できそこないの幸せ

さくら怜音/黒桜

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第六章 over the clouds

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「おい……三連休の金曜ロックイベ、WEB告知だけでチケット完売した」
「え、うそ」

INFINITYのSNSで「出演バンド:WINGS」と告知しただけで、前売券が売り切れてしまった。今まで一度も単独チケットを売ったことのない新人バンドの実績とは思えないと、周囲からは驚きの声が漏れる。

「なんてこった。これはもはやうちの企画イベントじゃねえ、WINGSのワンマンライブじゃないか」

それでもオーナーは「お前らはきっと売れると信じてた!」と二人をねぎらい、久我には「やってくれたなあ。俺の仕事増やしやがって」と文句じみた檄を飛ばされた。
「当然よ。うちのWINGS舐めないで」と、企画立案したプロデューサー・保も鼻高々だ。

去年は懸命に知名度を上げようと学園祭に出たり、インストアライブで巡業していたが、今年は受験や闘病で殆ど何もしていない。唐突に決まったライブチケットの存在すら知らなかった勝行と光は、お祭り騒ぎの大人たちに囲まれ暫し茫然としていた。特に勝行は寝耳に水すぎてなかなか現実感が湧かずにいた。
光が遠慮がちにブレザーの裾を引っ張り、勝行に小声で確認する。

「なあ勝行。完売って凄い?」
「ああ、俺たちのライブ、お金を出すほど楽しみにしてくれる人が沢山いるってことだ」
「そ、そっか。……そっか! じゃあ頑張らないとだな」

嬉しそうな笑みを零す光と腕を当てて喜び合う。だがすぐに光は眉をひそめた。

「でもお前……勉強大丈夫か」
「こないだ学校で受けた模試では、オールA判定出たんだ。だからちょっとぐらいは大丈夫さ。結果聞いて父も機嫌よかったし、チケット売切れるほどのライブだって言えばきっと許してくれる」
「おおお、すげえな! Aって一番いいやつだろ」
「任せて。最近ほんと調子いいんだ。光が美味しいご飯食べさせてくれるおかげかなあ」

勝行が笑いながらそう言うと、光はなぜか顔を赤らめて「そ、そうに決まってんだろ」と胸を張った。元々食は細い方なのだが、食欲の秋が到来したのかここ最近は食べ物も美味しく感じられるし、寝起きの片頭痛が少なくて体調もいい。何かとっておきの良薬でも口にしたのかと思うほどだ。
それを光に聞くと、顔を赤らめたり青ざめたりしながら、口をもごもごさせる。

「か、片岡のオッサンが色々教えてくれた。身体を冷やさないメニューとか……あと疲れてる時は甘いのが効くって言ってて」
「へえ。あの人博識だからなあ」

甘いものをそこまで頂いた覚えはないが、夜食に出したと言われるとそうだったような気がする。だがここ最近は疲れて寝落ちることが多いのか、夜の記憶があまりない。光より先に寝てしまうこともあるらしく、起きたら光のベッドで添い寝したままだったことも。
その都度「自分が思ってる以上に疲れてんだよ、きっと。これぐらい寝た方がいいって」と光に言われて納得した。きっと光が勉強に疲れた自分を見かねてベッドに連れ込み、ハグをしてくれたのだろう。その時の記憶がないことがとても悔やまれるけれど、そのおかげでいい成績が取れたに違いないと勝行は考えていた。残る運動不足はライブハウスで解消したいところだ。

先月はハロウィン。今月は勤労感謝の日。そして来月はクリスマス。
今は月一回のゲリラライブが関の山といったところだったが、その僅かな活動は勝行の唯一の気晴らしでもあった。それに大人たちの力を借りて、着実に知名度が上がっていくのがわかる。理想のライブに出たいと思うあまり、階段を大きく飛んで踏み過ったあの夏の失敗とは違う、確実で地道な動きだ。
九月に回したファンミーティングの切り取り動画も好評で、最近は公式ファンクラブも立ち上げたらしい。保は着々と「高校卒業後のWINGS」への土台を組んでいる様子だった。
今はおんぶに抱っこの状態だが、できるところは自分でも携わりたい。勝行は家庭教師のスケジュールを調整し、この数日間だけはライブに集中させてもらうことにした。

ファンの間では追加販売して欲しいといった要望もあったが、小さなライブハウス内の軽いイベントでは越えられない壁も待ち構えていた。

「チケット何枚売った?」
「オールスタンディングで300」
「……限界だな。うちはそれ以上入れたら身動きできねえ。カメラ来るんなら尚更」
「初めて来る女性客も多いと思うのでけが人が出ると困りますし……僕がSNSで事情を説明して謝罪を入れます」
「そうだな、勝行たち本人が真剣に協議した結果だって言えば、ファンも納得するだろうからな。頼む」

