいよ。遠慮しないで」
「お、おう」
「今日はライブでドタバタしてたけど、世間的には『勤労感謝の日』だったんだよ。だからいつも頑張ってくれる光にお礼がしたくて」
「……きんろう……かんしゃ……?」
「最近は、家のこともWINGSのことも任せっきりで。ごめんね」
「べ、別にそんなの……」
気にしなくてもいいのに。小声で呟きながら、光は勝行の胸元に顔を埋めた。
「保さんからも聞いたよ、バンドの練習頑張ってるし、一人でソロ曲録ったりスコア起こしができるようになったって。今度聴かせてよ、その曲」
「……あ……う、うん……」
照れているのか、光は歯切れの悪い返事を零す。執拗に勝行の寝巻をふにふに撫でたり、鼻を擦りつけてきたりしたせいだろうか。ふいに静電気がパチンと走る。「大丈夫か」と覗き込んだ光の表情は、痛かったのか少し涙ぐんでいるようだった。
「痛かった? こういう素材って摩擦でやられるから……」
「ん……平気……」
消え入りそうな声で返事した後、光は「ご褒美もうもらった。これでいい」と言って腕から逃れ、ストンと掛布団の中に潜り込んだ。てっきりキスだと思っていた勝行は「へっ?」と間抜けな声をひとつ漏らした。
「お前の勉強だって未来の仕事のためだろ。だったら働いてるのは俺だけじゃない。ご褒美はお前と半分こでいい」
「光……」
「俺は、お前が一緒に寝てくれたらそれだけで十分だ」
「ホントに……?」
「そのかわり」
くるりと勝行の方を振り返り、もう一度ぎゅっと身体に抱きつきながら、光は目を閉じた。
「明日の朝も、ここにいろ」
「……もちろん、ずっと傍にいるよ」
「お前の分のご褒美も、あげる」
「ん……ありがとう」
たっぷり充電させてもらうね。そう言いながら光の髪にキスをひとつ落とすと、「おやすみ」という声がくぐもって聞こえてきた。
その声が涙で掠れていることには、気づかないままだった。
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