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第六章 over the clouds
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♪
今すぐその手を伸ばして 触れることができたなら
もう二度と 離さないでと言えたならよかったのに
届かないこの声と指と想いは 行き先を失ったまま流れていく
灰色の雲に乗って 舞い散る桜に紛れ 君の元へと届けばいい
――『over the cloud』
それは桐吾が逮捕された後、肉親への色んな想いを詰め込み清算したくて作った楽曲だった。メロディも歌詞も入院中だった光が一人で作り、英語で書き殴った。それを勝行に渡したところ、綺麗な日本語版バラードソングに変えてくれた。
特に何も言われなかったけれど、勝行はこの曲を演奏するたび複雑そうな顔をしていた。賢い彼はきっとどこかで気づいたのだろう。
(もう……あいつの前ではやらない方がいいんだろうな。この曲)
アルバムを作る時、バックメンバーにはいい曲だと絶賛された。WINGSが唯一作った切ない恋愛ソングだったこともあって、アルバムの単曲配信では最も人気がある曲だとも教えてもらった。それでも勝行は、いつもライブのセットリストにこの曲を選ばない。理由はさっき聞いた通りだ。それが嘘偽りない本音かどうかは、わからない。
あの頃は事件の真相を語れば父の罪が増えたり、勝行も逮捕されるような気がして怖かった。それに本当は警察に殴り込みに行ってでも、桐吾を返してもらいかった。逢いたいと叫びたかった。結局それは誰にも何も言えず、ひたすら口を噤んでいた。代わりを補うように鍵盤を叩き続けた結果生まれた曲だ。
(だからあれは……本当は、勝行に歌ってもらえるような曲じゃない。わかってる。あれは身勝手な感情ばかり詰め込んだ、俺の独りよがりな曲だ……)
未練があるとすれば、自分の気持ちをちゃんと伝えられなかったことだ。だからどうしてもこの曲を桐吾に届けたい。その代わり、もう二度と演奏しない。父のことも、あの曲の存在も忘れよう。
光は一人でそう決めると、勝行が勉強している間に晴樹と保のスタジオへ出向き、ソロ演奏を録ってもらうことにした。ちょうどスケジュールが空いていた保は、自販機のレモンティー一杯の報酬で快く応じてくれた。
「どうしたの急に。この曲だけ欲しいって」
「別に……。手紙、上手く書けなくて。俺はピアノで返すことしかできねえから……」
「……ふうん、誰かにあげるんだ? その曲」
「……」
「歌はどうする? あんた、自分で歌ってみたらどう」
「自分で?」
「そう。非公式のプレゼントなら、全部一人でやってみたらいい。いつもコーラスで好きに歌ってるでしょ。あんなノリでいいわよ。編集くらいはしてあげる」
ずっと勝行のアレンジに依存していて、彼がいないと歌にならないと勝手に思い込んでいた。頼りっぱなしだった自分の不甲斐なさにも改めて気づいてしまった。
「ボーカル別録が理想だけど、ピアノソロで弾き語りでも十分いける曲よ、これは」
光は「そうか……自分で……」と呟きながら、手元の鍵盤を見つめた。とはいえ、できるだろうかと不安も過る。子どもの頃「お前のピアノならなんでもいい、聴かせろ」と言ってくれた父に「歌」を聴かせるだなんて、考えもしなかった。けれど確かに手紙に書けなかった思いや言葉は、勝行が完成させてくれた歌に込められていた。
歌うことは嫌いじゃない。だが演奏中に思わず口ずさんでしまう程度だ。それをついライブでやってしまうのだが、周囲は「コーラスだから問題ない」「勝行とは声質が違うから丁度いい」と笑って許してくれていた。
「……じゃ、じゃあ……歌ありとなしの両方録ってみて、それから考えてみてもいいか」
「いいわよ。どうせ今日はもう、あんたと収録デートする以外なんの予定もないから」
「……それ、デートって言う?」
「言うの。いいもの聴かせてくれたら、後で美味しいもの驕ってあげるわ。頑張りなさい。遠くの誰かに『愛していたよ』って、伝えたい歌なんでしょう?」
「……う……」
「『We'll look up at the sky and sing out loud until we meet again someday.――貴方にまた逢えるその日まで、僕らは雲の向こうで歌い叫ぶ――』だっけ。届くといいわね。あんたの気持ちが」
なんでもお見通しな保にそう告げられ、光は思わず頬を赤らめる。それから誤魔化すように「終わったらでっかいステーキ一択だかんな! 勝行の分も!」と口を尖らせた。