予想以上のライブになることで人手の増員や対応策に追われ、ライブハウス内は連日大騒ぎだ。勝行は会議で決まったことを早速ファンへのメッセージとしてスマホに打ち込んだ。

『僕たちのライブを楽しみにしてくれてありがとう。
完売後の問い合わせを多数受けて、皆で相談しました。しかしお客様の安全を第一に考えた結果、どうしても定員を増やすことができませんでした。力及ばずでごめんなさい!必ずどこかでまたライブします。その時は――』

(……次は絶対、INFINITYのクリスマスライブに出演したい……でもこんなこと、言ったら騒ぎになるだろうからやめておこう)

あえて未来はぼかし、保に内容の許可を取ってメッセージを投稿する。
この後は機材の準備、セットリストの確認、音合わせに場当たり、音響チェックに個人練習。当日ライブが終わるまでやることは山積みだ。大変だが、受験勉強よりもこっちの方が楽しくて仕方ない。寝る暇も惜しいと思える。

その一方で「やっぱ所詮、顔だよな」「下積みなしでいきなり売れると後であっさり落ちぶれるに決まってる」という否定的な声が楽屋の片隅から聞こえてくる。陰口を叩くのはスタッフではなく、他の出演バンドの人間が大半だ。ここは子どもがままごとで活動する場所じゃない――暗にそう言いたげな彼らの冷ややかな視線を一身に受けながら、勝行は舞台袖から裏へ、ステージへと奔走した。

「おい勝行、あんま無理すんなよ」
「大丈夫です、久々なんで動かないと感覚が掴めなくて!」
「楽しそうだから止めねえけど、区切りついたら休憩室に来てくれ。光は咳が出てたから今そこに閉じ込めてる」
「……っわかりました、すぐ行きます」

オーナーに突然そんなことを告げられ、再び夏休み前の悪夢が蘇る。あの日もほぼ満杯になった客席を横目で見ながら、ライブに出演することなく光と救急車に乗り込んだ。
今回は自分たちWINGSの出演をはっきり明記して売ったワンマンライブだ。これをドタキャンするわけにはいかない。
だが事情を理解してくれているオーナーは、焦って今すぐにでも機材を投げ飛ばしそうになっていた勝行をやんわり引き留めてくれた。

「あー違う違う、今は落ち着いてるから大丈夫だ。サポメンの皆が交代で付き添ってる」
「す、すみません……助かります」
「光になんかあったらすぐ連絡する。お前には無理のない範疇で楽しめって言いたかったんだ。勝行にまで倒れられたら困る」

頼もしい上司がいるおかげで、勝行はどこまでも奔走できる。
それでも巻きでやるべき仕事を終わらせ、急いで休憩室の前まで戻った。
扉の真ん中にあるガラス窓から、久我や須藤に取り囲まれた光の姿が見える。――しかし、ドアノブにかけた手を止めてしまった。
光は満面の笑みを浮かべながら久我に差し出されたジュースを飲み、須藤に頭を撫でられ、オーナーにはブランケットをかけてもらっている。まさに至れり尽くせり。勝行の出る幕などどこにもない気がした。

「……」

携帯吸入器と薬がテーブルに置いてあるが、激しく咳き込んでいる様子は見受けられない。顔色も悪そうには見えない。むしろ休憩室のオレンジ色の照明が光の茶髪をさらに明るく照らし、その笑顔はキラキラ輝いて見えた。

(汚くて醜い、俺の心とは大違いだ)

一瞬にして手の届かない遠い世界に行ってしまったような、そんな錯覚すら覚える。
思わず自虐の笑みが零れた。ここ数か月の漠然とした不安の原因は、もう自分でもはっきりとわかる。くだらない妬みだ。
同じバンドメンバーや仲間に光を可愛がってもらえるのは本望だったはずなのに。――光の隣のポジションには誰一人立たせたくない。あの笑顔を自分以外に向けないでほしい――などと、物理的に無理なことばかり願ってしまう自分が情けなくて格好悪い。彼をプロデュースしたいと願う己の夢とは完全に相反する、薄汚い独占欲。
学校で晴樹に告げられた「みっともない執着心」という言葉も、まだ胸の内にじくじくと突き刺さっている。

『愛してあげるふりして縛り付けるくせに――そんなのは愛って言わないよ』

「五月蠅い……人の気も知らないで……」

光を愛していると声に出すたび、その醜悪な感情も比例して増していく。

「誰か、ここの配線知らないかー」
「あ、勝行ぃ、手が空いてるならちょっとこっち来て」
「はいわかりました」

背後から他のスタッフに呼び止められ、勝行は休憩室に戻ることなく再び仕事に没頭した。
ライブが無事に成功するまでは、忘れていたい感情だった。
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