今すぐその手を伸ばして 触れることができたなら
もう二度と 離さないでと言えたならよかったのに
届かないこの声と指と想いは 行き先を失ったまま流れていく
灰色の雲に乗って 舞い散る桜に紛れ 君の元へと届けばいい
――『over the cloud』
それは桐吾が逮捕された後、肉親への色んな想いを詰め込み清算したくて作った楽曲だった。メロディも歌詞も入院中だった光が一人で作り、英語で書き殴った。それを勝行に渡したところ、綺麗な日本語版バラードソングに変えてくれた。
特に何も言われなかったけれど、勝行はこの曲を演奏するたび複雑そうな顔をしていた。賢い彼はきっとどこかで気づいたのだろう。
(もう……あいつの前ではやらない方がいいんだろうな。この曲)
アルバムを作る時、バックメンバーにはいい曲だと絶賛された。WINGSが唯一作った切ない恋愛ソングだったこともあって、アルバムの単曲配信では最も人気がある曲だとも教えてもらった。それでも勝行は、いつもライブのセットリストにこの曲を選ばない。理由はさっき聞いた通りだ。それが嘘偽りない本音かどうかは、わからない。
あの頃は事件の真相を語れば父の罪が増えたり、勝行も逮捕されるような気がして怖かった。それに本当は警察に殴り込みに行ってでも、桐吾を返してもらいかった。逢いたいと叫びたかった。結局それは誰にも何も言えず、ひたすら口を噤んでいた。代わりを補うように鍵盤を叩き続けた結果生まれた曲だ。
(だからあれは……本当は、勝行に歌ってもらえるような曲じゃない。わかってる。あれは身勝手な感情ばかり詰め込んだ、俺の独りよがりな曲だ……)
未練があるとすれば、自分の気持ちをちゃんと伝えられなかったことだ。だからどうしてもこの曲を桐吾に届けたい。その代わり、もう二度と演奏しない。父のことも、あの曲の存在も忘れよう。
光は一人でそう決めると、勝行が勉強している間に晴樹と保のスタジオへ出向き、ソロ演奏を録ってもらうことにした。ちょうどスケジュールが空いていた保は、自販機のレモンティー一杯の報酬で快く応じてくれた。
「どうしたの急に。この曲だけ欲しいって」
「別に……。手紙、上手く書けなくて。俺はピアノで返すことしかできねえから……」
「……ふうん、誰かにあげるんだ? その曲」
「……」
「歌はどうする? あんた、自分で歌ってみたらどう」
「自分で?」
「そう。非公式のプレゼントなら、全部一人でやってみたらいい。いつもコーラスで好きに歌ってるでしょ。あんなノリでいいわよ。編集くらいはしてあげる」
ずっと勝行のアレンジに依存していて、彼がいないと歌にならないと勝手に思い込んでいた。頼りっぱなしだった自分の不甲斐なさにも改めて気づいてしまった。
「ボーカル別録が理想だけど、ピアノソロで弾き語りでも十分いける曲よ、これは」
光は「そうか……自分で……」と呟きながら、手元の鍵盤を見つめた。とはいえ、できるだろうかと不安も過る。子どもの頃「お前のピアノならなんでもいい、聴かせろ」と言ってくれた父に「歌」を聴かせるだなんて、考えもしなかった。けれど確かに手紙に書けなかった思いや言葉は、勝行が完成させてくれた歌に込められていた。
歌うことは嫌いじゃない。だが演奏中に思わず口ずさんでしまう程度だ。それをついライブでやってしまうのだが、周囲は「コーラスだから問題ない」「勝行とは声質が違うから丁度いい」と笑って許してくれていた。
「……じゃ、じゃあ……歌ありとなしの両方録ってみて、それから考えてみてもいいか」
「いいわよ。どうせ今日はもう、あんたと収録デートする以外なんの予定もないから」
「……それ、デートって言う?」
「言うの。いいもの聴かせてくれたら、後で美味しいもの驕ってあげるわ。頑張りなさい。遠くの誰かに『愛していたよ』って、伝えたい歌なんでしょう?」
「……う……」
「『We'll look up at the sky and sing out loud until we meet again someday.――貴方にまた逢えるその日まで、僕らは雲の向こうで歌い叫ぶ――』だっけ。届くといいわね。あんたの気持ちが」
なんでもお見通しな保にそう告げられ、光は思わず頬を赤らめる。それから誤魔化すように「終わったらでっかいステーキ一択だかんな! 勝行の分も!」と口を尖らせた。
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